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ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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成田空港での事故を受けすっかり脱線してしまったが、ニューヨークについての記述が尻切れトンボとなってしまっていた。
今回のNY滞在は正味三日半程度と慌ただしいものだったが、その中で、二つの‘Met’にはそれぞれ二度足を運んだ。

・・・一つは、昨年創立125周年を迎えたMetropolitan Opera。
普段、きっと世界の中では「田舎劇場」の部類に入るであろうロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスに通い慣れている私にとって、生まれて初めて足を踏み入れるMetの規模と煌びやかな風情に圧倒された。
ホールの大きさと天井の高さが手伝って音響は秀逸。
入口から左右に拝むことのできる二つの壁画はChagallの手になるもの。赤を基調にしたものと、青・緑のものとが対称的に並べられ、目に美しい。パリ・オペラ座の天井画といい、なぜオペラハウスにはシャガールの画が多いのだろうか。

今回観た演目は、Bellini作曲の「夢遊病の女」(Natalie Dessay / Juan Diego Florez主演)と、Puccini作曲の「マダム・バタフライ」(Patricia Racette/Marcello Giordani主演)。前者は奇をてらった現代的な演出が個人的にはまったく好きになれなかったものの、Dessayはいつ聴いても感動する。昨年一月のBarbicanでのコンサートや、4月にMetライブ中継で聴いた「連隊の娘」に比べて声のハリ・伸びが少ないように感じた部分もあったのだが、この人は容姿・演技力等すべてを総合して実に素晴らしい。Florezの甘過ぎる声は私自身好みではないが、現在活躍するテノールの中でこんな声の人はいない。
「連隊の娘」でも観た夢のペアには、とにかく脱帽の一言だった。
一方の「マダム・バタフライ」は、演出が素晴らしかった。‘Cho-cho-san’を歌ったPatricia Racetteは、日本人的にはもう少し華奢であってほしいと思う部分もあったが(たおやかなヒロイン設定の多いオペラにおいてはそう感じる局面が多いけれど)、歌唱は透明感のある質の高いものだった。
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そんなMetに行ってみて、気になった点はといえば・・・。

一つは服装について。
海外のオペラ劇場やコンサートホールに行くたび、服装やマナーに関するその土地のプロトコルに気を配ることになる。
私はヨーロッパでもそれほど多くの都市に行っているわけではないけれど(これまで、ミラノ、ウィーン、ザルツブルグ、パリ程度)、自分の経験しているなかでは、断トツでザルツブルグがフォーマルである。ウィーンに比べても、さらにうんとフォーマル。
自分の訪れる機会がたまたまイースター・フェスティバルや夏のザルツブルグ・フェスティバルなど由緒あるイベントが多いせいかもしれないが、自分の両脇が共にベア・ショルダーのイブニング・ドレスで焦った体験をしたのは、後にも先にも(?)ザルツブルグだけだ・・・と思う(笑)。

・・・などというと不平のように聞こえるかもしれないが、女性の立場から言うとあながちそんなこともない。むしろ、日常生活の中ではドレスアップする機会が少ないため(そんな機会の多い生活をしている人もいるかもしれないが、少なくとも自分には無縁である)、気の迷いで買ったドレスが日の目を見るイベントは大歓迎である。
が、ウィーンの国立歌劇場、ミラノのスカラ座、そして今回のニューヨークのMetと色々足を運んでみて、正直少しがっかりする。
特別なイベントのために、少し背伸びして着飾る女性の姿を見るのは、それはそれで自分の背筋も伸びるもの。二年ほど前にウィーンを訪れたときには、ジーンズにスニーカーという出で立ちの輩がいて驚いたが、今回のニューヨークでも、比較的カジュアルなワンピースにショールという姿の自分が全体の中ではおそらくドレッシーな50%に入る状況にやや寂しさを感じた。折からの不景気も影響しているのだろうか。
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二つ目は客層。
何とも素敵なMetのオペラハウスなのだが、客層が実に雑多であるという印象も強めた。買物目当てでニューヨークを訪れているアジアからの観光客も多いのだろう、私も自らのことを棚に上げてエラソウに「マナー」などと講釈を垂れるつもりは毛頭ないけれど、マナーがあまり良くない。何が一番気になったかというと、終演後キャストが再登場してお辞儀し拍手で迎えられるのを待たずに席を立って帰ってしまう人がいかに多いかということ。映画のエンドロールでも最後まで席を立たないこだわりを持つ私としては、三時間熱演を聴かせてもらった後のこの非礼は俄かに信じがたい。

ところで、今回のニューヨーク考として書きたかったのは、実はこの「Met」に関してではなく、もう一つの「Met」についてだったのだ。
ということで、第二のMetとニューヨークについてはまた次回(ここまで引っ張ったし明日書きます・笑)!
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by canary-london | 2009-03-28 22:00 | travel

成田空港にて

ニューヨークから戻って数日後には東京へ旅立つという何ともglobe-trottingに忙しい日々が続いたため、すっかり更新が滞ってしまった。

さらに更新が遅れたのには、実は理由がある。
―ほかでもない、成田空港でのFedEx社の貨物機事故。
これで、23日月曜日に自分が乗る予定にしていた飛行機が欠航となってしまい、結局成田で一泊せざるをえなくなったため、自分自身の英国への帰国も当初予定より24時間遅い火曜日夕刻となってしまった。
これまた「とりあえず」の雑感ばかりだけれど、備忘録代わりに頭に浮かんだ雑多なことを書きとめることにする。

どうでもいいが、自分は「あれのおかげで間一髪助かった」という類のニアミス体験が非常に多い。2004年12月に起きたスマトラ沖地震のときには休暇でモルジブへ行っていたのだが、「こんな日に帰るなんて、何てもの好きな」と現地の人に不思議がられながら12月25日・クリスマスに島を飛び立った10時間ほど後に地震と津波が一帯を襲い、自分が滞在していたホテルもほぼ水没している映像を見て肝を冷やした。

この手の、自分が全く専門的知識を(シロウト的知識すらも)持ち合わせない時事ネタが起きたとき、現代人としてはまずはGoogleして関連する記事やブログに目を通すのがごく普通の行動パターンだろう。ご多分に洩れず自分も検索してみたところ、事故発生からわずか24-48時間程度の時間に、高い専門的知識も踏まえた様々な意見・批判がネット上に展開されているのに驚いた。
・・・へー、墜落したMD-11機というのは安定の悪さと操縦の難しさにより旅客機としての使用は激減し、「飛べばいい」という意識の強い貨物機ばかりなのか。などなど。
「航空評論家」なる肩書きの人はともかく、全く業界に関係ないと思しき人がプラモデルを駆使してMD-11とエアバス大型機の安定性比較を行うなど、「スゴイ」の一言。
ちなみに、Wikipediaにおける成田空港の記述も、わずかの時間で今回の事故に関してアップデートされている。「フェデックス80便着陸失敗事故」なんて新しい項目も加えられ、仔細な説明が加えられている。
世の中にはオタクって、本当に多いものなのだ(笑)。

様々な記事を見るにつけ、改めて世界との比較をした場合の成田という空港の異常さを痛感した。ある友人は「今回の事故で日本の航空行政の歪みが露呈されたよね」と容赦なかったが、今回のような事故が起きたとき、どうみても滑走路の不足が致命的だ。
ロンドンでも、常時パンク状態のヒースロー空港およびロンドン近郊の5空港(そう、それでもロンドンは都心部から十分アクセス可能な範囲内に5つの国際空港があるのだ)の惨状に鑑み、埋立地を利用した浮島に新しい空港をゼロから作り直すという1970年代から浮かんでは消えている構想に、昨年就任したボリス・ジョンソンロンドン市長が意欲を見せていたものの、未曾有の不景気の中でこんな構想もまたぞろ消え失せるのだろう。

これも今に始まったことではないけれど、「減点方式」の日本のマスコミ報道の姿勢にも改めてうんざりさせられる。確かに成田ほど忙しい空港を26時間麻痺させた影響は甚大だったとはいえ、事故の原因究明も、亡くなった機長と副操縦士への追悼の意もそこそこに、FedEx社に対して「早く謝罪しろ」の一点張りは、日本という国の国際社会へのメッセージ発信という観点からもいかがなものかと思う。実際に足止めを食うなどして影響を受けた乗客の我々が、謝罪などより先に一刻も早い運行再開に向けたすべての措置を取ることを求めているのだから。
多数の乗客を乗せた旅客機でなかったことが不幸中の幸いではあったが、今回の事故で亡くなったお二人のご冥福を心からお祈りする。

「Nepotism」(=縁者びいきと訳されている。ちょっと違和感があるけど。。。)という言葉は、日本ではあまり馴染みがないかもしれない。今回の成田空港での大混乱の中で、そんな傾向も感じた。私は最近ロンドン⇔東京の往復にはもっぱら全日空を利用しているのだが、相次ぐ欠航と混乱の中、全日空の加盟するスター・アライアンスの一定資格以上のメンバーへの優遇措置が繰り返し案内されていた。二日分の乗客が詰め込まれさぞや混むかと思っていた帰りの機内は意外にも空いていたのだが、この資格も持たず格安航空券での飛行を予定していた多数の人は、翌日の便に振替が出来たのだろうか。

番外編。成田空港に程近いホテルでのこと。
事情が事情だけに、会社の人事に掛け合い会社負担で空港の近くにホテルを取ってもらった。不景気の折、豪華なホテルがあてがわれる筈もない。「シャビー」という形容詞の方が似合いはするが、清潔なベッドとお風呂とインターネット・コネクションがあれば文句を言う筋合いではない。それでも約270室という大型ホテルのせいか、ルームサービスには「24時間メニュー」があって感心した。これもまた、「眠らない街・トウキョウ」の為せる業なのだろうか。
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by canary-london | 2009-03-26 14:53 | diary

ニューヨーク考

週末に休日を二日ほど付けてニューヨークに行った。ロンドンからNYは、行き7時間強・帰り6時間強かかるとはいえ、やはり東京からいずれかに行くことを考えると近い。
前回訪れたのは2006年の初夏なので、三年弱ぶり。
私は5歳から9歳をニューヨークで過ごしたので、第二の故郷ともいえる街だろうか。
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そんな久し振りのニューヨークについて、今回は雑感諸々を思いつくままに述べることにする。
1. ここで言うまでもないことだけれど、ロンドンに比べて「街のペース」が速い。
東京の新宿駅地下通路と違って他人にぶつからずに歩けないということはないけれど、人が多い。

何しろ、クラクションがうるさい。
ただクラクションに関して言えば、イタリアはある程度の都市となると何処に行っても大概うるさいので、必ずしも「街のペース」や人の多さとは関係なく、単純に国民性と忍耐力の問題なのかもしれない(笑)。

それから、後ろの人のためにドアをホールドしない。
レディファーストとかいうことに拘らず、ロンドンに暮らすと後続の人が来るまでドアを手で開けて待つことに慣れてしまうものだ。
ニューヨーカーは基本的にこれをやらないので、ドアを開けて待つ度に異常なほど恐縮されてしまった。

2. アメリカ英語というもの。
アメリカ英語というのは、耳慣れないとただの耳障りだったりする(笑・失礼!)。
5歳の頃は、訳もわからず毎朝左胸に手を当て、星条旗に忠誠を誓ったりしていた。
‘I pledge allegiance....to the flag....of the United States of America’
暫く経つと、毎朝呪文のようにそのフレーズを呟くことに疑問すら感じなくなる。

JFKに降り立つと、入国審査のところでCNNが流れている。
CNNはもちろんヨーロッパにいても見る機会が多いとはいえ、アメリカ本土で聞くとまたひときわ「アメリカ的」だ。
非常に「アメリカ的」な美人キャスターが「アメリカ的」な記事を(そのときは、バービー人形がティーネージャーに容姿のみを重視するという悪いメンタリティを植え付けるという見解を表すものだった)、極端な「アメリカ的」英語で読みあげていく。
・・・ニューヨークの同僚とやりとりする機会は多いものの、日常的には忘れているこの感覚が蘇る。

3. 交通機関について。
まずはタクシー。
マンハッタン島に滞在すると、道行く車の過半数は名物の黄色いタクシーといっても過言ではないほどタクシーが多い。
しかし、いざ捕まえようとすると驚くほど空車が少ない。
そして、行先により(自分の風貌の問題ではないと思いたいが・笑)乗車拒否が甚だしい。
・・・この国、本当に1929年以来の不景気なんだろうか。
そんな疑問と不満をNYに在住する友人にぶつけたところ、マンハッタン島はタクシー代が著しくリーズナブルだから需要が供給を上回るとの弁。
確かに、そうかも。

一方の公共交通機関。
これまたNYの名物といっていい地下鉄について思ったこと、二つ。
一つ目は、NYの交通機関も意外に消費者にとって最悪であるということ。
到着日翌日、友人とのディナーの待ち合わせにたまには早めに行こうと思ってホテル最寄の駅から地下鉄に乗ったはいいが、まず電車が来ない。
10分近く経ってやっとホームに電車が滑り込んでくる。
混雑する電車に乗ったと思ったら、次の駅までの間におもむろに電車が停止してしまう。
何の車内アナウンスもなく、10分が過ぎる。
乗客は苛々する風もあるものの、基本的には辛抱強く待っている。
そのうちに、音もなく電車は動き出したが、先の方の駅で人身事故が遭ったためにこの先も遅れが予想されるとのアナウンスがその後に入ったため、とにかく電車を降りてタクシーを捕まえようとすると、上記のような状況。

ロンドンに暮らしていると、公共交通機関があまりに酷いために比較的寛容になるのだが、NYの地下鉄も意外に最悪だったりする。変な話だけれど、ロンドン住人としては何ともなしに少しほっとしたりもする。

二つ目。
2006年初夏にNYに行った際、Giuliani前市長の貢献でここまでNYは安全になったのかと感動した。比較的遅い時間に女性が一人で地下鉄に乗っても恐いという気持ちを抱くことが殆どない。
不景気の際の常だけれど、治安が少し悪くなったと色々な人が言うのを耳にする。
今回NYで会った友人数人にそれとなく聞くと、「多少はそういう部分もあるだろうけど」といった趣旨の現実的な答えが返ってきた。
現在の不景気で世相がこれ以上悪くなることがなければ良いのに、と切に願う。

4. ホテルでの新鮮な体験x2
滞在の短い今回は、とにかく場所が便利であることを優先し、ミッドタウンはWest 57th Stのとあるホテルに滞在した。
驚いたこと一点目は、フロントにいるホテルマン。
ロンドンから行くリゾート地は押しなべて若く綺麗な女性が多い印象なのだが、体格が良く所謂イカツイ男性が多いのにびっくり。
やはり街の治安とホテルフロントの「キレイドコロ」度は反比例するのだろうか。

二点目は、驚いたというよりも心が和んだことだが、エレベーターで終始流れる映像が、例外なく犬猿の仲である猫とネズミの一幕を描いた’トム&ジェリー’であることだった。
この街はストレスに苛まれる人が多く、それも見越して少しでも癒し効果のあるアニメを採用しているということなのだろうか。

5. レストランでのカロリー表示
メニューのそれぞれに「これは350kcalで体にいいです」とか、「これは900kcalなので一日の残りは軽食にしましょう」と書いてあるようなビジュアルに、我々は慣れていない。
いつからだったか覚えていないが、NY州は外食産業におけるカロリー表示が近く義務化されるとの話を初めて聞いた際に背筋が寒くなった覚えがある。
今回の訪問で、三年前に比べてカロリー表示が明らかに増えている現実に直面した。

・・・とはいえ、より憂うべき事態は、いかにカロリー表示を徹底しようがセントラルパークをジョギングする男女が多かろうが、アメリカは概ね肥満国家であるという紛れもない現実である。

*****

今回の旅を経てもっとも強く感じたことには今回触れるチャンスがなかったのだが、これについてはまた次回。
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by canary-london | 2009-03-13 09:22 | travel
前回デスクにおけるジェンダー論に少し触れたので、このトピックについてもう少し。

我々のデスクには、女性を中心に饒舌・毒舌な人が多いせいかもしれないが(「強い女性」でないと、基本的にはマッチョな男性社会である投資銀行でのサバイバルは無理・・・というのは一般化し過ぎだろうけれど、自分の意見をしっかり持ってそれを表現する女性が多いことは確かだ。)、ジェンダーについて一般化する傾向は意外に強い。
もちろん、セクハラやパワハラについては著しく敏感な社会なので、センシティブなトピックの核心は上手に避けながら会話がされるし、そもそも「全て笑いに昇華してしまえばOK」という考え方が根底にあるのだろう。大体のことは冗談交じりのコメントとして発せられ、「え、それってちょっとヒドイんじゃない?」と思うようなことも笑い飛ばされて終わるので、後腐れがない。

前回書いた「電話を取る」ということに関して言えば、女性陣曰く、「男性はマルチ・タスクできない」というのが最大の冗談交じりの批判。電話中の人間に掛かってきた別の人からの電話を取る我々は、その度に「N、○×から電話だけどどうする?今出る?それとも折り返し?」「A、マスコミのX社から今日のディールについて問い合わせだけど、本件のマスコミ対応は?B社?」といったやりとりをすることになる。

ボディ・ランゲージも必須。
手のひらで「制止」のポーズを取れば、外から入ってきた電話の方が大事な電話で、今の通話を終わらせてその電話を取るのだろうとこちらも分かる。指をくるくる回す仕草をすれば、折り返し。
私自身、大事なカンファレンスコールに耳をそばだてている時などはなかなかこれが出来ないので自戒の念も込めているのだが、現在の通話に没頭してしまって、自分の直通ラインを同僚が取ってくれたことにすら気づかない傾向は、確かに男性の方が強いかもしれない。
デスク女性の中でもとりわけご意見番であるJとA(最近いやに登場回数が多いが・笑)は、いずれも子育てしながらプロフェッショナルな仕事をこなすスーパーウーマンなので、そんな意識もあるのかもしれない。

この、「電話が掛かってきたときに最もマルチタスクできない」という烙印を押されてしまっているのが、私の隣に座っている若手・Rなのだが、イタリア系スイス人である彼は、ドイツ語・イタリア語・英語を自在に使いこなすtrilingual。
三つの言語の間で瞬間的に頭の切り替えが出来るのに、自分が通話中のときに同僚が自分に向って話しかけてきている事実にも気付かないというのは、日本語と英語だけでも閉口している自分としては理解に苦しむのだが、後者はいってみれば同時通訳的な才能で、幾つもの言語を操るということとは必ずしも相容れないものなのかもしれない。
英語主導の我々のデスクにおいては、三言語の間で行き来するRと、日本語でも英語でも早口でボリュームの大きい私が常に異端児扱いなのだ(これはあくまで弊デスクの話であって、会社の平均をとればmulti-lingualの人の方が多いものと思う)。

Rと話していて最も驚いたのが、「母国語」ということについての考え方だった。
スイスの中で、幼少時にイタリア語を話す地域からドイツ語を話す地域に引っ越した彼は、小学生時代から家庭ではイタリア語を話し、学校ではドイツ語を話す生活が身に着いていた(英語はその後に学んだのだから、三カ国の言語の中ではもっとも不得手なのだろう。)。
「じゃあ、貴方にとっての‘母国語’は何なの?」と聞くと、間髪入れずに
「ドイツ語」という答えが返ってきた。
彼にとっては、学校で友人と話す言語が「母国語」であり、家庭で両親と話す言語の方が
「外国語」なのだ。これは衝撃だった。

そんなことで、「ドイツ語が僕の母国語」を自負する彼なのだが、血は争えないというべきなのか。悪いけれど「イタリア的美男子」の素養はあまりないRだが、デスクの飲み会の罰ゲーム的余興で「女の子一人口説いておいでよ」と言うと、ダンスフロアにばっちり可愛い女性を連れて出てきたりする。
私の勤めるCanary Wharfにはイタリア人の経営するカフェが幾つもあるのだが、お昼にサンドイッチやサラダを買いに出るだけでも、Rがいてイタリア語で女性店員と二言三言交わすだけで、パルマハムの盛りが全然違ったりするのだから、やっぱりRは本人が思う以上の「イタリア的要素」を持っているのだろうと思う。
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by canary-london | 2009-03-02 00:31 | culture