ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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最近日本語と英語という言語の特徴に関連するトピックを幾つか書いてきたが、それに伴って俄かに注目している題材がある。
それは、言葉遊び。
具体的にいえば、アナグラム、回文、パングラムなど。
発見というほどのものではないのだけれど、実はそれぞれの言葉遊びにも言語による特徴が現れるので何とも不思議。

アナグラムというのは、ある言葉やフレーズの文字を並び替え、全く異なる意味の言葉やフレーズにしてしまう言葉遊び。
ダ・ヴィンチ・コードの著者・Dan Brownが同小説でも好んで使用したため、若い世代における認知度も結構高まったのでは。

回文は、説明の必要もないけれど「上から読んでも下から読んでも同じ」の言葉や文章のこと。
「越智通雄」のポスターが昔私の選挙区にたくさん貼ってあった頃、子供ながらに「上から読んでもおちみちお、下から読んでもおちみちおなんてスゴイ名前をご両親も考えたものだ」と感動した。

パングラムは、実は英語と日本語で若干ながら定義すら異なるらしい。
共通するのは、「全ての文字を最低一度ずつ使用する文章」(英語の場合はアルファベット、日本語の場合はもちろん仮名)という点。
だが、英語の場合は文字を最低一度使用してさえいれば重複は許される一方、日本語では「いろはにほへと・・・」に代表される文章にみられるとおり、原則として重複は許されない。

日本語と英語の決定的な違いは、文法は無視して文字だけを考えた場合、英語における母音(vowel)が基本的にはa/e/i/o/u(時にyも加えられる)の5音しかない一方、日本語においては「か行」以下すべての文字が「あ行」の5文字のいわゆる母音(日本語で母音といっているのは、英語における母音の概念を無理やり持ち込んだだけなのだろう)と組み合わせたものとなっているため、自然と日本語においては「あ行」の5文字の登場頻度がそんなに多くならないことなのだろうと思う。
一方で英語においては、子音は子音だけでの発音が困難になるため、どうしてもa/e/i/o/uの登場回数が多くなってくる。

アナグラムと回文とパングラムを比べると、日本語と英語の特徴が垣間見えてきて面白い。

結論からいうと、こういうことになる。
アナグラムは英語向きだが日本語には不向き、回文は日本語向きだが英語には不向き、そしてパングラムは上記定義にあるとおり、両方の言語で可能ではあるものの、母音と子音の割合のためにそれぞれの言語で若干違うものとなってくる。

アナグラムから見てみよう。
英語世界においては、「ダ・ヴィンチ・コード」の例を出すまでもなく(ちなみに今回少し調べるまで知らなかったことだが、Da Vinci Codeは‘Candid Voice’のアナグラムとなっている)、日常世界で気の利いたアナグラムに多数出会う。
‘George Bush’が‘He bugs Gore’になってみたり、時事ネタにも絡めて実に面白い。
紙と鉛筆を持ってちょっと頭を捻るとあるフレーズが別のフレーズとなるのでアナグラムは割合身近な遊びであり、私の所属する部署で年に一度クリスマスの恒例行事として会社の他部署に「シンジケート・クリスマス・クイズ」として出す20問ほどの質問の中でもアナグラムはレギュラー選手。

余談になるが、昨年のシンジケート・クイズの中で思わず笑い転げてしまったのは以下だろうか。英語では固有名詞も言葉遊びとしてしまうことが多い。
個人に対する中傷のつもりは毛頭ないが、弊社にフランス人のセールスでOlivier Degaという男性がいる。
彼はいたって真面目で一生懸命なセールスマンなのだが、その真面目さゆえ時折我々シンジケートが手を焼くことも。
そんな彼の名前の文字を並べ替えると、‘I give ordeal’(私は(人に)試練を与える)となる。
もうひとつ、固有名詞で秀逸と思ったのは、我々の競合他社であるMorgan Stanleyの名称の並べ替え、‘Monetary Slang’(金融の俗語)だろうか。

次に、回文。
回文(英語ではPalindrome)というのは英語ではあまり名文がないのが現実。
一方で、日本語だと回文というのは作りやすいらしく、回文に特化したウェブサイトも多数ある。
因みにかなり充実している↓のサイトの中で、私が最も感心してしまったのは、
「うかつにダムをひく、国費を無駄に使う」であった。
回文

今回のトピックを書くきっかけとなったのは、英語の有名なパングラムである
‘The quick brown fox jumps over the brown dog’。
英語圏で教育を受けたにも拘らず恥ずかしながら私は知らなかったのだが、こちらではコンピューター上のフォントの正確性などを試すにあたり、この文章を使うことが多い。

英語では上述の母音・子音の制約から重複が許されるが、日本語のパングラムは「一文字は一度しか使用しない」というルールをストイックに守っている。
現代語も含め、日本語のパングラムというのは「いろはにほへと・・・」に加えてこんなにあったのだと感心したのが↓のサイト。
パングラム


言葉とは、難しくまた楽しいものだなと思う週末の昼下がりの一幕。
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by canary-london | 2008-03-30 02:59 | culture
通勤途中に読むFT(Financial Times)の中で、経済・市場欄は勿論のことだが実は毎朝チェックするのは世界各地の天気である。

ロンドンの天候をみて「あー、やっぱり今降ってなくてもこれから雨なわけね」と溜息をついた後、東京に目を移し、それからニューヨークを眺める。暇だとさらにリオデジャネイロやドバイを見て最高気温30度以上の表記にひとしきり驚き、気持ちだけリゾート地に瞬間移動したりもするのだが。
ロンドンの冬というのは、一般に日本人が想像するのと違ってそんなに厳しいものではない。平地ゆえ雪も降らないし、気温だって氷点下になることはさほど多くない。
ロンドンは北緯51度と樺太とほぼ同位置にあるものの、北大西洋海流という暖流のおかげで、緯度からは想像できない温暖な気候に恵まれるのだ。
最高気温は一つの尺度かと思うが、1月と2月を通じて大半の日はニューヨークの方がロンドンより寒く、ときには東京の方が寒い日もあるぐらい。この時期のロンドンの最高気温は摂氏7度から10度程度の日が多く、5度を下回る日は今年は多くなかった(今年は比較的暖かい冬である)。

話は本題からそれるけれど、ニューヨークというのはあれほどの繁栄をみている大都市としては考え難いぐらい気候の厳しい街だと思う。今は地球温暖化で少し変化しているのかもしれないが、私が暮らした80年代前半など、腰の高さ以上の積雪の中をスキーウェアとスノーブーツに身を包んで小学校まで通ったりしたものだ。

3月後半というのは、少し微妙な時期。以前にも書いたとおり、4月から7月末ないし8月上旬ぐらいまでのロンドンの気候というのは、冬の暗澹とした天候を全て許せてしまうほど美しい4ヶ月間なのだが、この時期も気温はあまり上がらない。
要は、真夏は夏らしい暑さに見舞われるニューヨークや東京に比べて四季に応じた気候の変化が緩やかで、過渡期にあたる3月下旬はまだ十分「冬」と呼ぶにふさわしいコンディションなのだ。

前置きがすっかり長くなってしまったが、実は今日ふと書こうと思ったのは「ニットの帽子」について。
この時期のロンドン、街中で少し注意を傾けると、男性でニット帽を被っている人がやけに多いことに気付く。ゆったりしたジーンズなど全身カジュアルな格好をしている人なら何となく分かるけれど、スーツにかっちりとしたウールのコートを着てブリーフケースを小脇に抱えた人でも、結構な数の人がぴったりしたニット帽に包まれている。

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・・・うーん、何でだろうか?
と考え始めたところで、まずは「寒いからだろうか?」と思ったのだが、上記の通り客観的にみてロンドンは他の大都市に比べてそんなに寒いわけではない。
また、スキンヘッドにするとはじめは慣れずに頭から風邪を引くものだといった話は良く耳にするが、別段ロンドンには格別頭を剃っている男性が多いとも思えない。

というわけでニット帽の氾濫について本当のところの理由は実は良く分からないのだが、確実に一つ言えることがある。
それは、皆体に対する頭の比率が小さいので、5頭身のアジア人が被ると何とはなしにコミカルな感のあるニット帽でも、おしなべて皆サマになるのだ。

もちろんNew Yorkerの体型だってLondonerと似たり寄ったりだろうが、ロンドンはこれに加えて、身長2メートル級(且つ頭のサイズはあまり比例的に大きくなっていないような気がする。これは決して脳味噌が小さいとか言おうとしているわけではない。)のオランダ人や北欧人が大量に流入してきていることもあり、10頭身の体型の人が更に多いように思う。普段オフィスにいても、「いやー、アンタの体系ちょっとフェアじゃないよね」と感じることが多い。
もしかしたらニューヨークでもニット帽姿の人は意外に多いのかもしれないけれど。

となると、やはりニット帽はアジア人には無理だけれど、8-10頭身の人が多いアングロ・サクソンやゲルマンは抵抗なく被れてしまうのではないだろうか、というのが唯一の結論。
最近ファッションについての記述が滞っていると思ったら、久々の話題はこんなくだらない記事になってしまった(笑)。
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by canary-london | 2008-03-21 22:50 | diary
金融機関に勤める人には紹介の必要もないが、Bloombergという金融機関専用の端末がある。といっても、ハードウェアが独立していた昔と違って今ではオフィスのPCにインストールしデスクトップから自在にアクセスできるので、「端末」という呼び方は既に適切ではないのかもしれない。
Bloomberg社は、言わずと知れた現NY市長のMichael Bloomberg氏が1981年に創立。
19世紀半ば創業のロイター社などより余程歴史が浅いにも拘らず、弱者の淘汰により会社数の減少傾向が著しい昨今、一人勝ちの様相が強い。

私と同業界の人は、部署にもよるもののそんな人が多いのではないかと思うけれど、私ははっきりいってBloombergなしでは一日たりとも仕事が出来ない。
一連の金融情報や分析機能・計算機能もさることながら、非情に重宝するものの一つがメッセージ機能、つまりメール機能である。
Bloombergのユーザー同士の場合、通常のメールと違って、相手がその日に出社しているかどうか(もしくは自宅や外出先からログオンしているかどうか)メールを送る前に把握でき、メールを送った後も相手が開封したかしていないかが一目瞭然というスグレモノである。最近ではこの「ログオン状態」を示す機能が進化し、今この瞬間デスクについているかどうかさえも分かるようになっている(自分の状態を細かく把握されたくない人には、「ログオン状態を隠す」という選択肢もある)。

まっとうな使い方をしてもこの上なく便利なBloombergなのだが、本来の機能とはあまり関係のないところで、私の小さな楽しみがある。
それは、ログオン時の初期画面に載っている毎日違った一言(ことわざ、世界各地の言い伝え、格言、偉人の名言など内容は幅広い)。
毎朝これをチェックするのが楽しく、中には誰でも知っているような有名なものもあるが、「ふーむなるほど」と思うものも数多い。
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2007年に私が思わず書き留めてしまった「ヒット作」の厳選版は、以下の二つだろうか。
一つ目は、リンカーン元米大統領による名言。
‘It’s not the years in your life that count. It’s the life in your years.’
日本語訳するのが難しいが、いつもどおり超意訳すればこんなところだろうか:
「人生で重要なのは生きた年数ではなく、その中で何を成し遂げたかだ。」

そして二つ目は、チャーチル元英首相の言葉。
‘We make a living by what we get, but we make a life by what we give.’
同様に超意訳:
「我々の生活の糧となるのは何を稼いだかだが、人生の糧となるのは人に何を与えたかである。」

いずれも各人の徳を感じさせる素晴らしい言葉だと思うが、ここまで書いたところで、やはり思考は再び英語と日本語の性質の違いに向いてしまう。
先月のエントリとなる「・・・で、今のマーケットを一言で言うと?」でも書いたことだが、英語は似た言葉を使った言葉遊びや韻を踏む(rhyme)ことが格段にやりやすいため、フレーズとしてすっと流れ、聞くにも心地良い。
一方の日本語は、もちろん自分の翻訳能力が足りないことが原因とはいえ、どうも流れない。何かまどろっこしい。硬い。

やはりこのような使い勝手の良さが、英語という言語の持つ強みなのだろうと改めて感じる。

蛇足になるが、もう少し最近の「今日の一言」にはこんなものがあった。
中世のユダヤ人の道徳を初めて系統立てて研究した学者・Israel Salanterによる一言。
"Writing is one of the easiest things; erasing is one of the hardest."
「文章を書くのは最も易しいことの一つだ。一方、一度書いたことを取り消すのは最も難しいことの一つだろう。」
Salanter自身は19世紀に活躍した人だが、現代への関連性は高い。
ブログという媒体を通じて、我々シロウトの物書きにも自由に物が書ける時代だけに、思わず背筋が伸びた一言だった。
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by canary-london | 2008-03-16 11:32 | culture
日本語と英語に関する考察はこのブログでも良く取り上げるトピックのひとつだけれど、最近気になる英語のフレーズが幾つかある。
そのうちの一つは、
‘Do you know what I mean?’

このフレーズ、使う人はかなり高い頻度で使う。
初めは米国人特有の性質かと思ったが、少し注意して耳を傾け始めると、そうではないことに気づく。
イギリス人でも、多用する人は実に良くこの言葉を発する。
当然といえば当然なのかもしれないが、英語を母国語としない人になると使用頻度が大きく下がる。
また、これは偏見か或いはたまたまサンプルが偏っているのかもしれないが、男性よりも女性の方に良く使われるように思う。

‘Do you know what I mean?’
・・・直訳すれば、
「・・・(私の言っていることの)意味、分かる?」ということになるが、典型的なRhetorical Question(修辞疑問)であり、別に相手にYES/NOの回答が期待されているわけではない。
むしろ、何か自分が強く思うことについてひとしきり意見を述べた後にそれを強調する象徴的な意味合いで使うことが多い。
(その観点からは、仮に訳も分からず「NO」とでも答えようものなら、興奮している相手を余計に刺激し非常に寒い会話となることは間違いない。)

あくまで個人的な感想だが、私はこのフレーズはあまり好きではない。
正直品がないと思うし、あまり教養を感じさせないし、文字通りの意味は少ないとはいえ、会話をしている相手に対する思いやりや気遣いも欠けるような印象を与えがちだ。

自分への運用は、英語と日本語の両方ある。
英語に関しては、当たり前ながら「自分では使わない」ようにすること。
実はこれ、英語でこのフレーズを口癖としている人が周囲に大勢いる場合、意外に強靭な意志が必要。
良く会話をする相手の口癖というのは伝染るものであり、概ね迎合的で周囲の影響を受けやすい私は、特に他人の口癖が自分でもクセになってしまう傾向が強い。
勿論、良いものや新しいものはどんどん受け入れたいと思うが、合わないと思うものはきっぱりと否定しなければ。
他人様の、それも良い大人の口癖に難癖を付けるつもりも筋合いも毛頭ないけれど、少なくとも自分では使わないこと。
どうしても使いたい局面では、Rhetorical Question形式ではなく、コメントの後に”…if you know what I mean”と付けた方が印象が大幅に和らぐため、自分で稀に使うケースでは、このように文章の末尾に持ってくるようにしている(といっても、ニュアンス自体は同じではなくなる)。

一方で、実は日本語にも影響があったりする。
海外に長く暮らす日本人なら誰しも経験することだと思うけれど、英語のフレーズをそのまま日本語に直訳して話している自分に気づくことが時折ある。

「・・・(私の言っていることの)意味、分かる?」
日本語で言うと、英語よりもさらに強い言い回しとなってしまう。
先日一度つい自分で使ってしまい、幾ら相手が親しい友人だったとはいえ、言った瞬間に自分の方が驚いてしまった。以後自分では絶対に使わないよう心がけている。

言語とは不思議なもので、あることを言うのに適した言語とそうでない言語があるように思える。
厳密に言うと、「あることを言うのに適した言語と更に適した言語」ということだろうか。
私がロンドンで過ごした高校時代のクラスメートにブラジルで育ったイタリア人の女性がいたが、環境が環境だけに、彼女および彼女のお姉さんは、ブラジルの公用語であるポルトガル語・イタリア語・英語のトライリンガル。クラスメートとは普通に英語で会話をし、姉妹で話すときにはポルトガル語、しかし喧嘩となるとイタリア語が飛び交う不思議な二人であった。それを見るたび、やはりイタリア語は言語として勢いがあり、言ってみれば「ケンカ向き」なのだろうな、と感じたことを思い出す。

各言語の特徴を掴み生かしつつ、常に印象の良い話し方をするというのは永遠のテーマになるのだろうと思う。
自分は二つの言語しか出来ないが、世の中のトライリンガルやそれ以上の言語を操る人々の頭の中は一体どうなっているのだろうか?一度覗いてみたいと本気で思う。
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by canary-london | 2008-03-08 03:19 | culture