ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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食について・再び

国における食生活の乏しさについては何度も書いている上、私なんぞが書かなくてもリンボウ先生やシラク・前仏大統領などが様々な名言・迷言を残してきているため、敢えて繰り返す必要もないだろう。
ただ、自他共に認める英国びいきの私に限らず、周囲の友人・知人の多くに同意を得られるのは、「それでもイギリスは”おいしく”なったよね」という点である。

私が初めて父の赴任に伴ってロンドンにやってきた1988年から数年間の滞在期間は、おしなべて外食というものは50/50の賭けだったように思う。
当たれば良いが、外れるとまたその外れ方が並大抵のものではないのだ。

一つの側面として、海外から良い刺激を受け続けている環境が挙げられる。Harrodsに店を構えるフランス・Ladureeのマカロンはちょっとしたお使い物やおもてなしのときに欠かせない。
東京では未だに買えない(と思う)絶品マカロンがロンドンでは買えるということ自体、欧州大陸に近いという地の利以外に理由はないのだが、何とも有り難い話である。

食文化の輸入源という意味では、米国も独特ながら重要。
目下二人いらっしゃる私のピアノの師匠の一人である青木理恵先生がNY在住時代から愛用していたとのことで期待度大の「WholeFoods」が、先月我が家から実に徒歩5分の場所にオープン。
先日やっと覗く機会があったのだが、フレッシュな食材もさることながら、「これ買いたいっっ!」と思わせるような空間の使い方・食材の配置の仕方には舌を巻く。
幼少時代を過ごした米国で慣れ親しんだアメリカン丸出しの食材もあれば、アジア食材も意外に充実しており好感度◎。

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総床面積は80,000平方フィート(約7,432平方メートル)と巨大。
地下および一階の上に広がる350席の広大な「Food Hall」も圧巻。
食材の陳列されるスペースと調理されるスペースが隣接しているために無駄が少ないらしく、このような形態のレストランの席数は増加傾向にある。
ロンドンでは最も大きいのがHarrodsの28ヶ所に及ぶレストラン・計1,839席であり、Fortnum&Masonの600席、Harvey Nicholsの450席と続く(数字の出所: FT)。

Harvey Nichols・5階のレストランを手がけたDominic Fordは、今年中にロンドン西部に「Food Inc」を、そして2008年にはIslingtonに「Union Market」を、いずれも同様のコンセプトで立ち上げる見込み。
何にせよ、食に関するawarenessがここイギリスでも高まっているのは喜ばしいことである。
真に「おいしい」イギリスを目指して、頑張れロンドン。
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by canary-london | 2007-07-31 03:46 | gourmet
前々回、「鉛筆で紙に文章を書く」ということについて思うところをひとくだり述べたけれど、直筆の文章というのは、タイプされた無機質な文章とは趣と思い入れが異なる。

話はいきなり脱線するが、「鉛筆」といっても、実は私が紙に書く際に使用するのは黒(ないときは青)のボールペンである(更に脱線すると、ペンの握り方が少し変わっているので、いくらカッコイイと思えど、気取って万年筆で書いたところでインクが出ないことが多かったりする。よって選ぶのは消去法でボールペンとなる。)。

自分の習慣は英国での高校教育の名残といえるのだが、こちらでは日本と違って鉛筆やシャープペンシルでものを書いている人を見かけることはまずないといって良い。
きっとこれには深い哲学的な意味はなく、単純に昔からの慣習とか鉛の価格とか、非常に分かりやすいものに影響されて、「日本=鉛筆」「欧米=鉛筆以外」という至って単純な構図が出来上がったのだろうと思う。

しかしながら、「ペン(インク)で書く」ことにより、結果的にはちょっとした心地の良い緊張感を抱くことになる。もちろん修正液なるものは幾らもあるのだが、ペンで書いて修正液で修正したものは明らかに「上塗り」であり、綺麗さっぱり消しゴムで鉛筆の跡を消したのとは少しわけが違う。
いきおい、インクでしたためる文章には、鉛筆で書いたものに比べて、もう少し幅広く深い思考プロセスがあるように思う。
更に、優れたワープロ・ソフトに漢字変換を頼り切りになりがちな伸び切った左脳にとっても、程よい頭の体操が出来たりして。

何はともあれ、鉛筆乃至ペンでマニュアルに文章を書くということについてであった。
ごく最近のことだが、人に書くものを可能な限り直筆で、と思うようになってきた。
達筆ではないのが残念だが、それでも直筆であれば少しでも自分の思いが伝わるような気がする。

例えば、バースデーカード。
「この年齢になっておめでたくもない」という人もいるけれど、誕生日は幾つになってもお祭り。
おめでたいものと割り切れば良いのだ。

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直筆でバースデーカードをしたためるという行為は、数年前から母が実践しており、いつそんな暇があるのやら・・・と不思議な気持ちで眺めていたけれど、万人に送るクリスマスカードや年賀状と違って、バースデーカードはパーソナルなもの。
Eメールのバースデーカードは便利なことこの上ないけれど、少し味気ない。

思えば、バースデーカードを書くなどということが出来るようになったのも、ひとえに東京とロンドンでは「時間の流れ方」が違うからなのだろう。
このテーマには過去幾度も触れているので繰り返さないけれど、少しでも時間を大切に出来れば。限られた時間を、かけがえのない人々とのコミュニケーションに使っていければ、と思う。
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by canary-london | 2007-07-17 10:55 | diary

旅のメモ・トスカーナ編

「旅」について、旅行ガイドやら食べ物やら、何というか瑣末なことばかり書いて、肝心の行き先について思うところを全く書いていなかった。
5月末に3連休に訪れたイタリア・トスカーナ地方のことを書こうと思うと、どうしても「宗教」という気が遠くなるほど広く深いテーマに行き当たる。このテーマについては、深い話はまた別の機に。

便宜上旅程の概観を行うと、改めて強行日程だったと反省を込めて思う。
金曜日夜に仕事が引けてから出発し、ピサ泊。翌日はピサ観光の後、サン・ジミニャーノを駆け足で巡ってから、夜はシエナへ移動。日曜日はシエナ観光の後アッシジへ移動し、アッシジに宿泊。
最終日である月曜日はアッシジを見た後列車でフィレンツェへ移動し、フィレンツェからロンドンへ飛ぶというもの。

以前書いたとおり、センチメンタル・ジャーニー的な色彩の濃い訪問であったサン・ジミニャーノとシエナは、結局は自分が本ブログでも散々批判した教科書的な本邦観光ガイドのお薦めマークを制覇する旅程となってしまった感もあり、少々悔やまれる。
旅人は、常に時間と闘うことになる。
実に限られた時間をいかに心身ともに充実したものにするかは、旅をする上で永遠の課題といえる。

本題に戻ると(何が本題だったっけ・・・)、今回の道程の中では、純粋に初めて訪れたのはピサとアッシジの二箇所。
サン・ジミニャーノとシエナは言うまでもなく大好きな街だが、今回初めてとなるこの二つの場所については新鮮な感動を覚えた。

まずはピサ。訪れる前は、恥ずかしながら斜塔以上のイメージをもっていなかったのだが、斜塔やDuomoなどのモニュメントが集中するPiazza del Duomo(デュオーモ広場、別名Piazza del Miracoli=「奇跡の広場」)は実に心安らぐ美しい空間で、良い意味で期待を大きく裏切られた。
斜塔を登る体験もさることながら、もっとも心打たれたのは洗礼堂(baptistery)。
私は無宗教だが、日本の仏寺にせよ、崇高な宗教的意味合いをもつ建造物というのは、一歩足を踏み入れると不思議なほど穏やかな安らかな心持ちになる。

宗教的な重要度という意味では、アッシジの方が遥かに高い街となる。
13世紀に啓蒙活動を行った聖人San Francesco(聖フランチェスコ)を祀る大規模なサン・フランチェスコ聖堂に象徴されるアッシジを訪れる巡礼者の数は、年間300万人とも500万人ともいわれる。
街をそぞろ歩いても、我々のような観光客に混じって、ごく普通に多数の聖職者が歩く姿は実に新鮮に目に映る。
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こぼれ話としては、この「巡礼者が多い」という事実にしてやられた。
これだけ訪問者数の多い街だけに、シエナからアッシジへの移動手段は何とかなるものだろうとタカをくくってよく調べずに行ったら、平日は一日数本ペースで運行しているバスが、たまたま我々の移動日にあたった日曜日は激減。
結局二度の乗り継ぎ・4時間半という不条理な列車の旅に音を上げ、大雨の中をChiusoという駅からアッシジまでタクシーを飛ばす羽目になり、予想外の痛い出費となってしまった。

←ピサの洗礼堂

教訓、ふたつ。
1. 「巡礼地」=「交通の便が良い」では、決してない。そういえば一昨年ヨハネ・パウロ二世が亡くなった際に世界のあらゆる場所から熱心な信奉者がバチカンに集まる様子に感銘を受けた。巡礼者というのは、いかに長く遠い道のりでもやってくるからこそ巡礼者なのだろう。
2. キリスト教の安息日を舐めてかかってはいけない。上述のバスの運行状況が良い例で、消費者至上主義の日本と違い、欧州では週末、特に日曜日は今でも皆が「休む」ことを前提とした日なのである。こういう日に長距離に移動など試みると、時間に追われる旅人は痛手をこうむることうけあい。移動は日曜日意外に組み込まねば・・・と改めて思った次第だった。
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by canary-london | 2007-07-14 15:41 | travel
おお、またしても知らず更新が著しく滞ってしまった。気づけば7月ではないか。
今年に入ってからというもの怠慢さの際立つ本ブログだが、これでもヨーロッパへの小旅行の後のタイミングというのは比較的更新頻度が上がる。

理由は至って単純。
私は飛行機の中でものを書くという行為が、最近実に快適且つ自然発生的に出来るようになっているのである。
東京⇔ロンドン間の11-12時間のフライトだと如何せん長過ぎる上に飲食を強いられ、映画に読書と欲張って焦点が散漫になった挙句、ビールとカクテルとワインをちゃんぽんで飲んだほろ酔い気分で眠りに落ちてしまうのが関の山だったりする。

その点、ロンドン⇔大陸ヨーロッパのフライトは、時間的に執筆に丁度良いのである。
東や南へ大きく移動するのでなければ、フライト時間は大体2時間前後。
寝不足の早朝便でもなければ睡眠の必要はないし、この距離では映画の上映もなく、本を一冊読破するのには時間が足りない。
そんなとき、「書く」という行為は恰好の暇つぶしなのである。
そもそもブログというのは持論の勝手気ままな展開系だし、与えられた時間の中でネタを何本書くといった制約も皆無である。
この点、〆切に追われる作家の諸先生というのはさぞ大変な稼業だろうといつも敬服する。

飛行機の中で書くということのもう一つの利点は、紙と鉛筆(ペン)という昔ながらの媒体で思う存分自分の世界に浸れることである。
もちろん、肌身離さず持ち歩いているパソコンを取り出してキーボードを叩くという選択肢もあるが、平日12時間パソコン画面とにらめっこしているだけに、私は飛行機の機内でパソコンに向かう感覚にどうも馴染むことができない。

もっというと、自分の文章を書くとき、私はキーボードではなく自らの手で書くことを選ぶ。
ビジネス上の用件は全てメールで全く構わないが、ひとたび自分が何かを「創る」担い手となるとき、紙と鉛筆という原始的・マニュアルな手段があると、不思議なことに心が落ち着き頭がすっきりと整理される。
物書きを生業とする私の叔父が、今も執筆にはキーボードを使わず400字詰め原稿用紙に鉛筆で書くと以前話していたことを思い出し、勿論叔父の書く高尚な文章と自分の文章を比較するのもおこがましいが、「紙と鉛筆」に愛しみを感じる気持ちは実に良く分かる。

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こんな風に、今でこそ「書きたいけど時間がないっ!!!!!」と常に髪を振り乱している自分だが、実のところ小学生時分まで文章を書くという行為が大の苦手であった。
ニューヨークで過ごした小学生時代、土曜日に通う日本語補修校の夏休みの宿題でもっとも恐れていたのが「読書感想文」。
白い原稿用紙を前にしても、困ったことに一文字も浮かんでこない。
そんな私のゴーストライターを嫌な顔ひとつせずに常に引き受けてくれたのが、二歳年上の姉であった。
元々本の虫で文才に長けていた彼女は、今も翻訳という文章に携わる仕事を続けている。

執筆という行為に関して書き始めたら、結局前々々回と同じく、時効成立による家族への懺悔文となってしまった。
・・・おねーさま、20数年前はお世話になりました。
今でこそブログという都合の良い媒体を通じて日々エラソウなことを書いているが、こと文章を書くという点で自分が姉に追いつき追い越す日は決してこないのだろう、と思っている。
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by canary-london | 2007-07-04 09:05 | diary