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ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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新年には入ったものの、クリスマスについて書きたいことが処理しきれていないので、自分勝手に構わず書いていくことにする(笑)。

一つ目はクリスマスツリーについて。
クリスマスツリーは、日本のお雛様のように「娘が嫁に行き遅れる」などと焦って当日が済むとさっさと片付けられるという性質のものではなく、新年に入ってもツリーもデコレーションも放置されている。来英して間もない日本人の中は、お正月に門松がない風景を寂しいと言う人もいるけれど、こちらはクリスマスとお正月の風景に大きな差がないということになる。
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ツリーが「放置されている」というのには実は語弊があり、クリスマス当日の12月25日から、キリスト教の祝日である1月6日のEpiphany(マギ=賢者達が幼子キリストを訪れた日)までの12日間は祝祭が続くという考え方。以前本ブログでも、米国で過ごした子供時代に意味も分からずコーラスで歌った‘The Twelve Days of Christmas’という歌について書いたことがあるけれど、あの歌自体の出自には色々な意見があるとはいえ、「12日間」のお祝いということには正当な宗教的背景がある。

・・・しかしながら、現実問題としてはやはり「放置されている」ことに変わりはなく、更に困るのは後始末。
イギリスではアメリカに比べて、通行人の目も楽しませてくれるような派手なツリーとデコレーションで祝っている家庭は圧倒的に少ないとはいえ、ツリー自体は当然ながら「ナマ」の樅の木。東急ハンズで仕入れた人工ツリーに人工の電飾が輝く日本の家庭の典型的なデコレーションとは事情が違う。まあこの辺りは、宗教的な理由だけではなく、米国→英国→日本と土地が狭くなるにつれて、より現実的なデコレーションの方法が考案されていく部分もあるのだろうけれど。

1月6日を過ぎると、ご近所でも一斉に立派な樅の木が即ゴミ箱行きとなる家庭が多いらしく、先週ゴミ収集車が去った後は樅の葉や枝の残骸がそこかしこに散乱しており、何となくうら寂しい気持ちになってしまった。

そんなことをぼーっと考えながらインターネットを眺めていると、こんなサイトに行き当たった。ここにリンクが掲載されているEarth911というサイトに行くと、確かにクリスマスツリーをはじめあらゆる物のリサイクル方法を調べることが出来るのだが、米国限定。
私のご近所のツリーはどうもそのまま可燃ゴミとして処理されそうな気配濃厚だったが、英国にも環境に優しいこんな選択肢があることを願っている。
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# by canary-london | 2009-01-12 03:36 | diary
・・・というわけで、「12月中下旬に山ほどあった書きたいこと」、どんどん書いていくことにします。
今日は、前回12月上旬に書いたクリスマスプレゼント商戦のちょっとした続編。

家族・友人へのクリスマスプレゼントを殆どインターネットで済ませてしまったのは前述のとおり。
インターネットで商品を注文するのはこの上なく便利なのだが、ひとつ問題がある。
それは、デリバリー。

宅配便が届けられるような時間に在宅していれば良いが、一人暮らしのサラリーマンたるもの、そんなこともあろう筈がない。配送先をオフィスにすれば良いのだろうけれど、得てして商品は重かったりかさばったりすることに加えて、何となく見栄を張ってしまうのかオフィスに配送させることは稀で、商品はほぼ例外なく自宅に届けられる。

幾らイイカゲンな英国のお国柄とて、さすがにこの手のものの宅配方法は「書留」もしくはそれに準ずるもの。
すなわち、受領者が在宅してサインをしなければ、原則として荷物は配送されない。
・・・あくまで「原則として」。
ここからが、この国のイイカゲンさ本領発揮だ。

この「書留」の配達通知が、帰宅すると玄関の郵便受けに挟まれている。
不在配達通知かと思って良く見ると、茶目っ気のある(というかいい加減な)文字で、「不在だったので、玄関脇のXXXに置いておきました」なんて書いてある。
一応盗まれないようにと配慮するらしく、宅配物の上に、ある時はゴミバケツ、別の時は靴磨き用のマットなど、様々なものが被せられている。
・・・「書留」が聞いて呆れるし、実際この方法で郵便物がなくなったことは何度かあるので、ゴミバケツの下に「書留」を見つけるたびに「やれやれ、またか」と思うのだが、一方で再配達をアレンジしたり、あるいは近くの指定郵便局にブツを取りに行く手間と時間を考えれば、ある意味効率性を重視したイイカゲンさなので文句ばかりも言っていられない。

もう少し真面目な配達人になると、「受取人が確実に荷物を受け取ること」を若干重視したメソッドになるらしく。ここで、日本でも良くみられる「ご近所に預ける」という策が登場する。
私もこのクリスマスの時期は、幾度となく周囲に住む方々に大変お世話になった。
見ず知らずの他人の荷物を預かってくれるという行為に感謝だけでなく尊敬の念を覚えたことに加え、今年はあまりに何度も不在配達記録片手にご近所を駆け回った結果、見知らぬ訪問者に対するご近所の方々のガードがあまりに低いことに感動した。

私自身に関していえば、ロンドンに来てから何度も盗難の憂き目に遭っているために疑心暗鬼になっている部分は否めないのだが、玄関のベルを鳴らす人に対して、「どなたですか?」と聞き、安心・納得できる答えが返ってこなければ、ドアを開けることは決してしない。
自分の住む周りは比較的閑静な住宅街で怖い思いはしたことがないけれど(家の目の前に停めてあった車から物を盗まれたことはあるが・・・)、Islingtonという場所は、必ずしも治安の良い場所ばかりではない。だからこそ、ご近所を三軒ほど訪問し、ほぼ例外なく小さな子供や赤ちゃんを連れたお母さんにほぼ無防備にドアを開けられた時には逆にこちらが面喰ってしまった。
「Fortnum&Masonからのデリバリーだから、てっきり誰かが私に素敵なクリスマスプレゼントを届けてくれたのかと思ったわ!!」などと無邪気に語るご近所のお母さんに丁重に御礼を言い、荷物を抱えて家まで帰る道すがら、「心が荒んでいるのは自分の方なのだろうか?」とクリスマスを前に自問自答してしまうのだった。
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# by canary-london | 2009-01-03 23:39 | culture
大変ご無沙汰致しました。
早いもので、新年が明けてしまいました。
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12月中下旬には書きたいことが山ほどあったのですが、状況がそれを許さなかったので、ここで改めてお詫びすると共に、身の上について色々とご心配頂いた方々、本当に有難うございました。

Canary-londonは何の因果かこんな時世の中、職を失うこともなく、変わらぬ日々を過ごしております。

2009年が皆様にとって素敵な一年となりますように。
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# by canary-london | 2009-01-03 23:30 | current
2005年12月からこのブログを書き始めてちょうど間もなく三年が経過するのだが、過去の記事をぼんやり眺めていると、12月は決まって欧州でのクリスマスのことを何か書いていることに気付いた。
一番自分の中でのクリスマスを表現しているのは、2005年12月に赴任準備で二週間ほどロンドンに出張していた時の記事だろうか。
ところでそれと同時に、この当時はまだ「です・ます」調の丁寧な文章を書いていたことに気付いた(体言止めも多用しているため、全てですます調というわけではないが・・・)。
いつの間に、今のような「だ・である」調のエラソウな文章になったんだったっけ。

それはともかく、アウトサイダーの自分ですら毎年クリスマスというものについて何かしら言いたいことがあるのだから、欧米におけるクリスマスというのがいかに大事な行事であるかを物語っている。
未曾有の不景気でも、家族へのプレゼントを買い求めるショッピング客の勢いは衰えを知らない。報道では「今年のクリスマス商戦は不振」という論調が目立つものの、リージェント・ストリートにでも出掛けようものなら、もみくちゃにされること請け合いである。
今年は先月末から風邪が抜けず、デパートの人混みに出掛けるエネルギーは到底ないため、私自身はほぼ全ての買い物をインターネットで済ませてしまった。・・・一体ネット社会になる前はどうやってこんな状況を切り抜けていたんだっけ?
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三年前にも書いた「プレゼント至上主義」は、オフィスにも該当する。
例年馬鹿騒ぎとなる我がデット・シンジケート部のクリスマス・パーティーでは、「シークレット・サンタ」と名づけ、各自くじ引きでチーム内の誰か一人にプレゼントを用意するルールとなっている。「シークレット・サンタ」の名の通り、あげる側が誰であるかは当日までディスクローズされない。当日は皆順番にプレゼントを開けていき、皆終わったところでそれぞれの「サンタ」の正体が明かされる、という仕組み。
プレゼントのインフレを防ぐために、一人10ポンドの上限が付されるなか、相手にマッチするもので且つ実用的、そしてユーモラスなものを見つけるのは実はひと苦労。
これもネットがなければ不可能な作業なのだ。

そんなわけでクリスマスの話題には事欠かないのだけれど、先日チームの数名で終業後久しぶりに一杯飲んでいたときの話題は、サンタさんとしての苦労話。
チームのメンバーの多くは、下は0歳児から上は小学校高学年程度のレンジの子供を持っているため、「子供に何歳までサンタさんの存在を信じ込ませることが出来るか?」が目下の大きなチャレンジなのだ。
25日の朝にプレゼントの周りに足跡をつけるぐらいは基本らしく、「煙突の中にサンタさんの衣服の残骸を残しておく」なんて凝りようの同僚もいた。
家族至上主義の欧米人がありったけのエネルギーを注ぎ込む子供中心のクリスマスにまつわるそんなエピソードの数々を聞くたび、心温まる気持ちになる。
息子や娘の純粋な気持ちを裏切らないよう、こんなに頑張っているお父さん・お母さんを持っている君達は幸せ者だよって、言ってあげたい。

私の子供時分、我が家でも毎年欧米式のクリスマスを祝っていた。
さすがにサンタさんの足跡まで目撃した記憶はないけれど、「サンタさんへ」の手紙と共にキッチンのテーブルに置いたミルクとビスケットやブランデーを全部平らげてくれていた両親にも、サンタさんとしての色々な苦労があったに違いない。

―今年も、より多くの子供たちがサンタさん神話を信じて、幸せなクリスマスを迎えられますように。
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# by canary-london | 2008-12-10 10:40 | current
2008年もすっかり終わりに近づいてきてしまったが、遅れ馳せながら今年のノーベル賞についてわりと最近読んだ話題に関連して。
ノーベル物理学賞に「日本人」三人が選ばれたことで、今年のノーベル賞については日本人には特に身近なものとして感じられたのかもしれない。
ちなみに、果たして彼らが「日本人」であるか否かに関する議論については添付リンクをご参照。
このご意見に関しては、海外に住む日本人として常にある種の人種コンプレックスと戦う羽目になる私も全く同感。
・・・ノーベル化学賞を受賞したオサム・シモムラ(下村脩)氏も、同じく日本生まれの米国籍という方だったのですね。*
*このあと親切な読者の方にご指摘頂きましたが、下村氏は米国籍は取得されているわけではなく、日本国籍のまま米国に在住されているとのことですので、お詫び・訂正させて頂きます。有難うございました!

今回の話題は少し脇道に逸れるけれど、注目を集めたノーベル経済学賞は、現在はプリンストン大学で教鞭を取るPaul Krugman(クルーグマン)氏が受賞した
NYタイムズのコラムニストでも広く知られるクルーグマン氏が同賞を単独で受賞したことについては通常のノーベル賞受賞を巡る議論以上に賛否両論あったように感じるけれど、そんな中でのこぼれ話を一つ。

クルーグマン氏受賞の陰の立役者の一人となったのは、間違いなく`Dixit-Stiglitz`モデルの考案者の一人であるAvinash Dixit氏であろう。何しろ、Dixit氏の理論なくしては、クルーグマン氏は30年前に研究者としての道を歩むこと、もしくは経済学自体を放棄していた可能性が高いのだから。

Dixit氏自身、研究者としてだけでなく、ノーベル経済学賞受賞候補者として注目を集める存在だが、その肩の力を抜いたスタンスに何とも共感し脱帽してしまった。
以下はFTマガジンからの抜粋:
‘A good place to have ideas is in front of the shaving mirror.
Krugman has a beard.
Imagine how much he could have achieved if he shaved!’

いつもの調子で勝手な意訳をするとこんな感じだろうか:
「髭剃りのために鏡に向かう時間というのは、意外に素晴らしい閃きがあったりするものだ。クルーグマンは髭を生やしているので髭剃りに充てる時間はないのだろうが、仮に彼が髭を剃ったとしたら、どれほどまでに素晴らしいアイディアが生まれていたことか!」

ノーベル賞受賞者と自分を比べるなどおこがましいにも程があるのだが、翻って我が身を鑑みると、私は髭は剃らないまでも、確かに素晴らしいアイディアは得てしてトイレで浮かんだりするものなのだ。
私の今の席から女性用トイレまでは、歩いて15-20メートル程度あるだろうか。
トイレで浮かんだ秀逸な構想は、席に戻るまでの20秒程度の間にすっかり頭の中で「リセット」ボタンが押されていたりして。オフィスからの帰り道にぼんやりそんなアイディアについて思い出したりして、地団駄を踏んだりするものなのだ。
今年の課題は健忘症との闘いかもしれない(笑)。
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# by canary-london | 2008-12-03 09:52 | current

のり巻と包丁と日本人

前回、「会社の中での多文化交流」について書いているときに、そういえば7月末のエントリ「続・ロンドンとチャリティー」で書いた’sushi-making class’について報告していなかったことを思い出した。
あのとき「二週間後に本番の迫った・・・」などと書いたが、この手の企画にありがちな諸々の理由での遅延が重なり、結局9月に私が旗振り役となって二度開催。そのほかシンガポール人の同僚にコーディネートを頼んだ回もあったため、現在までに三回行っている。

何のことはない、弊社のビル内にある社員食堂(社員食堂の御多分に漏れず、更にイギリスという要素も加わり正直あまり美味しいとは言い難いため、私自身は朝食のコーヒーとフルーツ以外を買うことは稀なのだが・・・)に勤める寿司職人に講師を頼み、希望する社員15人程度を集めて、のり巻と簡単な握り寿司を作る教室を開催するという企画。
この「寿司職人」、社員食堂なので給与の高い日本人ではなく、タイ人だろうか、とにかく東南アジア系と思しき小柄な男性で、なかなか茶目っ気がある。
同僚の社員食堂のシェフ達からは、’SUSHI’と呼ばれている(うーん、なんて安直なニックネームなんだ)。
集まる社員は圧倒的に欧米人が多いため、大半は、’SUSHI’は日本人だと思い込んでいたりする。・・・まあその方が説得力があって良いのかもしれないけど(笑)。

一回目はスペースに余裕があったので、私もコーディネーターの役割だけでなく「生徒」として参加。
正直「所詮は社員食堂」とあまり期待していなかったのだが、人数分の巻き簾が用意され、鉄火巻きやインサイドアウト・ロール(海苔を内側に巻き込むカリフォルニア出身の巻き方)、海老の握り寿司など、丁寧ながらもてきぱきと説明して実演していく。
生徒がそのたびに試行錯誤しながら作っていく「のり巻もどき」を何とかまともなのり巻にすべく、他のシェフと共に横から色々なアドバイスを与えてくれ、最後はプラスチックの寿司折に自分の作品を詰めてそれぞれ持ち帰れるというお土産もついており、不格好なのり巻を抱えつつも皆それなりに満足した面持ちで帰っていく。
(自分の作品の写真を撮るチャンスがなかったけれど、ただ一人の日本人の面目を一応保てる程度の見栄えのものは完成しひと安心したので、ご心配頂いた一部の友人にはここで報告しておく。)
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二回目は何と定員オーバーで何名か送り返す羽目になるなど、この種のイベント企画の難しさ(幾ら言っても当日断りもなく来ない人がいるので、それも計算に入れて参加者を募るのだが、予想外に全員現れると定員オーバーになってしまうのだ)、および日本食人気を改めて感じた。先般書いた’Black History Month’に絡んで、同じ形態でカリビアン料理教室の開催を企画していた同僚は、当日3人しか現れず結局クラスをキャンセルにせざるを得なかったと嘆いていた。

安全性確保の観点から、「生徒」は包丁を握ることが許されず、使用する魚や野菜の切り身は全てシェフが用意し、それぞれに配られる。
そんな‘SUSHI’の同僚のシェフが見事な包丁さばきを見せながら、「皆さん、僕はよそ見して皆と会話しながら野菜を切っていても、指を切り落とすことがありません。それは何故かというと、左手の人差し指の関節で包丁をブロックしているからです。」と解説。
・・・オイオイ、それって料理の基本なんだけど。
「そして、必ず良く切れる包丁を使うこと。切れない包丁で無理に切ろうとすると余計な力が必要になり、事故が大惨事になります。」
・・・うん、それも小学生のとき母から聞いたから。

が、周りの「生徒」達からは、「おー」と感嘆の声が。
どうみても、私より主婦歴の長そうなオバチャンもいっぱいいるぞ。
よくよく考えると、通常のイギリス人のキッチンには、切れが悪く場所ばかり取るナイフの5本セットが置かれているだけで、そもそも「包丁」というものには馴染みが薄いのが現状。
「世界の中でも日本のホウチョウがベストです。高いものは200ポンド以上しますよ!」と畳みかけるように言うシェフ君の話に目を白黒させている同僚もいた。

海外にいると、日本人として幼少時に色々と基本的なことを教えられた経験は貴重だと思う局面が良くある。
包丁に関するこんな一幕も、「日本人でヨカッタ」と思う瞬間だった。
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# by canary-london | 2008-11-18 06:06 | culture

Dame Kelly Holmes

3ヶ月ほど前に、会社の中で多文化交流を促進するボランティア的団体への参加を始めたことについて書いた。
毎週第二木曜日の午前10時から月例のミーティングがあるのだが、トレードその他で忙しいときには、正直「今日は勘弁してくれないかな」と思う。

・・・とはいいながらも、勉強になること、開眼させられることが実に多いことも確かで、敢えて新たなチャレンジをしている自分を少しだけ誇らしく思ったりもする。

先日も書いたオバマ氏の当選で、おそらくは世界的に「人種」というトピックに関する議論が再び熱くなるのではないかと予想する。
そんな世界のトレンドに先駆け(?)、件の我が団体はというと、10月を’Black History Month’と名付け、現在・過去にわたって英国で活躍する/活躍した黒人にスポットライトを当てた各種イベントを開催している。
自分にとってはそんな諸々のイベントのそれぞれ自体が新しい発見。
今月下旬には、ロンドンの観光名所の代表格であるナショナル・ギャラリーで黒人アーティストにフォーカスした勉強会が開催されるなど、日頃から知っているvenueで少し趣向の変わったイベントも数多く行われる予定である。

先月末には、英国人なら知らない人はいないであろう、2004年アテネ・オリンピックで金メダル二つ(800M走と1500M走)という快挙を成し遂げた陸上選手・Kelly Holmes氏を弊社に招き、小一時間のトークおよび質疑応答のセッションが実現した。
彼女は2005年にDameの称号も取得している。
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所謂「インテリ」ではないけれど、実力と努力、そして経験に裏打ちされた話には実に説得力がある。
話もなかなか上手い。
一度は陸上競技から離れ、18歳で入隊した英国の軍隊でまずはトラック運転手、続いてフィジカル・トレーナーを歴任するという稀有な経歴の持ち主でもある彼女がダブル・ゴールドを取得した2004年、彼女は実に34歳という高齢だった。
34歳という年齢、陸上選手としての選手生命はとうに終わっているというのが一般的な見方だろうが、彼女は持ち前のガッツと、とにかく「オリンピックで金メダルを取りたい!!」という幼少時からの夢を諦めることなく、見事に実現させた。

そんな彼女のアドバイスには参考になることが多数あった。
「常にゴールを持ち続けることが大事。ゴールは、少し背伸びしたら現実的に達成可能なものであるべき。」
「常に五年先の自分のビジョンを抱こう。」
などなど。

聴衆に回覧してくれた金メダルは、思いのほかずっしりと重かった。
彼女の直筆サインの入った新しい著書、「Black White & Gold」は宝物の一つになりそうだ。
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# by canary-london | 2008-11-13 09:29 | current

政治と旬

四年に一度の米国大統領選の年は必ずやそうなるのかもしれないが、政治が「旬」だ。
今から十数年前に大学に入学するとき、同じ大学の経済学部と法学部政治学科との間で迷った挙句、数学の補習を受けるのが嫌だという至って単純且つ怠惰な理由で政治の方を選んだ。
僭越で血の気の多い若者だった自分は、(今は少し変わってきているのかもしれないけれど)当時の日本の大学というぬるま湯の環境とも相まって、政治とは何てどっちつかずの学問なのだろうという感想を初めに抱いた挙句の果てに、それを如実に映すどっちつかずな気持ちのまま四年間を無為に過ごしてしまった。

現在の金融危機のような世界的なクライシス(危機)の状況下、政治という学問の権威は復活するのかもしれない。
実は英国をはじめヨーロッパについても書きたいことは最近多いのだけれど、今日という日はやっぱり米国について書くしかないんだろうな。

第44代米国大統領として史上初めて黒人のBarack Obama氏が選出されてから、24時間も経っておらず、正に「興奮冷めやらぬ」という雰囲気。
米国人や現在米国に在住する人に比べ、私の思いの丈など比べる術もないけれど、海外在住の日本人として少しだけコメント。

本ブログにも何度も登場している私の上司兼同僚はアメリカ人の女性なのだが、まず特筆すべきは彼女の反応だろうか。
彼女は真のアメリカ人らしく、自国を良くする=世界を良くすると信じて疑わないし、参加意識も高く、当然のことながら在外投票もしている。

そんな彼女の今朝の第一声。
「通勤途中の車の中でオバマの就任演説聞きながら、思わず涙ぐんじゃった」
「正に歴史が目の前で塗り替えられてるんだなって思って」
・・・アメリカ人の中でもインテリで高所得者層ではあるけれど、生身の一般人の反応。
同じフロアに勤める別のアメリカ人のトレーダーは、オバマの就任を祝ってチームの皆にドーナツを振る舞っていた。投資銀行業界全体が青息吐息のなか、「変革」を約束するオバマに対する支持は思いのほか強い。
自分の在外投票について熱く語るそんな彼らをみながら、何とはなしに羨望の気持ちを抱いてしまった。
・・・賛否両論あれど、やっぱりアメリカ合衆国という国は、ひとたび舞台に出たら主役をさらってしまうのだもの。
自分もオバマに投票した上で、当事者としてこの会話に加わりたかったなー、という漠然とした気持ち。

二点目。
米国の選挙制度は実に複雑で正直なところ私も今回の選挙戦を経ても完全に把握していないのだが、各州の集計結果を少し奥まで掘り下げると色々なことが見えてくる。
米国の50の州の中はそれぞれが、その更に下の行政単位としてcounty(郡)を有している。
例えば、従来Democrats(民主党)の勢力が強いとされているPennsylvaniaのような州であっても、実は郡の数にするとMcCainの共和党に投票した郡の方が余程多いという結果になる。
選挙戦について、より上級者の会話になってくると、例えば「PennsylvaniaのXX郡を押さえたからObama優勢だよな」といった具合。
それぞれの郡の意味するところは部外者にはさっぱり分からないけれど、ひとつ明確に分かることは、州による多様性と州の中での多様性。
50の州のそれぞれにおいて、皆政治的に一枚岩では決してないのだ。
これだけ国の中で、さらに州の中でも多様であるがために、極論すれば外に目を向ける必要がなくなってしまうのかもしれない(これについては一年ほど前に同様のテーマで書いた)。

おまけ。
今回の最終的な米国での投票率はあと数日経たないと分からないとのことだが、下馬評によれば64-65%程度とか。
2004年の55.3%、2000年の51.3%を大幅に上回る数字となることは間違いない。
上述の私の同僚曰く、
「それでもこれだけの人が投票に行かないなんて信じられない。こっちは在外投票しているって言うのに。」。
翻って「政治学科」を卒業した自分を見ると、過去二年間で三人目となる首相を先月迎えた母国・日本の政治には海外に来てからというもの全く参加していない。
自分の中でジャパン・パッシングをしてしまっているといえばそれまでなのだけれど、国民の義務とは何ぞや?と真剣に悩んでしまった。
明日にでも在外投票の登録をしてみようか。
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# by canary-london | 2008-11-06 09:39 | current
不況が深刻化している。
一旦持ち直したかにみえた株式市場は世界的に大きく反落している一方、為替市場では「超」がつくほどの円高が目下進行中である。
ちなみに、まだ多少の円資産を持っている自分としては、英ポンド建ての値札を円換算したときの金額に大幅なおトク感があるという単純な理由で、この週末は妙に浪費してしまった。
景気低迷は、基本的には自分の懐にも大きな打撃を与えているというのに、為替の引き起こす心理的効果は偉大だ(笑)。

我が英国経済も、先週金曜日に発表された経済指標(第三四半期のGDP)によって、「Recession=景気後退」入りが数字で確認された。
一般的に、2四半期連続でマイナス成長が確認されると’Recession’入りしたということになるのだが、この‘Recession’という言葉、特に政治家はとにかく避ける。
現政権にとっては、公の場でこれを認めることで国民の支持が揺らぐことを懸念してのことなのだろう。
別にその言葉を発しなければ済むなんてこともないと思うのだけれど、まるで言うと悪い事が起きるとでも思っているかのように、「’R’ word」なんていって、言葉自体も言わない傾向がある。
いや、ハリー・ポッターのヴォルデモートじゃないんだからさ。

その金曜日の経済指標の内容で更に衝撃だったのは、食に関する出費。
自分でデータを調べず同僚のコメントに依拠してしまっているのだが、30年近くぶりに一般市民が食べ物に充てる費用が減少したというのだ。
食べ物のような生活必需品への出費を切り詰めるというのは、景気が相当悪いことを意味する。

週末の新聞にも同様の事象を別の視点から書いた記事が載っていたが、それによれば、ロンドン市内のレストランで所謂「「スペシャル・オファー」といった何らかのディスカウントを設定する店が過去一年間で7割増加したとのこと。
好調な時には値段を下げるなどプライドが許さないという姿勢の店が、集客のためになりふり構わなくなっているのだから、レストランも生き残りに必死なのだろう。

そもそもは米国の住宅市場に根ざす問題から昨年夏以降進行している世界同時不況を表現する際、当地英国では「Credit Crunch=クレジット・クランチ」という言葉が最も良く使われる。
先日のある朝、Canary Wharfの駅を降りて会社に向かう途中、チェーンのサンドイッチ屋の外にこんな看板が掲げられていた:
‘Credit Crunch Special Breakfast: Ham and cheese roll and cappuccino/latte £2.50’

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そのサンドイッチ屋がまた、わりと味より量で勝負を地でいっているような店で、朝は堂々たる体躯のオジサン・オニイサンで賑わうため、個人的には殆ど足を踏み入れないのだけれど、この店までもが「クレジット・クランチ・スペシャル」か。
日本では今回の一連の事象の代名詞として「サブプライム」を使う方が多いようだが、比較的初期に「サブプライム」という言葉がスポーツ新聞の一面を飾るのを見た時に興ざめしたことをふと思い出した。
・・・それだけ、今回の不況が一般市民にとっても身近で切実な問題になっているということなのだろう。
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# by canary-london | 2008-10-28 06:49 | current
オフィスでいつものように世界のニュースを眺めていると、こんなヘッドラインが目に入った:
「世界都市総合ランキング、日本は4位に 森記念財団」
判断の基準としては、「経済」、「研究・開発」、「交流・文化」、「居住・環境」、「空間・アクセス」の5分野を中心としたクライテリアから、世界の主要都市30都市をランク付けしている。
一位ニューヨーク・二位ロンドンという部分も、またもっと言うなれば、東京についての
「‘経済’や‘研究・開発’の得点は高いものの、‘居住・環境’および‘空間・アクセス’で大きく順位が劣後する」といったコメントに特段意外性はない。

改めて考えさせられたのは、ニューヨークの第一位は揺るぎないものとして、やはり不動の二位の感があるロンドンの持つ「強み」とは一体何なのだろうか、ということ。
再三書いているとおり、例えば「外食の質の高さ」などでないことは間違いない(笑)。
前述の5つの分野という軸に沿って見てみると、「経済」と「研究・開発」がトップ3内に入ることに加え、「交流・文化」が第一位というのは喜ばしいことであるし、非常にフェアな評価であると思う。

この設問を改めてしてみたとき、一つ確実な要素として思い当たったことがある。
それは何かというと、「若さ」。

もしかすると投資銀行業界特有の傾向なのかもしれないが、ロンドンの面々はとにかく若い。

それには明確な理由が幾つかある。
一つは、多くの大学が三年で学士号の取得できる学部・コースを設けているため、若く社会に出る人が非常に多いこと。
さらに大きいのは、米国と違って「猫も杓子もMBA」(というとMBAホルダーに失礼だが)という傾向がないことだと思う。
これで三年間トクする計算。
また現在でこそさすがに少数派になったものの、大学まで進んでいない人も、特に昔は多かった。
ユーロボンド市場全盛期の1980年代は、16歳でマーケットにデビューするような「金の卵」は会社としても貴重なアセットであり、学歴には関係なく、いかに現場で経験を積んだかが物を言う時代。
少なくなったとはいえ、今もこの時代の生き残りはまだまだ活躍している。

私が債券本部に所属していることも大きな理由の一つだろう。
部署による差は確実にあり、企業買収などを担当する所謂「バンカー」である投資銀行本部は、やはりロンドンといえどもMBA崇拝カルチャーが強いように感じる。
MBAについて余談になるが、ヨーロッパにいると、国ごとにMBAに対する考え方が全然異なる点も面白い。例えば、スイスや北欧の一部の国などは比較的MBAホルダーが多く、これらの国出身の人は割合年齢層が高い、といった具合。
それでも、私が長く働いた東京オフィスに比べると、とにかく圧倒的に若い。

そんなロンドンの「若さ」が自分にとって意味することを考えると、間違いなくプレッシャーは大きい。
プレッシャーという言い方には語弊があるが、「良い意味での刺激」というべきか。
要は、自分より年齢の若い人がどんどん昇進して大きな責任の仕事に就いていくのを目の当たりにするということ。
肩書きという観点からいうと投資銀行業界では一つの頂点といえるマネージング・ディレクターに就任する人の中には、ごく稀ながら20代での就任例もある。

直近の金融危機の只中においては、身近な若手の活躍を見ると、何とも言えず誇らしく頼もしい気持ちにもなる。
L社の破綻に伴って市場にもたらされた果てしない規模の混乱、各国政府による銀行救済、底なしの株価下落など、正常な環境下では考えられない事態が次々と起こり、そのたびに重大な判断を迅速に下すことが求められる。
危機をクリアするごとに、ビジネスパーソンとして一つ大きく成長する感じ。
巷で言われているとおり、「投資銀行」というビジネスモデルの崩壊を含めて弊業界は青息吐息だが、難しい時期を経て、個人の力量は確実に上がっているように思う。

日本に目を向けると、やはり子供の頃から年功序列カルチャーが刷り込まれているからだろうか。私と同年代から少し下の世代は、どうしても会社で遠慮がちな傾向がある。
実力に裏打ちされたしっかりとした意見を持っているのだから、年上に遠慮することなく決然と発言すれば良い。
日本も、幕末など昔の同世代の若者は余程しっかりしていたのに。
・・・などととりとめもなく考えるうちに、ついつい坂本龍馬を連想してふとWikipediaを見たら、何と龍馬氏、今の自分と同年齢で他界したことに気づいて何やら情けない気持ちになってしまった・・・。
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# by canary-london | 2008-10-24 06:17 | current