ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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盗難に思うこと

厄年でもあった2006年、冗談でなく実に三カ月毎に強烈な盗難に遭って以来(詳しくは2006年のエントリ参照・笑)、幸いなことに盗難にはあまり縁がなかった。
・・・はずなのだが。

久し振りに盗難に遭った。
先週の日曜日夕方、買い物から帰宅していつものように車*を家の前に駐車する。
*車自体は、いかにもカネモチとは無縁そうなTOYOTAカローラ。
この辺りは所謂on-street-parkingで、住民専用のパーキングパーミット(駐車許可証)をウィンドウに貼り付けてさえいれば、該当する駐車スペースならどこにでも置いておけるのが便利。
今にして思えば、もしかしたらこのときに車のキーのリモコンが弱っているゆえ、施錠したつもりが実は掛かっていなかったのかもしれない。
・・・などと言ってみたところで後の祭り。

翌々日にあたる火曜日の朝、これまたルティーン通り小走りで朝7時前に家を出ると、どうも車の様子がおかしい。
というのは、後部座席の背もたれを前に倒すことによってトランクとのスペースが貫通するようになっているのだが、その背もたれが倒されてトランクの中身が覗いている。
あれれ?と思うものの、一分一秒無駄に出来ない朝のひととき、車を調べる間もなくオフィスへと急ぐ。
その日、オフィスからの帰り道に再び車に近づくと、これは明らかにおかしい。
助手席が半ドアになっているのだ。

「あー、これはやられたな」と思って荷物を家に放り込み、改めて鍵の開けられた車を調べると、倉庫代わりに使っているトランクからクラブのごっそり入ったゴルフバッグが忽然と姿を消している。
その他、道路地図といった意外に重要なものや、駐車場用として運転席脇の抽斗に無造作に突っ込んであった小銭もなくなっている。
「犯人」は意外と冷静らしく、サイズが合わないと判断したらしいゴルフシューズやスキーウェア、スキーブーツなどは置いてきぼり。

・・・ため息。

今回、もし仮に鍵を掛けたつもりで掛かっていなかったのだとすれば自分の責任以外の何ものでもないが、実質36時間以内の犯行だと思われる。

英国でこのような被害に遭う度に感じるのは、こちらの泥棒がいかに「petty crime」(=つまらない犯行)を大胆に働いて、且つ平然と日常生活を過ごしているかということ。
殺人かテロのいずれかでなければ英国警察は本気で捜査などしないというのも2006年に痛感したことではあるが、ちょっとした泥棒程度の小さな罪で検挙されるリスクは当地においては著しく低いため、いきおいこの様な犯行が増える。
捕まらないため、味をしめた犯人は、きっと同様の罪を繰り返す悪循環だ。

そんなことで、私は英国に来てから純粋なる不運または自分の不注意のいずれかの理由(または両方)により物を盗まれたのは今回で四回目を数える。とはいえ、運や自分のミスを呪いつつも、我が身の危険を感じるような目に一度も遭っていないというのは実は感謝すべきことなのかもしれない。

こんなことが起きると、何かしら隠れた意味があるのかもしれないと思うのも人間の性だろうか。私の場合、ゴルフバッグを盗まれたのは、一向に上達する気配のないゴルフなど早く諦めろとの神のお告げなのかもしれない、などと自嘲まじりに思ったりしてしまうのである(笑)。
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by canary-london | 2008-05-28 10:24 | diary

サルディニアという楽園

写真のアップがすっかり遅くなってしまったけれど、今回は先々週行ったサルディニアについて。
イタリア人が自国の中でもっともその海の美しさを賛美する島でありながら、1960年代前半にサルディニアとは何の関連もないイスラム界の帝王、アガ・カーン四世が本格的な開発に着手するまで、世界有数の高級リゾート地として外国人に知られるようになるなど考えられなかったことと思う。

今回は、高級リゾート地としてのサルディニアの代名詞ともいえる北部コスタ・スメラルダ(Costa Smeralda)のポルト・チェルヴォ(Porto Cervo)、そして全く趣きの異なる中部にある山あいの村と二箇所に滞在し、所謂「セレブの集まるサルディニア」と、もっと素朴な自然美の素晴らしいサルディニアと両方の表情を垣間見ることが出来た。

写真の腕にはあまり(というかまったく)自信がないので、写真の綺麗な友人のブログはいつも羨ましいと思いながら眺めるだけなのだが、今回は同行した友人に撮ってもらってばかりいた写真を幾つかご紹介(有難う!)。

「セレブの集まるサルディニア」の中心広場は、こんなところである。
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ボンド・ストリートもびっくりのブランドショップが軒を連ねており、ついつい財布の紐が緩む。
サルディニアのような場所で買い物をするとき最も困ることは、ついつい美しい太陽の下で映える色の洋服やバッグを買ってしまい、どんよりと曇ったロンドンに戻ってくると決まって
「あれ、こんな色だったっけ?」
とがっかりしたり、ひどい場合にはロンドンでは明るい色が浮いてしまってすっかり登場回数が減ってしまったり。

ポルト・チェルヴォに程近いビーチでも、人気の少ないビーチもある。
5月初めで少し寒かったが、気にする風でもなく泳いでいる元気な人々の姿もちらほら。
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こちらはもっと観光化されて賑やかな、Baia Sardinia。
賑やかとはいえ、海の水はとびきり綺麗。
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ここの浜辺にあるフレッシュなシーフードを出すレストランがすっかり気に入り、二日連続で通ってしまった。
サルディニアといえば、ウニのスパゲッティ(Spaghetti Ai Ricci di Mare)とカラスミのスパゲッティ (Spaghetti Alla Bottarga)。
滞在中、とにかくひたすらウニとカラスミのパスタを食べたような気がする。

ポルト・チェルヴォで頻繁に見かけるもう一つの「金持ちアイテム」は、やはりクルーザーか。滞在先のホテルに近い港(Porto)にのんびりと停泊する船多数。
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別荘やホテルなどが殆どと思うが、明るい色彩の建物が青い空に映える。
ただ不景気を映してか、建設が中断されたように見受けられる建物も時折見かけた。
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こちらは、山あいの村の方。
Supramonte という山脈を形成する山々にはトレッキング感覚で登ることが出来る。
といっても割合本格的な格好で挑んでいる人が多く、ジーンズにいいかげんなスニーカーとハンドバッグで山を登っていた我々の方が異色だった模様。
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・・・下山中、何よりびっくりしたのは豚の大群に出くわしたこと。
野生というわけでもなく、どこかの「家畜」ではあると思うのだが、ブロイラー的な家畜と違ってどこか健康的。
親子でも、黒や肌色、ブチなど様々なところも面白く、すっかり豚に見とれてしまった。
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そして最後は、ヌラーギ(Nuraghe)。
紀元前1800年から紀元前500年にかけて作られたものが殆どという謎の遺跡は、サルディニア島内に実に7,000もある。
訪れたNuraghe Mannuは決して規模の大きいところではないものの、Supramonteの山中に位置し海を背にした立地とあって、眺めが最高だった。
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by canary-london | 2008-05-22 08:55 | travel

サングラス考

ロンドンはここ10日間ほど、一年の中でもっともラブリーな気候全開となっている。

またしても冒頭から脇道に逸れるけれど、この「ラブリー(=lovely)」という言葉も、実に英国的な言葉。日本語のカタカナで「ラブリー」などというと、どうも青臭いイメージが湧きやや萎えるけれど、英国人は事あるごとに「ラブリー」を連発する。
形容詞としてだけでなく、物事が思い通りに進んだとき、副詞的に使うこともあるなど、本当に守備範囲の広い言葉だ。
女性に限らず、男性も多くの人が使う(使わない人は決して使わない)。
日本人でも「どうも恥ずかしい」と言って使わない人が多いが、私はかなり多用派。
郷に入れば・・・の世界であるし、何よりラブリーという言葉を発するたび、何となく小躍りしたいような気分になる。
英国人のおじいちゃん・おばあちゃん(特におじいちゃん)が言うと、実に可愛くてシビれてしまう。

・・・話を戻すと、そんなラブリーな気候と当地の太陽、そしてこの時期の必需アイテムについて。
必需アイテムとは、ほかでもないサングラスである。

欧米人は目のメラニン色素が薄く、日本人に比べてサングラスを多用するのはつとに有名な話。
澄み渡った青い空と太陽の眩しい、一年でもっともロンドンらしからぬこの時期になると、欧米人は皆どこからかサングラスを取り出して掛けて歩き始める。私の勤める金融街のカナリー・ウォーフでも、ランチを買いに出るたかだか10分程度の間、サングラスを掛ける人が少なくない。
この場面では、私も「郷に入れば・・・」には踏み切れず、サングラスは常にバッグに入れて持ち歩くものの、ランチを買いに出る際に掛ける気にはどうもなれない。

実を言うと、サングラスというのは苦手で数年前までほぼ掛けたことがなかった。
数回前のエントリでニット帽について書いたときにも若干触れたけれど、西洋の洋服および衣料小物というものは、当然ながら欧米人体型にフィットするべくデザインされている。
一般的に言って、欧米人より(1)圧倒的に鼻が低く、(2)顔の縦と横の比率で言うと圧倒的に横に長い日本人の顔には、サングラスは合わないのだ。
「似合わない」というだけならまだ当人が自信を持って闊歩すれば良い話だが、ものによって、暫く掛けていると鼻先までずり落ちてくるものまであり、目もあてられない(おそらく私は日本人の中でも鼻が高い方ではない)。

そんな私が最近は人目も気にせず胸を張ってサングラスを掛けて歩いていること自体、進歩というべきか、色素の薄い欧米人に感化されているだけだと考えるべきなのか。


f0023268_9292873.jpgひとつ言えることは、サングラス選びは重要ということ。
女性のサングラスでは、やはりシャネルが代名詞になると思う。
私はシャネルの洋服は買わないが(個人的見解だけれど、バッグもあと10歳ぐらい年を取ってからで良いかなと思っている。日本でティーンエイジャーがシャネルを持っているのは論外。)、サングラスは幾つか持っている。
シャネルのサングラスが不動の地位を占めているのには理由があり、私は密かに、「鼻の低い日本人でも似合うし、ずり落ちてこない」のが大きな理由だと思っている。
*ちなみに、奇抜なデザインが気に入り二年ほど前にロンドンのルイ・ヴィトンで購入したサングラスは、「ずり落ち」がネックとなり箪笥の肥やしとなっている。もらって下さる人がいればご連絡下さい(笑)。
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by canary-london | 2008-05-15 09:32 | cravings
前回書いたことにも少々関連するけれど、私の仕事はメール命・スピード命の面が大きい。
先週は、毎年のことながら日本のゴールデン・ウィークに合わせて(今年は暦が悪く日本自体「ゴールデン」でも何でもないが・・・)休暇を頂き、ロンドンでは常に不足する太陽を求めてイタリアのサルディニア島へ出掛けた。

「楽園」という言葉が相応しいサルディニアについては別途書くことにするとして、今回は休暇先で閉口した仕事絡みのちょっとしたハプニングについて。

私が休暇に入る直前に片づける作業の中でかなり重要なものの一つに、「Eメールの’out-of-office   reply’(自動不在返信)を設定する」というものがある。説明は不要かと思うが、要は誰かが自分にメールを送ってきたとき、速攻で「私はオフィスにおりません。代わりに誰それに連絡して下さいね!」という能天気な内容のメールが送信者に自動返信される便利な機能。

私に送られるメールの大半は、ディールに関連したプライシングの依頼や質問であり、私の担当する仕事の性質上、「すぐに返信する」ことが要求される。

Eメールの出し手の心理というのは不思議なものだ。相手が自分のメールを開封したときにそれと確認できる機能を利用しない限りは、相手が自分のメールをいつ読んでいつ返信する気があるのか、そもそもの話として自分の送った内容について問題認識を行いそれへの対処を始めているのかどうかすら分からないのに、メールを送信したことで一種の安堵感が生まれるのだろう。自分が「送信」ボタンを押したときから、これら全てのことへの取り組みが始まり、相手が自分の問いかけた内容に対して何らかの有意義な回答を返してくるものと期待する。
性善説にもとづくオプティミズムとでも呼ぶべきか。

ちなみに私は、前述の「通知機能」を利用している少数派の一人である。
今回は本題ではないので詳細は割愛するが、別に私は性善説に立たないというわけではなく、スピードと効率性が最重要となる仕事をしているからにほかならない。
相手が自分の期待・予想通りに動いてくれないと困ったことになるし、そういった「困った」事態となったとき(例えば相手が数時間にもわたってメールを読まないとか、ひどい場合には読まないまま削除してしまうこともある)には、自分が次の対処策を練るために、どんな「困った」事態となっているかをすぐさま知る必要がある。

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・・・余談になるが、この「通知機能」を利用している人は、ごく個人的なラフな統計ではあるが、全体の5%にも満たないように思う。
上に書いたとおり、仕事の性質が理由となるケースも多いが、ともあれ性善説の人間が多いというのは喜ぶべきことだ。
余談ついでにもうひとつ。
時折どこぞの社長が、雑誌などに「能率的な仕事術」といった胡散臭いタイトルで寄せている文章の中に、「メールチェックは一日一回、朝しかしない。でなければ一日がメール処理で終わってしまう。」
などとわけしり顔で言っているものがあるが、あれは一理ある部分があるとはいえ、あらゆる仕事の人に当てはまる提言では決してない。
私の仕事でいうと、少なくともメールを受け取ったとき、返信しなければならない速度を四つ程度に分ける。①三分以内、②一時間以内、③今日中、④数日中、といったところか。

話を「困ったこと」に戻そう。
前述の「out-of-office」というのは、メールの出し手として遭遇する「困った事態」の代表選手だ。
自分の問題や質問、依頼にもっとも適切に(且つ多くの場合、素早く)対処してくれる相手を選んで折角メールを出したというのに、休暇・出張など様々な理由で相手が「私は対処できないのでほかの人を頼ってね!」と白旗を揚げてしまっているのだ。
この自動不在返信が自分のメールボックスに舞い込んだ瞬間、メールの送り手が束の間楽しんだ「性善説に基づくオプティミズム」は音を立てて崩れ落ちる。
ゲームは振り出し。
メールの出し手はそこから再び自分の問題解決策を考えなければならない。

メールの受け手の立場からすると、この自動返信が送られた瞬間に、メールの出し手の問題は自分の問題ではなくなる。

先週の私の状態はといえば、システムの問題で何故かこの「自動不在返信」がしばらく機能せず、結果的にこれが機能するようになるまでの三日間程度、携帯端末のBlackberryと常ににらめっこというホリデーの過ごし方としては最悪のものとなってしまった。
・・・たかがメール、されどメール。
次回の休暇または出張時はこんなことのないよう、オフィスを空けるうんと前に、自動返信がきちんと機能するかどうか確認しなくては・・・。
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by canary-london | 2008-05-12 00:02 | business
違う仕事をしている人には俄かに想像しにくいことかもしれないけれど、私の仕事は本業の金融もさることながら、平たくいえばコミュニケーション命の仕事である。
大局的には、「お金を必要としている人」(発行体=政府・政府機関・企業・銀行等)と「お金を出したい人」(投資家)を結びつけるのが私の仕事となるわけなのだが、日々のミクロの世界では、これは主として社内の「お金を必要としている人」に直接もしくは社内のDCM(Debt Capital Markets=資本市場部)と呼ばれる人々を通じて話すと同時に、「お金を出したい人」に直接もしくは社内のセールスと呼ばれる人々を通じて話をし、双方のニーズがマッチした際にはめでたくディール成立に至ることになる。
(実際にはこれにデリバティブをくっつけたりもろもろの作業が追加されるが、詳細は割愛。)

いきおい、一日の大半の時間がメールを書くもしくは電話で話すという作業に充てられることになる。

もちろん重要なトピックのときには電話に頼るものの、スピード重視のときにやはり重宝するのはメール。
以前にX1Blackberryといったトピックでも何度も書いているが、メールがなければ一日始まらない。
明けても暮れてもBlackberryで会社のメールをチェックしているのはやや寂しいが、仕事と性分なので仕方がない。

メールを書くという作業においても、日本語と英語という言語の差を日々感じる。
仕事柄大部分のメールは英語なのだが、東京オフィスや日本人の友人とやりとりする際には日本語に切り替え。

そういったときにどうしても感じざるを得ないのは、「日本語でのタイプは時間がかかる」ということ。
思考プロセス自体に要する時間があまり変わらないとすると、26文字のアルファベットに集約される英語で打つ方が何倍も速い。
これは別に自分がバイリンガルであるなどと言おうとしているわけではなく、目上の人への手紙ならともかくとして、要件を伝えることが第一義的な目的である仕事のメールにおいては、丁寧であることはさほど要求されないので思考プロセス自体が短縮される。
これに加え、英語では比較的フォーマルな言い回しとカジュアルな言い回しの差はあれど、日本語のように敬語や謙譲語などの使い分けも要求されないので、気取った文章を書こうとするのでない限り、頭に浮かんだ言葉をそのまま連ねていけば大体においてそれで事足りるのである。

一方の日本語では、相手が自分より目上か同等か目下かによって言葉のニュアンスが変わってくることに加え、何といっても厄介なのは漢字・仮名の変換。
英語では綴りのミスがあったらご愛敬で済むが、漢字だとある程度のものはやはり変換せざるを得ない。
パソコン世代の我々たるもの、頭で考えて漢字を書くことが益々少なくなるなか、
「はて、この漢字ってこれで良いんだっけ?」
と手が止まることもしばしば。
もうひとつの問題としては、パソコンで提示される変換候補自体かなり大きくズレていることもある。先日など、「以心伝心」と書こうとして変換したところ、「ISIN電信」が第一候補として出てきてびっくりした。外資系企業の持っている日本語変換ソフトの限界なのかもしれないが・・・。

・・・というとまたぞろ今度は日本の言語批判のようにとられるかもしれないが、むしろ逆。膨大な量の漢字と仮名を組み合わせて成り立つ日本語という言語は、その組み合わせが織りなす独自の繊細さがある。
ひとつの言葉を幾ら長くしたところで、所詮26文字に集約されるアルファベットで成立している大概の欧米言語は、使い勝手という意味では日本語を遙かに超越する一方で、言語の深さという意味では日本語に遠く及ばないと思う。
今年は千年記念で話題を集める「源氏物語」を初めて通して読もうと思い立ち、最近鞄に持ち歩いて亀ペースで読み進んでいるのだが(当然ながら私が読んでいるのは瀬戸内寂聴さんによる現代語訳。高校時代を日本で過ごしていない私には古文の能力は皆無に等しい。)、随所に登場する和歌を眺めるにつけても日本語の美しさに改めて感動する。

・・・といっても、仕事はやはりスピード命。
日本人の同僚のメールに対しても8-9割方英語で返信しているので、客観的にみるとおそらく相当イヤなヤツなのだろうが、そんな背景があることをご理解頂ければ・・・と思う。
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by canary-london | 2008-05-03 11:44 | culture