ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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<   2006年 04月 ( 9 )   > この月の画像一覧

前回書いた通り、土曜日は風邪を押してCovent GardenのRoyal Opera Houseへ。

ごく身近に父という無類のオペラ好きがいるにも拘らず、というべきかむしろ身近にサンプルが存在するからというべきか、これまで何となく足を踏み入れずにいた。

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それは別に、子供の頃アリアを散々大音量で聴かされたトラウマとかいうようなネガティブな理由ではなく、単純に次のような理由による。
理由その1: 特に東京に暮らしていると、オペラは敷居が高い。もっと現実的な話をすれば、チケットも勿論高い。(3-4万円出してウィーン・フィルやベルリン・フィルのコンサートへ行っていることを考えれば実はあまり変わらないけど・・・。)
理由その2: これはやや子供の頃の影響があるのかもしれない。オペラは何となく「大人のもの」という気がしており、アダルドチルドレン度(?)の高い自分にはまだ早いかなという勝手な偏見をもっていた。
理由その3: こと交響曲などに限った話をすると、実は個人的には歌が入るものがあんまり好みではない。マーラー4番の第4楽章とか、同2番の第5楽章とかのコーラスは素晴らしく綺麗だと思う。綺麗だとは思うのだけれど、歌が入ると歌に気をとられて演奏に集中できなくなってしまうような気がするのである。これはおそらくひとえに、複数のことを同時に出来ない自分の不器用さによるものではないかと思う。

ともかく。
そんなわけで、これまで何とはなしにオペラに関わらない生活をしてきた。
でも折角ロンドンにいるわけだし、こちら在住の別の友人に声を掛けてもらったこともあって、6月末の「Tosca」でそつなくデビューを果たす予定だった。
それが今回の突然の嬉しいお誘いで、最も初心者向けではない(?)ワーグナーでのデビューにスイッチ。演目は、「ニーベルングの指輪」四部作の第四部(第三夜) 「神々の黄昏」(Götterdämmerung)。

第一部~第三部は当然見ていない。
予備知識はといえば、映画版「ロード・オブ・ザ・リング」ぐらいしかない(笑)。

おまけに。
ちょっとしたアクシデントで第一幕に間に合わず、ぶっ続けで2時間と3幕の中でも最も長時間にわたる第一幕を劇場脇のレストランのモニターで眺めることに。
薄型テレビの映像と共に音を流してくれるのは良いのだが、困ったことに、肝心な英語字幕の部分が切れて読めない。
ドイツ語分かるわけないだろーが。
というわけで、第一幕はおたおたしながらストーリー展開についていくのがやっと・・・という有様であった。
が。
前菜の後の第二幕。
メインと珈琲でお腹も満足した後の第三幕。
ほぼ案内役に徹して下さったオペラ通のL氏によれば、「ワーグナーは初めのうちちょっと退屈なのを我慢すれば後半は素晴らしい!」とのコメントに納得。

舞台も歌も演奏も、フィナーレに向けて次第にモメンタムが高まる。
特に、Brunnhilde役のLisa Gasteenがとにかく圧巻だった。

世の女性達からの大批判を承知で、最後にもう一つだけオペラを敬遠してきた小さな理由について一言。

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オペラ歌手は、職業柄概ね大柄な女性が多い。
上記Lisa Gasteenも例外ではなく、「圧巻」は歌声に留まらずフィジカルな迫力も相当なもの。
美しい女性・華奢な女性を至上のものと考えている私にとって(まあ要はないものねだりですな・・・)、フィジカルに存在感のある女性というのは、ロマンティックなストーリーラインに何となく不釣合いな気がしてしまう。
相手役の男性が小柄だったりすると尚更のこと。
敬愛するマリア・カラスは50kgものダイエットをして美貌と名声を手に入れたが、オーディエンスとしては素晴らしい歌声もさることながら、スレンダーな立ち姿にうっとりする部分も多々。
消費者の何とわがままなことか。
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by canary-london | 2006-04-28 08:56 | cravings

病は気から

週末珍しいことに風邪を引いた。

金曜日の夕方どうにも喉が痛く、夜帰宅して熱を測ってみると37.7℃と平熱35度台の自分としては驚きに値する数字。それまで大丈夫だったのに熱があると分かった途端に気分が悪くなるのだから「病は気から」とは良く言ったものだ。
風邪薬を探して抽き出しかをがさごそ。が、「XXは風邪引かない」を地でいっておりここ数年来熱など出した覚えのない私の自宅の頼りない薬箱には、二日酔用の胃薬と薬局でおまけにもらったサロンパスぐらいしか入っていない。嗚呼。
これでも子供の頃は喘息で夜な夜な母に付き添って起きていてもらったり、運動会などは走れないので脇から眺めている病弱な子供だったのだが、あの面影はどこへやら。
薬もないし、こんなときは眠ってしまおう (これも母の常套手段だ)。

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たっぷり14時間の睡眠のあとベッドから這い出したのは、土曜日の正午。
風邪菌はしつこく、これだけ寝たというのにまだ熱は下がらず。
渋々薬を買いに外へ出ると、何とも素晴らしいぽかぽか陽気の上、ロンドンにはあるまじき降り注ぐ陽光。
「家で寝てる場合ではない」と、結局そのままBond Streetをほっつき歩いた後、夕方からはオペラへ。
金曜日に突如友人に誘われてOKしたものの、正午時点でははっきりいって「ドタキャンしようかな・・・」とまで思っていたが、やはり生来器の小さい人間なので「65ポンドのチケットを無駄にしちゃーいかんよな」との思いが勝り、インターバルを挟んで6時間強という長丁場に果敢に挑む。

ちなみにわたくし、実はこの日が人生初オペラ。
本当は6月末にオペラ・デビューを果たす手はずだったのだが、期せずして2ヶ月前倒しで臨む運びとなった。
結論からいうと、「パンドラの箱を開けてしまった」状態 (筆者注: ハマリそう) で非常に楽しんだのだが、詳細はまた別項にて(Rさん&Lさんお誘い本当に有難うございます!)。

日曜日も一日元気で過ごしたものの(序に日曜日はクラシックのコンサートにも出掛けた)、月曜日は出社とほぼ同時に気分と喉の調子が下降線を辿り始め、退社する頃には再び絶不調。またしても帰宅して速攻で寝床へというなんとも情けない状態。
もしや自分はただの出社拒否症なのではないかと心配になってしまった。

そんなこんなでアップが遅れましたが、本日は体調もかなり回復。

本日のおまけエピソードを一つ。
(愛すべきロンドンのtubeについて書いた「グッドサービス」のプチ続編としてお楽しみ下さい。)
会社帰りにtube (地下鉄) に乗ろうとすると、ホームに滑り込んできてしばし停止した後、まばらながら乗客を乗せたJubilee Lineの車両のドアは開くことなく、結局すーっと次の駅へと旅立ってしまった。
苦笑いするホームの乗客達に向け、一言駅員からのアナウンスは’Ladies and gentlemen, I’m sorry about this. Looks like the train did not want to stop here (皆様、申し訳ありません。電車はここで止まりたくなかった模様です。)’。
イギリス人のブラックユーモアはつとに有名だが、大真面目なアナウンスに思わず笑ってしまった。
それにしても、電車に乗り込もうとしていた我々は苦笑で済むけれど、我が駅で降りようとしていた乗客にしてみればいい迷惑だろうなあ。
ロンドン暮らしに必要なもの、一に忍耐二にも忍耐。
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by canary-london | 2006-04-26 07:42 | diary
最初に断っておくと私は全くフェミニストではないが(勿論定義にもよるが、女性の「フェミニスト」なる方々は、殊更に権利ばかり主張し果たすべき義務とのバランス感覚に欠ける人が多いような気がして個人的には苦手である。)、今般の記事には少なからず考えさせられた。

まずは、幾つかの数字と事実の概観。
1. 経済成長の牽引役
経済学の教科書にもあるとおり、経済成長の三大要因は①資本の成長(設備投資)、②労働供給の成長(労働力の増加)、そして③技術進歩、の三つである。
女性の社会進出を象徴する一つの数字を取ると、1970年以来平均して男性一人に対して女性二人が雇用されている。
このことからざっと計算すると、先進国における女性の社会進出が経済成長に寄与した度合いは、技術進歩、はたまた成長の牽引役の代名詞となった中国やインドなどの一国の寄与度を遥かに上回ることになる。
2. 勉強する女性達
現状米国では、大学の学位取得率は女性が男性を上回り、その比率は約1.4倍。スウェーデンなど女性の社会進出が更に進んでいる国では、この数字は1.5倍程度に達する。
一方、医師や弁護士などの職業に目を向けると、残念ながら女性で現在この分野の第一線で活躍する人の数は多くはないものの、例えば英国では医師・弁護士になるべく勉強中の人数では、女性が男性を上回る。
3. 労働力に占める女性比率
米国では、労働力全体に占める女性比率が、1920年の統計開始時の2対8から徐々に増加し足下では5割に限りなく近づいている。
この数字を別の切り口でみると、15-64歳の女性全体に占める「働く女性」の割合ということになるが、デンマークやスウェーデンの70%超、米国の65%に対し、日本57%、イタリア45%などとなっている。
4. 企業と女性
世界全体でみると、会社役員に占める女性比率は約7%。米国では15%に達する一方、日本では1%に満たない。
一方、米コンサルティング会社Catalystによると、米国の企業では、女性をシニア・マネジメントに多く起用している会社の方がROE(自己資本利益率)が高い傾向がみられる。
5. 消費者と女性パワー
著名なストラテジストであるGoldman Sachsのキャシー松井氏が考案した「女性の社会進出が進むにつれて成長率が高まる115銘柄」の株式を組み合わせたファンドは、過去10年間で市場全体の伸び率13%程度を遥かに凌駕する96%の伸び。ちなみに銘柄の内容は、美容やファッションに留まらず、オンライン・ショッピング、「中食」関連のビジネス、そして金融サービスなどと幅広い。
6. 少子化と女性の社会進出
「女性の社会進出は少子化を招き、長期的には国の経済成長の阻害要因となる。」
結構よく聞かれる議論である。
ただ、数字をみるとそれは必ずしも正しいわけでもないらしく。
先の例でも引用された通り、「女性の社会進出が進んでいない先進国」の典型例として引き合いに出されるのが日本とイタリア。日本の出生率が1.29と発表され更に急速に進む少子化に警鐘が鳴らされたことは記憶に新しいが、イタリアの出生率も実は1.2そこそこ。
一方で、先に引用した通り逆に「女性の社会進出が最も進んでいる先進国」の代名詞といえるスウェーデンでは出生率は1.6を上回り、また米国の出生率は2.1という驚愕の数字である。

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*注: 写真は本文とは関係ありません(笑)。


簡単な考察
* まずは、得てしてこの手の記事にみられることだが、必ずしも数字を全て鵜呑みにできるわけではないと思う。それはメディアのバイアス云々の話を置いても、「客観的なデータを集める」ことは非常に難しいと思われるから。
「例えば、15-64歳の女性が働く比率」の項目では、週一回パートタイムで働き税金面でも扶養家族の扱いを受ける女性と専業主婦の実質的な違いは大きいとは思えず、前者を「労働力」に含めることにどれだけの意味があるのだろう?という気はする。

* とはいうものの、全てが意味のない分析では決してないと思う。
日本という劇的な少子化が進む社会に暮らす身としては、やはり女性を原動力にして少子化による経済成長の低下を食い止める、という考え方には、期待を込めてエールを送りたい。
女性の労働を経済化することには限界があるとの批判を受けるかもしれないけれど、一つの例として、欧米では一般的な「NANNY」という職業がある。日本だとベビーシッターのようなイメージが強いが、実際には働くママの代わりに日中留守宅の管理をしながら子供の面倒をみるという仕事なので、責任はそれなりに重く当然ながらそれに伴って給与水準もかなり高い(労働時間などにもよると思うが例えば年間500万円とか)。
要は、「NANNY」の仕事というのは、女性が皆専業主婦だとすると経済価値の創出に繋がらないが、女性が一人社会に出ることによって創出される仕事であるという観点からは、ダブルの雇用創出なのである。

* 社会のサポート・culturalなサポートは不可欠。
米国や英国では、「働くママ」をサポートする社会基盤が整っている。
税制や社会保障面での柔軟性ももちろん必要であるし、保育園の充実などという基本的な部分も重要である。
社会基盤の充実とメンタリティーは相互に影響するものであろうが、私の周囲で働く米国人や英国人の女性は、かなりフツウに出産後仕事に復帰するパターンが多い。「そのまま辞めちゃおうとか思わなかった?」などと聞くと、逆に「何で?」などと聞き返される始末。
ただ先にみたとおり、日本やイタリアでは、そもそもが仕事をしていない女性でも子供を生む人の数が減少傾向にあるのは憂うべき事態だろう。アメリカやスウェーデンの例を日本にそのまま適用できるかどうかは分からないが、仕事を持つ女性が子供を育てやすいような環境を整えることが出生率アップへの近道ではないかと思う。
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by canary-london | 2006-04-23 11:10 | current

おまけ: 災害夫婦

日曜日の夜に帰国して翌朝ニュースを見ると、Danube(ドナウ川)の世界が過去一世紀あまりで最高位に達したとのニュースが舞い込んできた。

主要な災害地域はセルビアモンテネグロ・ルーマニア・ブルガリアとなっており、自分の滞在していたチェコには影響が及んでいない。この地帯は昨年の洪水で多数の死者が出ただけでなく、重要なインフラが破壊されるなど自然災害による大きな爪痕が残ったため、非常事態宣告と多数の住民を避難させる今回の措置は予防的なそれといえる。
米国のハリケーン被害などで自然災害の増加が温暖化との関連からも再び脚光を浴びるなか(昨日英国で発表された最新のレポートによれば今後100年間で地球上の地上気温は3℃上昇することが予想される。100年で3℃とかいわれてもぴんとこないが、結果として誘発される食糧難により4億人が飢餓の危機に直面するというおぞましい数字。)、近隣地域の方々にお悔やみ申し上げると共にこれ以上の被害拡大がないことを切に願う。

今回の東欧での水害はさほどのニアミスでもないが、近しい友人や家族には周知の通り、どうもここ一年半程度すっかり「災害づいて」しまっている。

2004年12月26日、インドネシアスマトラ沖地震。
モルジブでクリスマスを過ごしていた我々夫婦は、東京に戻った翌朝ニュースでつい12時間前まで滞在していた島が水没しているのを見て愕然。
もっともモルジブ自体はインドネシアやタイの一部地域と異なり幸いにして島全体でも死者70人強に留まったため、おそらく滞在を続けていたとしても死ぬことはなかったのでは・・・と思うが、宿としていた水上コテージは間違いなく水没の憂き目に遭っていただろう。
水中深く潜ると津波の被害からは逃れることができるため、スキューバダイビングをしていた我々は助かったのではないかとの指摘も受けたが、そんな状況でのダイビングは洒落にもならない。

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2005年3月20日、福岡県西方沖地震。
このとき私は既に昨年の第一弾の滞在で単身にてロンドンにいたが、日本に取り残した旦那が「美味いものと温泉を満喫してくるねー」と春分の日の連休を利用して出掛けた先の九州で、しかも移動中の佐賀県の電車内で大地震に遭遇。
死者までは出なかったものの、聞けば「ここはどこ?」を地でいっているような佐賀県の片田舎で突如電車が停止し、2時間かけて近くの町まで歩かされたとか。
つい3ヶ月前のスマトラ沖のことを考えると、この時点で完全に「電車男」ならぬ「地震男」である。

福岡・佐賀での地震の難は逃れたと思っていたわたくし。
もちろん、その後は更に大規模なる7月7日のロンドンでの同時多発テロが降ってくる。
テロ自体については昨年メルマガで散々書いたので繰り返すことはやめるけれど、こうなってくると天災人災を問わず何やら自分が災害を呼んでいる気にすらなる。

2006年は災害のない平和な年となりますように。
皆様もお気をつけてお過ごし下さい。
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by canary-london | 2006-04-19 09:21 | diary

プラハ紀行~続編

ロンドンからヨーロッパはどこへ行くのにもとにかく近いのが魅力。
任期がはっきりとは決まらないロンドンでの滞在を最大限生かすためには、とにかくフットワーク軽く旅行をすることに限る。
多くの都市は二日間精力的に動けば十分に満喫できるような規模だし、消費者には幸いなことに最近では競争の激化により格安航空会社のネットワークが充実し、ヒースローよりは少し中心部から離れるGatwickやStansted等の空港に行くことを厭わなければ、ヨーロッパの殆どの主要都市へのアクセスが可能になる。
このような格安航空会社については、安全面に関して疑問を呈するドキュメンタリー番組なども放映されやや波紋を呼んでいることも確かだが、一般人の心情としては所詮max2時間程度の飛行時間だしまあいいか、と思ってあまり気にせずに利用している。

のっけから脱線してしまったが、フットワークの軽さについて、であった。
前回のフランス編のように、一箇所への旅行で5つも記事を書いているのでは身が持たない。
好きでやってるのだから仕方ないのだが、それにしても遅筆になるし他のトピックについて書けないので、旅行記は一箇所につき一エントリに絞ろう、と思っていた矢先。

昨日はプラハ最終日だったのだが、やっぱりどうしても追加で書かずにはいられないことが。
一つだけ、追加します。

ユダヤ教について前回少々触れたが、前回書いた通り、Jewish Quarter一帯は16日・日曜日には観光客向けなのかイースターにも拘らず営業再開。(といってもEasterはあくまでキリスト教の行事なのでユダヤ教は関係ないといえば全くその通りなのだけれど。)
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墓石が無秩序に並ぶThe Old Jewish Cemetaryを中心とする一角の中で、humanityについて考えさせられてしまったのがPinkas Synagogueだった。

1. 77,297人のユダヤ人達
一階から中二階にかけて、壁をナチスによる迫害のために戻らぬ人となった77,297人のチェコスロバキア出身のユダヤ人の氏名が埋め尽くす。建物自体は1968年に浸水のために閉鎖され1990年に再建、壁の文字も1992年から1996年に書き直されたため、清潔な白壁に映る文字は真新しいようにも見え、意外なほどに悲愴感がない。
壁には、亡くなった人の氏名と誕生した年・死亡した年が記載されているのだが、前者は様々。
そして、終了年は例外なく1942年から1944年となっている。
老若男女を問わず、唐突になす術なく人生に終止符が打たれる。
その、機械的な1942や1944という数字とその膨大な数が、ナチスドイツによる迫害がいかに凄惨なものであったかを物語っていた。

2. 子供たちによる絵の展示
二階に上ると、Terezin Camp (強制収容所)で子供達が描いた絵の展示が行われている。
The Jewish Museum in Pragueの資料によると、収容所に送られた時点で15歳に満たなかった子供の数は10,000人を上回り、このうち第二次大戦を生き抜くことが出来たのは僅か242人に過ぎなかった。
絵のテーマは、様々。
戦争勃発前の楽しい日々を描いたもの、闇と恐怖をテーマにしたもの、いつか故郷に帰れる日を夢見て「Praha」へと向かう看板を描いた明るい色調のもの。
年齢を見てその上手さに舌を巻くような作品もある。
X君は将来画家を夢見ていたのかもしれない。
個性と希望と才能に溢れたこんな子供達の人生もまた、唐突に乱暴に終わることを余儀なくされる。

ユダヤ人迫害とホロコーストについては無数の本も映画もあるけれど、直接この目で見て、改めてヒトラーが達成したかったものは、そして達成したものは何だったのだろうと思う。
「民族浄化」。
そんな言葉が頭をよぎり、眠るのが難しくなる。

今日は暗いテーマになってしまいました。
明日から四連休ぼけの頭を現実に引き戻して、仕事に復帰せねば。

追記: イースターはどこも休暇が変則的になるのが痛い。日曜日はユダヤ教にどっぷり浸かる前にDvorak Museumを訪れるも、残念ながら臨時休業の模様・・・仕方なく、美しい建物だけをカメラに収めて退散しました(全貌は自信がないのでコンサートの看板でお茶を濁してます)。
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by canary-london | 2006-04-18 09:02 | travel

プラハ紀行

イースターの4連休を利用してプラハへ来ている。
最近美術館だコンサートだと何やらアソビのエントリに偏ってしまっているため、本当は一発真面目な内容を書いてから今回の旅行記に移ろうと思っていたのだけれど、やはり未知の世界に触れた感動は新鮮なうちに記録したいと思い、結局またしても遊び優先(現在プラハのホテルにて執筆中)。

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1. Middle Europeという考え方
学生時代と通算して4年近くロンドンに住みながらも、東欧に足を踏み入れるのは今回が初。自分でも初・「東欧」に期待いっぱいで来たのだけれど、街中でふと見かけた看板が’The Best…in Middle Europe’となっている。
そうか、彼らの意識の中では何となく共産時代の陰鬱なイメージがつきまとう「東欧」ではなく、「中欧」なのだ、ということを改めて認識した次第。

2. 旧共産圏
それでもやっぱり、旧共産圏であることに時折気づかざるを得ない面もある。
二点だけ紹介する。
一つには、入国審査が妙に厳しかった。「厳しい」というのと少し違うのだけれど、審査官の神経質そうな眼鏡の女性は、幾ページにわたって各国の出入国スタンプが押された私のパスポートを一ページずつ訝しげに繰っている。そんなもの見て何が分かるんだ!?
それに、審査官のところからBaggage Claimへと移動する際のドアは、審査官が操作しないと開かないようになっている。うーん何やら物々しいが、そんなことしなくたってこれを飛び越える人はいないだろうに。。。
二つ目は、レストランでのメニューの表示。
必ず、グラム表示がされている。「Sirloin Steak 300g」「Oven-baked potatoes 500g」といった具合で、肉のみならず野菜の重量まで明記。聞けば、これは共産党時代の食糧配給制度の名残なのだそうだ。
まあこちらとしては、「800g」とかいう肉料理に誤って手を出したりせずに済むので助かるといえば助かる。

3. ドイツ・オーストリア文化圏とビール狂
チェコはドイツ・オーストリアにとても近く、20世紀の歴史が両国と大きく異なったものとなっていなければ、おそらく両国に非常に近い国がまた一つ・・・との印象の国になっていたのだろう(20世紀の歴史が異なれば、チェコが国民国家として成立しているかどうか自体が不確かとなるため、この歴史のIFは無意味だけれど)。
19世紀半ばにピルスナービールが生まれた地、ドイツのPilsenはプラハからものの80kmしか離れておらず、その意味ではピルスナーが美味しいのは当然といえば当然。
ホップの香りが強いこのビール、断然生が美味しい。日本やイギリスにいると当たり前のように缶や瓶のピルスナーを飲むけれど、こちらの人は「輸出用」である缶や瓶詰めには絶対に手を出さないとか。当然ですな。
昼には誤って生ビールのないかなりイイカゲンなところに入ってしまい、缶を頼んで後悔。
ここまで生と味が違うとは。
ちなみに、今回の旅ですっかり気に入って飲んでいるのは緑のボトルが印象的な’Pilsner Urquell’。
あまり長期間滞在するとドイツ人顔負けのビールっ腹になりそうなので気をつけねば。

4. ユダヤ教について
今回何の気なしにEasterに訪れてしまったが、昨日・今日はJewish Quarterとよばれ多くのsynagogueを擁するエリアの観光名所は全て臨時休業となっていた。しかしEaster Sundayである明日は営業再開とのことで、ご苦労様です・・・。
ユダヤ教に触れたため、丁度昨年のこの時期に亡くなった前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世にふと思いを馳せた。中絶反対の考え方には賛否両論あろうが、近年この人ほど世界中の多数の人々から崇められ愛された人を探すのは難しい。
ローマ法王として初めてユダヤ教のsynagogueを公式に訪問したのは、ヨハネ・パウロ二世だったそうだ。
脱線が目に余るのでこれについては機を改めることにする。

5. Music
チェコが生んだ作曲家では、ドヴォルザークとスメタナがあまりに有名。
ドヴォルザークは、友人に薦められて以来交響曲7番が最も好きになったが、Little Quarterをぶらぶらしていたら昔ながらのCD屋さんを発見。どうせならばりばりにチェコ・テイストのものを買おうと思って、ドヴォルザークのSlovanic Dances(チェコ・フィル演奏・Neumann指揮)とスメタナのMy Country(同じくチェコ・フィル演奏・Kubelik指揮)を購入。
プラハには両氏をテーマとしたMuseumもあり、明日はDvorak Museumへ足を運んでみようと思っている。

6. Literature
文学者では、フランツ・カフカ。
プラハ城の一角を成す狭い路地に小粒の家がひしめき合う‘Golden Lane’の22番地は、カフカが数ヶ月ながら暮らした家とあって観光客が絶えない。
この近くでカフカ・グッズを専門に売る店のショーウィンドウが愛らしかったのでカメラに収めてみた。隣は、同エリアにあるカフェ。

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*おまけーLittle QuarterのNerudova Streetにある家の標識の数々。18世紀後半に番地が付与されるまで、それぞれの家はこのようなサインで識別されていたとのこと。
街並に素敵な彩りを添えていた。


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by canary-london | 2006-04-16 08:30 | travel
今年3回目となるコンサートは、またもBarbicanにて(一回目二回目はこちら)。

昨年の短期滞在中にはSouth Bank Centreの一部を成すRoyal Festival Hallにも頻繁に足を運んだのだが、音響や座席など全般的にBarbicanの方がクラシック音楽を聴く環境としては快適なので、Barbicanに一度行ってからはBarbican贔屓になってしまった(このような点も含めて、今正にRFHは同ホールのみならずSBC全体の改装に尽力している)。
ちなみに話は逸れるが、ロンドンでのconcert venueという意味では、もうひとつ忘れてならないのは毎年夏のBBC Promsの舞台となるRoyal Albert Hallである。
故ダイアナ妃追悼として2000年にオープンした子供用playgroundを擁するKensington Gardensの真向かいに位置する同ホールは、ロケーションという観点からは他の二つにはなく自ずとhighly-sophisticatedなオーディエンスを集める魅力をもっている。
RAHも昨年のProms以来しばらくご無沙汰してしまったのだが、今久しぶりにサイトを覗いたら再来週末はTchaikovsky, Prokofiev & Shotakovichなんて魅力的な催しがあるではないか。
行っちゃおうかな。
これが一人暮らしの気ままさです。

話は戻って、内田光子氏である。
昨年、上記のRFHで同ホールを拠点に活動するPhilharmoniaオーケストラ・Sir Charles MacKerras氏指揮でオケとのコラボレーションは見る機会があったけれど、今回は完全なるピアノ・ソロ。
演目は以下の通り、生誕250周年でもありMozart三昧:
Fantasy in C minor K475
Sonata in C minor K457
Adagio in B minor K540
Sonata in F K533/K494
Sonata in D K576

以前も書いた通り、私はクラシックの専門家ではなくオーディエンスに徹しているので技術的なことは分からないし言及するつもりもない。

でも内田光子さんの演奏するMozartは、とにかくソウルフルである。
「日本人の誇り」なんてフレーズは陳腐だし、幼少の頃からヨーロッパで過ごし英国人外交官Robert Cooperと長年のパートナー関係を保つ彼女はむしろ「日本人」という枠組みを逸脱しているとは思う。が、昨年RFHで彼女の演奏を初めてCDではなく生で聴いたときには、本当に同じ「日本人として誇らしい」という4年に一度のオリンピックで感じるときのようなえもいわれぬ陳腐さを孕んだ素朴・純粋なる思いを胸に抱いた。

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1. とにかく、深い深いお辞儀をする方である。
演奏の前も後も、聴衆が恐縮するぐらい、華奢な体を180度近く折り曲げて一礼をする。
それは、聴衆と同時にピアノに対してしているのかもしれないし、彼女が「逃げ水のようで掴みどころがない。シューベルトの方がよっぽど共感できるし分かり易いわ。」と笑うモーツァルトに対してなのかもしれない。

2. 2008年には還暦という年齢を全くじさせない精力的な演奏活動をする世界屈指のピアニストながら、近寄り難さや勿体ぶった感じを本当に全く感じさせない。
今回はソロだったが、前回のRFHのときには自分の出番が終わるとベストとジーンズという軽装に身を包んでRFHの観客席にjoinし、一般客に混じってオーケストラの残りの演奏を楽しんでおられた。

服装は、Issey MiyakeのPleats Pleaseだろうか。
彼女のイメージぴったりの、天使の羽衣のようなふわっとした装い。
「妖精のような」という形容詞が、しっくり来る。

3. Barbican万歳。またもコンサート終了後のサイン会なんぞに駆け付けてしまった。
ミーハー精神丸出しで1月末のRCOコンサート時にヤンソンスのサインをもらったことは第一回コンサート報告にてお伝えしたとおりだが、今回も内田光子さん残ってサイン頂けるとのアナウンス。
図々しくもCDと本日のパンフレットの2箇所にサインして頂いてしまった。
ステージで見る内田さんは本当に若々しくパワフルなのだが、近くで見るとやはり髪に白いものが混じる。だけれど、一人一人と言葉を交わし、求められれば写真にも応じる気さくさ。
「燃え尽きてしまわないよう、そして自分が常に新しいものを吸収できるように」とコンサートは年間50回までと自分に制約を課す彼女。
とにかく末永くご活躍を祈るばかりである。

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しかし、残念ながら今回も落胆を隠せなかったのは、ロンドンの聴衆の音に対する鈍感さ。
いや、別に咳はきっと抑えられない生理現象なのだと思うのだが、それにしても演奏中に大ボリュームで咳する人多過ぎです。
日本の聴衆の、少しでも音を立てたら犯罪者的な反応もやや過剰かもしれないが(チケットの高さを考えたら仕方ないかも)、もうちょっと周囲に配慮してくれんかねといつもながらに思う。

でも、今回は少なくとも素晴らしいと感じる演奏に対して臆することなくスタンディング・オベーションを贈ることが出来たので、自分としては満足。



人生を豊かにする素敵な音楽、万歳。
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by canary-london | 2006-04-09 21:26 | music
日本から帰国したばかりの今週末は、これといった予定もなく比較的のんびりと過ごした。
ロンドンの気候も、4月に入って漸く少しだけ春の足音が。

日曜日は、以前から訪れてみたかったEmbankment裏に位置するコートールド・ギャラリー(Courtauld Institute of Art Gallery)を訪問。

ここは、常設展示は無料が圧倒的多数派のロンドンにおいては珍しく、(特別展示と共通料金ながら)入場料金として5ポンドを徴収する。
しかし、ロンドンでは初めて出会った限定的ながら写真撮影を許可する美術館でもあった。
(所定の用紙に記入する必要があり、どの作品を撮ったか細かく記録を求められる。ちなみにGround floorとFirst floorしか撮影は許可されておらずSecond Floorは禁止。)

1. セザンヌ再発見
珠玉のコレクションの中で特筆すべきは、やはり印象派。
モネ、マネ、ルノワール、セザンヌ、ロートレック、ドガ。
中でも、セザンヌが多いことが特徴。
といってもウェブサイトに紹介されていたターナーやレンブラントは一枚も見当たらなかったので、そんなに広くはない展示スペースをこまめに入れ替えているのだろうか。

セザンヌは、オルセーなどへ行くとついつい幾多の巨匠に埋もれてやや影が薄くなりがちなのだが(セザンヌ自身十分に巨匠なのだけれど)、今回は個人的にはセザンヌ再発見、であった。

有名な’The Card Players’(「トランプをする男たち」: 1892-1895)。
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オルセーでも楽しんだこの絵。
男性を題材としたセザンヌの絵では、’Man with a Pipe’「パイプをくわえた男」: 1892-1895)も広く知られているが、実はパイプを加えたこの男性と、トランプをする左側の男性は同一人物。
どうやらセザンヌ自身の雇っていた庭師だったらしく。
セザンヌのコメントが印象的だったので紹介する:
‘I love above all else the appearance of people who have grown old without breaking with old customs’
意訳するとこんな感じだろうか:
「私が何より好きなのは、古くからの風習に頑なにこだわりを持ち続けて年齢を重ねた人達の表情である。」

古いかもしれないけれど、素敵な考え方ではないか。
ちなみにセザンヌの風景画も多数展示されていたが、個人的にはセザンヌは風景画より静物や人物の方に魅力を感じる。
下の二点はモネ。
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2. 美術作品を撮影するということについて思うこと
2月にパリを訪れた際、写真撮影があまりに自由に許可されていて驚いたオルセーについて書いた

オルセーで群衆に紛れてデジカメで幾多のお気に入りの絵を写しながら、実のところ何とはなしに違和感を感じていた。

私は記憶力が悪いので(いや別に年齢のせいではなく昔から健忘症なのだが・・・)、感動を一部でも映像として保存できることは有り難いことは間違いない(これは写真撮影によって絵画の劣化が加速しないことが前提だけれど。専門家の友人にいわせると何らかの悪影響は与えると思われるため、オルセーはじめとするパリの幾つかの主要美術館における寛大なる措置は信じがたいものがある。)。

ただ、ひとたび「写真OK」となると、人間心理としては深く考えずにとにかく写真を撮りまくろうということになるのだろうか。
オルセーでは、芸術を楽しむよりも写真を撮ることの方に専念している輩が多いように感じて残念だった。
特に写真が好きなのはアジア人に顕著な傾向であるように思う。

写真という記録媒体に残せるかどうかに係らず、素敵なものに出会ったときの感動を、その一瞬を大切にしたい。
どれだけ便利なデジタル社会になろうとも、感動を残さず記録することなど出来ないのだから。
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by canary-london | 2006-04-05 08:04 | diary
花についても団子についても前回書いたが、今回は団子に関する追加を含めて二点。
日本礼賛。

1. 肴
最近帰国する際には、成田空港で明太子(またはたらこ)、そしていかの塩辛、の二品を買うことにしている。
空港のショップで入れてくれる僅かばかりの保冷材は、当然11時間半のフライトに乗り込む身には単なる気休めでしかないのだが、細かいことを気にしている場合ではない。
他の荷物と共に有無を言わさず頭上の棚に収納。
自宅に着いてから、食べ切れない分は速攻で冷凍庫へ。

3月・4月の東京⇔ロンドン便JALでは、嬉しいことに幻の焼酎3Mの一つである森伊蔵の機内販売を行っている。
往路では、旦那へのお土産に一本購入。
復路の一本は自分用!

明太子も塩辛も、通常は酒の肴として瞬く間に消費されてしまう(焼酎の方もちっとももたないけど)。
私は夜はお酒を飲んでしまうため(毎日ではありませんが・・・)夕食に白米を食べることはかなり稀である。

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若干だらけた気分の週末だったのをいいことに、日曜日の朝食(ブランチ)はこの明太子を白米で食べることに決定。
鍋で炊飯に取り掛かる(炊飯器は手作りパンにはまっている旦那に取られたことは以前にご紹介した通り。自宅でご飯を炊くことは稀なので文句は言えないのですが・・・)。
年末に母が持たせてくれた魚沼産コシヒカリがかなーり程よく仕上がる。
鍋でご飯を炊くことの醍醐味(?)は、「おこげ」の存在。
「顎落とし」という絶妙なネーミングのなされた明太子と白米に時折おこげを混ぜながらお茶碗を傾けつつ、「ニッポン万歳」とひそかに拍手してしまいました。

2. コミック
金曜日の夕方オフィスへ出社すると共に、最近巷で注目度ナンバーワンの漫画「のだめカンタービレ」が既発分の14巻フルセットでまわってきた。

貧乏性なので普段漫画は殆ど読まない性格なのだが、これには何ともハマりました。

大好きなクラシック音楽が題材(しかもクラシック通の人に言わせるとかなり熟考された内容の模様。以前flautebankerさんも言及されていましたね。)であるというだけでなく、読者に早く続きを読みたいっっっと思わせる勢いがある。

結局週末のうちに軽く14巻を読破。

早く続き出ないかなあ。

*Hさん&Yさん共同文庫からの貸与有難うございました。
**旦那様、たまの帰国時にほったらかしで漫画を読み耽っていてゴメンナサイ・・・。

てなわけで、愛すべきニッポンの酒と肴とコミック本、万歳。
あー、なんて自堕落な生活・・・・・。
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by canary-london | 2006-04-04 07:24 | diary