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ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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名前と日本人

「日本人と名前」ということについて考えさせられる瞬間が、毎日のようにある。
私募債をアレンジする仕事をしている私は、目に付く案件をクローズすると、社内マーケティングの意味を込め、社内の比較的広範なメーリングリストに向けてメールを流すことを心がけている。
メールには、ごく簡単な案件の概要と共に担当者の名前を記す。
この案件のセールスABC、トレーダーはXYZ・・・という風に。

その度に思い知らされるのが、「日本人の名前は難しい」という現実。

担当者が中国人や韓国人の場合は、至って簡単。
何故なら、抜け目のない現実主義者の彼らは、母国語での本名などお構いなしに、”Mike”やら“Andy”やらといった、短く分かりやすい西洋的な名前を自ら付けているから。

一方の日本人はというと、実に損をしているのだ。
日本人の名前は本当に美しく、奥が深い。
漢字の組み合わせが無数にあり、音(おん)が同一の名前の人に遭遇しても、漢字までが全く同じというケースは珍しい。
わび・さびを解さないガイジンには、このこと自体既に理解の範疇を超えている(失礼!)。

また、漢字で書くことが前提の日本人の名前は、仮名にすると、例えば女性で7文字・男性で8文字程度の長さはザラである。
これ、アルファベットで表記すると、かなり長い。

いってみれば、西洋人にとっての日本人の名前というのは、「名前」に要求される二つの基本的な要素を欠いているのだ。

この要素の一つは、「呼びやすさ」。
母音と子音の構成といった細かいことと並んで重要なのが、単純に「短い」ということだったりする。

男性のファーストネームで多いパターンの「仮名4文字」の名前は、勢い短縮することになる。
歴史を遡ると、やはり親密なる「ロン・ヤス」関係になるためには、「ヤスヒロ」では語呂が悪いのだ(Ronald→Ronは既にルールのようなものが確立されているので、殊更に「短縮している」という意識はない)。
もっとも、長く発音の難しいファーストネームをもつ小泉前首相は、”Jun”などといった愛称に甘んじることなく、海外でも広く認知されていたが・・・。

名前と日本人_f0023268_2353489.jpg
言語の成り立ちが違うので、イントネーションも異なる。
私も(男性ではないが)、自分のファーストネームを短縮して通称としているクチ。
私の場合は特に名前が長いわけではないが、西洋人(特に英米人)には、仮名3文字の名前を平坦な発音で発声することが難しいため、「XX子」の最後の「子」を外さないと、自分ではない他人の名前のように聞こえてしまうのだ。

二つ目の要素は、「予測可能」かどうか。
英米人の名前の場合は、前述のような名前短縮のルール(例えば、AndrewならAndyといったような)がしっかり確立されていることに加え、音を聞くとかなり高い確度で綴りを予測することが出来る。
日本人の名前を彼らに説明する場合には勿論こうはいかず、一文字ずつ根気良く「SugarのS・・・」とやっていく羽目になる。
Eメール全盛のご時世では、実はこれもかなり重要。

挙げた要素の二つともが、要は「覚えやすい名前かどうか?」ということになるのだろう。


話は飛ぶようだが、最近霞ヶ関などで流行っている論調に以下のようなものがある。
つまり、「東京がアジアにおける金融センターになり得ないのは、他のアジア諸国ほどに英語が第一外国語として根付いていないからだ」といった議論(ちょっと古いですが・・・添付ご参照。ちなみにこれも先日「金融と憂鬱」のトピックで引用させて頂いたE氏に教えて頂いた記事である)。
お役所の方々の真剣な議論と自分が酒の肴に思いついたアイディアを一緒にしては怒られてしまいそうだが、「日本は果たして世界に通用するのだろうか?」という宇宙的命題は、実は名前にも関係するような気がしてならない。

しかしこの問題提起には、またしても解がない。
日本的な、美しく情緒溢れる名前は、何としてでも失いたくはない。
・・・とやや憂鬱になったところでデスクを見渡すと、チームの男性陣は、ものの見事にJohn, Andy, Chris, Neil, Edと「典型的な西洋の分かりやすい名前」が勢揃いしているので、げんなりしてしまった。

何か良い解決策、ないもんでしょうかね??
# by canary-london | 2007-09-01 02:36 | culture
二週間ほど前の或る日、私のEメールのInboxにこんな一通のメールが舞い込んできた。
送り主は、北欧のとある政府機関に勤める男性。
私の職種では、このような「発行体」とよばれる資金調達主体からのEメールの数は非常に多い。
その大半は、資金調達の意欲や水準等について各投資銀行に意思表示を行うための、不特定多数に向けたメールである。
しかし、通常の無味乾燥な資金調達のメールとは少し様子が違う。

開いてみると、こんな文面の手紙だった(注: 内容は多分に短縮・意訳してあります)。

「・・・X年間の勤務を経て、このたびXXX社を去ることにしました。
二人の娘と、仕事に戻りたくてうずうずしている妻に囲まれた環境の中、今度は自分が家族に貢献する番が回ってきたと感じています。
この状況が永遠に続くとは考えていないものの、自分の現在の仕事環境、および外の世界での選択肢について考える良い機会だと思っています。
なので、おそらくはXXX社に戻ることはないと思っています。
・・・とこんなことを書きながら、数年後には同じ資金調達の仕事に戻ってまたお会いすることになるかもしれませんが(笑)。」

書いている本人はというと、資金調達を行うチームを統括する男性。
年の頃は、30代半ばから後半といったところか、「好青年」という言葉の似合う爽やかな人物で、当然ながらまだばりばりの働き盛り。
そんな彼が、実にさらっとした調子で、「今度はしばらく妻がキャリア追求を楽しむ番。僕は子育てに専念します。」と言えるメンタリティー(そしてそんなメンタリティーを形成する社会・文化)って、実に素敵ではないかと思う。

「子育ては女性の役目」とか、「子育てと仕事は両立しない」とか、ひいては「終身雇用」とか。
・・・そんな諸々のフレーズとは縁のない世界。

一方で日本に目を向けると、子供をもつ女性のうち外で働く人の比率が約52%と他の先進国を大きく下回り、且つこの比率を上げる方策を取ったときに今度は出生率の著しい低下が予想されるというジレンマに直面している(2007年5月31日付のFT記事より)。

このトピックは本ブログで以前も取り上げたことがある。
それでも東京とロンドンの両方で働いた経験(しかも、外資系投資銀行という所謂「男女差別が少ない」と一般的に理解されている業界で)からは、やはり東京の労働環境・ワークカルチャー(労働文化とでもいうのだろうか?あまり適切な訳語がないこと自体問題かとも思うのだが・・・)については、残念ながら物申したいことが非常に多い。

・・・そもそもは心温まるメールについて紹介しようと思ってペンを取ったのだが、何だか女性の権利を振りかざすフェミニストの論調になってしまった(断っておくが私はフェミニストではない)。

日本も色々な意味で「グローバル・スタンダード」に近づけるよう、一歩ずつでも進んでほしい。
(今度はロンドンではなく)、頑張れ、ニッポン。
# by canary-london | 2007-08-22 02:32 | culture

業務連絡+α

ロンドンに来てからというもの本当にパソコン運に恵まれない。
その勢いたるや、何かに祟られているのでは・・・と思うほど。

昨年3月にヒースロー空港でパソコンを盗まれ、間髪入れずに購入し(ノートにしてはわりと重いのに)旅には必ずお伴してくるノートパソコンが壊れてしまった。

電源が全く入らないので、どうしようもない。
まだ買って一年半も経たないというのに。
修理店に持ち込んだところ、「マザーボードが壊れているので交換が必要」だと。

業務連絡+α_f0023268_1564173.jpg
不満その1: ○芝さん、世界に名だたる日本のパソコンメーカーなのに、真面目に製品作って下さいよ。

不満その2: 予想はされたことだが。
ロンドンの修理店の見積もりは、何と650ポンド(1ポンド=240円で換算して156,000円)!!
新しいPC買えるっつーの。
で、日本のサポートセンターに問い合わせたところ、もちろん物を見ていないベースでの見積もりではあるが、同じマザーボードのみの故障だと仮定した場合、修理費は約95,000円。これには3万円弱の往復送料が含まれている。
保証期間は過ぎてしまっているので、別にこれは製造元に持ち込んだが故の特別価格設定というわけではない。
ということで、ロンドンの狂乱物価に再び、怒。
修理には数週間掛かるとのことだが、本体に保存していたデータが全て吹っ飛んでしまっている場合はショックで立ち直れないので、何とか復活してくれることを願っている(面倒臭がりの性格上、バックアップは存在しない・・・。フツウ1年強で壊れると思わないし。)。

上記を受け、幾つか業務連絡です:
1.  プライベートのEメールが今非常に使いにくい状況です。以前はオフィスでチェック可能だったのですが、最近ファイアウォールが厳しくなり、オフィスからアクセス出来ません。
急ぎの連絡を取られる必要のある方は、オフィスのメール宛御連絡頂ければ幸いです。
2.  そんなわけで、自宅でインターネットにアクセス出来ないという状況が一時的に発生しているため、最近オフィスでしこしこブログを書いたりしております。
念のために断っておくと、オフィスで仕事をサボって執筆しているのではなく、自宅(とか地下鉄の中とかあらゆる場所)でしたためた下書きをオフィスで清書しているまでです。
最近おかしな時間の更新が多いのはそのためです。
コメレスが遅れてご迷惑をお掛けする状況が当面続くと思われますが、何卒ご容赦下さい。
# by canary-london | 2007-08-11 02:01 | diary

金融と憂鬱

世界中の金融市場が揺れている。

米国における所謂「サブプライム住宅ローン」問題に端を発した現在の混乱状態の顛末がどうなるかは未だ予断を許さないため、ここからの市場を予測するのは諸専門家に任せる。
ただ今回金融市場で起こっていることに関する一連の考察を読み進めるにつれ、テクノロジーの発展によって我々金融市場関係者がおしなべて直面する問題について改めて考えさせる。

それは一言で言うと、「モデル」への過度の依存と(それにも多分に起因する)責任の所在の不明瞭化ということになる。

著名なクレジット・アナリストであり友人でもあるE氏の分析が非常に的を得た鋭いものだと感じたので、氏の許可を得た上で一部を引用させて頂く:

「モデルを用いて相関を誤り、誤差を考えずに評価するということは、例えは悪いですが、体重計(500グラム未満の計量には適さない、軽いものを計量すると精度がない)を使って100グラムの重さのあるものを計量したら針が10グラムを指したので、それを10グラムだと決めて、同じようなものを500個集めてきたら全体の重さは5キロだと思ってしまう(実際は50キロ)ようなものです。
体重計をモデルに、重さをリスク量に読み替えてみてください。まさにこれがモデルを使った RMBS と CDO の格付けではないでしょうか?
金融工学ではなく、ほんとうの工学(たとえば、橋の設計)でこんなことをしたら、死者が出るような事故に繋がります。」

専門家やメディアの批判の矛先は格付機関に向けられている感はあるが、もちろん格付機関に全ての責任がある筈もない。
問題の原点である米国の住宅ローン市場自体、これら格付機関を含む全ての市場参加者による責任転嫁が行われた結果、与信における節度が失われたリスクを指摘する同氏の見解も非常に興味深い。

今回市場で起きていることと狭義では直接の関連は低いが、翻って自分が日々扱っているデリバティブ(金融派生商品)というものについて考えてみると、若干背筋の寒くなるようなある種の類似性を感じざるを得ない。
私は債券を扱っているが、特に投資家が保険会社など負債の年限も長い先である場合、リターンを最大化するにあたっての一つの常套手段は、(イールド・カーブの形状が順イールドである限りにおいては)運用商品の年限を延ばすことである。
勢い、15年から30年など最終満期の極端に長い商品を扱うことが多い。

様々な複雑なデリバティブを駆使した商品は、大体のケースにおいてはExcelを駆使した(数理)モデルを用いてプライシングが行われる。

各投資銀行は自社の収益レベルも考えながらプライシングを行っていくことになり、各社モデルが異なるためにプライシングも一定ではない(そしてそこに裁定機会が生じる)。
多くの場合、プライシングの一定部分ないし大部分が「予測」に基づいて構築されているため、各社にとって最も重要な「収益レベル」というものは、実は取引の時点で確定するものではない。
その「予測」が正しかったのかどうか、ひいては、そもそもその取引が銀行にとって最終的に利益を生んだのか損失となったのかは、取引の最終満期(早期に終了した場合はその時点)まで分からないのである。

このような商品を扱う際、しばしば登場する冗談は「この商品が満期を迎える頃には自分はこの業界で働いている筈がない」といったトーンのものである。
これは半ば冗談とはいえ、多分に真実を含んでいる。

取引の妥当なプライシングについてはモデルに依存し、自分の締結した取引の最終的な結果は満期まで分からない。
となると、責任の所在がはっきりしないのは必然の結果ではないだろうか。

金融という職業は「虚業」であるとか、「他人のフンドシで相撲を取っている」などとは昔から良く言われるが、少なくとも従来的な貸出を中心とする銀行業務においては、自ら行う与信に毀損があった場合、痛む腹は主として自分のものであるといえる。
金融が高度に複雑化することによって責任の所在が不明確になる傾向に歯止めを掛ける方法はないのだろうか。

答えのない問題提起になってしまったが、金融工学を含むテクノロジーの発展は両刃の剣だということを改めて思い知らされる。

*本ブログで仕事のことについて触れない基本的な姿勢を崩したわけではありませんが、たまのルール逸脱は大目に見て頂ければ幸いです。
# by canary-london | 2007-08-09 02:18 | business
前回「食」について書いていたら、旅行記とも何となく絡めて以前から漠然と書こうと考えていた小ネタについて思い出した。
英国でも食に対する「awareness」が高まってきたのは前回書いたとおりなのだが、それでもやはり国際的な比較においては、平均的イギリス人の食に対するこだわりの低さというのは先進国の中で群を抜く(と思う)。

その一つの表れだと兼ねてから私が感じているのが、「どこででもものを食べる」ということ。
道端でバナナやチョコレートバーをパクついている程度なら、「あー、相当お腹減ってるんだろうなあ・・・」で済むが、英国人の「道端食生活」は留まるところを知らない。

スーパーの出口では、買ったばかりの三角パックに入ったサンドイッチをバリバリと開けておもむろに食べ始める。
バス停に行けば、立ったまま出来合いのサラダを頬張る輩も。

この傾向は老若男女にはあまり関係がない。
日本だったら、「若いオナゴがはしたない・・・」的なコメントの一つや二つ聞こえてきそうだが、こちらの若き乙女達は一向に構う様子もなく、いつでもどこでも、パクパク、ムシャムシャ。
それが「ちょっと小腹が減った」という雰囲気で食べているのではなく、十分食事になりそうなものを食べているから不思議。
・・・彼らはつまり、それが昼食なのか何食なのかは良く分からないが、一食の「食事」をそんな適当な立ち食いで済ませてしまうのである。

ここで思い出すのは、女優・エッセイストで且つ料理の名手でもあった沢村貞子さんのお言葉。
母が愛用していた沢村さんの「わたしの台所」や「わたしの献立日記」のレシピの一部は今の私にも引き継がれているが、沢村さんの食へのこだわりというのは、次の台詞に如実に表れている。出所をはっきり覚えていないので一言一句正確ではないと思うが、要はこんな内容だったように思う:
「一日三食しかない食事の中で一食でも不味いものを食べると実に"もったいない"と思う。」
・・・この感覚、A級からC級まで全てのグルメが揃う東京に慣れ親しんでいる日本人には非常に良く分かる。
そして、その貴重な「一食」を地下鉄のホームで二分程度で済ませてしまう英国人には、この感覚は分かる筈もないのだ。

一方、欧州大陸を旅行すると、「どこででもものを食べる」という状況自体は良く似ている(国にもよるが)。

食いしん坊国民の代表格としてフランス人とイタリア人を挙げると(断っておくが誉め言葉だ)、公園の隅ではクレープをムシャムシャ、ベンチではパニーニをパクパク・・・と一見同じような構図。
けれど私は二つの間には本質的に差があると思っている。
フランス人やイタリア人の行動が、「美味しいものは食べたいけれど、家に帰るまで我慢できないので今食べちゃえ!」という衝動に突き動かされている(失礼!)一方、イギリス人のそれは、本当に食にこだわりがないがための「ながら食」なのだ。

そういえば、高校生時代にロンドンで見かけた中でもっとも凄かった「ながら食」は、朝のラッシュアワー(といってもこちらでの混雑は可愛いものだが)、地下鉄の四人向かい合う座席に座り、おもむろにマクドナルドのホットケーキ・ブレックファストをフォークとナイフでエレガントに食べ始めた見知らぬ英国紳士である。
その出で立ちが山高帽にモーニングのようなフォーマルな黒ずくめにステッキだったため、あまりに異様な取り合わせに紳士に見とれることしばし。
この例は極端だが、とにかく「ながら食」との遭遇率が高い街なのだ。

・・・と書いたところで、ふと冷静に自分の平日の食生活を振り返ると、朝食も昼食も血走った眼でコンピューターの画面を見つめながらのデスク食。
最ももったいない「ながら食」をしているのは実は自分ではないか!?と気づいてやや暗い気分になってしまった。
# by canary-london | 2007-08-04 02:37 | gourmet