ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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「Social Entrepreneur=社会起業家」という分野は、エコノミック・アニマルとも揶揄される投資銀行で働く自分にとっては全くもって専門外であるほか、Tack様はじめとして周囲にこの分野を専門とされる方が多数いらっしゃるため、自分でコメントするのも僭越と思ってこれまで何となく控えていたけれど、自分でも非常に興味のあるこのコンセプトを一人でも多くの人に紹介できればとの思いから、思い切ってチャレンジしてみることに。
(といっても、冒頭断っている通り、あくまでも「私なりに」咀嚼した私的社会起業家論ですので悪しからずご了承下さい。)

カタチから入ってしまうのだけれど、まずは社会起業家というコンセプトの成り立ちについて少々。

CSR(企業の社会的責任)とかSRI(社会責任投資)とか。
最近これらの言葉を耳にすることが異様に増えたけれど、「Social Entrepreneur」(のコンセプト自体は、そもそもは1997年に発足した(そして今正に崖っぷちに立たされている)英ブレア政権の政策ブレーンであったアンソニー・ギデンズ(Anthony Giddens)がその著書の中で使用したのが最初といわれている。

現在自分が英国に暮らすこともあり、今は昔で英国の現代史を簡単におさらいすると、1960-70年代の英国は「揺りかごから墓場まで」と揶揄された高福祉社会であった。莫大なる支出に1973年のオイル・ショックが追い討ちを掛け、1970年代半ばから後半にかけて英国の国家財政は事実上ほぼ破綻状態に(「英国病」蔓延)。
1979年に財政再建を至上命題として登場したサッチャー政権は、福祉政策のスリム化と国家事業の民営化を通じた経済再建を徹底して推し進める一方、この過程で社会的弱者の切り捨てという社会問題も生むことに。
(蛇足ながら、同時代の米国もレーガン政権の下で「小さな政府」を標榜して国家財政のスリム化を推し進め、背景は異なりながら結果的には英米の両方でこのニッチを埋めるべくNPO発展の土壌が形成された経緯がある。)

サッチャー時代を経て1997年に登場したブレア政権は、このような状況下、英国の進むべき道として「第三の道」を提唱。「第三」とはすなわち、社会主義とも市場経済とも異なる新たなる道との意味合いで、言うなれば「近代化された社会民主主義」ということになる。
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この「第三の道」の主要なテーマは、マリリン・ハワード氏を引用すると以下の3つ:
1. 社会的目標と経済的目標は相補的なものであり、収入のみならず仕事や教育などの機会の再配分が必要
社会的排除の防止・治癒は経済的目標の充足にも繋がり、民間企業にとっては企業としての社会的責任を果たすことにもなる。
2. 権利に加えて責任も ~ works both ways
社会は困窮している人々を助ける責任を持ち、また個人は自立の責任を持つ。生活保護を受けずに自ら職を得ることは、最高の自立の手段である。
3. 地域社会(コミュニティー)
市民参加の基礎となる知識を提供できる最大のフォーラムは市民社会である。

いってみれば、上記の三つのテーマを体現するための具体的な方策が、Social Entrepreneurshipというところだろうか。

「はじめの一歩」のうち半歩すら踏み出していない感じだけれど、やや重いテーマで普段の私のおちゃらけエントリに慣れている読者の方も疲れると思う (自分の寝る時間がなくなるというより切実な問題がある。人のせいにするなんて我ながら勝手・・・) ので、今回はここらで小休止して、実際のSocial Entrepreneurについては次回以降持ち越しです・・・・・。
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by canary-london | 2006-05-23 09:53 | social entrepreneur

Sokolovとピアノ

旅行から戻ったばかりだというのに、週末はまた週末だけを利用した小旅行に出ていたりして更新が遅れ気味です・・・(マドリッドへ行ったのですがその話はまた紙面を改めます!)。

一緒に旅行へ行った友人が、「なーんかロンドンに来てからというもの旅行が自転車操業状態なんだよね、何処かへ行くときには既に次の旅行の計画で忙殺されてる感じ・・・」とコメントしていて思わず笑ってしまいましたが、他人のことは笑えず自分も正に自転車操業(笑)。
今週末には体勢を立て直さねば。

本日火曜日は、仕事が終わってからまたもBarbicanでロシアのピアニスト、Grigory Sokolovのコンサートを聴きに出掛けた。
1月にDaniel Barenboimのソロ・リサイタルを聴きに行ったときと同じセッティング。
Barbicanの広い舞台に、グランドピアノがぽつんと一台。

照明が、異常に暗い。
館内アナウンスで、「本日はアーティストの指定により最も弱い照明を使用していますのでご了承下さい」とのコメントが流れる。
曲目は以下の三曲:
Bach         French Suite No.3 in B Minor
Beethoven    Sonata in D minor Op 31/2
Schumann     Sonata in F sharp minor Op 11

最初のタッチから度肝を抜かれた。
聴いている方が指が痙攣しそうなほどトリルを多用するバッハを、軽々と弾いていく。
その音は、その軽やかさのためかピアノの音色という感じが全くせず、バッハと同時代にハープシコードで聴いているかのような錯覚を起こす。
二曲目のベートーベンは、荘厳な印象。
同じ人間が演奏しているとは思えないほど、様々な表情の音色を出していく。


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インターバルを挟んだ後の本日のメインのシューマンのソナタは、「同じ人間が演奏しているとは思えないほど表情の違う音色」が、四つの楽章毎に展開される。
穏やかでメロディックな旋律から、第二楽章への序章へと変化する第一楽章。
「アリア」と名づけられた、抑制された美しさの第二楽章。
一転して、「crisp」という表現の似合う歯切れの良い快音が響き渡る第三楽章。
ドラマチックなフィナーレに向けて驀進する第四楽章。

更に驚いたのは。
確かにインターバルを挟んで2時間弱で全ての演奏が終了する比較的短いプログラムだったとはいえ、何と。
アンコール6曲。
こんなの見たことない。
終了予定時刻をとうに過ぎているというのに、観客は全体の8割程度は残っていたのではないかと思う。惜しみなくスタンディング・オベーションが送られる。
この人は、本当に弾くのが楽しくて楽しくてたまらないんだろうなあ。
想像するに、ひとたびピアノを離れたら、56歳の若干偏屈なおじさま。

音楽を奏でる演奏家たち。
ちょっと視点は違うけれど、美味しいお料理で味わう者を楽しませるシェフ。
単純に単純に、周囲の人間に喜びを与えることのできる職業って、何て素晴らしいのだろうといつもながらに思うひととき。

ときに、自分もギリシャとアテネへの旅行から戻ってきた翌日の土曜日に、ロンドンに来てから(というか16年来)初のピアノ・レッスンを受けた。
実は今日のコンサートも、辛抱強く手ほどきをして下さるA先生の「Sokolovは素晴らしいから是非お薦め!」の一言で足を運んだ。
10日前のレッスンは、おそらく客観的にみれば無残。
11年ピアノを習い、一時期は「将来の夢は?」と聞かれると臆面もなく「ピアニスト」などと答えていた自分はどこへやら。
ピアノは努力の楽器なので、練習しないで弾ける訳がないのは当然といえば全く当然。

ここ数年は聴く専門になってしまったけれど、心を動かす音楽を聴くたび、自分も感動を与えられるような人間に少しでも近づければ・・・なんて思ってみたり。

再び人様に聴かせることのできる音楽が奏でられる日まで。
ガンバロウ。
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by canary-london | 2006-05-17 08:44 | music
刺激いっぱいのイスタンブールに後ろ髪を引かれながら水曜夜のフライトでアテネへ。
話はいきなり横道にそれるが、このイスタンブール→アテネ間のOlympic Airlinesのフライトは、なかなかスゴかった。何かの問題で機体交換を行う必要があった模様でフライト自体も大きく遅れたのだけれど、外から眺めて機体が小っちゃいなあと思って乗り込んでみたら、左右二席ずつ・後ろは何と18番までしかない。
72人乗りー?
幾らトルコ⇔ギリシャが近いとはいってもさ、一応国際線なんだからさ。
荷物を入れる場所も当然ながら比例して小さく、カッパドキアで買った飾り皿の大きな箱はあえなく座席の下で私の足置きとなっていた。
トルコがいかに多くの国と国境を接しそれが故に多様性に富んでいることについては前回書いた通りだけれど、エーゲ海側は本当にギリシャまでひとっ飛び。遺跡・文化・食などもギリシャに近くなって当然といえば当然か。

アテネ滞在は正味二日弱しかなかったのだけれど、こちらも感想を少しだけ。

1. 寝ても覚めてもアクロポリス
街の至るところから拝むことの出来る、パルテノン神殿をはじめとするタイムスリップな建物群。
350万人程度の人口を抱える大都市にあんなモノが忽然とあるなんて、やはり異常である。
イスタンブールが聖と俗の融合なら、こちらは古代と現代の融合というところだろうか。

2. 太陽の国
アテネに行ったら、ロンドンでは登場機会の少ない半袖で出歩くことを楽しみにしていたのに、滞在中は残念ながら寒冷前線の南下でmax17℃程度と肌寒く風も強い日が続いた。
そうは言っても、やっぱり太陽の光が違う。
天気自体は良かったので、日中日が射すと、気温と関係なくサングラスがないと歩くのが辛いような明るい陽光。
こんな日の光の恵みを受けて育ったオリーブやトマトは美味しいわけね。

3. B級(C級?)グルメツアー
トルコでも十分食い倒れたのだが、アテネではガイドブックに載っていたファーストフード的なものにすっかりハマってしまった。
① スブラキ
「スブラキ」自体は「串焼き」程度の意味合いで、お魚や野菜もあるようだけれど定番はマトンや豚肉。オモニア広場のそばに、東京でいえばガード下の一杯飲み屋的風情のスブラキ店があり、店頭で親父さんが手際良く焼く串焼きの匂いに吸い寄せられるように、ひっきりなしに地元の人と観光客の両方が入っていく。
② ギロ・ピタ
「ギロ」は塊肉の炭火焼を薄切りにしたもので、ギロ・ピタとはこれを野菜などと一緒にピタパンに挟んだハンバーガー的色彩の濃い食べ物。
↓決してヘルシーとはいえないのだが、ジューシーお肉と絶妙ソース・そしてピタパンの組み合わせがクセになる味で、滞在中のお昼は何と二日ともこんなジャンキーなものを食してしまった。

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4. 遺跡・遺跡・遺跡・・・の国とアテネを越えて
#1のトピックに戻る形になるのだけれど、ギリシャはやはりアテネのアクロポリスに留まらず、とにかく遺跡の国。アテネでは考古学博物館のコレクションを堪能したこともあり、逆にアテネだけ訪れたことの物足りなさを感じてしまった。
やはりミケーネやオリンピア、エピダウロスなどの遺跡を見たい。
クレタ島へも行きたい。

ちなみに、ギリシャには何と16件ものユネスコ世界遺産がある。
アテネ滞在二日目は、アクロポリスに続く世界遺産を訪れてみようかと、アテネの中心部から西へ10kmほど行ったところにあるダフネ修道院へ足を運んだ。
が・・・改装中により休館。
2005年1月のガイドブックに「休館中」とあったので、さすがにもう修理も済んでいるかと思いきや、ギリシャ・タイムにすっかりやられてしまった。
このリベンジもあり、アテネを越えて更に深く遺跡を追いかけたい気持ちもあり、ギリシャへはいつの日にか再び行く機会を作れれば・・・と思う。
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by canary-london | 2006-05-12 10:47 | travel
同じトルコでも、イスタンブールはカッパドキアとは全く趣きの異なる街。

Nation state (民族国家) のボーダーなんて便宜的にしか定められていないのだから当たり前といえば当たり前なのだが、それでもトルコの多様性には目を見張る。

トルコは文化的にも異なる特徴を持つ7つの地域に分けられている: イスタンブールのあるThrace & The Sea of Marmara(マルマラ海周辺), The Aegean(エーゲ海周辺), Medeterranean Turkey(地中海周辺), The Black Sea(黒海周辺), Ankara & Western Anatolia(首都アンカラおよび西部アナトリア), Cappadocia & Central Anatolia(カッパドキアおよび中部アナトリア), そしてEastern Anatolia(東部アナトリア)。

もっと広いイメージのあった国土は日本の約2倍に過ぎないながら、トルコと国境を接する国は実に9カ国(ヨーロッパ側でギリシャおよびブルガリア;アジア側でグルジア・アルメニア・アゼルバイジャン・イラン・イラク・シリア・キプロス)。
周囲の国々を列挙するだけでもその多様性は容易に想像がつくだけでなく、トルコが一つのnation stateであることすら不思議に思えてくる。

イスタンブールはそんなトルコの国としての多様性・多面性を具現する都市である。
そんなイスタンブールを語るには足りない48時間程度の滞在にて感じたこと、非常に五月雨的だけれど何点か。
     ↓トプカプ宮殿から臨むボスポラス海峡
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1. Savvy且つpragmaticな商人魂
イスタンブールの商人達は、とにかく商魂逞しい。
この手の市場ではおそらく世界有数の規模と活気を誇るグランド・バザールは、いってみれば買い手と売り手の化かし合いの世界。
「騙されまい」と警戒する観光客に、悪びれもせず客引きを続ける売り子達。
私はカッパドキアで本場のトルコ石などジュエリーを存分に買ったことに加えて、イスタンブールが予想外に寒かったことも手伝って値切り交渉をフルパワーで行う気力がなかったため、グランドバザールでは各種呼び込みをほぼ無視してすたすたと歩いていたのだが、彼らの「売るぞ!」という強い意志には恐れ入る。
さすがシルク・ロードの時代から商売をしている国民、これは先祖代々刷り込まれてるんだろうなあ。

2. イスラム教至上主義、改めて認識
トルコは国民の98-99%がイスラム教という世界でも有数のイスラム国。
調べてみると、一日5回必ずモスクから「エザーン」とか「アザーン」とよばれるサラート(アラーの神へのお祈り)の文句が各主要モスクから大音量で流れるものの、トルコ自体はイスラム教圏のわりに意外とアバウトである模様。
例えば、ラマダン(断食)をあまり厳格に行わない、飲酒が厳しく咎められることもない、など。
そうはいいながらも、イスラム教。
先に登場したカッパドキア2日目のドライバー・Murat氏が詳しくキリスト教のフレスコ画の解説をしてくれるので「貴方はキリスト教徒なんだよね?」と聞くと、彼は開いた口がふさがらないといった面持ちで「イスラム教に決まってるだろう」と一言。

自分の無知を恥じると共に、その多様性故に「イスラム教」を過度に感じさせないトルコという国の偉大さに改めて恐れ入った次第。

ちなみに、今回の旅の同行者Cちゃんとこのときに話したのは、トルコがEUに加盟することの宗教的な観点からの影響。
国の経済と宗教を分離して論じることは十分に可能だと思う一方で、拡大を続けるEUにとってもこれほどの規模・比率のイスラム国家の参入は (仮に実現すれば) 初めてのこと。
トルコの参入にここまでの感情的ともいえる議論が展開されているのは、やはり少なからず宗教的な意味合いがあるのではと思ってしまう。

3. カオス(混沌): 聖と俗の世界
イスタンブールは、とにかく滅茶苦茶だ。
グランド・バザールに程近く、昔から香辛料に重きを置いていたため別名「Spice Bazaar」ともよばれるエジプシャン・バザール。
モスク中を彩る青色の美しいイズニック・タイルをひとめ拝めればと訪れたリュステム・パシャ・ジャーミーの入口は、人と車がひしめき合うバザールの一角の路地にあり、モスクの入口だというのに物売りが店を広げているという有様。
街の至るところにあるモスクに象徴されるイスラム教の「聖」と、それ以外のものの「俗」が奇妙にブレンドするカオス。
これがイスタンブールの魅力なのだろうか。


     →Blue Mosquef0023268_9564657.jpg


4. 親日と若きビジネスマン達
イスタンブールでひたすら驚いたのは、流暢な日本語で声を掛けてくる若い男性の多いこと。
二言目には、「東京の何処に住んでいるの?」との質問が飛び、私はロンドン在住なので適当に誤魔化すとして、Cちゃんが「港区」なんて答えようものなら、「僕はこないだまで墨田区に住んでいたんだ」とか、「ビジネスで良く東京を訪れるよ。先日も渋谷で遊んでたんだ。」といった調子。
これが下手なところなら、「ナンパで鬱陶しい若者たちだなあ」と思うところだが(多少はそう感じたが・・・)、彼らは純粋に「日本人の友達・知り合いを増やしたい」一心で近づいてくるのである。

おまけに上記のビジネスマンのように、仕事で日本と接点を多くもつ人も多数。
キリム(トルコ絨毯)の輸出入に携わっていたり、日本人観光客向けに斡旋やガイドの仕事をしていたり。
とにかく日本語を自在に使いこなす若者が多いのには舌を巻いた。
彼らの多くが、20代前半~半ば。
トルコでは、若くしていっぱしのビジネスマンとなるのがステータスであるように思われたが、財産を築いた後の彼らの第二の人生はいかに?と余計な心配・詮索をしてしまうお節介なわたくし。

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   ←地下宮殿にある横向きメデューサ像








5. おまけ: 体験談
① ベリーダンス体験
実はロンドンでも直近ベリーダンスを鑑賞する機会があったのだが、本場のものはまた格別。
ステージに登場するお姉さま方は、必ずしもスレンダーとはいえないもののウエストラインのくびれが強調され、やはりこの振動は腹筋に少なからず良い効果を与えているに違いない、と確信した次第。
ちなみに我々がベリーダンスを見た「Orient House」という観光客を主たるターゲットとした店は、かなり観客参加型。一度ならず「日本代表!」とかいってステージに引っ張り出されて閉口したが、ベリー (お腹) の運動をさせてもらったと思えばそれもまた一興?

② ハマム体験
折角のトルコ。
少ない時間を何とかやりくりして、垢すり&マッサージを兼ねた大衆浴場であるハマムへも足を運んでみた。
それぞれのハマムによって特徴はあるのかと思うが、私が訪れた某有名ハマムは、意外とマッサージもマイルドで、こすられる側としてはせいぜい銭湯に毛が生えた程度の印象。
快適だったけれど、韓国の垢すりなどをイメージして行くとマッサージ自体は物足りない。
それにしても最も異様だったのは、ハマム・スペースに入る瞬間。
真ん中に円形の大理石の台があるのだが、この上にマッサージを待つ女性の裸体(一応布を巻いていたりするのだけれど)が何体もあり、温泉・銭湯カルチャーで他人のハダカには十分に慣れている筈の日本人にとっても変な光景だった。

イスタンブールについてはあまりに書きたいことが多過ぎて長くなってしまったが、乱文ご容赦頂きたく。
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by canary-london | 2006-05-09 10:06 | travel
三部作となる予定の旅行記からいきなり脱線するけれど、今週末のロンドンご近所再発見がささやかながらとても嬉しかったのでちょっとだけ紹介。

金曜日の深夜旅行から戻り、土曜日の夜のフライトで日本へ帰国するCちゃんが我が家に宿泊。
土曜日の朝起きてから彼女を付き合わせ、私は旅行中に届いていたCouncil Tax(地方税)の支払遅延警告レターを手に (私の怠慢のせいもあるが、自動引き落としにしないと非常に支払期限が分かりづらい。今回無事に引き落としに変更出来たのでやっとひと安心。) 、自宅から最も近いCouncil TaxのオフィスがあるChurch Streetへ (何とも好都合なことに徒歩3分程度) 。

Church Streetは週末になるとロンドンでは各地で展開されるストリート・マーケット (Camden Townのような昔からある所謂Flea Market~蚤の市から、Borough Marketのようなオーガニック・フードなどに力点を置くFarmer’s Market的な色彩が強いものまで様々) が出ることは知っていたが、今の家に住んでから4ヶ月経つのに実際に足を運んだのは今回が初めて。
それもたまたま税金を払うついでにマーケットに寄ってみたのだが、とにかくそのリーズナブルさにカンドウ。

野菜・果物・お魚など、見たところなかなか新鮮そうなお店が青空のもとに (この日はロンドンお得意の曇天だったので「青空」は嘘ですが・・・) たくさん市を立てている。
適当な果物屋さんで「少量でごめんね」といいながら (何しろフツウの単位が「りんご一箱幾ら」とかなのである) 、種無し葡萄一袋・オレンジ2個・みかん4個・洋梨2個・マンゴー1個・そして枇杷を発見したので枇杷も5個。
これだけで、何としめて3ポンド(約600円)。
以前から地下鉄の文句をぐだぐだと書いているが、一人暮らしには一週間十分暮らせそうな山盛りのフルーツを買って、地下鉄の初乗りと同じ値段とは!
お隣の八百屋さんで美味しそうな枝つきトマトを買ったら、トマトの4個ついた一房で何と75ペンス。

すっかり感動して、「ロンドンに来てから物が安くて感動したのは初めてっっ!」とCちゃん相手に大騒ぎしてしまった。
以前からこの高物価のロンドンで一般人はどうやって生活しているのだろうかと非常に疑問に感じていたのだが、どうやら私が知らないだけで安く生活する術はあるらしい。

マーケットでは当然食べ物だけではなく、雑貨や洋服、靴なども売っている。
あと場所柄イスラム教徒が多いこともあってか、布地を売っているお店がとても多い。
いい気になって、可愛くて目に付いたベティーちゃんとスヌーピーのチビTを購入。


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↑これ、一枚4ポンド(約800円)。
2枚買っても10ポンド札でお釣りが来るなんて!!
年甲斐もなくこんなTシャツを着ている人を見かけたら、それはワタシです・・・。
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by canary-london | 2006-05-08 09:51 | diary
GWに合わせて日本から来日した友人と一緒にトルコとギリシャへ一週間の旅を終えて戻ってきた。週末を利用した小旅行とは「濃さ」が違うので全部書くことなど到底無理だけれど、駆け足で巡ったカッパドキア・イスタンブール・そしてアテネの三箇所のそれぞれについて、自分のメモ代わりに少しだけ整理してみようと思う。

トルコにはかねてから行きたいと思っていたが、中でもカッパドキアは憧れの地。
現在は休火山であるエルジェス山の数億年前の噴火活動によって夥しい量の溶岩と火山灰が大地に積もり、堆積岩層を形成。
時を経てこれらの岩が雨風・激しい温度変化等の浸食を受けて、一帯が周囲に比べて大きくえぐられた谷となったことに加えて数々の奇岩が造られた。
その自然の営みは、ただもうとにかく圧巻。
百聞は一見にしかず。
カッパドキアとは、こんなところです:

↓洞窟住居に手を加えてホテルにしているところは多数。我々の泊まった’Gamirasu Hotel‘はアットホームで快適な宿だったが、オンナ二人なのに「ハネムーンスイート」をあてがわれたのにはびっくりした(注: 二部屋もらえたので別々の部屋で寝ました)。

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奇岩群。
↓有名なパシャバー地区のキノコ岩

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↓見事なラクダ型のラクダ岩

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↓こんな光景が延々と続く。谷の中にいると気づかないのだけれど、実は丘や山にみえる周囲の高さが正常な高さ。ひとたびその山の上に上ると平坦な道が続き、「谷」が異常な存在であることにふと気づかされる。

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↓二日目は気合の4:15起床で気球から見事なる奇岩と地層を俯瞰。

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この世のものとは思えない光景に、カッパドキアは自然ばかりが強調されがちであるけれど、実はこんな環境の中で人間も遥か昔から営みを続けている。
自然と人間の融合。

1. 洞窟住居
この地形と共存するために昔の人々は知恵を絞ったわけであって。
大地が造った不思議な岩がシェルターを提供してくれるなら、そこに住まってしまえ、ということだったのだろう。
初日のガイドを務めてくれたKudlim(略称クドー君といっていたので本名いまいちあやふや。クドー君許して。)は、12歳まで洞窟住居に住んでいたと聞いてびっくり。
聞けば、岩は温度変化が少ないため夏は涼しく冬は暖かいー常に16度程度の気温が保たれるーために快適な空間であり、葡萄が多く獲れることもあってカッパドキア名産のワインの保存も当然洞窟が利用されるとのこと。
ちなみに洞窟住居の外側に小さな穴があるのを多く見かけるが、これは鳩のための穴。昔は鳩の糞を肥料に使っていたため、鳩が重宝されたらしく。


2. 教会と信仰
洞窟の多くは、教会としても利用された。
有名なギョレメ屋外博物館の教会に描かれるフレスコ画からは、それぞれ描かれた時代背景およびその後の変遷を窺い知ることが出来て興味深い。
絵柄から人の顔が消え、十字架などの記号に変わるのは8-9世紀の聖像破壊運動の時代。
その後のキリスト教迫害。

ところで、ギョレメを訪れた翌日にもっと規模の小さいSoganliという町の教会を幾つか訪れたのだが、こちらはほぼ同時代のフレスコ画ながらほぼ壊滅状態。
ユネスコ世界遺産に認定されているギョレメはユネスコの莫大な財政的バックアップを受けている一方で、この地域にはその財力がないのは明らかだった。
保持が非常に難しいといわれるフレスコ画と(この地方では非常に珍しい)ドームを有する教会がただ朽ち果てていくのにやりきれなさを露わにしていたドライバーのMurat氏の表情が忘れられない。

すべての自然・文化的価値の高いものを世界遺産認定することなんて不可能だけれど、失われていく素晴らしいものはたくさんあるに違いない、と自らの無力さを改めて感じた瞬間だった。
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by canary-london | 2006-05-07 09:49 | travel

しばしお待ちを・・・

Canary-londonは今週は日本のGWに合わせて旅行中です。
週末以降にアップしますので(それまでに暴走して途中でアップしなければ)しばしお待ち下さいませ・・・。
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by canary-london | 2006-05-02 06:16 | diary