ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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前回デスクにおけるジェンダー論に少し触れたので、このトピックについてもう少し。

我々のデスクには、女性を中心に饒舌・毒舌な人が多いせいかもしれないが(「強い女性」でないと、基本的にはマッチョな男性社会である投資銀行でのサバイバルは無理・・・というのは一般化し過ぎだろうけれど、自分の意見をしっかり持ってそれを表現する女性が多いことは確かだ。)、ジェンダーについて一般化する傾向は意外に強い。
もちろん、セクハラやパワハラについては著しく敏感な社会なので、センシティブなトピックの核心は上手に避けながら会話がされるし、そもそも「全て笑いに昇華してしまえばOK」という考え方が根底にあるのだろう。大体のことは冗談交じりのコメントとして発せられ、「え、それってちょっとヒドイんじゃない?」と思うようなことも笑い飛ばされて終わるので、後腐れがない。

前回書いた「電話を取る」ということに関して言えば、女性陣曰く、「男性はマルチ・タスクできない」というのが最大の冗談交じりの批判。電話中の人間に掛かってきた別の人からの電話を取る我々は、その度に「N、○×から電話だけどどうする?今出る?それとも折り返し?」「A、マスコミのX社から今日のディールについて問い合わせだけど、本件のマスコミ対応は?B社?」といったやりとりをすることになる。

ボディ・ランゲージも必須。
手のひらで「制止」のポーズを取れば、外から入ってきた電話の方が大事な電話で、今の通話を終わらせてその電話を取るのだろうとこちらも分かる。指をくるくる回す仕草をすれば、折り返し。
私自身、大事なカンファレンスコールに耳をそばだてている時などはなかなかこれが出来ないので自戒の念も込めているのだが、現在の通話に没頭してしまって、自分の直通ラインを同僚が取ってくれたことにすら気づかない傾向は、確かに男性の方が強いかもしれない。
デスク女性の中でもとりわけご意見番であるJとA(最近いやに登場回数が多いが・笑)は、いずれも子育てしながらプロフェッショナルな仕事をこなすスーパーウーマンなので、そんな意識もあるのかもしれない。

この、「電話が掛かってきたときに最もマルチタスクできない」という烙印を押されてしまっているのが、私の隣に座っている若手・Rなのだが、イタリア系スイス人である彼は、ドイツ語・イタリア語・英語を自在に使いこなすtrilingual。
三つの言語の間で瞬間的に頭の切り替えが出来るのに、自分が通話中のときに同僚が自分に向って話しかけてきている事実にも気付かないというのは、日本語と英語だけでも閉口している自分としては理解に苦しむのだが、後者はいってみれば同時通訳的な才能で、幾つもの言語を操るということとは必ずしも相容れないものなのかもしれない。
英語主導の我々のデスクにおいては、三言語の間で行き来するRと、日本語でも英語でも早口でボリュームの大きい私が常に異端児扱いなのだ(これはあくまで弊デスクの話であって、会社の平均をとればmulti-lingualの人の方が多いものと思う)。

Rと話していて最も驚いたのが、「母国語」ということについての考え方だった。
スイスの中で、幼少時にイタリア語を話す地域からドイツ語を話す地域に引っ越した彼は、小学生時代から家庭ではイタリア語を話し、学校ではドイツ語を話す生活が身に着いていた(英語はその後に学んだのだから、三カ国の言語の中ではもっとも不得手なのだろう。)。
「じゃあ、貴方にとっての‘母国語’は何なの?」と聞くと、間髪入れずに
「ドイツ語」という答えが返ってきた。
彼にとっては、学校で友人と話す言語が「母国語」であり、家庭で両親と話す言語の方が
「外国語」なのだ。これは衝撃だった。

そんなことで、「ドイツ語が僕の母国語」を自負する彼なのだが、血は争えないというべきなのか。悪いけれど「イタリア的美男子」の素養はあまりないRだが、デスクの飲み会の罰ゲーム的余興で「女の子一人口説いておいでよ」と言うと、ダンスフロアにばっちり可愛い女性を連れて出てきたりする。
私の勤めるCanary Wharfにはイタリア人の経営するカフェが幾つもあるのだが、お昼にサンドイッチやサラダを買いに出るだけでも、Rがいてイタリア語で女性店員と二言三言交わすだけで、パルマハムの盛りが全然違ったりするのだから、やっぱりRは本人が思う以上の「イタリア的要素」を持っているのだろうと思う。
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# by canary-london | 2009-03-02 00:31 | culture

電話とジェンダー

クレジットクランチのあおりで、過去一年ほどの間に私が所属するデット・シンジケート・デスクの人員も大きく減少した事実には何度も触れてきた。
そんななか、皆が注目しているトピックの一つに「デスクの電話」というものがある。
つまり、直通番号の主が電話中もしくは離席中の場合に、誰が本人の代わりに電話を取って伝言係となるか、ということ。
これは瑣末なことのようでいて、実は色々な含みがある。

シンジケート部の電話というのは、かなりムラがあるのが現実。
投資家不在でディールが極端に少ない夏季やクリスマス前など、一時間に数えるほどしか電話が鳴らない日もあるが、数件のディールが同時に走っているときなどは電話の鳴りやまないパンク状態となることも。
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先日の記事でも書いたとおり、現在の狭義の我がデスクは秘書を除いて男6人:女4人とフロアの中では異常に女性比率が高い。ご多分に洩れず、秘書は女性である。


事の発端となったのは、つい先日産休に入ってしまった秘書Nだろうか。
ごくイマドキの若者であるNについては、仮病や怠け癖も気になったけれど、最も困ったのは、電話を取ることを秘書の仕事と考えていないということだった。
途中から渋々電話を取るようになったものの、相手が電話口で怖がりそうな不機嫌な応対をするのだからたまらない。
その意味では、つい先日Nが産休に入り、彼女のピンチヒッターとして弊社で長く秘書を勤めた経験のあるCが戻ってきてくれたのには、全員胸を撫で下ろした。

以下は、Nが産休に入る前のひとコマ。
ディーリング・ルームの電話というのは、呼出音を3コール以上鳴らさせるものではない。
(外線の場合は主に急ぎで掛けてくる相手に対して失礼であることに加え、実際問題として音の設定が大きいために結構耳障りでもある。)
するとどうなるかというと、秘書のNが席にいる・いないに関わらず、「電話は3コール以上鳴らさせない」というディーリング・ルームにおいては常識的なメンタリティーを共有する人達の間で他メンバーの直通ラインをカバーしていくことになる。

しばらくすると、デスクに明らかに不満が広がり始めた。
その不満とは、「電話を取るのは圧倒的に(秘書を除く)女性が多い」というもの。
・・・確かに。
我々は共有チャットルームで互いに電話メッセージを送ることにしているので、誰が他人のラインを多くカバーしているかは一目瞭然で分かる。
不満分子が発起人となって開かれた「デスク会議」(笑)の結果、実験的に導入されたのが、「セカンドラインの表示を取りやめる」というもの。
つまり、従来は私の直通が鳴った場合は’canary-london’というラインが光り、私がそのラインで話していると’canary-london2’が光るという仕組みになっていた。
これだと負担に偏りが出るため、誰かの直通ラインが塞がっている場合は全て部署の代表番号に流れるようにして責任の平準化を図るというのは、何と全ての元凶である秘書Nの提案だった。
しかし、自分が大事な電話を待ちながらも別の電話で話しているとき、鳴った電話が自分に掛かってきたものかデスクの別の人間に宛てたものかが分からないのは、至って不便。
ということで、この方法も程なくしてボツとなった。

一見くだらないと思えるデスクの電話の取り方について、一度ならず「デスク会議」が開かれる状況をみて、最近ではさすがに男性連中の意識も上がり、電話を取る作業が若干分散されるようになった。
(加えて、先週からスタートしたCは秘書のごく当たり前の仕事として1コールで電話を取ってくれるのが嬉しい。)
・・・とはいえ、やはり客観的にみて女性が電話を取ることの方がまだまだ多い。
これは、(私だけでなく、前々回も登場したJやAなど)特に我がデスクの女性が概して面倒見の良いタイプでついつい人より先に電話に手が伸びてしまうだけなのか、もしくはもっと根深い「電話は女性が取るもの」といったサブリミナルな男性側の意識の表れなのか。
後者ではないと思いたいが、それでも電話を取るという行為とジェンダー(社会的性)の間に何らかの関係はありそう。
・・・非・秘書職の女性が多い職場に働く男性諸君、後ろ指を指されないようご注意あれ!
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# by canary-london | 2009-02-26 10:03 | diary

車の故障に思うこと

少し前のことになるが、愛車のトヨタカローラが動かなくなってしまった。
「仮にもインベストメントバンカーなんだから、もうちょっとマトモな車に乗りなよ」と同業界の友人や同僚には何度言われたことか分からないが、私にとっては車は贅沢品ではなくアシなので、2年半ほど前に日本に本帰国される駐在員の方から「帰国売り」で安く譲って頂いた5年落ちのカローラに十分満足している。
一昨年から住んでいる今の家は地下駐車場のあるフラット(マンション)ではなく、許可されたエリアの中で適当に空いたスペースを見つけて路上駐車するシステムなので、高級車でないというのは盗難面においてもメリットがある(それでも目ざとい輩はいるもので、昨年は車から物を盗まれたけれど)。

そもそも、車というものに興味がない。f0023268_555164.jpg
学生時代にとある先生から、こんな小噺を聞いたことがある。
街中を快走する旧型のフォルクスワーゲン・ビートル。
運転席には若い女性。
ビートルは、信号待ちでエンストしてしまう。
女性はおもむろに運転席から出て、ボンネットを開ける。
すると、エンジンがない。
「大変!私、どこかにエンジンを落としてきちゃったみたい。」
もちろん、旧型のビートルは、エンジンは車の後に搭載しているので、ボンネットを開けてもエンジンがないのは当たり前なのだ。
この心温まる逸話のメッセージは、現代社会においては車がここまで大衆に普及し、エンジンのことなど何も分からないドライバーでも何不自由なく運転することが出来るようになったというもの。

翻ってみると、自分もこのドライバーの女性と何ら変わらない。
車のことは何も分からないし、分かろうという気持ちもない。
故障せず効率的に走るという任務さえ遂行してくれれば、何の文句もない。
この「故障せず」という部分が非常に重要なので(面倒臭がりなので、修理工をよんだりするのがとても億劫なのだ)、迷うことなく故障する確率が低く燃費の良い日本車を選んだ。

「故障しないハズ」の日本車なのに、運転席に乗り込みイグニッション・キーを差し込んでも何の反応もない。
・・・あれ??
寒さ続きでエンジンがイカれてしまったのなら、しばらく放置すれば治るかも・・・などと淡い期待を抱くが、そんな雰囲気もない。
これも、振り返ると自分のせいなのだろうと思う。そういえば、半ドアのサインがここしばらく点いていたような気がする。
車のことは分からないけれど、外傷もないしほかに目立った観測可能な障害がないことを考えると、おそらくはバッテリーが上がってしまったのだろう。

車が動かないという事実を目の当たりにすると、今度は修理の手配をしなければならない。元来の面倒臭がりの性格に加えて、イギリスのサービスの質、そして自分自身が月―金の朝早くから夜遅くまで仕事をしているサイクルを考えると、一体いつ修理に来てもらえるものやら・・・と思うだけで気が滅入ってしまう。
困ってこちらで親しくして頂いている車好きの日本人の某S氏に相談したところ、主として日本人を対象に英国で自動車の販売・修理・メンテナンス等を行っている会社を紹介してもらった。
日系ながら独自のウェブサイトも持たず、日系のフリーペーパーにも宣伝も出さないような硬派の営業スタイルに好感が持てる。
S氏が先に紹介の電話を入れて下さったこともあって、初めて連絡したにも拘らず全てが非常にスムーズ。ロンドンでも異例の寒波が襲った一月のある土曜日、寒空の下でバッテリー交換の作業に来てくれただけでなく、平日留守中に車の送迎付という至れり尽くせりのサービスのついたMOT(車検)も驚くほどの安価で請け負ってくれた。

S氏とその話をしていたところ、S氏からは以下のような反応。
「確かにこんなサービス、ロンドンどころか世界でも日本人にしかできないと思います。‘儲けよりも信頼’‘総合的な取引’‘お客様は神様です’・・・」
「これこそ、日本が世界に誇るべきサービス魂なんでしょうね。でも儲かりませんが。。。」
・・・まったくもって同感。

自分と同じ金融業界という、サービス業の最たる業界に身を置くS氏の言葉が身に沁みた。
日本人でサービス業に従事する人のこんな自己犠牲的なメンタリティーは、世界でも類を見ない。と思う。
こんなちっぽけなことでも、サービスを享受する側にとっては最悪の国・イギリスと、サービスを提供する側としては最悪だけれど享受する立場としては文句なしの日本というお国柄の違いが垣間見えた。
別に今回は殊更に英国のサービスの悪さを批判しようとしているのではなく、国民性によって皆が「得意なこと」に特化して効率性をアップさせる社会が出来ればいいのに、などと現実的には不可能な理想を抱いてしまった。
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# by canary-london | 2009-02-23 05:56 | culture

英国的バレンタイン

今年はたまたま2月14日が土曜日となったことも手伝って、世の中はバレンタインデー一色。もともとはキリスト教に由来をもつイベントであるものの、クリスマス同様、今では非キリスト教圏も含めて世界中の多くの人が「愛する人に思いを伝える日」として何らかの形で祝っている。
Wikipediaによれば、世界中でバレンタインデーに交換されるカードの数は約10億枚と、実にクリスマスに次ぐ「カード交換行事」となっているとのこと。

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日本では、2月14日はいつからか「女性が男性に対してチョコレートを渡す日」との決まりが出来てしまい、夥しい数の義理チョコ(それでもバブル期に比べればかなり数は減っているようだ。先日某男性とバレンタインの話をしていたら、彼は入社二年目にしてオツボネ様の多い部署に配属されたがために、何とその年は一日で72個という驚異的な数のチョコレートを集めたらしいが、より驚いたのは同部署の彼の同期が74個とハナの差で彼の記録を上回ったとの逸話だった。)と「本命チョコ」とが入り乱れ、チョコレート店からすると、この日の売上が一年の業績を大きく左右するような運命的な日。

・・・ところ変わって英国。
バレンタイン・デーにチョコレートを贈るという風習を世界で初めて1868年に取り入れたのは英国だったと知り驚いたが、昨今では圧倒的に男性から女性にプレゼントを贈る事例の方が多い。英国にせよ米国にせよ、バレンタインデーという日は、性別を問わず大切な相手にカードや愛情を表現するプレゼントを贈る習慣だけれど、現実的に周囲を見渡すと、ベクトルはほぼ例外なく男性→女性の方向となっている。
日本のようにチョコレートも良く使われるが、カードと花束のコンビネーションの方が一般的だろうか。愛情表現=赤やピンクのイメージが強いのだろうか、赤いバラの花束やロゼ・シャンパンを選ぶ男性も多い。日の浅いカップルだと(笑)ランジェリーを贈る例や、経済力にモノを言わせてジュエリーをプレゼントする男性もちらほら。

現状、狭義の我がデスクはなかなか面白い構成となっている。
秘書を除く10人の男女比率は6:4。
女性陣の中でのご意見番は、私の上司にもあたる米国人の女性Jと、「ロードショー」と呼ばれる発行体と投資家を繋ぐ鍵となる仕事をする英国人の女性A。
「口から先に生まれてきた」にかけては私も周囲に引けを取らないつもりなのだが、この二人にかかるとデスクの男性陣も、特に「女性の扱い」にまつわるトピックに関してはJとAに一目も二目も置かざるを得ないのが現状。
昨年結婚したばかりの若手、Dが
「えー、面倒くさいから花束は明日起きてから買いに行くよ」
などと言おうものなら、
「何言ってんのアンタ、女性は2月14日の朝起きたときにプレゼントがないとダメなのよ!!!」
と瞬時にして針のムシロになったのは言うまでもない。
クリスマスやパートナーの誕生日のたび、「女性のハートを掴むためには男性はこう振る舞うべき」といったことを口うるさく言われてやや閉口している感の強い我がチームの男性陣だが、JとAのおかげで大きな「ヘマ」を犯すことなくカップル・夫婦円満が保たれているともいえるのだから、やはり皆オネエサン二人に感謝すべきなのだろう。
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# by canary-london | 2009-02-16 07:39 | culture
世の中にクリスマスツリーや門松のような季節の風物詩があるのと同様、会社の中でも
「お、今年もそんな時期か!」
と思わせる事象が幾つかある。

一つは言うまでもなく、ボーナス。
投資銀行業界というのは日本の一般的な「サラリーマン」と違って、年に二回6月と12月に安定したボーナスが出るということはなく(そういえば「サザエさん」のような古き良き時代の漫画では、ボーナス日は家族ですき焼きを囲むといった分かりやすい温かい光景がみられたなあ)、ボーナスは年一回。
自分個人としての会社への貢献度は勿論のこと、部署の業績、および会社全体の業績に数字が大きく左右される。業界全体が青息吐息というか、投資銀行業界自体が存続の危機に立たされている現在のような状況だと、ボーナスの数字が良い筈はないので、会社にもよるが例年この時期に発表・支払いの行われるボーナスについて話題にする同僚や同業者は今年は実に少ない。

もうひとつは、昇進。
待遇も責任も大きく変化することを意味するマネージング・ディレクター(MD)をはじめ、次なるステップへと進んだ人々の名前が、肩書きごとに社内掲示板のような形でメールで回覧される。
自分のチームや近いチームの人間は内示の段階で大体分かっているのでサプライズはないが、他部署の人事については掲示板を見て
「えー、、アイツがMD!!!???」
と驚愕することも。
とにかくそんなことで、インサイダー情報を知り得た相手を除いては、この社内掲示板の出るときが大体の人の昇進を知るタイミングなので、このメールが会社全体にまわった後で、「昇進おめでとう」メールを送ることになる。
自分が世話になった人をはじめ、心から「おめでとう!」という気持ちを持つ相手に対しては、このメールを欠かさない。

この「昇進おめでとうメール」に対する反応が結構面白い。
この手のメールは、「出すことに意義がある」の典型なので、申し訳ないが多数あるので出す文章はほぼ定型。
個人的な内容をあまり書かず、大方のものが
「おめでとうございます!今年も一緒にディールやりましょうね。宜しくお願いします!」みたいな無難な文章におさまる。

相手からの返信は、もちろん個人差はあるのだけれど、驚いたのは、アジア人が判を押したように「周りの皆さんのおかげです」とか、「canary-londonさんがいなかったら実現していないと思います(イヤ、そんなことはないと思うよ、と言ってあげたい・笑)」といった反応をしてくること。
あれ、これは日本人と日本語という言語の特質かな?と思うとそんなこともなく、香港ベースの中国人は英語で全く同じ反応をしてくるので興味深い。

西洋人からは、この種の反応は皆無。
勿論お国柄というのはあるので十把ひとからげにするのは乱暴に過ぎるけれど、例えば私の上述のような文章に対しては、西洋人からは「今年も営業成績が上がるよう宜しくお願いします!」といった愛嬌のある答えが返ってくるケースの方が多い。
謙遜を美徳とするアジアカルチャーの為せる業なのだろうか。
細やかな気遣いに脱帽する部分もある半面、もっと西洋人的図々しさをもって「自分」を前面に押し出せばいいのに・・・と思う部分もあり、欧米カルチャーが圧倒的優勢の中で孤独に闘う日本人のような気持ちになることもある自分としては何だか複雑な思いを抱いたりしてしまうのだ。
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# by canary-london | 2009-02-12 08:32 | culture

雪とイギリス人

f0023268_12342713.jpg先週日曜日から月曜日にかけての雪で、ロンドンのほぼ全てが立ち往生したことは前回簡単に書いた。
金曜日からは再び雪との予報を受けて皆不安におののいていたのだが、今回は気温がそんなに下がらなかったせいか、幸いにして湿り気の多いみぞれ混じりのものが空からたくさん落ちて、道や芝生に積もった数日前の雪を溶かして終わった。

先日の雪の後日談の中にも、「英国らしさ」を表すものは実に多かった。
私自身は、実は前々からの予定で月曜日一日だけ休暇を取って週末から大陸へ旅行に行っていたため、たまたま出勤の予定がなかった。(運の良いことに私のフライトは遅れたものの欠航とはならず、月曜日中に何とかロンドンに帰りつくことが出来た。)

私を除くLondonerにとっては、ごく当たり前の月曜日朝。
しかしながら、地下鉄・鉄道は殆ど壊滅状態。
郊外からロンドンに入る主要道路の多くが封鎖されたため、自動車通勤組も多いロンドンでは、車で通う人の多くがその日は通勤を諦めて自宅で仕事を余儀なくされた。中にはロンドン南西のKensingtonからCanary Wharfまで2時間掛けて徒歩で通勤したというツワモノもいたが、地下鉄組も大体が道中あまりの待ち時間の長さになす術なく踵を返してやはり自宅から仕事をすることを選んだ人が多かった。
後から聞けば、現在11人いる狭義のチームの中で、結局オフィスに来られたのは4人だけだったとのこと。


自国インフラのあまりの情けなさに、英国の各種メディアも「雪に弱い英国」「鉄道や道路の整備を急ごう」などの論調が目立ったものの、18年ぶりの大雪ということは、つまり「次は18年後?」ということになる。
銀行救済策の数々でお財布の逼迫している政府は、落雷に打たれるほどの発生確率の天候不順に備えた出費などしたくないのが正直なところ。仮に三年後に同じような天候になったとして、ロンドンという街の機能不全の度合いは全く変わらないのだろうと容易に予想できる。

インフラが改善されない元凶は、政府のlaissez-faire的なアプローチにあるとはいえ、その背後にあるのは間違いなく英国人のイイカゲン気質だ。
月曜日を取ってみても、上述のKensingtonから歩いた同僚のような少数派もいたが(ちなみに彼は北部出身のれっきとした英国人である)、個々人のイイカゲンが増幅されてカオスを引き起こしている部分は否めない。
道路は、(もちろん政府主導である必要があるが)システマティックに雪掻きや滑り止めの塩を撒く作業をすれば、封鎖されずに済む。道路が閉鎖されさえしなければ、バスなんてチェーンを巻くなりタイヤを履き換えるなどして走行すれば良いのだ。この辺りが整ってくると、鉄道や地下鉄も運転手や駅員が出勤できるため、駅の閉鎖や電車の遅れが少なくなる。公共交通機関がスムーズに流れれば、その他諸々の業界で働く人々が出勤できる。
こうして考えると、皆連鎖しているのだ。

実際、月曜日は「店員が出勤できない」という理由で多くの店が閉まっていたほか、同じく「雪で社員が帰れなくなるといけないので」ということで午後は休みとなった店や企業も多数あった模様。
後からもうひとつ聞いたこぼれ話としては、エリアもよるが、月曜日に営業していた数少ない地元のパブは空前の売上を記録したとのこと。
このあたりも実に英国人らしい。
パブ客の一部は、雪が降ろうが振るまいが5時に仕事が終われば6時からビールを傾けている輩であり、彼らが6時からではなくお昼から来たことで売上が伸びた部分もあるのだろうけれど、常連客でない人々は、「雪で会社から追い出されて、いきなり午後暇になっちゃった」「家にいても、雪のためにスーパーやピザのホームデリバリーも来ないし・・・」など、「雪で仕方なく」近所のパブに足を向けた人達もいたようだ。
真面目な日本人やドイツ人ならば、「天候不良のために」と会社から早く追い返されたとしたら、おそらく外で飲むことはせずに、何となく罪悪感を感じつつとにかく家に帰るんだろうにな、などと思って可笑しくなってしまった。
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# by canary-london | 2009-02-08 12:36 | culture

SNOW

ロンドンは週末から18年ぶりとなる大雪が降り、雪に慣れないだけに交通機関は麻痺状態。
週明けの月曜日は多くの人が出勤できずじまいとなるなど混乱が続いた。

平地で雪の少ないロンドンではなかなか味わえない贅沢なのだけれど、「銀世界」というのは言い得て妙で、一面の白雪は、大気汚染もはたまた人間の強欲も、汚いものを一切合財覆い隠してくれる気がする。

横着して写真は家の庭のものだけだが、普段キッチンの窓から見慣れている筈の読書用テーブルも、帽子を被ったような可愛いシルエットの立木や植木鉢も、何だか新鮮。

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# by canary-london | 2009-02-04 07:47 | diary

CEOはつらいよ

大企業のトップというのは、その一挙手一投足で会社の評判なり株価なりが左右されるという意味では、殆ど「セレブ」といえる。昔からその傾向はあるけれど、不景気のなかネガティブなニュースへの反応がより大きい昨今、企業トップの健康を巡る様々な憶測が後を絶たない。

最近もっとも巷で話題となっていたのは、言うまでもなくアップル社のスティーブ・ジョブズ氏だろう。ベジタリアンでもあり決して太ってはいなかったものの、もともとは割合丸みのあるえびす顔だっただけに、ここ一年程度での頬のこけ方と体重減少は見ていて痛々しいほどだった。

↓往時のジョブズ氏
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         最近の写真↓
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先日ついに、6月末までの一時的措置としてCEO休職を宣言。
不景気にジョブズ氏の健康不安が拍車を掛ける形で下落の一途を辿っていた同社の株価は、休職宣言の数日後に底打ちして反発したようにも見えるが、今後混迷は更に深まるのだろうか。

ジョブズ氏の病に蝕まれた様子とは比べるべくもないが、丁度ジョブズ氏の休職宣言の翌日に腹痛で病院に担ぎ込まれたために、一部メディアで妙に話題を集めていたのはドイツ銀行頭取の   ジョゼフ・アッカーマン氏。曰く、会社のクリスマスパーティーで「ソーセージ2本とザワークラウトを食べたら突然気分が悪くなった」とか・・・。
原因は過労以上のものではなかったらしく大事には至らなかったが、仮にここでの記述が「ソーセージを2本」ではなく「ソーセージを8本食べたら」とかになっていたとすると、「単なる食べ過ぎからくる腹痛じゃないか?」「企業トップとして自己管理がなってない」などと批判されるのだろう(笑)。CEOはつらいよ、ってなもんだろうか。
世の中に対して絶大な影響力を持つというのは決して悪い気持ちのすることではないのだろうが、食事の内容までつぶさにパパラッチされるのは、自分だったらたまらない。あー、偉くなくて良かった。

余談ながら、スティーブ・ジョブズについて少々触れるにあたって彼をGoogle検索していたら、有名な2005年6月のスタンフォード大学での卒業スピーチがYoutubeで引っ掛かり、すっかり聞き入ってしまった。
オバマ新大統領といいこの人といい、アメリカ人のリーダーとなる人は、本当に聴衆を惹きつける話し方を体得している。
パブリック・スピーキングの上手下手ではなく、イギリス人ではこうはいかない。
人生に対する姿勢やパッションの違いなのか、ひとえに国の成熟度の違いなのか、その全てなのか、あるいはいずれでもないのだろうか。アメリカ人の熱血スピーチよりも肩の力の抜けたイギリス人のトークがすっかり心地良く感じるようになっている自分に問いかけてみても、答えは出ないのだけれど。
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# by canary-london | 2009-01-27 08:55 | current

寒さ対策アイテム

10年ぶりだか15年ぶりだかの大寒波が襲った今冬のロンドン。
普段の冬であれば気温も零度そこそこ、平地ゆえに雪も滅多に降らないロンドンなのだが、今年はとにかく寒い。寒い、寒い。
1月後半に入ってやっと一段落した感があるが、12月末から1月初旬にかけては本当―――に寒かった。

一昨年の晩夏にセントラル・ヒーティングのフラット(アパート)から一軒家に引っ越して、「一軒家とは寒い」ということを身に沁みて感じたが、今年は昨年の比ではない。
暖房はもちろん入れているのだが、建物自体が古いこと、さらに面積が比較的広く、全体的に木目が露わなフローリングであることが寒さに拍車を掛けているのだろう。
寒さが急激に厳しくなってから、睡眠時間と食べる量が妙に増えた気がするのだが、きっと寒いと動かなくてもカロリー燃焼量が多いのだろうと結論づけて、メタボ生活を勝手に正当化することにする。

出社前の暗い時間にシャワーを浴びるのは無謀なのでお風呂が欠かせなくなっているのは月並みなのだろうが、こんな寒さの折に欠かせないロンドンのプチ・アイテムを二つほどご紹介。

一つは、厚手のカシミア・ソックス。
オフィスのすぐ近くに店舗があるため、ショーウィンドウに展示される子供服が可愛くて思わず用がなくても入ってしまうThe White Company。店内をぶらぶらしていたら、’Cashmere Bed Socks’なるものを見つけた。ベッド・ソックスって、幾ら寒くても寝るときは裸足でしょ!!と思ったのだが、ルームシューズ代わりに使えば良いか・・・と思ってお買い上げ。あまりの寒さに、程なくして実際に「ベッド・ソックス」として睡眠中に暖を取るために使ってしまった(笑)。セーターなどもそうだけれど、カシミヤというのは高級品というイメージばかり先行してしまっている感があるが、寒い土地では実に重宝する実用品なのだ。
カシミヤ山羊さん、今日も暖かい一日を有難う。
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今一つは、「いつの時代??」と呆れられそうな手袋。
小学校高学年のとき指先の切れた手袋が流行した記憶があるけれど、そんな1980年代のものとコイツが違うのは、指が分かれていないところ。
「寒い」とぼやいていたら友人が贈ってくれたのだが、とにかく便利。
パソコンのキーボードを叩いたりピアノを弾くときには指先までカバーされる手袋を着けるわけにはいかないため、暖かさと機能性を兼ね備えたこの手袋が家で大活躍している。

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冬至の時分に比べると大分日も長くなってきたし、これから気温も上がっていくと良いのだけれど。
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# by canary-london | 2009-01-26 04:24 | diary
クリスマスに書きそびれたこと、もう二丁書いてしまおう。

二つ目、くるみ割り人形と憧れのクリスマスツリー、そして’giving’ということについて。
12月15日は、コベントガーデンのROHで吉田都さんの踊る「くるみ割り人形」を観た。
異国の地にいると日本人の芸術家を応援したいという気持ちは、二度しかない吉田さんの出演する回をあえて選んだ理由の一つではあるけれど、この演目の「クリスマス」を体全体で表現したようなところが本当に好き。1892年に初演された当初、批評家からの評価は散々だったというからチャイコフスキーも気の毒だ。

良く考えたら、キャストは若干違うものの全く同じ演出のものを昨シーズンも観たのだったけれど、音楽も踊りも舞台も、クリスマス気分を盛り上げてくれるという意味ではこれもまた季節の風物詩。一年に一度見たっていいじゃないか。
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前回クリスマスツリーについて書いたが、くるみ割り人形に出てくるクリスマスツリーは言ってみればあらゆる子供の憧れなのではないだろうか。
根元には、大小様々の溢れんばかりのプレゼントの数々。
クララが幻想の世界に引き込まれる時、彼女が小さくなるにつれてツリーは天井を越えてどんどん高く大きく伸びていく。

ニューヨークに住んでいた頃、我が家のクリスマスツリーは人工的な物で決して大きくはなかったけれど、うず高く積まれたプレゼントは子供の自分をわくわくさせるものだった。
思えば、「クリスマスはとにかく人にプレゼントをあげたい!!!」という自分の妙な特性(ある意味欧米かぶれなのかもしれない)は、子供の時に植え付けられたものなのかもしれない。

この‘giving’に関連するのが、三つ目。
面白いことに、クリスマスが近づくと精神が寛容になる。
自分がサンタさんなわけでもあるまいし、クレジットクランチ隆盛の折財布の紐は固く締めなければいけないのだが、街の雰囲気に背中を押され、少なくとも私はどうも俄か博愛主義者になる傾向があるようだ。

今年の冬は異常に寒さが厳しく、駅やスーパーの出入口など至るところで物乞いをするホームレスの人達はひと冬乗り切れるのか心配にもなってしまうが、私は原則として何もしていない物乞いに何か与えることはしない(もちろん自分の暮らす先進国の環境下でという意味ではある)。同情票を買う作戦なのか、犬を連れている物乞いも多いのだが、非情なようだがドッグフードを買う余裕があるなら物乞いしてる場合じゃないだろうと思うし、本当にそこまで貧しいなら犬を道連れにするなんてもってのほかだ。

・・・話が少し逸れたが、クリスマスには精神が寛容になることについてだった。
私はそんなわけで、何の努力もしていない人に金銭をあげることはしないけれど、一方でバスキング(ストリート・ミュージシャンとして合法的に公共の場で演奏し金銭を稼ぐパフォーマンス)は積極的にサポートする。
問題は、バスカーは駅の地下通路などで演奏していることが多く、彼らの前を通る時は、自分自身ほぼ例外なく急いでいることである。なので、ジャンルを問わず「お、いいな」と思っても、ハンドバッグから財布を出す暇もなく通り過ぎてしまうということになりがち。

今シーズン思いついたことは、バスカーには公衆の面前で演奏しているということ自体に敬意を表し、とにかく10ペンスでも50ペンスでも何でも、帽子やギターケースに入れてあげようということ。こんなことを考えるのは、やはり自分の中での‘giving’精神が最高潮に盛り上がっている12月中旬なのだから我ながら分かり易くて笑ってしまう。
しばらく実践するのだが、やり始めるとこれはこれで矛盾が出てくる。
というのは、確かに演奏家はそれだけで何も努力していない人よりは見返りを受ける権利があると思うのだけれど、中には「コイツいかにも手抜きしてるなあ」なんて輩もいるのだ。となると、今までに素晴らしいと思いながらも素通りしてしまった無数のバスカーに申し訳ない気もしてくる。
一晩聴いたコンサートなら演奏家への思いは拍手の仕方に十分込めることが出来るけれど、一期一会でものの十秒程度しか遭遇している時間のないバスカーを瞬時にして差別化するのは実に難しい。
・・・何か妙案、ないものだろうか。
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# by canary-london | 2009-01-14 07:36 | diary