ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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ネトレプコ!

今日は、Royal Opera HouseでVerdiの「La Traviata(椿姫)」を観てきました。
ネトレプコは、今回初日の1月14日に出演して各方面で大絶賛を浴びた後、二回目にあたる17日からは気管支炎の悪化でキャンセル。
結局続く20日と23日も休んでしまったものの、26日の土曜日には復活し、元々彼女の出演する予定日の最終日であった今日・29日は・・・
出てくれました!

最近は音楽やオペラの批評はどうも自分向きではないことに気付いてすっかり書くことを諦めており、今日も詳細は省略しますが、とにかくひたすらネトレプコの存在感・歌唱力・演技力・魅力を満喫した公演でした。
終演から3時間以上も経った今こうして文章を書きながらも、やや放心気味です。

より専門的なレビューは、1月14日の初日にいらっしゃっているdognorahさん・bibingaさん(記事新聞レビュー)のページをご参照下さい(写真もあるし)。
Bibingaさんの引用されている新聞各紙レビューの中で、FTとGuardianの記者の二人ともが「Once in a generation」という表現をするのも納得です。
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先週土曜日は、Barbicanでナタリー・デッセイの素晴らしい美声を聴く機会に恵まれ、続いて今日のネトレプコ。
デッセイとネトレプコでは、年齢もタイプも違えば「格」も異なるのかもしれませんが、期せずして近いタイミングで、美貌と美声と強さを全て兼ね備える二人の女神にパワーをもらいました。

今週も残り三日間、頑張らなければ。
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by canary-london | 2008-01-30 10:52 | music

かけがえのない友人達へ

本当ならあまりブログに書くような内容ではないが、今日はどうも普段のおちゃらけモードで文章を書く気分にはなれないことと、自分の気持ちの整理のためにやっぱり少しだけ書いておこうと思う。

今週のある日、会社で多数の人員整理が行われた。
平たく言えば、大量の解雇である。
私の働く投資銀行という業界ではこれは残念ながら珍しいことではなく、特に現在のような景気悪化一直線のご時世においては、特に米系の金融機関は大幅な人員削減を行っている模様。

このことについて書いているということは、私は幸いにしてその対象とはされなかったわけなのであるが、自分の感情をコントロールするのが難しい時期だ。
長らく一緒に仕事をし、信頼していた同僚が去っていく。

「整理」が行われた当日は、部署にもよるが、私の所属する部署では朝一番で、一人一人呼び出されていく。中には夕方まで引っ張っていたマネジメントもいたので、そこは私の上司について素晴らしいと思う部分。
この日が「X-DAY」であることは全員事前に知らされていたので、チーム全員を一日不安な気持ちで過ごさせる一部のマネジメントには賛同できない。

当然といえば当然ながら、その日はあまり仕事らしい仕事にならない。
私が現在就いている仕事の時流として、午前中アジアとの取引で忙殺される日々が続くのだが、この日は午前中に最低限の仕事を終え、同僚と共に昼食を取りに近くに出る。
日中はたまに入れられる客とのミーティングを除いてほぼデスクにべったりの仕事なので、お昼時に外出すること自体が珍しいのだが、この時ばかりはPinot Grigioのボトルに手が伸びてしまう(普段は勿論ランチに合わせて飲むことはない)。

そろそろ支払を済ませてオフィスに戻ろうかという頃、手元の携帯が鳴る。
電話に出ると、聞き慣れた声。
私がロンドンに来てからというもの、幾度となく一緒に仕事をしたMだった。
彼とは、トラブルで金曜日の夜11時頃になってやっと二人で火消しを終え、隣のパブで一杯飲んだこともあったっけ。
昨年、Managing Directorという最も上の階級に昇格した彼は、仕事の能力のみならず実に人格者で皆に一目置かれる存在だったが、収益機会を見出すのが難しい現状では、会社にとってはコストの高い労働力と映った。

「まだ飲んでいるなら、少し寄ってもいい?」
結局もう一人同じチームの同僚もjoinし、日も高いのに四人でワイングラスを傾けつつ取りとめのない話をした。

Mはニュージーランド出身で、長年のパートナーである同じくニュージーランド人の女性と共に、いずれにせよ向こう数年内にロンドンを脱出して、気候が良くのんびりした祖国に帰ろうと考えていたのではないか、と思う。
もちろん突然のことに本人も幾分動揺してはいたものの、悲愴感はかけらもない。
「おそらく自分がマネジメントだったら、同じことをするからね」
と落ち着き払って言う様も、彼の人柄を象徴している。

残される我々三人は、それぞれ様々な思いを抱きながら、彼に言う。
「投資銀行みたいな因果な商売から足を洗えるなんて、羨ましい。
’ライフスタイル・チェンジ’だよね。」

断っておくが、もちろんこういう状況で会社都合により解雇された人でも、同じ会社内で別の仕事を見つける人もいれば、同じ業界で他社に転職し大成功している人もいるので、解雇=「業界から足を洗う」ということになるケースの方が少ない。
でもMの場合は、年齢も40を過ぎ、母国でもう少しゆったりとしたペースの仕事をするのが本人の希望であるようにも思えるし、何より、我々三人共が、実は心から彼を羨ましいという気持ちも持っているのだ。

余談になるが、このような突然の解雇という状況において、私が個人的に最も悲しさを覚える部分は、去っていく同僚達の荷物の具合なのだ。
業界の性質上、解雇を言い渡されてから短時間で会社を去ることを余儀なくされる。
当然予見されたことではないので、皆とりあえず身の回り品をまとめ、ビニール袋に放り込んで帰途につくことになる。
これが大抵の場合は、スーパーマーケットのくたびれたビニール袋であることが多く、そんなビニール袋を手に去っていく友人達を見送るたび、何ともいえない物悲しい気持ちがこみ上げてしまうのだ。

Mに、そして多数の尊敬する友人達に、エールを送ろう。
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by canary-london | 2008-01-27 03:27 | diary
西洋人のナイフ・フォーク至上主義には、時々驚かされる。
彼らにしてみれば、物心ついたときからこればかりやっているのだから当たり前なのだが、箸カルチャーどっぷりの我々からすると
「うーん。それって、あまり機能的ではないんじゃない?」
と思うこともしばしば。
まあ彼らからみれば、箸を自在に操る東洋人こそが驚愕と羨望(?)の対象なのだろうが・・・。

私のチームメイト兼上司にあたる女性はアメリカ人なのだが、日々のデスクランチでたまに日本食やチャイニーズのtake-awayなどをとると、慣れない箸と格闘しつつあらん限りの集中力を眼前のサラダに注いでいる彼女から、
「何でアンタ、豆のサラダなんか箸で食べられるわけ?しかもEメールをさばきながら片手間で食べてるなんてズルイっっ」
と恨めしそうな視線が飛んでくる。

勿論ヘルシーなアジアン・キュイジーヌの台頭により、箸を巧みに操る西洋人も非常に増えたので、上記のようなエピソードは昔ほど一般的ではなくなったけれど。

西洋人はとにかく、メイン・ディッシュを食べるときには、概ねそれが何であってもナイフとフォークのペアで立ち向かう。
スプーンという器具は、彼らにとっては大きなものはスープ用、小さなものはデザート・コーヒー用であり、メインを食べるときには基本的にはあまり登場させない。

この点、箸しかなかった時代には汁物は椀に直接口をつけてすするなど柔軟に対応していた日本人の方が、西洋式のカトラリーが入ってきた現代においても実用性重視かも?

今回帰英にあたってそんなことを改めて感じたきっかけは、飛行機で通路を挟んで隣り合わせたイギリス人のオバサマ。
三つのメインのチョイスの中に「日本式カレーライス」というものがあり、彼女も私もそれを注文。
私にいわせればこんなもの、日本のカレーライスなのだから(何ちゃって日本食の機内食だけに、ご飯に対してカレーが少ないとか、ちょっとした違いやら不満やらはあるが・・・)、スプーンで食べるのが当然。
食べ進むうちに贅沢になってきて、福神漬が欲しくなってきたりして。

一方の彼女は、ナイフとフォークであくまでエレガントにチキンを切り分けて口に運ぶ作業を淡々と続けている。
並んで食べているのをハタからみると、とても同じものを食べているようには見えないだろう。

イギリスにいて、「何でもあり」日本人の実用型カトラリー術をもっとも強く実感するのは、ピザを食べるときだろうか。
私は、ピザについては何が何でも「手で食べる」派である。
ビールやコーラを片手に、手で掴んで食べる方が絶対に美味しい。・・・と、思う。
なので、ピザ屋に入って(これまた日本では考えられないぐらいピザ屋が多く、一般人はかなりの頻度でピザ屋でディナーを取る)、全員が何となく神妙な面持ちでナイフ・フォークをキコキコやっている姿には、何となく違和感と笑いを覚えてしまうのである。
「行儀が悪い」とお叱りを受けるかもしれないけれど、ピザ発祥の地であるイタリアの人々がそうしているのだから、大目に見てもらおう。
何はともあれ、美味しく食べるのが一番!

そんなことをぼーっと考えつつ機内誌を眺めていると、創業170年の歴史を誇るフランスの銀製品の老舗・クリストフル社の日本のCEOであるイブ・アルマニー氏のインタビューが目に入る。
正に私が考えていたようなカトラリーに絡めた西洋と東洋の融合のようなことについて話をされており読み入ってしまったが、そんな彼のイチオシは、銀製の「マイ箸」。
曰く、「アジアの国の料理を食べる時は箸を使ったほうが美味しいと感じる」とのことで、在日30年を超える氏の親アジア魂には感服する。
が、それにしても銀製のお箸なんて重いし滑るし高級だし・・・と使う前から敬遠してしまうのは、自分の貧乏性ゆえか?
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→ クリストフル社の銀製「マイ箸」
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by canary-london | 2008-01-16 10:27 | culture
コンサートの話ついでに、12月に行ったコンサートについてもう一つ。
クリスマス・イブは両親と共に、父の暮らす京都で同志社大学のオーケストラが演奏するヘンデルの「メサイア」を聴きに行った。
独唱はプロの歌手が担うが、オーケストラとコーラスは学生(コーラスにはOBやOGも含まれていたようだ)。
両親はこのところ毎年クリスマス・イブというとこのイベントに足を運んでおり、今年は私もくっついて行くことにした。
「メサイア」演奏の歴史も長く、コーラスも含めてなかなか上手い。

「メサイア」は全53曲から成る壮大なオラトリオで、幾らヘンデルが絶頂期にあったとはいっても、わずか20数日間で書き上げたとはとても信じられない超大作である。

クリスマスに定番の第九やメサイアを聴くことに何となく抵抗のあったあまのじゃくの自分は、「メサイア」の抜粋をここまで多く聴くのは、恥ずかしながら生まれて初めての経験であった。

素直な感想は、行ってみて本当に良かった。

もっとも大きかったのは、
「日本でもこんなに宗教的なクリスマスを味わうことができるんだ!」という感動。
ヨーロッパ、特にカトリック色の強い国においては、クリスマスは多分に個人的・家族的な宗教行事である。
クリスマスのどこを輪切りにしてもコマーシャリズムが全開という日本とは、全く意味合いも趣も異なるものなのだ。
プロテスタント主体の英国においても、クリスマスが家族のイベントであるという点では同じ。

以前に書いたような騒々しいクリスマスパーティーも11月中旬から12月にかけては多数行われるため、飲み歩いてばかりの時期であるという点では忘年会隆盛の日本と同じだが、クリスマス・イブやクリスマス当日は家族で祝うもの。
フランスやイタリアではこの傾向が益々強く、この時期に旅行などで訪れても大概の店はシャッターを降ろしておりロクな食事にありつけない上、街は空っぽなので皆いったい何処へ?と思うと、実にひっそりと教会で宗教歌を歌っていたりするのだ。

・・・そう、メサイアを聴きながらクリスマスを過ごしてみて、高校生時分に両親と一緒に訪れたローマや南フランスの静かなクリスマスを思い出した。

実のところ、キリスト教という宗教は少し苦手である。
「苦手」というほどのものでもないが、生来的に無宗教の私は、どうも一神教すべてについて、「押しつけがましさ」からくる一種の嫌悪感を感じてしまう。
対象となる宗教自体を深く勉強したわけでもないのに僭越極まりないのは百も承知だが、こればかりは生理的な感覚なので仕方がない。
でも、宗教が音楽や絵画などの芸術的な媒体を通じて表現されるとき、そんな苦手意識は不思議と一気に消滅する。

もっとも、ヨーロッパにおける美術は、概ね聖書、ギリシャ・ローマ神話、或いは生と死をテーマにしたものが殆どなので、「キリスト教にまつわる作品は苦手」なんて言ったらヨーロッパの美術館にはどこへも行けなくなってしまうけれど。

ともかくそんなわけで、今回のクリスマスは多分にキリスト教的なクリスマスというものの魅力を再発見した。
そんな機会を与えてくれた両親に感謝!

・・・今年のクリスマスは、世界の何処でメサイアを聴こうか。
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by canary-london | 2008-01-11 09:38 | diary

バルトリ初体験!

少し前のコンサートになるが、昨年12月19日にBarbicanでメゾソプラノ・Cecilia Bartoli(チェチーリア・バルトリ)の歌を聴く機会に恵まれた。
コンサートについては、最近そもそも更新ペースが亀ほども遅く、書き上げた頃にはすっかり旬でなくなってしまうということ、さらに友人・知人の方々で私より格段に面白く専門的な分析をされている方が多いため(dognorahさんbibingaさんなど)、最近ではすっかり書くことをやめてしまった。

が、初めて聴くBartoliの歌とパフォーマンス全体が実に素晴らしかったので、記録に残すという意味で一言。
そもそも驚異的なスピードで完売してしまうチケットを瞬発力ゼロの私が手に入れられる筈もなく、今回のチケットは親しくして頂いているKさん(=時折本ブログにもコメント頂くPrimroseさん)がご親切に譲って下さったもの。
2008年がちょうど生誕200周年となる19世紀のソプラノ、Maria Malibranに捧げられた今回のコンサートの演目はバラエティにも富んだものとなっていた:

Garcia: Overture from La figlia dell’aria
Persiani: ‘Cari giorni’, introduction and romanza of Ines from Ines de Castro
Mendelssohn: Scherzo in G minor from the Octet Op. 20
‘Infelice’, scene and aria for voice, violin solo and orchestra, London version
Rossini: Tempest from Il barbiere di Siviglia
‘Nacqui all’ affanno… non piu mesta’, scene and rondo of Angelina from La Cenerentola
********************
Donizetti: Andante sostenuto from Concertino for clarinet in B flat
Rossini: ‘Assisa al pie d’un salice – Deh calma’, Willow Song and Prayer of Desdemona from Otello
Overture from Il Signor Bruschino
Balfe: ‘Yon moon o’er the mountains’, ballad of Isoline from The Maid of Artois
Hummel: Air a la Tyrolienne avec variations
Beriot: Andante tranquillo from Violin Concerto No. 7, Op. 76 in G
Bellini: ‘Ah, non credea mirarti…Ah, non giunge’, aria and cabaletta of Amina from La sonnambula

上記に加え、アンコールは自前のバンドとダンサーを従えてのフラメンコを含む三曲と、予定時間を大幅にオーバーするサービスぶりに感動。
会場も最後はほぼ全員スタンディング・オベーションという熱狂に包まれた。
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コロラトゥーラの声質も素晴らしいが(風邪とのことだったがそれを全く感じさせない熱唱だった)、それを更に引き立たせるのは彼女のチャーミングな人柄、そして「やっぱりオペラ歌手=女優なのねっ」と思わせる舞台での立ち居振る舞い。
「華」があるとは、正にこのことか。

とてつもない大物なのに、まったく大物ぶらない。
40歳を超える年齢ゆえ、若手の「ビジュアル系」(笑)オペラ歌手と比べると二の腕や背中の肉が気になるのは否めないが、年齢を感じさせない少女のようなあどけなさがある。
それはおそらく、先にも書いた周囲をぱっと明るくさせる彼女の人柄に加え、Bartoli自身がパフォーマンスの一つ一つ、一瞬一瞬を心から楽しんでいることからくるのだろうと思う。

とにかく、「顔筋」が柔らかいことには驚いた。
常に笑顔を絶やさないのだが、笑みにも様々なレパートリーがあり、基本は口だけでなく目も笑うこと。彼女の場合は、頬などを含めて顔全体で笑っているとすらいえ、さながら「笑顔」のレッスンを受けているかのようだった。

・・・こんな人、ちょっといない。
私が最も尊敬する女性オペラ・シンガーはマリア・カラスから変わることは生涯ないと思うが、マリア・カラスにはこんな明るく健康的な女優としての魅力はない。
彼女の波乱万丈な人生を考えれば、まあ当然といえば当然のことなのだが。

蛇足ながらもう一点。
私がBartoliに好感をもったもう一つの点は、2時間半におよぶコンサートの間一度も衣装を着替えなかったこと。
アンジェラ・ゲオルギューは非常に愛らしく素晴らしいが、彼女のコンサートに行くと、はてコンサートに来たんだっけ、ファッションショーに来たんだっけ?
と真剣に悩んでしまったりする。
「私は声と表情で勝負!」という女っぷりのよさがカッコイイなと思うわけなのである。

ロンドンでは歌う機会の少ないBartoliであるが、次回彼女が登場する際には苦手な瞬発力を何とか発揮して、是非ともチケットを入手しなければ。
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by canary-london | 2008-01-07 13:49 | music
日本に一時帰国するたび、自分が現在住まうヨーロッパと比べての日本の特異性・特殊性に気づかざるをえない。
「また日本批判かいね」という声が聞こえてきそうだが、そうではない。

もちろん、どこを歩いても人が多過ぎる、電車の中では大方寝ているか携帯メールをしているかのどちらかである、サラリーマンはおしなべて不毛に長時間労働をし、一様に何だか皆不機嫌で疲れている・・・といったことを言い出せばきりがないが、どれもこれも目新しいことではない。

今回改めて感じたことが幾つかあったのだが、今回はそのうちの一つについて。
・・・それは、生活を便利にすることに対する飽くなき欲求を原動力とした商品開発力の素晴らしさ。

これ、実は以前にも、「鼻セレブ」や「のどぬーるスプレー」なんて天晴れなる商品の数々に思いを馳せながら書いたテーマである。

ドラッグストアは、日本に一時帰国するたびに立ち寄る場所。
陳列された商品を眺め始めると、時間の過ぎるのも忘れて居座ってしまう。
一時帰国のたびにまとめ買いする定番商品(例えば、食品用ラップとか。20年前と比べて進歩のかけらもない英国の劣悪製品は、とてもではないが使えたものではない。)もさることながら、やはりスゴイと思うのは新商品の種類の多さとその裏にある「アイディア力」。
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どうしても美容関連の製品に目がいってしまう私は、コスメだのダイエット用品だのが所狭しと並べられる棚の辺りをうろうろすることになるのだが、単四乾電池一本で動くまつ毛用のホットカーラーなんて、きっと英国人は作ろうという発想すらないだろうし、「セルライトを取り除く!」の宣伝文句の添えられたボディタオルを見たときには笑うしかなかった(さすがにセルライト・タオルは購入せず、買ったのはまつ毛カーラーのみ)。

日本の製造業が世界でも高く評価されるのは、手先の器用さやマメで勤勉な性質といったこともあろうが、日本の商品開発力にはただただ感服する。
特に一般的にいわれるとおり、ゼロから何かを作るというよりも、むしろ従来からあるものにひと工夫加えてより便利にした商品が得意中の得意であると感じる。
もちろん、売れずにすぐにすたれる商品も多いのだろうが、そこは七転八起。
売れなければ、すぐに次をトライ!と切り替えもまた早い。

普段日本のメディアとはあまり縁のない生活をしているため、元旦の日経新聞はわりあい時間をかけて読んだのだが、とにかくトーンが暗いことが気になった。
経済においては、戦後最長の好景気の実感などまったく感じられない低成長。
国力低下を映すかのような通貨価値の下落。
政治面では、国内のリーダーシップ欠如と世界で再び強まるジャパン・パッシング・・・と内憂外患。
人口をみると、出生数が死亡数を下回る自然減と、数字の上でも如実に進む少子高齢化。
残念ながら、明るい話題は何一つ見当たらない。

日本の国力アップに繋がるような美徳も、日本人はたくさん持っていると思うのに。
先に書いたアイディア力もそうであるし、礼節を重んじる態度も海外では評価が高い。
そんな美徳をもっと上手にビジネスや外交に生かしていければ・・・と思うのだが、より本質的な問題は国としての自信喪失なのかもしれない。
日本を代表する経済紙の元旦のトーンがここまで後ろ向きでは、どうも先行きに期待がもてない。

・・・と偉そうに書いたところでふと自分について考えてみると、日本の国力低下に最も貢献しているのは自分のような若者ではないか、と愕然。(いつものことだが。)
ハイエナとも揶揄される外資系投資銀行に勤めた挙句、同社でほぼ自主転勤することで海外逃亡(笑)。であるがゆえ、一時帰国時の買い物を除いて日本経済への貢献度はゼロだし、子供も作らず少子高齢化路線邁進中。
こんなならず者の日本人であるうえ、自分の現在の状況を鑑みるに、どの側面においても当面貢献者側にまわるのは難しいと思われる。

・・・自分はともかく。頑張れニッポン(再び)!
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by canary-london | 2008-01-04 05:22 | current
新年明けましておめでとうございます。

最近の自分のように更新頻度が低いとこのようなメッセージの意味も薄れてしまうが、一年の計は元旦にあり。目標を立てるのは自由だ。

・・・翻って2007年の年初に立てた目標を見ると、「時間の使い方を上手に」とある。
個人的な理由により身辺がごたごたしているという事情もあるが、昨年は歯がゆいほどこの目標が達成できなかった。
当然の如く、私の場合はそれがブログの更新頻度にも多大なる影響を与える。

年末はクリスマス休暇を利用して日本に一時帰国したが、家族皆が顔を揃える大晦日の集まりは、一人海外に暮らす私にとっては重要な行事。
もちろん我が家も普通のニッポンの家庭らしくお正月に集まるのが常だったが、今は、1月2日からロンドンでの仕事が始まるため元日は成田と飛行機内で過ごす私に皆が合わせてくれているのである。

父も姉もブロガーという我が家においては、ブログは近況報告の意味合いも兼ねる。
私だけでなく、父も日本国内ではあるが長期にわたる単身赴任の生活。
ブログがアップされるたび、「へえー、最近はこんなことをしてるんだ」とか「こんなことを考えているんだ」と相手が少し近くなったように感じられる。
そんな状況が続いていたが、昨年夏以降の自分ときたら、サイクルがすっかり乱れてしまった。
PCが長期間壊れて手元になかったこと、そして家でネットワークに接続できない状態がしばらく続いたことや引越しなども重なり、無精に拍車を掛けた。

久しぶりに父や姉、そして会に加わった姉のパートナーなどと話すと、皆自分で書くのみならず、他人の書いた内容もしっかり読みこなしていて、本当に頭の下がる思いだった。
「一日30時間欲しい!!!」と毎日わめき散らしている自分が情けない。
人生限られた時間をどれだけ有効に使えるかは、まったくのところ本人次第なのだ。

・・・というわけで、2008年は再度トライしてみたいと思う。
時間の使い方を上手に。
自分にとっては大きな変化の年となりそうな2008年の年頭所感に代えて。

・・・今年も温かく見守って頂ければ幸せです。
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by canary-london | 2008-01-02 04:56 | diary