フランス紀行その2: モン・サン・ミッシェル~海の奇蹟
2006年 02月 14日
美術館のことを書く前に「モン・サン・ミッシェルへ行きました」と一言書いたところ、「写真が見たい!」の声多し。
困ったことに。
あんまり、写真がないのですよ。
ていうか、正確に言うと自分で撮ったものは一枚しかない。
いかんせんブログ上で自分の馬鹿っぷりばかりを公開していてほとほと嫌気が差してきたが、大好きなパリと初めてのモン・サン・ミッシェルへ出かけるにあたってちょっとエキサイトしてしまったのか、ここでまた大失態。
昨年の誕生日に旦那に買ってもらったばかりのデジカメを鞄にしまったところまでは良かったが、肝心の記録媒体であるSDカードが自宅のテーブルの上に鎮座した状態で旅立ってしまうという何とも物哀しい過ちを犯してしまった。
では美術館の写真等はどうやって写しているかというと*?
最近のデジカメはスグレモノで、内蔵メモリなんてものがある。
24MB程度しかないので容量の大きいSDカードに比べると僅かしか撮れないが、何とか20枚強は保存可能。
それで、なけなしのメモリを節約して撮影→メモリオーバーの警告→削除→撮影、を繰り返していたのだが、初日の美術館でこれを繰り返すうちにすっかり賽の河原感が高まって萎えてしまった。
そんなこんなで、本来であれば修道院の内部も撮りたいところは多かったのだけれど、モン・サン・ミッシェルは全体像の写真しかない・・・。ゴメンナサイ・・・。
同じ構図で殆ど間違い探し状態だが、夫に敬意を表して並べて表示してみたり。
私による撮影↓ 夫による撮影↓
やや五月雨的になってしまうが、モン・サン・ミッシェルにて感じたこと何点か。
1. 「要塞」の要素と修道僧の知識レベル: 修道院自体については、要塞も兼ねているだけあってとにかく複雑な作り。特に、修道僧たちが執務に励んだ「騎士の間」には、当時は機密文書も含まれる文書が作成・保存されていたため、最も奥まった場所にある。10-11世紀当時は(建立は708年だがベネディクト派の修道院となったのは10世紀)文盲の人も多く、修道院とは最も知識が集約される場所の一つだったのだろう。
2. 建築: 私は建築に関してはずぶの素人だけれど、ここは708年に礼拝堂が建立された後、10世紀にはロマネスク様式の教会が、そして13世紀にはゴシック様式の「ラ・メルヴェイユ」(西欧の驚異)の名称をもつ建物が増築されるなど、様々な様式の建築が入り混じっているとのこと。とにかく圧巻なのが「メルヴェイユの棟」の中の「修道僧の遊歩場」にみられる、力を分散させる目的で四方八方にアーチ型に張り巡らされる柱。これはロマネスクからゴシックへの過渡期の産物なのだそう。
3. ベネディクト派の厳格なる戒律: カトリック最古の修道会であるベネディクト派の厳しい生活規範がそこかしこに表れている。生活のプライオリティーは仕事と祈り。食事の時も私語は許されない。先述の「修道僧の遊歩場」や目に美しい柱の立ち並ぶ「列柱廊」が、建物の中でも数少ない「会話」が許される場所だったなんて想像できないような生活。
4. 天候: 写真からも分かる通り、訪れた日は雨こそ降らなかったものの薄曇であった。ガイドの方の言葉を借りると、「モン・サン・ミッシェルはこのぐらいの天候の方が荘厳な感じが高まって素晴らしいんです」ですと。
5. 堤防: ご存知の通り、現在は干潮時も満潮時も関係なく行き来が出来るように堤防が陸と島を繋げているが、実はこの堤防が周囲の環境に悪しき影響を与えているとのこと。これを吊り橋に変えるべく地元の人がさかんに働きかけているが、莫大な工事資金が必要で遅々としてプロジェクトが進行しないとのこと。またしても素人考えだが、こんなに世界の人に親しまれている巡礼地たるもの(しかも世界遺産)、「そんな工事費は俺がもってやる」的な大富豪のパトロンが10人も集まれば出来るのでは?なんて思ってしまうのだが・・・事はそう簡単でもないらしい。
パリから片道4.5時間の長―いバスツアーだけれど(電車でも行けるが、乗り継ぎもあり結構面倒。この点バスは寝てれば着くので楽です。)、時間を掛けてでも訪れる価値のあるところだと思います。
私の友人には、パリ在住とはいえ移住してからの過去一年間で何と3回もモン・サン・ミッシェルを訪れているというツワモノもいますが(笑)。
*最後になってしまったが、美術関係の仕事をしている賢明なる友人からの助言を受け、前回の記事に関して一言。
オルセー美術館での写真撮影は、ごく一部の撮影禁止地域を除いてほぼ全面許可されています。
写真撮影に関するルールはパリでも美術館によって異なり、例えばマルモッタンなど規模の小さいところは全面禁止の傾向が強い模様。観光客の皆様、くれぐれも撮影禁止のところではルールを守って下さいね!
困ったことに。
あんまり、写真がないのですよ。
ていうか、正確に言うと自分で撮ったものは一枚しかない。
いかんせんブログ上で自分の馬鹿っぷりばかりを公開していてほとほと嫌気が差してきたが、大好きなパリと初めてのモン・サン・ミッシェルへ出かけるにあたってちょっとエキサイトしてしまったのか、ここでまた大失態。
昨年の誕生日に旦那に買ってもらったばかりのデジカメを鞄にしまったところまでは良かったが、肝心の記録媒体であるSDカードが自宅のテーブルの上に鎮座した状態で旅立ってしまうという何とも物哀しい過ちを犯してしまった。
では美術館の写真等はどうやって写しているかというと*?
最近のデジカメはスグレモノで、内蔵メモリなんてものがある。
24MB程度しかないので容量の大きいSDカードに比べると僅かしか撮れないが、何とか20枚強は保存可能。
それで、なけなしのメモリを節約して撮影→メモリオーバーの警告→削除→撮影、を繰り返していたのだが、初日の美術館でこれを繰り返すうちにすっかり賽の河原感が高まって萎えてしまった。
そんなこんなで、本来であれば修道院の内部も撮りたいところは多かったのだけれど、モン・サン・ミッシェルは全体像の写真しかない・・・。ゴメンナサイ・・・。
同じ構図で殆ど間違い探し状態だが、夫に敬意を表して並べて表示してみたり。
私による撮影↓ 夫による撮影↓
やや五月雨的になってしまうが、モン・サン・ミッシェルにて感じたこと何点か。
1. 「要塞」の要素と修道僧の知識レベル: 修道院自体については、要塞も兼ねているだけあってとにかく複雑な作り。特に、修道僧たちが執務に励んだ「騎士の間」には、当時は機密文書も含まれる文書が作成・保存されていたため、最も奥まった場所にある。10-11世紀当時は(建立は708年だがベネディクト派の修道院となったのは10世紀)文盲の人も多く、修道院とは最も知識が集約される場所の一つだったのだろう。
2. 建築: 私は建築に関してはずぶの素人だけれど、ここは708年に礼拝堂が建立された後、10世紀にはロマネスク様式の教会が、そして13世紀にはゴシック様式の「ラ・メルヴェイユ」(西欧の驚異)の名称をもつ建物が増築されるなど、様々な様式の建築が入り混じっているとのこと。とにかく圧巻なのが「メルヴェイユの棟」の中の「修道僧の遊歩場」にみられる、力を分散させる目的で四方八方にアーチ型に張り巡らされる柱。これはロマネスクからゴシックへの過渡期の産物なのだそう。
3. ベネディクト派の厳格なる戒律: カトリック最古の修道会であるベネディクト派の厳しい生活規範がそこかしこに表れている。生活のプライオリティーは仕事と祈り。食事の時も私語は許されない。先述の「修道僧の遊歩場」や目に美しい柱の立ち並ぶ「列柱廊」が、建物の中でも数少ない「会話」が許される場所だったなんて想像できないような生活。
4. 天候: 写真からも分かる通り、訪れた日は雨こそ降らなかったものの薄曇であった。ガイドの方の言葉を借りると、「モン・サン・ミッシェルはこのぐらいの天候の方が荘厳な感じが高まって素晴らしいんです」ですと。
5. 堤防: ご存知の通り、現在は干潮時も満潮時も関係なく行き来が出来るように堤防が陸と島を繋げているが、実はこの堤防が周囲の環境に悪しき影響を与えているとのこと。これを吊り橋に変えるべく地元の人がさかんに働きかけているが、莫大な工事資金が必要で遅々としてプロジェクトが進行しないとのこと。またしても素人考えだが、こんなに世界の人に親しまれている巡礼地たるもの(しかも世界遺産)、「そんな工事費は俺がもってやる」的な大富豪のパトロンが10人も集まれば出来るのでは?なんて思ってしまうのだが・・・事はそう簡単でもないらしい。
パリから片道4.5時間の長―いバスツアーだけれど(電車でも行けるが、乗り継ぎもあり結構面倒。この点バスは寝てれば着くので楽です。)、時間を掛けてでも訪れる価値のあるところだと思います。
私の友人には、パリ在住とはいえ移住してからの過去一年間で何と3回もモン・サン・ミッシェルを訪れているというツワモノもいますが(笑)。
*最後になってしまったが、美術関係の仕事をしている賢明なる友人からの助言を受け、前回の記事に関して一言。
オルセー美術館での写真撮影は、ごく一部の撮影禁止地域を除いてほぼ全面許可されています。
写真撮影に関するルールはパリでも美術館によって異なり、例えばマルモッタンなど規模の小さいところは全面禁止の傾向が強い模様。観光客の皆様、くれぐれも撮影禁止のところではルールを守って下さいね!
by canary-london
| 2006-02-14 10:59
| travel