「日本人と名前」ということについて考えさせられる瞬間が、毎日のようにある。
私募債をアレンジする仕事をしている私は、目に付く案件をクローズすると、社内マーケティングの意味を込め、社内の比較的広範なメーリングリストに向けてメールを流すことを心がけている。
メールには、ごく簡単な案件の概要と共に担当者の名前を記す。
この案件のセールスABC、トレーダーはXYZ・・・という風に。
その度に思い知らされるのが、「日本人の名前は難しい」という現実。
担当者が中国人や韓国人の場合は、至って簡単。
何故なら、抜け目のない現実主義者の彼らは、母国語での本名などお構いなしに、”Mike”やら“Andy”やらといった、短く分かりやすい西洋的な名前を自ら付けているから。
一方の日本人はというと、実に損をしているのだ。
日本人の名前は本当に美しく、奥が深い。
漢字の組み合わせが無数にあり、音(おん)が同一の名前の人に遭遇しても、漢字までが全く同じというケースは珍しい。
わび・さびを解さないガイジンには、このこと自体既に理解の範疇を超えている(失礼!)。
また、漢字で書くことが前提の日本人の名前は、仮名にすると、例えば女性で7文字・男性で8文字程度の長さはザラである。
これ、アルファベットで表記すると、かなり長い。
いってみれば、西洋人にとっての日本人の名前というのは、「名前」に要求される二つの基本的な要素を欠いているのだ。
この要素の一つは、「呼びやすさ」。
母音と子音の構成といった細かいことと並んで重要なのが、単純に「短い」ということだったりする。
男性のファーストネームで多いパターンの「仮名4文字」の名前は、勢い短縮することになる。
歴史を遡ると、やはり親密なる「ロン・ヤス」関係になるためには、「ヤスヒロ」では語呂が悪いのだ(Ronald→Ronは既にルールのようなものが確立されているので、殊更に「短縮している」という意識はない)。
もっとも、長く発音の難しいファーストネームをもつ小泉前首相は、”Jun”などといった愛称に甘んじることなく、海外でも広く認知されていたが・・・。
言語の成り立ちが違うので、イントネーションも異なる。
私も(男性ではないが)、自分のファーストネームを短縮して通称としているクチ。
私の場合は特に名前が長いわけではないが、西洋人(特に英米人)には、仮名3文字の名前を平坦な発音で発声することが難しいため、「XX子」の最後の「子」を外さないと、自分ではない他人の名前のように聞こえてしまうのだ。
二つ目の要素は、「予測可能」かどうか。
英米人の名前の場合は、前述のような名前短縮のルール(例えば、AndrewならAndyといったような)がしっかり確立されていることに加え、音を聞くとかなり高い確度で綴りを予測することが出来る。
日本人の名前を彼らに説明する場合には勿論こうはいかず、一文字ずつ根気良く「SugarのS・・・」とやっていく羽目になる。
Eメール全盛のご時世では、実はこれもかなり重要。
挙げた要素の二つともが、要は「覚えやすい名前かどうか?」ということになるのだろう。
話は飛ぶようだが、最近霞ヶ関などで流行っている論調に以下のようなものがある。
つまり、「東京がアジアにおける金融センターになり得ないのは、他のアジア諸国ほどに英語が第一外国語として根付いていないからだ」といった議論(ちょっと古いですが・・・添付ご参照。ちなみにこれも先日「金融と憂鬱」のトピックで引用させて頂いたE氏に教えて頂いた記事である)。
お役所の方々の真剣な議論と自分が酒の肴に思いついたアイディアを一緒にしては怒られてしまいそうだが、「日本は果たして世界に通用するのだろうか?」という宇宙的命題は、実は名前にも関係するような気がしてならない。
しかしこの問題提起には、またしても解がない。
日本的な、美しく情緒溢れる名前は、何としてでも失いたくはない。
・・・とやや憂鬱になったところでデスクを見渡すと、チームの男性陣は、ものの見事にJohn, Andy, Chris, Neil, Edと「典型的な西洋の分かりやすい名前」が勢揃いしているので、げんなりしてしまった。
何か良い解決策、ないもんでしょうかね??
私募債をアレンジする仕事をしている私は、目に付く案件をクローズすると、社内マーケティングの意味を込め、社内の比較的広範なメーリングリストに向けてメールを流すことを心がけている。
メールには、ごく簡単な案件の概要と共に担当者の名前を記す。
この案件のセールスABC、トレーダーはXYZ・・・という風に。
その度に思い知らされるのが、「日本人の名前は難しい」という現実。
担当者が中国人や韓国人の場合は、至って簡単。
何故なら、抜け目のない現実主義者の彼らは、母国語での本名などお構いなしに、”Mike”やら“Andy”やらといった、短く分かりやすい西洋的な名前を自ら付けているから。
一方の日本人はというと、実に損をしているのだ。
日本人の名前は本当に美しく、奥が深い。
漢字の組み合わせが無数にあり、音(おん)が同一の名前の人に遭遇しても、漢字までが全く同じというケースは珍しい。
わび・さびを解さないガイジンには、このこと自体既に理解の範疇を超えている(失礼!)。
また、漢字で書くことが前提の日本人の名前は、仮名にすると、例えば女性で7文字・男性で8文字程度の長さはザラである。
これ、アルファベットで表記すると、かなり長い。
いってみれば、西洋人にとっての日本人の名前というのは、「名前」に要求される二つの基本的な要素を欠いているのだ。
この要素の一つは、「呼びやすさ」。
母音と子音の構成といった細かいことと並んで重要なのが、単純に「短い」ということだったりする。
男性のファーストネームで多いパターンの「仮名4文字」の名前は、勢い短縮することになる。
歴史を遡ると、やはり親密なる「ロン・ヤス」関係になるためには、「ヤスヒロ」では語呂が悪いのだ(Ronald→Ronは既にルールのようなものが確立されているので、殊更に「短縮している」という意識はない)。
もっとも、長く発音の難しいファーストネームをもつ小泉前首相は、”Jun”などといった愛称に甘んじることなく、海外でも広く認知されていたが・・・。
言語の成り立ちが違うので、イントネーションも異なる。
私も(男性ではないが)、自分のファーストネームを短縮して通称としているクチ。
私の場合は特に名前が長いわけではないが、西洋人(特に英米人)には、仮名3文字の名前を平坦な発音で発声することが難しいため、「XX子」の最後の「子」を外さないと、自分ではない他人の名前のように聞こえてしまうのだ。
二つ目の要素は、「予測可能」かどうか。
英米人の名前の場合は、前述のような名前短縮のルール(例えば、AndrewならAndyといったような)がしっかり確立されていることに加え、音を聞くとかなり高い確度で綴りを予測することが出来る。
日本人の名前を彼らに説明する場合には勿論こうはいかず、一文字ずつ根気良く「SugarのS・・・」とやっていく羽目になる。
Eメール全盛のご時世では、実はこれもかなり重要。
挙げた要素の二つともが、要は「覚えやすい名前かどうか?」ということになるのだろう。
話は飛ぶようだが、最近霞ヶ関などで流行っている論調に以下のようなものがある。
つまり、「東京がアジアにおける金融センターになり得ないのは、他のアジア諸国ほどに英語が第一外国語として根付いていないからだ」といった議論(ちょっと古いですが・・・添付ご参照。ちなみにこれも先日「金融と憂鬱」のトピックで引用させて頂いたE氏に教えて頂いた記事である)。
お役所の方々の真剣な議論と自分が酒の肴に思いついたアイディアを一緒にしては怒られてしまいそうだが、「日本は果たして世界に通用するのだろうか?」という宇宙的命題は、実は名前にも関係するような気がしてならない。
しかしこの問題提起には、またしても解がない。
日本的な、美しく情緒溢れる名前は、何としてでも失いたくはない。
・・・とやや憂鬱になったところでデスクを見渡すと、チームの男性陣は、ものの見事にJohn, Andy, Chris, Neil, Edと「典型的な西洋の分かりやすい名前」が勢揃いしているので、げんなりしてしまった。
何か良い解決策、ないもんでしょうかね??
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by canary-london
| 2007-09-01 02:36
| culture