ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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よくもまあ、たかだか3泊4日のフランス旅行でここまで延々と「紀行」が書けてしまうのか自分でも摩訶不思議ですが。
今回はちょっとした番外編(またかよ)で、海外で活躍する敬愛すべき若き日本人女性二人に対するエール。

前回パリでのディナーに言及したけれど、中間日であった月曜日の夜に行った「Laurent」は、もともとそこでシェフを務めていたSさんの案内で行く幸運に恵まれた。
Sさんは、日本のホテルでシェフとして数年間の仕事をした後、「腕を磨きたい」と二年ほど前に単身パリへ。
語学の勉強をしながらレストランの厨房で職を見つけ、以来主にはビザの観点から勤務先を転々とせざるをえないという憂き目に遭いながらも、逆境をものともせず料理・語学の腕前をめきめきと磨いていく努力家。
「見習い」的な位置づけとはいえ、現在の勤め先は私の同僚のフランス人Jを「予約を取るのが恐ろしく大変。友達が働いてるなら今度テーブルお願い!」と言わしめた人気店「Astrance」、その一つ前はあのジョエル・ロブションが立ち上げた二つ星レストランの「Jamin」と人気・実力を兼ね備えたレストランばかり。
「英語はすっかりご無沙汰で全然話せませんから」と謙遜する彼女の流暢なフランス語は、大学時分第二外国語でフランス語を選択しながらも毎週金・土の一限と「さぼって下さい」と言わんばかりの時間割で上達するはずもなかった自分のぎこちない挨拶を口にするにつけ羨ましい限りなのだが、聞けば「汚いフランス語は全部厨房で覚えましたよー。何しろオトコ社会だし、皆悪気はないんだけど、試食と称して食器用洗剤が出てきたり、送別会の主役にはバケツで冷水が浴びせられる動物園のような環境なんですから」だと。
その逞しさにまた感心することしかり。

ディナーにjoinしてくれたもう一人の若き芸術家Sちゃん(考えてみればイニシャルが同じなのでこちらは年齢が更に若いが故にSちゃんと呼ばせて頂くこととして)。
彼女は、音楽専門の大学を日本で卒業した後、自らの専門分野であるオーボエ&イングリッシュホルンの実力を磨くために同じく単身でパリへ。上記のシェフ・SさんとはSちゃんがパリへ越したばかりの一年前から昨年後半までルームメイトという間柄。
Sちゃんに関しては、残念ながら演奏を耳にする機会にまだ恵まれないため、客観的に彼女の実績について述べるだけの材料を持たないのだが、何しろ小柄な彼女。
華奢な体に比例して手も小さいので、一度「失礼ながら・・・オーボエを吹くのに手が小さくて苦労することはないの?」と聞いたところ、「うーん確かに、特にイングリッシュホルンの方が大変なので、手が小さい人用のちょっとした小道具を使ってます」という返答。「ハンデ」とまではいわないけれど、例えばピアノの鍵盤では片手でCからGまで届いたというリストのように恵まれた音楽家と比べたら苦労が大きいことは想像に難くない。こちらも相当の努力家とみている。
持ち前の天真爛漫な性格と人なつこい笑顔で得をする部分もあると思うけれど、仕事=趣味のSさんと違って、Sちゃんは自分の楽器を究めて日本に帰国することが目下の課題。全く感じさせないけれど、そのプレッシャーは計り知れないものと思う。

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こんな素敵なお二人と知り合ったのは、昨年イースターに一人でぶらっとパリを訪れたときの「ムーラン・ルージュ」へのツアー。フレンチ・カンカンがいかにエンターテインメントとして優れているかについても前回簡単に触れたけれど、昨年のツアーについては加えて素敵な出会いを有難うと言いたかった。

こういう彼女達こそが、真に「世界を股に掛けて」活躍する国際人なのだろうと思う。
陰ながらしか応援できないけれど。
そんな二人に、今日もそっとエールを送る。
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by canary-london | 2006-02-28 10:25 | travel
フランス紀行からひとたび脱線したら果てしなく脱線してしまった。
今一度、フランスをフランスたらしめる要素(なんて偉そうですけど、要は自分のお気に入りを列挙してるだけ・・・)を簡単に振り返ってみようと思う。

1. アート
パリの素晴らしい美術館の数々については既にフランス紀行その1で詳述したとおりなのでそちらを見て頂くこととして。
パリの街を歩いていると、何とはなしにアートな気分になるから不思議。
これは街全体が小さな美術館という風情のフィレンツェなどとはまた違う感覚なのだけれど、とにかく街行く人のアートに対する意識が高いというのか。
美術館では、模写をしている人が非常に多かったように思う(模写している人は、かなり年輩のおじさま・おばさまからいかにも美大生といった若人まで様々)。しかも自信のない人はさすがにルーブルで模写なんかしないのかもしれないけど、皆異様に上手い。

そんなところを歩いていると、生来の浪費癖がついつい頭をもたげたりして。
パリっ子達が「パリで最もuglyな建造物」と嫌うPompidou Centreの国立近代美術館の近くをぶらぶら歩いていたら、ショーウィンドウの素敵な写真店があったので何となく入店。
結局特大サイズのこんな写真↓を買ってしまい、週末に船便が届いたばかりでダンボールの空き箱が積み上げられた玄関口は益々狭くなってしまった。

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綺麗な写真は、大きいものが見ごたえがあって好き。
大好きなRobert Mapplethorpeの写真も船便でやっと届いたので、少し部屋が明るくなった。

ちなみに、フレンチ・カンカンもいってみればARTの部類かも。
昨年パリで「ムーラン・ルージュ」へ行ったときに家族にはひとしきり感想を聞かせたけれど、今回はもう一方の雄である「LIDO」へ足を運んでみた。
個人的には「ムーラン・ルージュ」の方がエンターテインメントとしては優れていたと思う。



2.グルメ
やっぱり。食に対する意識はイギリス人とは訳が違います。
今回パリでのディナーは、3回あったうち到着日は「LIDO」で(ちなみにLIDOは食事はかなりqualityが高い)。
最終日は、同僚のフランス人Jに薦められたコンコルド広場にほど近い「1728」へ。「こんなところに?」と思わせるような、とてもしっとりした雰囲気の一軒家レストラン。旅先で食事に行ったときに有難いのは、周囲に日本人観光客がいないという環境(パリでは自分も旅行者なのに生意気で申し訳ないが、折角現地の素敵なレストランに行っても聞こえてくるのが日本語ばっかりだと興ざめである)。ポーションはフランスにしては控えめでお野菜が多くヘルシー。内容の割にお値段はとてもリーズナブルだった。
中間日は、シャンゼリゼの少し裏手となる「Laurent」へ。今は別の超人気レストラン「Astrance」でシェフとして働く友人が(若き日本人女性!)がAstranceに勤める前に働いていたということで彼女のご案内にて。
こちらは御殿のような立派な店構え。彼女のカオで夥しい量のデザートが振舞われて閉口したが、お料理は繊細で美味でした。
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ちなみに、パリっ子たちは本当にスイーツが好きである。
そこかしこにカフェ、ショコラティエ、クレープ屋・・・。
本場でLADUREEのマカロンを買おうかとも思ったが、最近ではLADUREEはロンドンのHarrodsで買えるので、結局マドレーヌ広場近くのお店を冷やかしただけでマカロン購入には至らなかった。

3. ファッション
狙った訳ではないのだが、今回のステイ先はブランド・ストリートで名高いR. du Faubourg St. Honore(フォブール・サントノレ通り)のすぐ裏手。エルメス本店まで歩いて30秒という何とも有難いというか恨めしいロケーションで、これまた余計に財布の紐が緩んでしまった。
このエリアを歩いている人達は特に、という部分はあると思うけれど、やっぱり皆おしゃれが上手い。
ちょっとした小物使いの魅力的な女性とすれ違ったあと、お土産のほかに久しぶりに自分用にも明るい色使いのスカーフを購入。
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エルメスのスカーフには、絶対に他にはない魔法のような発色・輝きがある。
エルメスを初めて母にもらったのは丁度ロンドンに住んでいた高校生時分だったけれど、そのときに比べて少しはスカーフに対して分相応になっているだろうか。
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by canary-london | 2006-02-23 10:42 | travel
直近のFTで、もう一つ気になった記事が今週のFT Weekend(週末版)に掲載されていた記事:
‘Time for the last post’。
タイトルからは何のことやらさっぱり分からないが、要は現在のブログという媒体の隆盛について分析してみた記事である。

1. 現状の数字
Technorati.comによれば、現在世界中にブログと分類されるものは2720万件あるとのこと。ちなみに2005年現在、56件の新ブログが毎分立ち上げられているとのことである故、この数字は刻々変化していく。現に、今これを書きながらtechnorati.comにアクセスしてみたところ、この数字は2820万件に増加していた。恐るべし雨後の筍状態。
以前自分でも「ネットワークと満ち溢れる言葉達」という題でブログの氾濫について考察したけれど、気軽さと匿名性を武器に「ブロガー」は繁殖の一途を辿っている模様。
世界の人口に占める割合は未だ0.4%に過ぎないけれど、ネットワーク環境に恵まれる先進諸国に限れば物凄い比率になるのでは。国別の内訳があれば面白いのだけど。
ちなみにこの記事の趣旨とは全く関係ないが、米国では26歳の共和党員の女性がブッシュ政権高官との不倫関係について(勿論匿名ではあるが)自分のブログに赤裸々に描き、目論見どおりマスコミに素性がバレた挙句PLAYBOYのピンナップガールに抜擢されるという見事な売名行為にブログを利用した例が紹介されていた。そんな事例を読みながら、匿名性、隠されると暴きたくなる人間性、アメリカンドリーム・・・などのフレーズがぐるぐると頭を駆け巡ってしまった。

2. 5年後の世界は’Blogosphere’?? - 否。
記事中、Michael S. Maloneをはじめ、ブログが新聞やTVなど既存のメディアに取って代わるとの予想を立てる知識人達の意見が紹介されている。’Blogosphere’とは誰の造語か分からないけれど、要はブログに支配される世界=sphereということ。ブログを、‘the latest and perhaps gravest challenge to the journalistic establishment’と評したシカゴ大講師のRichard Posnerもその一人。
これら陣営は、「新たなInformation Revolution=情報革命だ」「5年後にはブログが既存メディアを駆逐している」「10億ドル単位のカネが動く宝の山だ」と鼻息が荒い。

ただこれに対しては、FTの客観的な分析の方が説得力をもつ。
一つには、ブログは新聞などの報道媒体とはそもそも担う役割が異なる。NYのObserver紙の編集者であるChoire Sicha氏は次のように述べている(かなりフィーリングで訳してます): 「’Blogosphere’と囃し立てるのもいいけれどね、捜査報道や戦争報道はどうなる?そこに責任は、そして信頼性はあるのか?社説ばかりの新聞を誰が必要とする?我々が日々新聞に求めているのはそんなものではないだろう。」
もう一つには、情報の氾濫と淘汰の必要性が叫ばれる世の中、ブログは効率的に情報を淘汰するというニーズにはむしろ逆行するということである。

3. 情報が抑圧されている国々における重要性
言論の自由が確保されている国々では、おそらく上記の通りブログのレーゾンデートルはあくまで既存のメディアの隙間を埋めるニッチ的なものなのだろう。ただ、中国(Google、Yahoo等が政府のメディア検閲に加担しているとの批判が直近更にかまびすしいが・・・)やイラン、シリアなど、新聞という媒体自体が当局の大幅な抑圧を受けている国々では事情は異なる。
新聞は検閲出来ても、より個人的でミクロなレベルの情報発信であるブログまで取り締まることは出来ない。
またブログの方も、匿名性ゆえ反体制の意見も掲載しやすく、大衆啓蒙の一つの大きな手段となりうる。

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4. おまけ: OrwellとMarxについて
記事の最後で、ジャーナリストでもあった二人の著者、George OrwellとKarl Marxについて、「彼らが今の時代を生きていたら、ブログという手段を使って情報発信していると思うか?」とメディアの仕事に携わる人を中心に問いかけを行うという試みが面白かった。「おそらくブログを利用しただろう」というのが大体の反応だけれど、例えばOrwellについては、「’In Defence of English Cooking’(1945)の書き方をみても、きっと無意味な細かいことにばかりこだわってブロガーとしては最悪だろう」なんて意見があったり(笑)。
歴史にIFはないけれど、この手のIFは楽しい限り。
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by canary-london | 2006-02-21 09:06 | current

Native English Speakersの嘆き

フランス紀行からの脱線が続いているけど。
フランスについてもまだ書きたいことが山のようにあるのに、このところ遅筆なため書きたいことばかりがどんどん溜まってしまう・・・フランスには次回戻ることにして、ロンドン話をもう一つ。

薄ピンクのFT(Financial Times)を小脇に抱えて出勤する生活も昨年の半年間の滞在以来続けておりやっと板についてきたけれど、FTは本当に読みごたえのある新聞だ。
FTは基本的には経済紙という分類でありながらも、幅広いジャンルをカバー。
専門分野である経済・金融については、Lexというコラムで旬なトピックを掘り下げて分析を行う一方、特に週末はアート欄も充実。
報道の姿勢・視点は至って冷静。

最近のFTで気になった記事x2つのうち一つをご紹介。
‘Native English speakers face being crowded out of market (2月15日)’
British Councilがまとめたレポートによると、今後世界中で英語を話す人口が益々飛躍的に増加するにつれて、米国や英国など英語を母国語とする国々が「クラウディングアウト」されるというもの。
ちなみに、同Councilによれば2005年現在、母国語として使用される言語のランキングと人口は下表の通り:
一位 北京語 10億5200万人
二位 英語  5億800万人
三位 ヒンズー語  4億8700万人
(中略)
十位 日本語  1億2600万人
表を見て英語が予想より少ないのに驚いたけれど、当然外国語として流暢に英語を操れる人の数を加えるとこの数は北京語を上回る。
レポートによれば、数ある言語の中で真の「global」な言語というポジションを勝ち得たのは英語であり、これに伴って、今後10年間で英語を外国語として学習する人が更に20億人プラスされる計算になる。
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予想される影響と考察。
-国際的競争力について: 英語の世界中で30億人が何らかの形で英語を話せるようになると、英語を話せることは「qualification」(特別な技能)でも何でもない。この観点からは、競争力を維持するためには英語を母国語とする人々が北京語やスペイン語など他の言語を習得するべきであるが、英語圏以外の地域で英語を学習することにかかるコストが年々低下する一方、逆に英語圏の人が外国語の学習にかかるコストは上昇の一途にある。結果として、英語圏在住の人々の国際的競争力が低下しつつあり今後も低下が予想される。
-英語教育と経済への影響: これまでは、英語圏の国々では英語教育という商品を海外にexportすることによる収入(多くは海外からの留学生受け入れという形を取る。例えば、MBAでも世界中の最も優秀な学生が集まるのは米国のWhartonである、というように。)は計り知れないものがあった。が、今後英語教育がグローバルに普及するにつれ、わざわざ英語圏に勉強に行く必要はなく(中国などでも国内のMBAプログラムの充実ぶりが大きく報道されている)、「英語教育のexport」という収入源は消滅に向かう。
-「外国語としての英語」: 上記の二点目とも関連するが、英語人口が増すにつれ、当然「母国語として」でなく英語を学び使用する人間が増えていく。そうなると、これまでのような「母国語(native)のように」英語をマスターすることへの需要は減り、むしろ世界の大半の人々が「non-native」なスピーカーであるが故に、重要視されるのはいかにしてnon-nativeなスピーカー達とスムーズなコミュニケーションを取れるかどうかの能力になる。「native」スピーカー達のアドバンテージは益々減るってわけである。

レポートの著者である著名な言語学者のDavid Graddolは、「ラテン語はローマが衰退してから隆盛を極めた。別に英語圏の国々がローマと同じ運命をたどるとは考えていないが・・・」と前置きをしているものの、英語をnativeとする人々にとっては難しい世の中に向かっているようである。

自分の仕事に照らし合わせて考えると、ロンドンに来てからの私の仕事は完全に「ガイジン」として働くことを求められる。投資家が日本人であるケースもあるものの、大体は「青目」(差別用語ではなく、我が業界における特有のterminologyである、念のため)の商品を「青目」に販売する仕事である。
以前にも書いた通り、デットのシンジケートなんて口から先に生まれてきたような人々が生業としているような仕事であるため、感じたことを感じるままに迅速に英語で表現することが出来ずに悔しい思いをする場面も多いけれど、この記事を見て励まされる部分もあったり。
でも、世界の英語人口が30億人に達するのは「今後10年間」というタイムスパンの話。10年後に今の仕事をしているかどうかは・・・可能性は低いんだろうなあ(笑)。
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by canary-london | 2006-02-19 23:28 | current
アートは大好きですが、アートとおフランスについてずっと執筆しているとついつい肩に力が入ってしまうので、ここらで勝手に少し抜くことにします。

本日は折しも2月14日、バレンタインデー(東京はもう15日の朝もいいかげん日が高い時間でしょうが、ロンドンはまだ14日の夜中ということで)。
そもそものバレンタインデーの起源は紀元3世紀のローマ時代に遡るとか、そういう難しい話は抜きにして。

日本で勝手に作ってしまった「ホワイトデー」なんて余計な習慣がない分、欧米ではバレンタインデーはビッグイベントである。
ちなみにこちらでは女性から男性に一方的にチョコレートを贈るという決まりはなく、方向は男性→女性と女性→男性の両パターンあり、現実的には男性→女性の方が多い。
贈るアイテムとしては、チョコレートよりも花束の方が一般的。
ステディな関係の異性がいるのならば、この日はちょっと洒落たレストランにでも出かけるのがフツウの若者のスタイル。

彼女の職場に花束を送るという男性陣も多く、今日はトレーディングフロアがところどころ赤いバラに彩られ、いつものむさ苦しさとは打って変わった華やかな雰囲気となっていた。
会社帰りの電車の中で見かけた男性は6-7割が花束を抱えていたのではないかしら。
地下鉄に向かうモールのお花屋さんも帰る頃には行列。
間違いなく一年で一番お花屋さんが儲かる日なのではないかと思う。
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3世紀当時、時の皇帝クラウディウス2世のやり口に反発して若者同士を極秘に結婚させ処刑されたバレンチノ(英名バレンタイン)聖人には気の毒だけれど、西洋のこの種のイベントへのリスペクトの仕方には見倣うところが多いと思う。もちろんcommercialismの部分も強いものの完全にcommercialismに徹するのではなく、カップルが・夫婦がお互いの愛情をさりげなく確認し合うoccasion。先に「若者は洒落たレストランに出かける」と書いたけれど、年配カップルだって十分にこのイベントを楽しんでしまうのだから。

ちなみにこんなバレンタイン・デー。
私はどう過ごしたかというと、先週のフランス旅行での食い倒れですっかり気まずくなったウエストラインのくびれを取り戻すべく、入会したばかりのジムへ。ワークアウトしながら、リバプール対アーセナルと注目カードのFootball(サッカー)マッチを観戦。リバプールが終始押しながらもゴールに嫌われ0-0のままというやきもきする展開の中、87分にLuis Garciaが見事なゴール。
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すっかり盛り上がってしまったのだが、何か・・・巷の若者達のバレンタインデーの過ごし方に比べると色気ゼロ??
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by canary-london | 2006-02-15 09:50 | diary
美術館のことを書く前に「モン・サン・ミッシェルへ行きました」と一言書いたところ、「写真が見たい!」の声多し。
困ったことに。
あんまり、写真がないのですよ。
ていうか、正確に言うと自分で撮ったものは一枚しかない。

いかんせんブログ上で自分の馬鹿っぷりばかりを公開していてほとほと嫌気が差してきたが、大好きなパリと初めてのモン・サン・ミッシェルへ出かけるにあたってちょっとエキサイトしてしまったのか、ここでまた大失態。
昨年の誕生日に旦那に買ってもらったばかりのデジカメを鞄にしまったところまでは良かったが、肝心の記録媒体であるSDカードが自宅のテーブルの上に鎮座した状態で旅立ってしまうという何とも物哀しい過ちを犯してしまった。

では美術館の写真等はどうやって写しているかというと*?
最近のデジカメはスグレモノで、内蔵メモリなんてものがある。
24MB程度しかないので容量の大きいSDカードに比べると僅かしか撮れないが、何とか20枚強は保存可能。
それで、なけなしのメモリを節約して撮影→メモリオーバーの警告→削除→撮影、を繰り返していたのだが、初日の美術館でこれを繰り返すうちにすっかり賽の河原感が高まって萎えてしまった。
そんなこんなで、本来であれば修道院の内部も撮りたいところは多かったのだけれど、モン・サン・ミッシェルは全体像の写真しかない・・・。ゴメンナサイ・・・。
同じ構図で殆ど間違い探し状態だが、夫に敬意を表して並べて表示してみたり。

私による撮影↓                   夫による撮影↓
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やや五月雨的になってしまうが、モン・サン・ミッシェルにて感じたこと何点か。

1. 「要塞」の要素と修道僧の知識レベル:  修道院自体については、要塞も兼ねているだけあってとにかく複雑な作り。特に、修道僧たちが執務に励んだ「騎士の間」には、当時は機密文書も含まれる文書が作成・保存されていたため、最も奥まった場所にある。10-11世紀当時は(建立は708年だがベネディクト派の修道院となったのは10世紀)文盲の人も多く、修道院とは最も知識が集約される場所の一つだったのだろう。

2. 建築:  私は建築に関してはずぶの素人だけれど、ここは708年に礼拝堂が建立された後、10世紀にはロマネスク様式の教会が、そして13世紀にはゴシック様式の「ラ・メルヴェイユ」(西欧の驚異)の名称をもつ建物が増築されるなど、様々な様式の建築が入り混じっているとのこと。とにかく圧巻なのが「メルヴェイユの棟」の中の「修道僧の遊歩場」にみられる、力を分散させる目的で四方八方にアーチ型に張り巡らされる柱。これはロマネスクからゴシックへの過渡期の産物なのだそう。

3. ベネディクト派の厳格なる戒律: カトリック最古の修道会であるベネディクト派の厳しい生活規範がそこかしこに表れている。生活のプライオリティーは仕事と祈り。食事の時も私語は許されない。先述の「修道僧の遊歩場」や目に美しい柱の立ち並ぶ「列柱廊」が、建物の中でも数少ない「会話」が許される場所だったなんて想像できないような生活。

4. 天候: 写真からも分かる通り、訪れた日は雨こそ降らなかったものの薄曇であった。ガイドの方の言葉を借りると、「モン・サン・ミッシェルはこのぐらいの天候の方が荘厳な感じが高まって素晴らしいんです」ですと。

5. 堤防: ご存知の通り、現在は干潮時も満潮時も関係なく行き来が出来るように堤防が陸と島を繋げているが、実はこの堤防が周囲の環境に悪しき影響を与えているとのこと。これを吊り橋に変えるべく地元の人がさかんに働きかけているが、莫大な工事資金が必要で遅々としてプロジェクトが進行しないとのこと。またしても素人考えだが、こんなに世界の人に親しまれている巡礼地たるもの(しかも世界遺産)、「そんな工事費は俺がもってやる」的な大富豪のパトロンが10人も集まれば出来るのでは?なんて思ってしまうのだが・・・事はそう簡単でもないらしい。

パリから片道4.5時間の長―いバスツアーだけれど(電車でも行けるが、乗り継ぎもあり結構面倒。この点バスは寝てれば着くので楽です。)、時間を掛けてでも訪れる価値のあるところだと思います。
私の友人には、パリ在住とはいえ移住してからの過去一年間で何と3回もモン・サン・ミッシェルを訪れているというツワモノもいますが(笑)。

*最後になってしまったが、美術関係の仕事をしている賢明なる友人からの助言を受け、前回の記事に関して一言。
オルセー美術館での写真撮影は、ごく一部の撮影禁止地域を除いてほぼ全面許可されています。
写真撮影に関するルールはパリでも美術館によって異なり、例えばマルモッタンなど規模の小さいところは全面禁止の傾向が強い模様。観光客の皆様、くれぐれも撮影禁止のところではルールを守って下さいね!
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by canary-london | 2006-02-14 10:59 | travel
前回のトラブルおよび愚行についてはあくまで番外編ということで。
パリでの最大のハイライトは、やはり美術館。

1. オルセー: ちょっと違う視点から
ルーブルも素晴らしいが、私はオルセーが大好きだ。
ゴッホ、モネ、マネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ・・・etc.etc.etc.
こんなに間近でこんなオオモノばっかり見ちゃっていいの?という感じである。
オルセーに展示される名画の数々はガイドブック等に詳しいので、正攻法のオルセー紹介なんて意味がない。
というわけで少し変わったものをご紹介。
前回訪れた昨年3月に気になって、今回どうしてももう一度見たかった絵のうちの一つが下の一点。
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ムーランルージュをはじめとするポスターが有名なロートレックだが、’Femme de Profil (Madame Lucy)’という名の絵に描かれるこの女性。気品溢れる横顔。19世紀末当時のパリの華やかさを感じさせる大きなデザインの帽子。

女性の肖像画については特に、「全てを見せない美しさ」があるのではないかと思う。
うつむき加減の顔、横顔、後ろ姿。

その観点からは、以下の2点も同様。

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左はルノワールの作品。ルノワールの描く女性は幸福感に満ちているのだけれど、正面から捉えたものは時にややtoo muchになる。その点、この横顔は適度にそれが緩和されていてとても心地が良い。
右はミレー。「落穂拾い」「晩鐘」など素朴な農民の姿を描いた絵の印象が強いミレーだが、実はこんなに官能的な女性も描いている。私見だけれど、この絵がこんなに官能的なのは後ろ姿を描くことに徹しているからではなのではないかと思う。

2. マルモッタン美術館
今回モネの睡蓮で有名なオランジュリー美術館が残念ながら改装のために休館中であったため、モネを堪能するためパリの西端・ブーローニュの森の入り口に近いところにあるマルモッタン美術館を訪れた。
館内は撮影禁止のため残念ながら写真はないのだが、ゆったりと絵を鑑賞するのに丁度良いサイズの本当に良い美術館だった。
特別展示で2階にカミーユ・クローデルの彫刻を展示していた。正直私は彼女の作品を真面目に観たのは今回が初めてだったのだが、男女を描いた作品が非常に印象的だった。Sakountala、そしてLa Valse
やはり、こういう作品はロダンへの半ば狂信的な(そして報われない)愛があるからこそ作れるのだろうな。

3. ロダン美術館
Invalides(アンヴァリッド)地区にある当美術館へも、今回初めて足を運んだ。
ロンドンのテート・モダンにも展示されている’The Kiss~接吻’というロダンの彫刻。
ロダンの作品は、肉体への賛美系のものの方が有名だけれど、私はどうしても男女を描いたものに魅かれてしまう。
ここに描かれる男女は、ダンテの「神曲」に登場するPaoloとFrancesca。Francescaは、Paoloのお兄さんだか弟だかの妻である。
これまた、「禁じられた恋」だからこそこんなにも熱い接吻と抱擁になるんだろうなあー、とまた思ってしまったり。
ロダン美術館は庭も本当に素敵なのだが、今回時間が足りずお庭に出られなかったのが心残り。
また次回行こうっと。

4. 美術館ではないけれど・・・シャガールの天井画
パリへは何度も足を運んでいるのに、今回初めてオペラ・ガルニエでシャガールの天井画を鑑賞。
ひたすら、ため息。
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アートの街パリに万歳、と思う今宵。
また夜も更けてしまいました。。。
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by canary-london | 2006-02-12 11:42 | travel
やっとやっと。ネットワーク環境充実です。
嬉しいことにPCのアダプターが本日金曜日に無事に戻ってきて(パリ・ロンドンの距離を考えると一日で到着するのは驚きではないものの、おそらくアダプター到着は土曜日になるだろうと落胆してバッテリーをセーブしながら作業していた身には朗報)、丑三時も近いというのにやおらPCに向かってしまう病気のわたくし。

先般のフランス紀行はこれから何度かに分けてゆっくりと書いていこうと思います。
何しろ芸術家の都パリ。いつもながらに、最大の楽しみは美術館巡り。
今回は今までに一度も行ったことのない美術館を二つ訪問したほか、かの有名なオペラ・ガルニエの内装をひときわ華やかにしているシャガールの天井画も初めて鑑賞。
「海の奇蹟」ともいわれるモン・サン・ミッシェル修道院もパリからの強行日帰りツアーで訪問するなど満足感の高い内容だったのですが。
美術館その他academic/artisticな内容については紙面を改めることにして、下記で少々書いた通り何やらトラブルも多かった旅でした。

ホテルで自分のPCがネットワークに繋がらなかったのはまだしも先日のガス漏れに伴うロンドンでのホテル宿泊といい、何やらここ最近は金運に恵まれないらしい。
それもこれも、全て自分のそそっかしさが原因といえばその通りなのですが。

同じ「予想外の出費」でも、別にRue du Faubourg St. Honoreのエルメス本店にふらっと入って全く予定外の買い物をして出てくる羽目になったとか、そういうのはある程度自分の性格上予想できうるアクシデント。
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今回最も痛かったのは、帰りの飛行機。
思い込みというのは恐ろしいもので、あろうことか私は帰りのパリ→ロンドン便がシャルル・ド・ゴール2000発・ロンドン2020着のところをパリ2020発と誤って記憶してしまっていた。これまた貧乏性の成せる業、無用な場面でも分刻みで行動する傾向のある私は、ヨーロッパ都市間の便で窓口閉鎖が離陸30分前なら40分前に着く計算で動くタイプの人間だ。この場合、20分のロスは致命傷。今回は少し余裕をもってホテルを出たものの、こういうときに限って切符購入時に小さなトラブルがあったり電車が遅れたりと遅延が続き、結局地下鉄・RERがシャルル・ド・ゴール空港ホームに滑り込んだのは既に19時31分(その間、私の旦那は重さ22KGのサムソナイトを担いで私の傍らをひたすら走っていた。本当に申し訳ない。)。

時刻は既に19時37分。Air Franceのカウンターにダッシュで駆け込むも、’Madame, the counter is closed!’(ちなみに、最近フランスでもイギリスでもどこへ行っても’Madame’といわれる。確かに’Mademoiselle’って年齢ではないけどちと寂しい。)と止められる始末。

げげげげげ。
これまでの人生綱渡りは幾度となくやってきたが、国際線の飛行機に乗り遅れたのはいまだかつて初めての体験。「確か2200ぐらいの最終便があったはず」と思い、気を取り直してAir Franceのチケットカウンターへ行くと、「今日のロンドン行きは終了しました。次の便は明朝0730です」とすまし顔の無情なスチュワーデス。
「いやいやいやいや。私は明日朝早くから仕事なのでどうーーしても今晩ロンドンに着かなきゃいけないの。他の航空会社は!?」とフランス人もびっくりの剣幕でまくし立てると、「2145発のBAがあります」の回答。シャルル・ド・ゴール空港は空港内の移動がこれまた面倒くさいのだが、ターミナル2の2FにあるAFから同2BにあるBAに何とか辿り着き、いい感じ初老のおばさまが「今晩のBA329の片道2枚ですね?取れますよ」と言ってくれた時には彼女が救世主に見えた。

これで何とか23時よりもだいぶ早くヒースローに着くことが出来たのだが、当然当初のチケットは水の泡。
追加分のBA代金・・・お二人様しめて240ユーロ(約34,000円)也。

一方、びっくりするようなスピードでパリの宿泊先のホテルから到着したPCアダプターが包装されているFedExの伝票を見ると。。。73.5ユーロ(約10,400円)。いやー、確かに「お金は高くて構わないので一番早い方法で送って!!!!」とは言ったけどね。

ロンドンの普段の生活に戻ったところで、しばらく節約を心がけよう・・・と心に誓った日でした。
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by canary-london | 2006-02-11 11:16 | travel
日々訪問して下さっている(稀有な)方々、ごめんなさい。
canary-londonは今日まで旅に出ていたのでまた明日以降にアップ致します。
旅行自体は申し分なかったのですが、本当は現地からブログもアップしたかったのに何やら特にネットワークに関しては諸々のトラブル続きで、先程自宅に戻ってきて(現在ロンドンは9日水曜日の午前0時過ぎ。明日は早朝から仕事ーー(泣)。)やっと日本語環境でログインできたところです。

1. フランスのホテルで持参した自分のPCが何故か接続できず(ネットワークは何ら問題なさそうだったのに・・・何がいけなかったのか未だに謎深いです)、仕方なく現地で日本語OSのないPCを貸与してもらいました。これだとalphabetしか打てない上に・・・何と。
キーボードの配列とは万国共通なのだと思っていたのですが、何とフランスであてがわれたものは違いました。もしやラテン語圏ってこれになるの??
際立って苛立つのが、AとMとWの位置。
せっかちの成せる業、タイピングと野菜を刻むスピードはそんじょそこらの輩には負けない自信のある私としては(後者は最近数年間の料理に縁遠い生活でかなり怪しいが)これは拷問でした。

2. これもおいおい書いていきますが。
私は極度の機械音痴である上に(正確に言うと、取扱説明書を読まないのが大きな原因です)そそっかっしい性格である。
先程やっと自宅にたどり着いてから(これは元々予約していたエールフランスに乗り遅れたせいで約1.5時間遅れの到着。これもまたおいおい。)やっとネットワークに接続できる♪っと嬉々としてPCを立ち上げようとしたところ、ない・・・何とフランスのホテルにアダプターを置いてきてしまった模様。全くどこまで阿呆なら気が済むのだか。
というわけで今は風前の灯のバッテリーパワーで執筆しているのでまた明日以降頑張ります(おそらく実際には週末)。
皆様ごきげんよう&こんなアナログな私を温かく見守って頂ければ幸いでございます。。。。
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by canary-london | 2006-02-09 09:20 | diary

ライブドア再論

今回のライブドアの件については、何だかあちこちで主として日本のメディアに対する批判ばかりを書き連ねたような気がする。「事件」発生から2週間近くが過ぎ、世の中全体の当事件に対する反応が当初の「knee-jerk reaction」に比べて幾分落ち着いたものとなってきているタイミングであるように感じるので、今一度ライブドアについて振り返ってみたいと思った。
Tackさんのブログを興味深く拝読したが(海外の雑誌でのホリエモンの取り上げ方が読みたくてここぞとばかりにビジネス誌を読み漁ってしまった行動パターンは同じ。血は争えないなあ(笑)。)、私の1月19日付のコメントに書いた通り、海外メディアの見方は一貫して総じて冷静且つポジティブ(日本の従来型企業倫理に対するアンチテーゼとしてのホリエモンに対して)である。また今後については、旧態依然の企業倫理の復活や起業家育成への足枷となるような風潮の拡大に対する懸念も共通したテーマといえる。
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今週明けのFT社説に関する考察を少々。
(ちなみに私は全く専門家ではないため、事実関係の多少の相違はご容赦頂くと共にお見苦しい点があればご指摘頂ければと思う。)

1. 問題の所在とすり替え
ホリエモンの手法は「市場原理主義」と揶揄され、この言葉については明確な定義はないものの、昨今では株主価値の最大化を図るためには手段を選ばない・・・というような意味で一人歩きしている感があり、元来株主価値を重視する米国等の悪しき考え方のインポートみたいなレッテルを貼られてしまった。ただ言うまでもないことだが、問題とされるべきはこのようなフィロソフィーではなく、株主価値最大化を目的とした不正や粉飾を可能としてしまった日本のコーポレート・ガバナンスである。
例えば、合併時のリスク・ファクターのdisclosureについて。例えば、ファイナンス・リースの取り扱いなど、外から見て理解が困難な会計基準について。今回の問題については、規模も本質もエンロンと同じものとして議論することは出来ないと思うけれど、2001年末の苦い経験を経てSarbanes-Oxleyという一つの極端に走った米国に比べ、この種の議論が全く進められてこなかったのが日本の現状であることは間違いないだろう。
ちなみに同記事には、ライブドアはあくまでも「出る杭は打たれる」の典型であり、ただの見せしめである(もっと悪質な手法を日常的に行っている企業はたくさんある)との見解も紹介されていた。

2. 実態と数字
一つの数字がある。日本でコーポレート・ガバナンスを管轄するSESC(証券取引等監視委員会)と米SECの比較。日本のSESCは、人員400人。年間予算は約$23MIL(約27億円)に対して、米国のSECは人員3,200人、年間予算は$435MIL(約515億円)。単純な人足の比較でも日本は米国の足下にも及ばず、企業に対する監視を徹底できるインフラが整っている環境ではない(出所: ACCJ・2004年レポート)。

3. 背景について
上記#2のような実態の理由について、文化的な背景が挙げられている。
即ち: 「日本人は一般的に法律を遵守する国民性があるため、法の適用と実施については多分に’self enforcement’に依る」。
米SECが、企業の開示について虚偽がないかどうか目を皿のようにしてチェックするのに対し、金融庁傘下にあるSESCにはこのような姿勢は皆無。ちなみに、自民党がSESCの金融庁からの独立を検討しているのは先日報道された通り。
加えて、私的な手段として米国等ではクラス・アクション(集団訴訟)が一般的に用いられるのに対し、日本では市民レベル・私的フォーラムでの法の強制力も弱い。

日本の現状の制度が「性善説」に立ったものであるとの脳天気な分析をしている場合ではない。
少子高齢化が急速に進む中で、国の衰退を防ぐためには生産性アップしか手段はない。
頑張れ、ニッポン。

蛇足だが、私はホリエモン氏の本を読んだことは一度もないのだけれど、「僕は死なない」という考え方自体には抵抗を感じる。不老不死への願望。秦の始皇帝を彷彿とさせる、絶対的権力者を目指す者に共通する理想なのだろうか。
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by canary-london | 2006-02-03 11:29 | business