ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

<   2006年 06月 ( 8 )   > この月の画像一覧

突然の嬉しいお誘いで期せずして4月末に何とワーグナーでオペラ・デビューを果たしたことは以前に書いたが、6月27日火曜日はもっと初心者向きではあると思われるプッチーニの「TOSCA」を観にRoyal Opera Houseへ。
今回は事前準備の時間もあったので音楽に集中できるようストーリーラインはざっくりと頭に入れてから出掛ける。

オペラ鑑賞自体は初心者なのだが、敬愛する永遠のDIVAマリア・カラスのCDは複数枚保有しているため、第二幕の「歌に生き、恋に生き」などアリアには耳慣れたものが多い。

キャスティングに関する予備知識では、既に今シーズンのTOSCAへ二度足を運ばれているdognorah様のエントリに非常に助けられた (自分も一応真面目な勤め人生活をしながらコンサートだオペラだと良く行くなあと半ば感心・半ば呆れるけれど、dognorahさんはエントリを拝見しているだけで本当にスゴイと思います・・・)。

TOSCA (Opera in three acts)
Music: Giacomo Puccini (1899)
Libretto: Giuseppe Giacosa and Luigi Illica
(after the play by Victorien Sardou)

本日のキャスト:
Floria Tosca: Catherine Naglestad
Mario Cavaradossi: Nicola Rossi Giordano
Baron Scarpia: Samuel Ramey
Cesare Angelotti: Carlo Cigni
Sacristan: Graeme Danby
Spoletta: Gregory Bonfatti
Sciarrone: Robert Gleadow
Gaoler: John Morrissey

Conductor: Antonio Pappano
The Orchestra of the Royal Opera House
Director: Jonathan Kentf0023268_102517100.jpg



ダブルキャストの花形が揃い踏みした23日金曜日の公演とは、トスカ・カヴァラドッシ・スカルピアなど主要な面々の殆どが入替。
正直どうなることやら?と開演前はやや不安に思っていたが、トスカを歌ったCatherine Naglestadの歌唱力と存在感は素晴らしかった。
比べて、カヴァラドッシを歌ったNicola Rossi Giordanoは声量が足りなくトスカとの二重唱では霞んでいる感じが否めなかったほか、時折音程を外すのが気になった。
スカルピアを演じたSamuel Rameyは、歌はそつなくこなすけれど、観客に印象を刻み込むような何かが足りないような気がした。

などと偉そうなことを書き連ねてしまったが、話題の40年ぶりの新演出も奇を衒った部分はまるでなくスムーズに消化できて、全体としては非常に楽しく鑑賞出来た。

オーケストラは、Pappanoという力強い指揮棒の元でレベルの高い音楽を奏でていた。
昨年バレエに行ったときにも感じたのだが、The Orchestra of the Royal Opera Houseというのは本当に上手い。
オペラやバレエの音楽を演奏するということは、決して主役ではないにも拘らず、音楽の出来栄え一つでその夜の公演が最高にも最低にもなり得るという意味で非常に重要な位置を占める。
何というのか、その部分をわきまえた抑制されたプロフェッショナリズムというバランス感覚に優れたオケだと思う。

実はこのオケについては良く調べたことがなかったのだが、1946年創設時のKarl Ranklに続く音楽監督はラファエル・キューブリック(1955-1961)、これに続いてゲオルグ・ショルティ(1961-1971)、サー・コリン・デービス(1971-1986)、そしてPappano就任直前までは先日も当ブログにご登場頂いたベルナルト・ハイティンク氏。
言わずと知れた巨匠揃いでたまげてしまった。

それにしても「トスカ」は改めて凄まじいストーリーだと思うが(何とも舞台向きである)、気性の激しいトスカについては、一緒に観た友人と帰りがけに「イタリア人女性ってああいうコワイ女性実在しそうだよね!」と意見が合って思わず笑ってしまった。
日本人にはちょっと出来ないかも(笑)。
[PR]
by canary-london | 2006-06-30 10:33 | cravings
先週水曜日・6月21日は夏至。一年で一番日の長い日であった。
暖流の影響で一年を通じて気候が穏やかであるためややもすると忘れそうになるが、ロンドンは北緯51度と樺太とほぼ同じ高さに位置する。
高い緯度に加え、4月から10月の間導入されるサマータイム*の影響で、夏至前後のこの時期は、夜10時でもまだ西の空は十分に明るい。

*いきなり話は逸れるが、日本もサマータイムを導入すれば良いのにと本当に思う。
1948-1952年の一時的な導入時に「国民の評判が悪く廃止された」とのこと。
その時代に生きていないため当時の国民感情は知る由もないが、巷で言われている通り「労働時間延長と睡眠不足を引き起こす」との国民の不満が本当だったとすれば、何と悲しく精神的に貧しい国民なのだろうか。
「日が高いうちに仕事を終えて帰途に着く」というのは、罪悪感に苛まれるようなことでは決してない筈なのに。このトピックについては紙面を改めることにするが(家人は昨年来の私のメルマガで耳タコだろうが・・・ゴメンナサイ。)、日本人一般の「仕事をしたという達成感」には甚だ疑問を感じざるを得ない。

先週は20-24日という四日間の日程で、1711年以来300年弱の伝統を持つ緒ある年一回恒例の競馬のレース・Royal Ascot**の開催。
そして本日26日月曜日は、英国が世界に誇る国際的スポーツイベント・ウィンブルドンの開幕と、気候の良い時期を狙って重要イベントも目白押しとなる。

**またまた話は逸れるが、Royal Ascotというと、高校生時分に良く接待その他で両親が駆り出される度に、日本人が被るとどうにもはにかみがちとなってしまうシルクハットとモーニング、そしてゴージャスなフラワーアレンジメントに彩られた帽子と清楚なワンピースで出掛けた両親の姿を思い出す。
今のドレスコードも変わっていないのだろうか。

普段のロンドンの気候・食べ物・物価に対する吐いて捨てても捨てても足りないほどの不満はどこへやら。
この時期のロンドンというのは本当に「Life is beautiful」ならぬ「London is beautiful」と思わず呟くほどの美しい季節となる。

ランチタイムに会社から一歩外へ出ると、広場に設置された大きな噴水の周りには、サンドイッチを手に陽だまりの中でしばしの休息を楽しむビジネスマン達。
休日に自宅そばの公園を散歩すれば、僅かに除く太陽の光を一瞬でも逃すまいとデッキチェアに横たわる男女。

一昨日・土曜日は幸いにして晴天に恵まれ、自宅から目と鼻の先に位置するとあるchurchyardでも色とりどりの花が咲き乱れ、訪れる家族連れの表情も穏やかに感じられた。
がさごそという音にふと頭上を見上げると、太い木の幹には遠慮がちな表情のリスが一匹。
カメラを構えたこちらの顔を不思議そうに見ている。


f0023268_734595.jpg
f0023268_74810.jpg










f0023268_742888.jpg


これ以上何を望めるだろう、と言いたくなるほどのどかなロンドンの休日。
折しも、約2週間もすれば、血塗られた忌まわしい記憶が蘇る7・7のロンドンでの同時多発テロから一周年を迎える。
2001年9月11日を境に、決して大げさな表現でなく世界は変わってしまったわけだが、同じようなことが二度と起こらないように、とひたすら願うばかりである。

ときに、日本が姿を消したワールドカップ。
イングランドxエクアドルの試合が開催された昨日・日曜日は、デスクを並べて仕事をする理解ある上司であり(といってもほぼ同年代のパワフルな女性だが)良き相談役でもあるJに「良ければウチに親戚と友達が集まるからイングランド戦観においでよ!」と誘われ、ロンドンからは若干北東に位置するEssex州の彼女の自宅にお邪魔した。

何というのか。
その豊かな「quality of life」に、ただただ脱帽であった。
自分とほぼ年齢は変わらないながら、既に二児の母親で驚くほど巧みに仕事と家庭を両立させるスーパーウーマンの彼女。

部屋は全部で幾つあるのだろうか。
地下一階・地上二階建ての豪邸。
二階の一部は増築中で、日曜日というのに工事の作業人が汗を流していた。
庭には、長さ15メートル程度ありそうなプール。
子供達が遊ぶためのブランコ、滑り台。
水と戯れながらはしゃぐ犬達。

良くも悪くも。
日本の「贅沢」とは圧倒的に違う。

Make the most of your life.
人生は一度しかないから。
後悔しないように、生きていこう。
[PR]
by canary-london | 2006-06-27 07:06 | diary
元来のサッカー狂、今年のイングランドはもしや1966年以来の優勝を狙えるかもしれない力強い布陣(少なくとも開幕前の下馬評は)、更に開催国・ドイツは目と鼻の先。
そんなわけで、6月9日の開幕以来というもの、ヨーロッパ(特にここイングランド)はワールド・カップ一色です・・・。

そんな中。
現地まで応援に行って参りました!!
6月22日の日本xブラジル戦@ドルトムント。

f0023268_10292210.jpg
f0023268_10293847.jpg










決勝トーナメント進出の望みは0.1%程度で臨んだブラジル戦。
同点に追いつかれて迎えた後半は、ブラジルとの地力の差が歴然とした展開になってしまったけれど、特に前半は良い部分もたくさんあったと思う。
シロウト評は大目に見て頂くこととして。

「brilliant」という表現がぴったりハマる、玉田の鋭いシュート。ボールのスピードもコースも、ブラジルの一流選手の数々に全く引けを取っていなかった。
川口能活のスーパーセーブの数々。色々と批判を浴びた時期もあったけれど、やはり日本の守護神は健在(別にイイオトコだから贔屓している訳ではない。)。しかし一点取られると崩れちゃうのよね・・・。
司令塔・ヒデの中盤でのゲームの組み立て方とパス回し。
加地や巻などの動きの良さも目立った(一方で各種報道でもいわれている通り、体調も万全ではなかった中村俊輔の不調さは際立っていた。大好きな選手だけに残念・・・。)。

ちなみに私はゴールの真裏に陣取っていたため、玉田のゴールを皮切りに、サイドチェンジ後のブラジルの3得点も全て真後ろで見ることが出来て、実に臨場感溢れる体験だった(反対側のゴール裏だったらやや不満が残ったかも・・・)。
加えて、ブラジルというチームの面々は、その類まれなる身体能力を間近で見られるというだけでも貴重な体験である。2002年の日本開催時にも、準決勝のブラジルxトルコを観戦する機会に恵まれたが、ブラジルの選手達を見ていると、サッカーがとても簡単なゲームに見えてくるから不思議・・・。

f0023268_10301118.jpg
f0023268_10303116.jpg









結果としては、奇跡は起こらなかったけれど。
前半45分だけでも「もしや今夜奇跡が??」なんて夢を見させてくれた日本代表選手達に、有難うと言いたい。

そしてこの場を借りて、抽選も外しまくってすっかり諦めていた私に、直前になってチケットを譲って下さったKさん有難うございます!
暑いドイツで引き続き観戦頑張って下さい!!
[PR]
by canary-london | 2006-06-25 10:35 | diary
*連番ではその4となるべきところですが、先日のSokolovのものは番外編でカウントしていませんでした。実は未だレポートしていないものもあるのであまり精緻な数字ではありませんが・・・。

6月13日火曜日。
気になるワールドカップFグループのブラジルxクロアチア戦 (前日の日本対オーストラリア戦惨敗の後だけに余計に気になる・・・) の裏番組(?)となったBernard Haitink指揮・Wiener Philharmonikerのコンサートを聴きにBarbican Hallへと足を運ぶ。

本日の演目は、今年多数みられる生誕100周年を記念したショスタコーヴィチのシンフォニーをメインに、それに先立つ二曲は言わずとしれた生誕250周年のモーツァルトのシンフォニーおよびフルート・コンツェルトという粋な構成。
曲目は以下の通り:
 Mozart Symphony No. 32 in G major, K. 318
 Mozart Flute Concerto No.1 in G major, K. 313
 Shostakovich Symphony No. 10 in E minor

前半では、改めてモーツァルトの天才たるが故の破天荒さを感じさせられた。
Symphony#32は3楽章から成り、総演奏時間が約8分。
こんなに時間的に軽い曲を「交響曲=シンフォニー」と呼んでしまうこと自体が、従来の「交響曲」の定義からしても相当に逸脱している。
私の隣に陣取っていた老夫婦は、「これを交響曲と呼ぶなんて・・・’absurd’だ(馬鹿げている)」と、言葉とは裏腹にモーツァルトに畏敬と親しみの念を込めてコメントしていた。

Flute Concerto#1では、とにかく現在のウィーン・フィルのフルート首席奏者であるWolfgang Schulz (関係ないが、我らがモーツァルトと同じファーストネームではないか・・・) のテクニックと情熱にただただ感動。
趣味の域を優に超越したテクニックを駆使してフルートを演奏されるロンドン在住のY氏 (たまたま私の目の前に座っておられた) に率直な感想を聞いたところ、
「演奏は本当にbrilliantだと思う。あの楽器一本900万円ぐらいするからね。やっぱり楽器の質もあるかなあ・・・」とのコメント。
舞台上で見事な輝きを放っていた推定時価900万円のフルートは24金製だとか。

f0023268_10523856.jpg

インターバルを挟んで、ショスタコーヴィチ10番。
正直。
ウィーン・フィルのショスタコは一体どうなることやら、と期待半分・不安半分で思っていた。
のだが。

確かに、あえて言うなればショスタコの持ち味の「粗野」な感じには欠けていたかもしれない。
が、やっぱり調子の良いときのウィーン・フィルというのは、何というのか「ウェーブ」を感じさせる。心に響くというのか。

ちなみにこの演奏については、此処ロンドンで会計士としてのお仕事の傍らピアニストとしても積極的な活動を展開されているK氏のコメントを引用させて頂く:

(quote)
‘It was probably the most immaculate live performance of the 10th symphony I have ever heard.
Haitink prepared the Wiener Philharmoniker so well - I never heard Shostakovich this elegantly played with full of fine Viennese finesse shining through the well-balanced string section (weighty too - so Brucknerian) and the rest of the orchestra having fine sound balance.

Performance itself - smooth, rugged tempos and very natural performance as you'd expect from Bernard Haitink.
He lets the music speak for itself and try not to tamper.
I think Dmitri Shostakovich would have been proud of such fine performance. There was perhaps one element missing for me - savageness. All I know is that this piece was completed shortly after the death of Stalin and one led to suggestion that the symphony was a musical attack on Stalinist years:

1st movement - repression and frustration 2nd movement - portrait of Stalin as the evil tyrant 3rd movement - uncaring Soviet state 4th movement - growing hope emerging from the dark days

I think Maestro Haitink could have gone even further and test the Viennese players to the full and see what they're made of (especially in the 2nd movement - increase the tempo and let the percussions cry out loud savagely and out of control). I would love to know what if Valery Gergiev was on the podium last night - I think he would have been out of control himself and worn himself out.

3rd and 4th movements were absolutely magnificent - DSCH themes came out loud and clear all the way to the triumphant finale. (DSCH - Dmitri Schstakovich spelt in German - also the sequence of notes Reh- Mih flat
(unquote)


今回生で指揮する姿を初めて見る機会に恵まれたHaitink氏は、今年で77歳。
77歳ながら、年齢を全く感じさせないきっちりと伸びた背筋。
Schulzおよびコンマスとの息の合い方も絶妙。

指揮者としてのアクションは抑え気味な方だが、溢れ出るエネルギーが伝わってくる。
演奏終了後は、Schulzとオーケストラを讃えることを忘れない。

人間の高貴さとは、こういうところからくるのだろうな。
Haitink様、まだまだまだまだ現役で大活躍されることを楽しみにしております。
[PR]
by canary-london | 2006-06-16 10:53 | music
英国の「グッドサービス」については、以前地下鉄を題材に皮肉を込めて書いた
今回の財布・携帯・鍵をはじめとする貴重品が全て盗難に遭うという極端な状況の中では、自分が暮らす国の「サービス」というもののクオリティーについて改めて感じる部分も少なくない。

引き続き財布盗難の後始末に奔走した昨日・今日で体験した小エピソードを二つ。

1. 銀行口座を保有する某H銀行支店にて
キャッシュカードを盗られたため、カードは当然直ちにキャンセル。
現金を下ろす手段がないので、カードキャンセル時に指示された通り、口座番号および今となっては残された唯一の身分証明書であるパスポートを携えて窓口へ。
窓口対応が如何にも不慣れそうな若い行員であったことも一員だろうけれど、当面の軍資金として自分の口座から引き出しを依頼した数百ポンドの紙幣が出てきたのは窓口到達の約40分後。
後ろには長蛇の列だし、そもそも忙しい平日の仕事中にオフィスを抜け出して来ているのだから、この非効率性は何とかならないもんだろーか。

もっとも、ロンドンに暮らしていた15年前は、スーパーなどでレジ打ちのおばちゃまが、客が待っているのに構う風もなく二列離れたレジ打ちの別のおばちゃまとのんびり会話している光景を良く見かけたもの。
これが解消されただけでも、昔に比べれば改善の跡がみられるというべきか。

2. クレジットカード開始手続きについて
クレジットカードも大半を失ったため、運良くたまたま手元に届いたばかりでまだ財布に入れていなかった新規のクレジットカードを早急に開始するため、日曜日夜に指定された番号にいそいそと電話を掛けた。
いや、確かに電話での受付時間は22:00までというところをぎりぎりの数分前に掛けた自分も悪い。しかしながら、22:00になると同時に、あろうことか開設手続き中途の担当者との会話が前触れもなくぶちっと切られてしまった。
掛け直してみても、「営業時間内にお掛け直し下さい」と非情な音声ガイダンス・・・。

これは確かにイギリスに限らず、ヨーロッパでは概ね感じられるドライさではあるといえる。
「商売優先」なんて考え方はここでは通用せず、一例として、都市を問わず美術館およびショップでは閉館10分前ともなるとあからさまに客を追い出しにかかる。
パリのロダン美術館では、「買いたい物は決まってるから、2分で終わるからお願いだから入れて下さい、マダーム」と食い下がって何とか画集を手に入れたりもした。


とはいえ、やはりイギリス人は概してサービス業には不向きなのではないのだろうか・・・などと感じてしまうのは日本人たる所以か。
日本人の「お客様は神様」度はまた一方の極端であり。うろ覚えだが、確か日本マクドナルドが「人間が列に並んで苛々し始める標準時間」について緻密な調査を行った結果を店員教育に生かしている、といった記事を学生時代に見かけたような覚えがある(ちなみにこの平均時間は、これまたうろ覚えながら18秒とか驚くほど短かったように記憶している)。
ここで追求される「サービス」の概念と欧米の概念との間には、やはり少なからぬギャップが存在する。
f0023268_9284678.jpg

好例は、航空会社のスチュワーデスという職業ではないだろうか。
私は個人的には、ロンドン⇔東京間などの長時間のフライトについては特に、日本の航空会社を好んで使用する。
これにはもしかしたら上記の要因だけではなく、日本人特有の「西洋人コンプレックス」も一役買っているのかもしれないが、イギリス人のスチュワーデスに何か頼むときって、こちらが客だというのに何となく「あのー、大変恐れ入りますがあれ持ってきてもらえませんでしょうか」みたいな感じでへりくだってしまって疲れるのである。
日本の航空会社については、最近経営不振に端を発する様々な問題があり、サービスの質に不満がないとは言えないものの、そもそもの国民性として、無理することなく細やかな心配りのできる日本人は生来的にスチュワーデスのような職業に向いているのでは、と感じる次第。


と日本のサービス業を持ち上げたところで、先般帰国した際に遭遇した「おかしな国・日本」を象徴する画面に遭遇したので、この場を借りて落胆&驚愕のコメントを一言・・・。
成田空港ではゲート到着前に検問を行うのが常。
私が乗っていたリムジンバスも例に漏れず、空港到着直前にバスが止められ、女性検察官二人が乗り込んでくる。
この際外見は関係ないといえばないのだが、風貌といい服装といい、どう見ても1970年代のテレビドラマからでも飛び出したかのような女性が二人。
不自然なほど白い手袋に包まれた手を差し出しながら、ぎこちない笑顔で各乗客にパスポートの提示を要求する。

別に、私は外国人と話すにあたって日本人はすべからく英語を話すべし、などと言うつもりは毛頭ない。
けれど、成田に向かうリムジンバスの乗客は7割方ガイジンである。
「パスポートを拝見します」ぐらい、英語で話しかけるルティーンにしても良いのではないだろうか。

更にびっくりしたのが、年配の方の女性検察官、何と検察作業の一環としてバス後方のトイレのドアをノックすることもなくいきなり全開に。
オランダ人あたりだろうか、用足しを済ませて出て来ようとしている長身の男性と丁度鉢合わせするような形となり、驚いた男性と、これまた笑顔で「失礼致しました」と謝る検察官とのちぐはぐさがあまりに際立っていた。

「日本はやっぱり訳のワカラナイFar Eastの国」と言われないよう。
身の回りの小さな行動の一つ一つ、気をつけなきゃ、との思いを新たにした一幕・・・でした。
[PR]
by canary-london | 2006-06-14 09:33 | culture
6月10日。
‘A perfect day’になる予感のする土曜日だった。
夕方までは。

気候の悪いことで有名なロンドンは例年6月が最も心地良い時期で、この日は日中の最高気温が29℃程度、空はロンドンでは滅多にお目にかかることが出来ない「雲一つない抜けるような青空」が広がっていた。
午前中は軽くジムへ行き、午後2時からはビールを片手に前日開幕したドイツでのワールドカップでイングランドの初戦を観戦。
好調な前半と打って変わって、大事を取ってOwenを下げCrouchのワントップによる攻撃が攻撃の体を成していなかった後半ははっきりいってぼろぼろだったものの、前半での1-0のリードを何とか守り切って強敵パラグアイに辛勝。
観戦に続いて、夕方は暫し仲違いをしていた友人との親交が復活。
これ以上完璧な、のんびりとした土曜日があるだろうか。

夕方から、ロンドンで非常に親しくしてもらった夫婦(フランス人の旦那様と日本人の奥様の実に素敵なカップルである)が今月シンガポールへ転勤してしまうため、farewell partyへ。
場所は、観光客にも人気の高いテムズ川沿いにあるSt Katherine's Dockにあるとあるパブ。以前から行ってみたかったパブでもあり、またそんな好天の中ウォーターフロントのセッティングは最高に違いないと思い、強い日差しの中、ロンドンでは滅多に出番のないノースリーブのワンピースで出掛けた。

10人程度で丸テーブルを囲む。
飲み物は、この時期のロンドンでは定番の「Pimms & lemonade」。
渇いた喉に爽やかな感覚が広がる。

最も出入口に近い席にいた自分の不注意ではあった。
持参した小さなハンドバックは、自分の座っていた椅子の背の片方に引っ掛けていた。上からカーディガンも掛けていたので、まさかそんなことが起こるとは。
子供を連れて来ていたカップルが、そろそろ赤ちゃんを寝かせる時間なので・・・と席を立ったとき。
ハンドバッグが忽然と消えている。
探しても探しても、ない。

慌ててハンドバッグに入っていた自分の携帯電話に友人の携帯から掛けてもらうと、ピックアップしたのは若干南アジア方面の訛りの感じられる男女二人組。
そもそも盗んだ携帯になんか出なきゃいいのにと思うのだが、何度か掛けた後は結局電源が切られたらしく繋がらなくなった。

その後の展開は、パブから徒歩5分程度のところに住む件のカップルの家に押しかけて、クレジットカード等緊急性の高いものを全て止める作業に奔走。
全て片付いたときには10時半を回っており、ぐったりと疲れてしまった。

私は、割とモノにこだわる方だ。
何だかんだ言っても、良いものは良い。
ハンドバッグは、女性にとってはある意味人生の縮図である。
バッグに入っていたもの・・・
4ヶ月待ってやっと先月手に入れたSmythsonの赤の長財布(現金のほかに、諸々のクレジットカードとキャッシュカード、日本とイギリスの自動車免許等々が入っていた)。
お揃いのSmythsonの名刺入れ(中には自分および他人の名刺)。
iPod(これまた人生の縮図。泣ける・・・)。
大事にしていた名前入りのモンブランのボールペン。
家の鍵。
ハンカチ、ティッシュ、化粧品。
ロンドンの地下鉄&バスで使えるプリペイドカードのOyster Cardと会社のID。
日記(健忘症なので、父に倣って大学生の頃から日記を付けている)。

f0023268_7361881.jpg


カード類は全て直ちに止め、幸いにして悪用された形跡はなかった。
Blackberryを携帯していなかったのも不幸中の幸い。
となると、犯人にとって価値があったのは、せいぜい財布に入っていた80ポンド程度の現金と、20ポンド程度の残高があったOyster Card程度か。

確かに、財布や名刺入れやペンやiPodは、売り捌けば幾ばくかのお金にはなるのかもしれない。
そんな金額のために、泥棒というリスクを冒すなんて自分の感覚としては信じられなかった。
大半のものは、きっと他人にとってはあまり意味のないもの。
特に、日記なんて多分にプライベートなものであり、日本語の日記が犯人に意味を持つとは思えない。
でも自分にとってはかなり重要だったりするんですよ・・・。

日曜日の今日は、引き続き警察に行ったり諸々の被害届提出を継続したりと、何やら慌しい一日となった。

感じたこと、三点。
1. やはり貧富の差がある街なのだろうということ
3月に、ロックされたスーツケースからパソコンを盗まれた話は以前に書いた(ロンドンに来てからすっかり「盗まれ癖」が着いてしまった。笑えない・・・)。
これは、その後色々な状況を振り返っても、盗ったのは残念ながらヒースロー空港の職員であるとしか考えられない。

自分は海外生活が比較的長いこともあり、「平和ボケ」と揶揄される日本人特有の一億総中流階級的感覚はなかったつもりなのだけれど、結局は気の緩みがあったのだと思う。
ロンドンは移民も多く、中には決して裕福ではない人々もいる。
そんな中では、貴重品については注意してもし過ぎることはないぐらいの注意を払わなければいけないのだな、と改めて痛感。

2. 「Don't put all the eggs in...」リスク分散
「Don't put all the eggs in one basket」(全ての卵を同じ籠に入れるべきではない)は、分散投資の必要性を説く有名な格言であるけれど、実生活もしかり。
カード、免許などは全て同じ財布に入れていると、失くした・盗られたといった状況では目も当てられない。
とはいえ、やはりものぐさな性格なので全部とりあえず手持ちの財布に入れちゃうんだな・・・。

3. 友人の大切さ: この場を借りて有難う!
Farewell partyのホストであったN氏&A氏のカップルに、本当に何から何まで助けて頂いた。
彼らのパーティーなので友人をもてなす必要があったのに、私のバッグの盗難が分かった途端に奥様のAさんは自宅まで一緒に連れて行って下さり、カードや携帯のキャンセルなど色々な手続きを全て助けて頂いた。
彼らもシンガポールへの出発直前の慌しい時期なのに、旦那様のN氏はATMに走って「とりあえず現金がないとどうしようもないでしょ?下ろせるだけお金を下ろして来たから、当面過ごせる分だけ持って行って」と多額のポンドを渡して下さった。

持つべきものは、素晴らしい友人です。本当に本当に有難う。
貸して頂いた現金は必ずやシンガポールでお返しします・・・・・・・・・。
[PR]
by canary-london | 2006-06-12 07:36 | diary
*もう少し真面目な欧州のmulti-nationalism論についてはコチラ

東京出張の後は、何とアムステルダム経由で帰国するという強行軍。
自分の仕事においては一番のお客様である「発行体」(資金調達を行う主体)のうち、オランダを拠点とするA社が毎年恒例で行うイベントと私の出張の最後の日程が丁度時期的に重なったため、気がつくと当然のように「アナタ東京の帰りに寄って来たらいいじゃない!」なんて恐ろしい展開になっていた。
嗚呼、時差ボケしない体でヨカッタ・・・。
今回はこの「発行体イベント」の片鱗をご紹介。

1. オランダのモノづくり
毎年趣向を凝らしたイベントを企画し、我々ディーラー群を驚かせまた喜ばせることに余念のないA社。
一堂に会するのは、日頃A社の資金調達のお手伝いをする所謂投資銀行といわれる先が20社ほどで、言ってみれば周囲は全てcompetitor(競争相手)。
ただ、この日の目的は発行体が「普段はありがとう」とディーラーを労うことにあるため、ディーラー同士も束の間仕事を忘れて和やかな雰囲気が広がる。

ゴーカートや四輪駆動車を駆使してのオリエンテーリングなど、毎年何故か「クルマ」にまつわることを十八番とするA社(別に自動車メーカーではないのだが)。
この日も、事前のメールでの案内に「(持っている人は)自動車免許、軽装にて耐水性の靴を持参のこと」との指示に、我々はバスに乗り込む前から一体何をやらされるのだか期待半分・不安半分。

バスに揺られること約30分、着いたところはアムステルダムの北東約50kmに位置するDonkervoort社の工場。
私はさっぱり疎いのだけれど、Donkervoortはオランダを代表するスポーツカーのメーカー二社のうちの一社。
1978年の創業以降「クルマを全て手作り」するcraftsmanship精神を貫き、現在も製造台数は年間50台という超レア物。
この「手作り感」と並ぶ同社のセールスポイントは、一台僅か630kgという軽い車体。
さすがに年間製造台数50台では自前でエンジンを作っている場合ではないので、エンジンはAudi社のものを使用しているとの説明だった(1999年にFordから鞍替えした模様。繰り返しになるが私は自動車のことはよくワカラナイが、Ford社の財務状況を見る限りは乗り換え正解?)。

軽量化のために総重量を54kgに抑えたシャシーなど、ガイドさんに案内されての工場内の見学はさながら小学校の社会科見学。
クルマにさほど興味のない私だが、同グループのオランダ人女性と共に「こんなのBoys’ toy(男性の玩具)だよねー。トランクに何も入らないじゃん(笑)」といいながらも、間近で見る手作りスポーツカーにやや興奮してしまった。

工場には所狭しと、製造途中の色とりどりのクルマが並ぶ。
ちなみに、塗装についても注文者が「あのフェラーリのあの赤」とか指定することが出来るそうで、この注文者による「参加型」の製造過程も人気の理由の一つの模様。

気になるお値段は、税金を含まず最低約90,000ユーロ(1300万円弱)。
現在のウェイティングリストは約一年だとか。



f0023268_10173883.jpg



2. 金太郎飴ご容赦: アウトバーンの国ドイツと人とクルマ
このDonkervoort社の工場から程近いところに、Donkervoortの試乗(自分は助手席に乗せてもらってサーキットを時速最高200kmで快走するという体験)、およびBMW車を駆使して様々なドライビングスキルに挑戦することの出来る場所がある。

我々30名強のグループがこの日チャレンジしたのは、3つの技術:
① スラローム: 文字通り、狭い間隔で並べられた三角コーンの間を縫って進みタイムを競う。
② スピン: ふんだんに水の撒かれた地面で、円を描きながらアクセル全開。タイヤがスリップして回り始めたら、ステアリングを逆に切って回転を続ける。
③ バックからの半回転: 急スピードでのバックから、これもスピンとステアリングを利用して車体を180度回転させる。

高校生時分にここロンドンで免許を取得して以来、マニュアル車に触れたこともなかった私の成績はご想像にお任せするが(A社の最大限のユーモアで私は栄えある「World’s Best Driver」賞を付与された)、やはり。
参加者の中で複数名のドイツ人は、皆感心するほどそつなく一つ一つの技術をこなしていく。
「国民性」なんて単純化するつもりはないけれど、、さすがAutobahnを快走することにヨロコビを感じるドイツ人。
私と同チームのフランス人・O君も十分なテクニックの持ち主だったのだけれど、ドイツ人M君のパフォーマンスにすっかり意気消沈してしまっていた。

それぞれの国民にはやっぱり得手不得手・特性があるのだと思う。
至極単純な金太郎飴的イメージながら、ドイツ人はやっぱり自動車の運転が上手い。何よりも、好きなのだと思う。好きこそものの上手なれ、とは良く言ったもので。

3. おまけ: 真面目の国日本とありえないファニー・ジャパニーズ・ガール
一方の日本人の金太郎飴的イメージ(同じ敗戦国でもありドイツ人と日本人は似ていると良く言われるが)は、やはり「真面目」というのが一番目に上るらしく。
一連の運転イベントを終えたディナーを経て、二次会のバーで会話していたベルギー人G氏は、「君はFunny Japanese girlだ」と一言。
彼の中では、’funny’・’Japanese’・’girl’(いや、そろそろgirlって年齢でもないんですけど・・・)の三つの単語は共存しえないものだったらしく、おちゃらけ満開の私のキャラクターが新鮮に映った模様である。
多分この評価に最も貢献したのは、私がディナーの席上で、日本のウォシュレットが如何に素晴らしいかについて熱く熱く語ったことだと思うのだけれど。

日本人のお堅いイメージを打開すべく、canary-londonは今日も驀進します。
[PR]
by canary-london | 2006-06-07 10:19 | culture
長期出張で昨夜遅くまでずっと留守にしておりすっかり更新が遅れてしまいました。
長期出張の大部分は東京だったのですが、東京にいた際に、同じブロガーであり、ブログという媒体を通じて私なんぞより余程真面目に一つのテーマを掘り下げておられるTack氏と「更新をサボる」ということについて議論する機会があったので、少しだけご紹介。

Tack氏が最近出席されたとある食事会でのこと。
知人の方による「一時期に比べて更新がややスローペースになったのでは」とのコメントと共に、「もう少し気楽に書けばいいのに、真面目な内容ばっかりではなくて・・・」との指摘に、「遅れずに更新を行うために’気楽に’書くなんて本末転倒」とやや熱くなって反論してしまったという氏の姿勢には共感する部分が多々ありながら、宥めた部分もあり。

感じたこと、二点。

まず、「遅れずに・・・本末転倒」については、本当に同感。
そもそも「ブログ」という言葉の一般的な定義が、「日記風に書かれた簡易型ホームページ」というのが、既に若干現状にそぐわなくなってきているのでは。
以前に当ブログでもご紹介したtechnorati.comで再度アップデートしたデータを取ってみると、ものの3ヶ月前に2820万件とあった同社の認識する世界のブログの数は、2006年5月1日現在3730万件。
平均して毎秒に一つ、新しいブログが立ち上げられている。
で、この「Blogosphere」なる世界は、6ヶ月で倍増というペース。
(もうこうなってくると、どうにでもしてって感じである。)

飛行機での移動時間が長かったことを利用して、遅れ馳せながらやっと梅田望夫氏の「ウェブ進化論」を読み終えた(お薦め頂いた方々の評価に反することなく、本当に面白かったです。感想はまた後日!?)。
梅田氏のメッセージは実は、本来は表現する手段と場を持たなかっただけであって、面白い情報を発信しうる例えば「10人に一人」(仮に日本の総人口の中では1000万人程度とする)程度の人々が、今後ブログに代表される新しい表現手段を持つという「総表現社会」の到来により、「玉」の絶対数も確実に増えているという部分にある。
この考え方は自分にとっては正に「目から鱗」ではあったのだが、「石」の絶対数も母集団の拡大と共に増えていくことも残念ながらまた確か。
f0023268_6573522.gif


日本語のブログに限ってコメントすると、個人的には最も許せないのが、誤った日本語の氾濫に一役買うような「間違いだらけの日本語」ブログ。ケイタイとケイタイメールの普及の悪しき副産物かもしれないけれど、文語と口語の境界線は一体何処へいっちゃったの!?的な文章は苦手である(自分のことは棚の一番上に上げましたがご容赦頂きたく。)。

二番目には、「許せない」訳ではないけれどあまり興味が持てないのが、「日記風」というブログの定義を乱用して(?)、自らの私生活を赤裸々に綴る内容のもの。書き手としては「見られる」快感とやらがあるのかもしれないけれど、こんなもん、別にウェブ上に公開することもないだろーが。
ちなみに、この二点目については、日本人のブログでは例えばアメリカ等に比べて匿名のものが圧倒的に多いという点に関連するように思う。

二点目は、上記の点と密接に関連するけれど、私がTack氏を宥めた部分。
平たく言えば、「類は友を呼ぶ」といったところ。
結局ブログという媒体に何を求めるかは、多分に個人的なものであって。
私生活を暴露する感覚でブログを書いている人は、例えば社会起業家論にも日英文化比較論にも興味は示さないのだろう、と思う。
つまり、自分の書きたいことを貫いていれば、更新を怠ろうとも読者は着いて来るものだろうから、自分のペースを保てばいいんじゃないでしょうか、というところ。

そんなわけで、10日ぶりにロンドンに戻って最初のエントリは、自分のサボリを正当化するブログ論と相なりました・・・最後まで読んで頂いた方有難うございます!
真面目に、書きたいことがたくさんたくさん溜まってしまったので、ぼちぼちアップしていきたいと思っております。
[PR]
by canary-london | 2006-06-05 06:59 | current