ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

<   2008年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

毎週月曜日に愛読紙FTに寄せられるLucy Kellaway氏のコラムは楽しく読んでいる。

40代後半、生粋の英国人・ロンドンっ子で共働きながら四児の母でもある彼女の文章には、リアルなイギリス人のリアルな説得力がある。
切り口が鋭い。
イギリス人ならではのブラックなユーモアのセンスが光る。

少し視点は異なるけれど、いってみれば私が昨年Islingtonという街に越したことにも通じるものがある。
Islingtonは、最近でこそアート系の若者が増えすっかりお洒落な街と化しているが、もともとはロンドンの下町。従前からIslingtonに住んでいる人々は、昔ながらのロンドンっ子である。
私は今回の滞在では今の家に先立ってKensingtonとSt. John’s Woodに暮らしたが、いずれも非常に居心地の良い上品な住宅地ながら、所謂’ex-pat’(平たくいえば、一時的にロンドンに住んでいる高収入のホワイトカラー外国人のこと)の溜まり場となっている地域であり、「リアル」なロンドン・ライフとは程遠い。
Islingtonには、普通のイギリス人の生活がある。
それは残念ながら犯罪と背中合わせだったりするのだが、日常の小さな発見が楽しい。

Lucy Kellawayの話に戻ろう。
6月23日の彼女のコラムの題材は、「クレーム」。
Julian Bagginiの’Complaint’というタイトルの本が引用されている。
私はBagginiの本は読んでいないのだが、クレームのスタイルと国民性を結びつけた考え方が面白い。
「国民性を単純化し過ぎ」とのお叱りはごもっともだけれど、現在アメリカ人とイギリス人の違いが興味を持つトピックの上位に入る自分としては、英米のメンタリティーに関する記述に知らず読み入ってしまう。

一言でいうと、アメリカ人は、クレーム・文句を言いたいと思ったとき、その事象の原因を作っている相手に対して直接文句を言う。一方、イギリス人は、関係のない相手に対して愚痴るだけ・・・ということになる。
その理由は、アメリカ人は生来的にオプティミストであり、自分の問題をその原因を作っている相手に訴えることにより、世の中を「変えられる」と思っているから。
一方のイギリス人はペシミストなので、元凶に直接訴えようとはしない。
(いつもながらに大雑把な意訳を用いればこんなところか。)

Kellaway氏はイギリス人チーム代表として、
「我々イギリス人は、関係ない相手に愚痴を言うことでも実はかなりすっきりするのよね」
と締めくくっているが、クレームを得意としない私は、どちらかといえばそんなイギリス人的考え方に共感した。

f0023268_86189.gif
そんなコラムの中でも、実はもっともインパクトが強かったのは、冒頭のHeinzのベークド・ビーンズだったりして。
彼女の友人(国籍は英国人ながら、ここでは米国人代表として登場)がベイクド・ビーンズの缶を開けたところ、変色した豆が二つほど紛れ込んでいたというところから話は始まる。
好きな人には大変申し訳ないのだが、私にとっては缶詰のベイクド・ビーンズは劣悪なる伝統的英国手抜きフードの代名詞。
くだんの友人、「子どもの夕食として」ベイクド・ビーンズの缶詰を開けているらしいが、子供の栄養の偏りを心配してしまう私はただのお節介なのだろうか・・・。

*原文にご興味がある方は、↓コチラへどうぞ。
http://www.ft.com/cms/s/0/5c831562-40bb-11dd-bd48-0000779fd2ac.html?nclick_check=1
[PR]
by canary-london | 2008-06-26 08:14 | culture

旅のメモ・ブルゴーニュ

更新をさぼっており、すっかり写真のアップが遅れてしまった。
5月末の三連休を利用して、友人と三人で以前から訪れたかったワインの銘醸地・ブルゴーニュへ。
ご多分に漏れず、ワインという観点からは一帯の中で中心地となるボーヌ(Beaune)に滞在した。

ホテルには何故か、白髪のシルバー世代が多い。
皆我々と同じくワインを飲んだくれる目的で当地を訪れているのかどうかは分からないが、とすると年齢を重ねても健啖家ぶりの衰えないフランスという国民性には改めて脱帽する。

ボーヌ村内では、Marche aux Vinsで15種類に上るワインの試飲は目玉の一つ。
街のシンボルともいえるゴシック屋根の建物、元々は慈善病院で現在はワインのオークションが行われることでも有名なHotel Dieu (Hospices de Beaune)も観光客で賑わう。
f0023268_1033850.jpg


友人二人より一足先にボーヌ入りした私は、活気の溢れる土曜日の朝市を覗くことができた。
フレッシュな肉・野菜などの食材やチーズ・サラミなどが所狭しと並べられる。
ロンドンでも最近このような産地直送のファーマーズ・マーケットは多いけれど、地元の人が大きなバスケットを手にして野菜や果物を選んでいる姿などを見ると、改めてここは世界的に有名とはいえ、ブドウ農家を主体とする小さな農業の村なのだな、との思いを新たにする。
f0023268_104167.jpg

f0023268_1051362.jpg

f0023268_1052994.jpg


「小さな村」といえば、降り立ったボーヌの駅も、人影もまばらなら、タクシーの一台すら見つからず、重い荷物を抱えてとぼとぼホテルまで歩く羽目になって閉口した。
・・・しかし良く考えれば、当然か。
パリから200km程度南東に位置する珠玉のワイン地帯。
少し車を走らせれば、周りはブドウ畑だらけなのだから。

「田舎」であることと並んで改めて感じたのは、ブルゴーニュと一口にいってもいかに多様であるかということ。
ブルゴーニュのワインは、葡萄の品種で言うと、赤が一部例外を除いてほぼすべてピノ・ノワール、白が同シャルドネと、「多様」ではない。
が、例えば世界的に有名な白ワインを生産するムルソー(Mersault)村の中でも、畑の階級も様々なら作り手も様々。
素人の我々はついつい村名やヴィンテージ(作成年)だけに注意を向けがちだが、Puligny-MontrachetやMersaultなどの有名ブランドと化した村では、ブランド力で儲けようと劣悪なワインを作るタチの悪い生産者もいるとか。

白ワインばかりを挙げてしまったけれど、赤ワインも名実共に王者級。
ワイン三昧の贅沢な一日となった月曜日は、コート・ド・ニュイ(Cote de Nuits)は北から南下するコースを採ったので、コート・ド・ニュイの中でも最大となる9つの特級畑ジュヴレ・シャンベルタン(Gevrey-Chambertin)の作り手と畑を朝一番で訪れる。
この村で訪問したPhilippe Leclere氏は、試飲を行う入口付近のスペースに昔ながらのボトル運搬用滑車などがあり、風情が漂う。
f0023268_106054.jpg


毎年ワイン生産にまわるブドウの栽培面積が1ヘクタール強しかないため、6000本弱のワイン全てが異常なまでのプレミアムで売買されるロマネ・コンティ(Romanee-Conti)の畑。
良い畑は、土壌、日光、水はけなど全ての条件が整っていることが必要となる。
f0023268_1062420.jpg


ワイン素人の自分が言うのは僭越だけれど、今回色々訪ね歩いてみて、やはり「作り手」を知ることというのは重要だと感じた。
今回は、「芽掻き」というブドウの不要な目を摘む作業を行う忙しい時期。
そんな忙しい中でも、一見の観光客への説明に時間を割いてくれる生産者の方には本当に頭の下がる思いだった。

初日に訪れたムルソー村の名物おじいちゃん、Bernard Michelot氏は何と82歳!
さすがに今では畑に出ることはないとのことだったけれど、2時間近く掛けて丁寧に説明して頂いた。
若さの秘訣は、こうして色々な人と触れ合い、刺激を受けることなのかも。
こんな素敵な笑顔のおじいちゃん↓の作るワイン、買いたくなりませんか?

f0023268_563594.jpg

[PR]
by canary-london | 2008-06-16 10:09 | travel

アリとハンディマン

不幸自慢では決してないのだけれど、それにしても英国の古い一軒家というのはトラブルが絶えない(築ほぼ120年。イギリスでは格別古いわけでもないが・・・)。
昨年の秋口に引っ越した新居はしばらく動きたくないほど気に入っているのだけれど、狭いながらに庭があるせいか、昆虫などごく小規模の生物に関する悩みは枚挙に暇がない。

この週末に遭遇したハプニングは、蟻である。
アリ。
我が家は細長い小さな家なので、日本で言うところの一階と二階、さらに地階の3レベルに分かれている。
土曜日の夕方だったか、地階のボイラー室に入って洗濯機を回す。
何とはなしに殺気を感じて洗濯機の脇にあるのっぽのボイラーの上を見やると、無数の黒いものがうごめいている。
・・・アリだ。
蟻の群がっている原因は、ボイラーの上に散乱した、いってみればライスクリスピーのような形状の粒々。
何かの卵なのだろうけれど、何の卵なのかは知る由もない(後から処理に来てくれたハンディマンによれば蟻自体の卵とのことだったけれど)。
とりあえずあらん限りの殺虫剤を掛ける。
あとは翌日救援隊が来るのを待つのみ(私は虫が得意ではないので、殺虫剤を掛ける以上の策を自分で積極的に取ることは少ない)。

週末ではあったものの、翌日仲良しのハンディマンを呼びだしてボイラーのパイプと外壁の間を隙間なく埋めてもらって一件落着。
昨年引っ越したばかりのときに発生したナメクジ同様、結論からいうとどうも外に通じる壁のどこかがきちんと塞がれていないらしい。

こんなときに感じることは幾つかあるけれど、まず思うのは「ハンディマン」という素晴らしい職業の人達のこと。
日本ではあまり相当する職業がないのだが、正に「便利屋」さん。
ハンディ=便利、マン=男性または人間、とは言い得て妙。

主として不動産屋と契約を結んでおり、家に何かしらの問題があったとき、それが大掛かりな修理を必要とするのでない限り、今回のような壁を塞ぐ作業から家具のちょっとした不具合の修理まで、何でもこなす器用な人種である。
今回お世話になったPaulは昨秋我が家にナメクジが大量発生(正確に言うと「大量」とまではいかないが、一匹ではなかった・・・)したときに助けてもらったことから私も頼りにしており、幸いにして彼の携帯電話の番号も持っていたため、日曜日にもかかわらず駆けつけてくれ、事なきを得た。
f0023268_954201.jpg
会社や人によって差はあれど、得てしてこちらの不動産屋、特に賃貸契約に出されている住居の管理を行う不動産屋は怠慢で誠実さに欠け、前項で書いたテロか殺人でなければ動かない英国警察の例ではないが、「蟻が出た」と訴えたところですぐに修理の人間を手配してくれないケースもある。
そんなとき、「ハンディマン」に直接連絡する手段を持っているのは、絶大の威力。
ツカエナイ不動産屋には申し訳ないが、Paulが現役で活躍しているうちは、不動産屋の頭越しで彼に仕事をひそかに依頼しようと決めている。

大量の蟻の死骸を見ながら感じたもう一つのことは、都会のマンションがいかに人工的な環境かという点。
私の望むと望まざるとにかかわらず、この家には実に様々なキャラクターが登場する。
家の中に蜘蛛やダンゴムシが定住しているのには慣れた。
さすがに家の中には入ってこないが、雨降りの日には玄関と庭がカタツムリで覆われる。

幼少時「田舎」がなく東京で育った私は、このような生物に囲まれた環境にはそもそも縁が薄いものの、9歳までの4年強を過ごしたニューヨークは家が郊外であったため、自然と触れ合う機会が多かったように思う。
ある日庭のブランコで遊んでいてふとブランコを裏返したところびっしりと毛虫が張りついていて、毛虫の苦手な姉が卒倒しそうになったこともあった。

カタツムリもナメクジも蟻も、いて当然。
勝手に家を建てて侵入してきているのは、こちらなのだから。
・・・と頭で分かってはいるものの、一定量を超える虫がいたような場合、やはり私はハンディマンにSOSコールを入れるのだ。
[PR]
by canary-london | 2008-06-04 09:55 | diary