ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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Hello, gorgeous!

日本と比べて、欧米では対人表現の仕方が仕草も言葉もとにかくダイレクトであるのは言わずと知れたこと。このブログでも、以前挨拶代わりのキスやハグというトピックを取り上げたことがあったように思う。

ちなみに、挨拶として交わすキスのプロトコルにも国・文化によって様々あり、英国では左右/右左の頬に一度ずつで済むが、同じヨーロッパでもオランダなど多くの国では左右左(または右左右。英国でもそうだが人によって始めるサイドが違い、これにはルールがないので何ともややこしい。)の計三回が当たり前。
業に入れば・・・で、キスひとつ取っても自然とその地のルールどおり出来るようになるにはそれなりの意識と訓練が必要。

そんな仕草に関する日本との違いに加え、最近言葉による表現の仕方の差というものを改めて感じることが増えた。
英語では、身内や親しい友人に対して、親しみや愛情を込めて’Sweetheart’, ‘Honey’, ‘Darling’などを連発する。対異性の場合は、夫婦間、親子間、彼氏彼女間などごく親しい場合に限定されることが多い一方で、女性同士の場合は(さすがに男性同士は言わない。ゲイ同士は言うのかもしれないが。)、ちょっと親しい相手だと、すぐに’Hello darling, how are you?’といった具合になる。

「夫婦間」という例に注目すると、例えば奥方から旦那に職場に電話が掛かってきたとする。
蛇足ながら、こちらの夫婦は本当に良く職場に電話を掛け合うと感心する。
日本の奥様は、昔ながらの発想で「神聖なる職場に電話を掛けて仕事の邪魔をするなんてとんでもない」というメンタリティーが支配的であるように思うが、こちらではそんな妙な遠慮は皆無。仕事が家族に優先されることはほぼないといって間違いない。

奥様からの電話に話を戻そう。
電話を受ける側にある男性が、奥様からの電話だといわれて通話口に出るなり、
‘Hi, sweetheart’なんて甘い言葉を掛けるのはごくごく当たり前の世界である。
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先日こんな一幕があった。
我がデスクの若手ホープで先日結婚したばかりのDの直通が鳴り、私の同僚の女性・Jが電話を取った。
Jは、別部署の秘書の女性からのDへの電話をDの奥様からと勘違いし、「奥様よ」といってDを促したところ、Dはといえばごくごく普通に’Hello, gorgeous ’と電話口へ。
お互い相手が誰か分かった途端に、電話を掛けてきた秘書とDの二人ともがえらく気まずい思いをしたという、コメディ映画にでも使えそうなワンシーンだったのである。

こんなちょっとした事故もあるものの、個人的には、このように相手を讃える一言をさりげなく言えるのは素晴らしいことだと思う。
特に、男性が女性に言う場合。
何だかんだいって、女性は’Hello, gorgeous ’なんて言われて悪い気はしない。
それが、四六時中顔を合わせる旦那の台詞であったにせよ、ほぼ社交辞令であまり意味のある二言ではないと分かっていても、言われた側としては自然と気持ちにハリが加わるものだと思う。
日本の男性諸君も、女性の喜ぶ一言をさりげなく言えるよう、是非とも研鑽を積んでほしい。

とはいったものの、実のところこの問題は、最近再三書いている英語という言語の特質に直結するのだろうと思う。
’Hello, gorgeous ’を日本語に直訳した場合、ニュアンスの差はあれど「よお、べっぴんさん」てなとこだろうか。
旦那が電話口に出ていきなりこれでは、気持ちにハリが加わるどころか百年の恋も冷めるかも・・・。
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by canary-london | 2008-04-18 09:10 | culture
数回前のエントリで書いた「シンジケート・クイズ」の例を持ち出すまでもなく、私が日々一緒に仕事をしているデット・シンジケートの面々がいかにバイタリティーやユーモアそしてウィットに溢れる魅力的な人達かというのは本ブログにも再三書いているとおり。

彼らときたら、本当に「restless」(=活動的で休むところを知らない)という言葉が似合う。
元来車が大好きでオフィスにも大体自慢の単車で通ってくるAは、趣味のカートレースへ一緒に行けばプロ級の腕前。
一方のNは週末になるとボクシングのトレーニングに勤しんでおり、5月には我々デスクのメンバーもNの公式試合に招かれている。

「restless」の意味合いは、実のところ働きバチの日本人とは少し違う。
以前にも何度か別項でも書いているとおり、欧米の人は国民性などによる違いはあるにせよ、大体において、いかにして最低限の仕事量をこなしながらうまく立ち回っていくかということを常に考えている。私を除いてイギリス人とアメリカ人しかいない弊デスクでは、この傾向は顕著。仕事に最大限のエネルギーを振り向けないからこそ、カートやボクシングを楽しむ余裕も出てくるのだろうが。
・・・というとやけに聞こえが悪いが、良く言えば業務範囲が明確に規定されており、自分の仕事ではないことは、頑としてやらない。
日本人の場合は、責任の所在のはっきりしない玉虫色エリアに区分される仕事をついつい「しょうがないから(自分が)やってやるか」が積もり積もってくる。
であるがゆえに、いきおい労働時間が長くなる。
経済として見た場合の効率性が悪い。
こんな至れり尽くせりのサービスを受ける側である消費者にとっては天国、サービスを提供する側の人間にとっては地獄である。

いつものことながら冒頭から脱線したが、私が一緒に働くシンジケートのチームの話に戻ろう。
サブプライムに端を発した不況はとどまることを知らず、金融業界全般にわたって明るい話題は相変わらず少ない。
特に我々の部署は、主として新たな資金調達を必要としている「発行体」と呼ばれる先(国・政府機関・金融機関・事業会社など全て包含する)が多数あり、また引き受けた債券が売れる状況にないと、商売あがったりとなる。
どの数字を取るかにもよるけれど、大不況を受けて債券新規発行のビジネスは概ね低迷しており、昨年同時期に比べて市場全体における公募債の発行量は4割から5割程度落ち込んでいる。ちなみにこれは、私が一緒に働く面々の担当するセクターで取り扱う一部のdebtに限定した話であり、サブプライムの影響をもろに受けている資産担保証券に至っては、この数字が8割から9割減とおぞましい数字となる。

そんな状況下、公募債シンジケートの面々、年明けからの4カ月というもの、例年忙しいこの時期に比べて時間の余裕がありありと感じられる。(ちなみに私は私募債担当なので、やはり新規ビジネスは落ち込んではいるものの、彼らのように仕事量が著しく減るわけではない・・・残念ながら。)

そんなとき、俄かに注目を浴びるのが「フィットネス」である。
つまり彼らは値付けしなければならないトレードが減っているがために、日中時間の余裕が出来る。
そうなると、昼時ともなると「一時間走ってくる」といってオフィスの一階にあるジムへと消えてしまうのである。大手投資銀行では、世界の拠点を問わずビル内にジムを有するところが大多数のように思うが(もちろんメンバーシップは有料)、まったくもって良く出来たものだと感心する。要は、仕事がスローで脳がフル回転する必要のないときには、せいぜい身体を使えってわけ。

f0023268_2012018.jpgスローダウンがより顕著となった一月以降、折に触れ皆で「おそらく債券新規発行量とシンジケート・デスクのフィットネス・レベルは逆比例の関係にあるだろう。統計を取ってみたいものだ。」なんて冗談まじりで話している。
そのうちの一人なんて、ジム通いと食事制限の組み合わせで、年明けからの数週間で7.5kgほど絞り込んだらしい。とはいえ、スタート時点での体重が112.5kgなので誤差の範囲内かもしれないが(笑)。

余談ながら、公募債のデット・シンジケートは全員男性。
女性は、私募債担当の私ともう一人だけ(秘書を除く)だけである。
私も最近では、デスクのフィットネス・レベルに負けまいと、何とか時間を作ってジムに通う時間を増やすよう心がけているのだが、髪を乾かす必要もなくシャワーから飛び出してデスクに戻ってくる男性陣と、気持ちだけでも化粧してからデスクに戻ろうかという心理の働く女性陣とでは、ジムに行くというミッションに要する時間が異なってくる。
それってフェアじゃないよな、と思っているうち、最近では「気持ちだけ」の化粧すら覚束ないまま髪を振り乱してデスクに戻ってくるようになってしまった。
・・・ビジネスの低迷とは別に、憂うべき事態である。
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by canary-london | 2008-04-13 20:13 | diary

O2とコンサート

週末のロンドンは季節外れの雪に見舞われるなど空模様は大荒れだったが、そんな中で土曜日の夜はロンドン南東部・Greenwichに程近いO2 Arenaへ。
近年は専らコンサートといえばクラシックにしか足を運ばなくなってしまったが、たまたまご招待にあずかりEaglesのコンサートを覗きに行った。

O2 Arenaへ足を運ぶのは一月のスパイス・ガールズ(!)のコンサートに続いて二度目。
さらに言えば、同じO2の中に位置し、二万人を収容するArenaに比べてより小規模な2,350人収容の小ホール・Indigo2へは、毎年クリスマス恒例の行事である会社のチャリティー・イベントで昨年末に初めて行く機会があったので、実はこの会場自体に行くのは三度目ということにはなる。

話は本題から脱線するが、当地に在住し当地の会社(英国企業ではないが・・・)に勤めていると、何かにつけチャリティーというものに触れる機会が多い。
会社として、毎年従業員の選挙に基づき特定のチャリティー事業を推進する団体を一つ選び出し、多大なるサポートを与える一環として、実に様々なイベントが開催される。
O2の小ホールで行われた件のイベントといえば、何のことはない、会社をあげての大カラオケ大会であった。
合計人数一万人を超すロンドンオフィスの人員の中から十数組しかエントリするツワモノがいない中で、弊グループの二人のマネージング・ディレクターは両者ともそれぞれにチームを組んで参加しているのだから、チームとしてバイタリティーがあるといえば聞こえはいいが、アイツらは本業に真面目に取り組んでいないのでは・・・なんて批判の槍玉にも上がるのが弊グループの面々であったりもする。

ともあれ、このO2 Arena。
ハリネズミのような外観が印象的なこのドームは21世紀を目前にした2000年1月から12月までの一年間、’Millennium Dome’と名付けられ21世紀記念万博の主会場に。
しかしながらこのプロジェクトは財政的にほぼ破綻状態。
2000年末に終了すると同時に、ハリネズミ・ドームはお払い箱となり、2005年5月末にO2(現在はスペイン・Telefonicaの傘下にある通信会社・O2)が買収すると同時に、Millennium Domeから改名。
約二年掛けて改修が進められ、2007年6月にBon Joviのコンサートで再び幕を開け、その後はコンサートや各種スポーツ・イベントだけでなく、広大なシネマ・コンプレックスやレストラン・スペースも擁する一大エンターテインメント施設として発展をみている。

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ロンドンはそれまでというもの、この手のコンサートといえば会場は大体において北西部の          Wembley Arenaと相場は決まっていたのだが、O2は私の勤務先から近いというだけでなく、アクセスは格段に良くなったことと思う。
前回は同僚の車に便乗させてもらったところ、帰り際には混沌状態の駐車場から抜け出すのに一苦労して「さすがイギリス」の感を強めたものの、公共交通機関を使う限りにおいてはさしたる不便もなく、設備・セキュリティ・施設内のレストランの充実ぶりなども申し分ない。ここの再開発が2012年のロンドン・オリンピックにどこまで触発されたものであったかは知る由もないが、わずか四年後に迫ったオリンピックに向けて気を吐くロンドンの象徴ともいえる場所になったといえる。

ところで、Eagles。
黒のスーツの上下にダークなネクタイという出立ちでメンバーが登場し、面食らった。
グレン・フライはオジサンになっても格好いいが、ドン・ヘンリーは数サイズ大きくなった印象。でも相変わらず歌は聴かせる。
私はさすがにEaglesをリアルタイムでがんがん聴いている世代ではないけれど(そんな年齢ではない。念のため。)、定番のナンバーが流れると「おお、これこれ」と聴取が思えるバンドというのはやはりスゴイ。
2007年に発表された’Long Road Out of Eden’の曲はあまり分からなかったが、           Hotel California、そしてアンコールで歌った DesperadoやTake It Easyなどは、何とはなしにメロディが口をついて出てくる。
翻って現在のロック・ポップのミュージック・シーンを見ると、遡ればビートルズやストーンズに代表された「皆が知ってる」普遍的なメロディというものにはなかなか出合えなくなったと感じざるをえない。
時代の変化といえばそれまでなのだけれど。
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by canary-london | 2008-04-08 07:49 | music
数回前のエントリで言語のトピックに絡めてBloombergの「一日一言」について書いたけれど、この手のものは実に便利だと思う。
つまり、「一日一言」といった類のもの。

私は何しろものぐさな性質なので、読み物にせよ長時間の集中力を強いられるものはついつい後回しになってしまう「積ん読」派である。
一方、先日触れたBloombergのような短い一言であれば、日々フォローすることがさほど苦にならない。
美術品にも似た部分があり、美術鑑賞は非常に好きではあるが、美術館に行くとついあれもこれもと欲張ってしまい割合疲れる一日となって終わることが多いため、実は私はロンドンではあまり頻繁に美術館に足を運ぶ方ではない。(その一方コンサートやオペラには比較的良く行くのは、演奏の場合は「その時しかない」という心理が働く一方で、美術館は「いつでも行ける」と心のどこかで思うのだろう。人間の心理とは微妙なものだ。)

私が秘かに大切にしている「一日一言」は、'A Year in Art'という画集。
もとはといえば、昨年1月にNational Galleryで開催していたベラスケス展を観たいと思って同美術館へ赴いた際、偶然購入したもの。
「偶然」というのは、あろうことか最終日ギリギリになってやっと雨の中をトラファルガー広場の
National Galleryへ足を運んだはいいが、高い人気を集めたこのシリーズは前売りの段階で既に完売。噂には聞いていたものの、最終日の午後になってのこのこ出向いた私にチケットが残っている筈もなかった。因みにベラスケスは、2006年にマドリッドのプラド美術館で観て非常に感銘を受け、コレクションとしてロンドンに来るなら是非観たいと思ったもの(なら最終日になる前に行けよって感じではあるが・笑)。

仕方なくーというかミュージュアム・ショップは非常に好きな方なのでどちらにせよ覗くのだがーショップに入ったところ、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の表紙が印象的なハードカバーの重厚な本に惹かれた。
手に取ると、ずっしりと重い。
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‘A Year in Art – A Painting a Day’という題名が示す通り、この本は、要は一日に一枚ずつ絵画をあてがった日記形式の画集。
中世から近現代までバラエティに富んだ名画に彩りを添えるのは、絵の反対側のページに書かれたその日の「一言」。

この「一言」は、作者である画家のものであったり、直接関係の少ない文筆家のものであったり、Bloombergではないが政治家のものであったりと様々なのだが、毎朝出勤前の短い時間にこれをめくって出会う新たな発見が楽しい。
曜日の記載がないため特定の年にしか使えないということがなく、いってみれば永久保存版。
National Galleryから重いハードカバーを家まで担いで帰った甲斐がある、とこんな素敵な買い物をしたときには思わずにんまりしてしまう。

今回これを書くにあたってGoogleでこの本を検索したところ、姉妹作の‘A Year in Art –
A Treasure a Day
’なんてものも発見した。こちらはおそらく絵画に限定せず、美術品全般を同じ日記形式にしているのだと思われる。

こんな小さなことの一つ一つが、日々の生活を豊かにするのだから不思議。
今日も玄関のテーブルに置かれた画集を一枚めくって、早朝の出勤に備えよう。
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by canary-london | 2008-04-02 08:55 | cravings