ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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先日も我が家の’housecooling party(?)’にお越し頂くなど何かにつけて親しくお付き合い頂いているth4844さんがいみじくも先日書かれていた通り、海外に住まうことの大きなメリットの一つは、「日本にいるよりも遥かに気軽にいろいろな分野で活躍されている日本人の方々と知り合う機会がある」ことだといえる。

先日・12月1日金曜日は、そんな貴重な一日。
昨年5月に61年ぶりとなるプロ編入試験将棋を実現させ、同11月に見事この試験に合格、サラリーマンからプロ棋士へと転身を遂げられた瀬川昌司棋士・四段のお話を伺う機会があった(勝手に引用させて頂いたブログは、帰宅してGoogleするうち発見したものです)。
今回は将棋のプロモーションを主目的とする種々のイベントのために、お二人の女流棋士・中倉宏美初段と島井咲緒里初段と共に来英されたとのこと。
講演の内容は、瀬川さんがご自身の体験談を交えつつ、「いかにして夢を実現するか」というテーマについて語る非常に興味深いものだった。

今年の4月に発売された瀬川さんの著書「泣き虫しょったんの奇跡」は、昨年のプロ試験合格以来一躍「時の人」となった瀬川さんが自らの半生を振り返った一冊。
見事な達筆で署名頂いた瀬川さんのこの本、講演から帰ったその夜のうちに一気に読み切ってしまった(天邪鬼の私は普段ベストセラーを手にすることは少ないのだが・・・)。

何とか駒の動かし方が分かる程度と将棋に関しては恥ずかしいほど無知な自分であるが、将棋と全く無縁のビジネスマンでも、更に言うと全ての大人も子供も瀬川さんのお話から何か学ぶことがあるものと思う。

瀬川さんのお話の中で印象に残ったのは、主に三点あった。

一つは、「自分の好きな道を進むこと」。
好きだからこそ、諦めずにゴールに向けて頑張ることが出来る。
以下、上記著書からの抜粋。
「僕は父に償いをしなくてはならないと思った。もうすぐ体は灰になってしまうけれど、父は僕のなかでこれからも生きつづける。その父は、どうすれば喜んでくれるだろうか、と考えた。
ほかのことは何もいわなかった父が、息子たちに望んでいたことはひとつだけだった。
自分の好きな道を行け。
(中略)
・・・この先、そんな険しい道であれ、僕が好きだと思えることが見つかったら、今度こそ逃げずに、勇気を出して、その道を進もう。」

二つ目は、「前向き志向」。
将棋を目指す者が避けて通ることの出来ない「奨励会」という組織のネガティブな面から出てきた分析が印象的だった。
将棋を真に楽しむことが出来るようになったとき、瀬川さんは本当の強さを手に入れ、夢に近づく最初の一歩を踏み出している。

三つ目は、「熱い思い・実現したい夢があれば、声に出して言うこと」。
瀬川さんの成功は、周囲の応援が彼の更なる力を引き出し、またサポートが広がるという力強い正のエネルギーの賜物であった。
現実の世界・ビジネスの世界では、「声に出すこと」が難しいケースもあるけれど、ポジティブな循環を作っていくことがゴール達成への近道であるのは間違いない。

アレンジした方々の配慮で、「講演会」といいながらもシティに程近いイタリアンレストランの地階を借り切って食事会を兼ねた形式で行われたため、雰囲気も実に和やか。何と瀬川さんと同じテーブルを囲む幸運に恵まれ、講演前後にも気さくなお話を楽しませて頂いた。

頂いたエネルギーを、自らの夢の実現に振り向けなければ。
「夢は何ですか?」という質問が、因果なサラリーマンにとっては一番の難問だったりするのだが(笑)。
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by canary-london | 2006-12-03 13:49 | current
先般日本に関する批判を書き連ねたばかりなのでその罪滅ぼしという訳でもないが、やっぱり日本人ってスゴイっと思うことも多々ある。
ひとたびビジネスとなった場合におけるサービスのきめ細やかさについては以前も触れたが(これがビジネスの枠を出て個人のレベルになると、途端に「駅の通路でぶつかっても謝らない」になってしまうのだから不思議である)。
このような目配りの行き届いたサービスは勿論、商品開発に直結する。
今回の帰国にあたっては、何しろ体調が悪く、正味60数時間の滞在中殆ど自宅のベッドで寝込んでいたので、そんな視点から気付いた「日本人的スゴイモノ」*。
*最近もずっと東京に暮らす人々にとっては、ごくフツウのものだったりして面白くも何ともないかも・・・。

1. のどぬーるスプレー
喉の痛みを和らげるために家人が買ってきてくれたのが、「のどぬーるスプレー」(こんなモノ↓)。


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5-6cm程度のノズルが着いているのが特徴で、このノズルを伸ばして口の中に差し込むことによって喉に直接噴射出来るのである。
こんな発想、イギリス人にはないだろうなあ・・・。

過去20年か25年程度で、日本のラップ業界(サランラップとかクレラップとかの所謂「ラップ」である)における技術は大きく進歩したのでは・・・と密かに思っているのだが(切り易さで日本のラップの右に出るものはない)、英国のラップときたら、私が最初に渡英した1988年と現在で違いはなく、ほぼ例外なくハサミを持ち出さないと切れない。
それにしてもこのノズル、何かを彷彿とさせるなと思ったらゴキブリ専用の殺虫剤と同じ発想ではないか。
そう思ったらちょっと噴射するのがイヤになったけれど。

2. 鼻セレブ
とめどなく鼻水が出るとき、手放せないのが鼻に優しいティッシュである。英国の紙ナプキンのようなポケットティッシュで鼻をかんでいたら、おそらく10回ぐらいで鼻の周りの皮膚が痛くなってしまう(注: 箱ティッシュはちゃんとしたものがある)。
通常のティッシュよりも繊維の細かい(?)、肌に優しいティッシュ。
・・・こんな発想も、イギリス人には絶対ないだろうなあ・・・。

しかも今回お世話になったティッシュ、ネーミングが「鼻セレブ」ときている。
こっちはひたすら鼻をかんでいるだけなのに、セレブですよセレブ。
ウィッティーなキャッチコピーを考案する才能に日本人は長けていると個人的には思うのだが、ここでもそんなことを感じた。

ところで、FTの紙面にふと目をやると、日本の高齢化および日本経済の今後の展望について憂う記事が。
よれば、日本の労働力人口は2005年から2010年までの5年間、毎年0.7%のペースで減少を続ける見込みである。
一方で、政府の目標とするGDP成長率、年率+2.2%を達成するためには生産性の向上が不可欠であり、他の全ての条件が変わらない前提の下では、要求される生産性成長率は年率+2.9%と過去15年間の平均値+1.5%を遥かに上回るものである。
更なる改革の断行が待たれる、と記事は締めくくる。

折しも、欧米各国市場がM&Aを原動力とした株高に沸くなか、本邦株式市場の独歩安が目立つ昨今。
日本人の持ち味である、確かな「ものづくり」の技術。
これにきめ細かいサービスの追求が加わると、「天晴れ」的なニッチ商品の開発力に繋がる。

こんなアイディア商品を生み出す底力を武器に、高齢化社会ニッポンも是非頑張ってほしいものである。

・・・のどぬーると鼻セレブから、話は思わぬ方向に進んだりして、の巻でした・・・。
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by canary-london | 2006-11-25 13:02 | current

ミーハー考

「たまには良いこともあるな」と久しぶりに思った本日・快晴の土曜日。

「早起きは三文の得」と呪文を唱えながらまだ眠い身体でベッドから這い出し、朝一番の予約で行きつけの美容院へ。
ロンドンには著名な現地の美容院は星の数ほどあるけれど、やはり日本人の頭髪のクセを熟知しているのは日本人である。海外に暮らす際、美容院に限っていえば、日本人の日本人による日本人のための美容院に限る。

3時間を優に越えるストレートパーマのプロセス。
何度目かのシャンプー台に座っていると、入口には顔に見覚えのある青年が二人。

おーーーーーーーーー。
何と。
稲本潤一選手中田浩二選手ではないか。

聞けば、稲本選手は英国リーグ在籍中からの常連。
先月トルコのガラタサライ*に移籍してからは初めての来訪とのこと。
一方の中田浩二選手は現在スイスのFCバーゼルで活躍中であり、どうやら二人で示し合わせて週末を利用してロンドンに遊びに来た模様。

*非常にくだらなくて申し訳ないが、「ガラタサライ」と「ガラムマサラ(インドカレーに使われる混合香辛料)」ってちょっと驚くほど語感が似ている。自分で最初に誤ってサッカーチーム名として「ガラムマサラ」を思い浮かべてしまい、思わず大ウケしてしまった。

二人とも整った顔立ちと長身で目立つことには違いないのだが、オフでリラックスした表情のせいか、意外と「その辺にいるオトコの子」的な側面も見え隠れして新鮮だった。


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二人ともが、昨年からずっと私を担当してくれている美容師のSさんご指名。
Sさんは、稲本選手のヘアカラーをチェックしつつ中田選手のカットを手際よく進め、私のところへ仕上げのブローに戻ってくるという活躍ぶり。

ていうか、あーそのセレブ二人の髪を触った手でブローして下さるなんてウレシイ。どうもミーハー精神たっぷりに生まれついたらしく、興奮が収まらない。
(もちろん、お休みの日のスポーツ選手に声を掛けるなんて馬鹿な真似はしなかったが、今思えば異国にいるのだし一言「頑張って下さい」ぐらい言っても良かったのかな、とちょっと後悔してみたり。)

少々正気に戻して、感じたこと二点。
1. スポーツ選手の清々しさ
スポーツをしない人に対する偏見は微塵もないが(かくいう自分も運動神経ゼロに等しいので自他共に認める文化系人間である)、やはりチームスポーツの厳しさを経験してきた人間ならではの強さと快活さ、そして気遣いなのか。美容師やアシスタントの人に発する何気ない一言にウィットと心配りの両方が感じられ、二人とも傍目から見ていて実に気持ちのいい青年であった。

稲本選手と中田選手はいずれも1979年生まれの27歳。
オトナもいいところなのだが、自分が大学生時分に高校野球で活躍した球児がいつまで経っても少年のように感じられるのと同様に、ふとした表情にあどけなさが残るような気がしてしまうので不思議である。

2. 異国で感じる出会いの大切さ
今日のような出会いは、おそらくは日本にいたのでは遭遇しない種類の出会いである。
もちろん日本にいる方が余程たくさんの数の日本の「セレブ」とニアミスしているのだろうけれど、そんな「セレブ」が自分と同じタイミングに同じ空間を共有し、素顔で会話しているのを見られる機会なんてそうはない。
翻ってみると、異国にいるときの同郷の人との出会いには、少なからず「おそらくは日本にいたのでは遭遇しない」要素がある。

今この瞬間、自分がここにいるからこそ訪れる素敵な出会いの数々。
明日へのエネルギー、なのである。
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by canary-london | 2006-10-08 11:06 | current
インターネットとウェブ社会って素晴らしい、と思う瞬間。
といっても、今回はウェブ2.0社会に関する難しい議論を展開したい訳ではなく、ふとしたきっかけで素直にその便利さに改めて感動した一幕。

昨日・10月1日は母の誕生日。
東京とロンドンという距離ではプレゼントを送るのもひと苦労であるし(これに加えて、英国の郵便事情は思いのほか悪い。自分は幸いにしてこの被害には遭っていないが、知人から届く筈の荷物が待てど暮らせど届かず、結果的には税関職員が着服していた、などの例は残念ながら枚挙に暇がない)、直筆のカードをしたためるのは正直億劫である。
そこで頼りになるのは、やはりインターネット・ショッピング。

月並みながら「花束」を選び、「お祝い事→誕生日→・・・」とクリックして進んでいけば、数分後には「注文完了」のメッセージがメールのInboxに舞い込んで来る。

嗚呼、なんて便利。

更に素晴らしいことに、当日こちらが起きて再びメールにアクセスすると、今度は母から
「ありがとう!こんなのが届きましたー!」
と届いたお花の写真付メールが。
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便利になり過ぎて人間同士の距離が離れてしまったウェブ社会に対する批判は数あるけれど、
「インターネットがあって良かった」
「メールで繋がってて良かった」
と思える、小さな一瞬。

一万キロの距離を一瞬にして越えさせてくれる愛すべきネット社会、万歳。

そして。
年齢を重ねてもネットやメールを精力的に使いこなしてくれるがために、世界の何処にいようともスムーズなコミュニケーションを図ることが出来る我が両親にはただ脱帽。
Keep it up, mum and dad!!!
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by canary-london | 2006-10-03 07:44 | current
満を持して凱旋門賞に臨んだディープインパクトは残念ながら3位に終わってしまった。
おそらくは俄か欧州競馬人気に沸く日本の皆様にロンドンの競馬話を一つご紹介。

7月30日・日曜日は抜けるような青空。
知人にアスコット競馬に誘って頂き、ロイヤル・アスコットではないながらも気品漂う由緒ある競馬場へいそいそと出掛けた。
前日の29日はハーツクライが出走するとあって日本人の応援もひときわ目立ったようだったが、この日30日は6レースの中で14:40の回のみが比較的大きいレースであったことを除いてマイナーなものが多く、その分のんびりと雰囲気を楽しむことが出来た。

1. 競馬たるもの・賭けてなんぼ
もともと賭け事はそんなに嫌いではない。
家庭麻雀仕込でルールが分かるのをいいことに学生時代時折友人に混ぜてもらった麻雀にせよ、言ってみれば「下手の横好き」。
ごく限定的な賭博人生はおそらくネットで浮いている筈がないのだけれど、何ともオメデタイことにゲームの内容や博打のスリルを純粋に楽しんでしまい、あまり勝ち負けは気にしないタイプである。

この日も、勝手の分からない競馬新聞を握り締め、とりあえずは馬券を買いに窓口へ。
第一レースは、3頭に「Each Way」(単勝と複勝を組み合わせた馬券)を賭けて合計12ポンドを支払ったら、「You are my best customer so far」(これまでの今日の客で最高の売り上げだよ、ありがとう!)といわれてびっくり。
皆様もっと少額の掛け金で楽しむのですな。

はじめの数レースはまずまずトントンを維持したのだが、ツキが変わってくるとなかなか挽回が難しくなるというのが、基本的には胴元が勝利するような構成となっている賭博イベントにおける定石である。
負けが込むと、一番不味いのが守りに入ること。
この日の自分が典型例で、第5レースがネットでプラスまたはマイナスになる分かれ目であった。
買いたい馬は3番・9番・16番。
リスク・リターンが相対的に良いことに加えて、単勝と違ってそれなりに楽しめる美味しい馬券であることに味を占め、このレースもEach Wayを買おうと窓口に赴くも、一頭につき2ポンド掛けるとなると出費は12ポンド。
どれか一頭を諦めようと思って購入から外した馬であった9番が他を突き放してゴールに駆け込んできた。
うーん。敗北パターン全開。
ここで9番を外していなければネットで浮いたなあ。


f0023268_6273287.jpgてなことで第5レースの残念な結果を受け、本日のP/Lトータルは約15ポンドのマイナス。
でも本当に素晴らしい天気とPremier席の高揚した雰囲気を味わうことが出来、一日分の入場料と思えば全く高いと思わなかった。
ちなみに今回たまたま同席した女性の一人は、「競馬なんかで一銭たりとも損をするのは許せない」と6レースを通じて頑として馬券を買わなかった。

色々な考え方の人がいるものだと思ったが、買った方が参加意識が高まって楽しいと思うのだけれど。

2. 貴族のスポーツとMillinery体験
ポロやクリケットと並んで、英国では競馬も19世紀来貴族階級が楽しむ娯楽である。
この点、「小脇に競馬新聞を抱えて耳には赤鉛筆」という頂けないオヤジ・イメージ満々の一昔前の日本競馬とは全く趣きの異なるスポーツ(最近でこそ日本も競馬場がデートスポット化するなどのイメージ改善が進んでおり、喜ばしい限りである。競馬場としてはともかく、これはやっぱり大井競馬場のトゥインクル・レースのお陰か?)。
ロイヤル・アスコットで女性が羽や石のついた絢爛たる帽子を被る傍らでエスコートする男性もモーニング姿というのは昔の名残であると推測するが、今回前哨戦で度肝を抜かれたのが「帽子」カルチャーであった。

何しろ急に行くことに合意したものだから、帽子らしい帽子が一つもない。
別にロイヤル・アスコットではないので帽子は必須ではないのだが、聞くとやはり女性はそれでも帽子を被る人が大半の模様。
前日の土曜日、慌ててHarrodsへ。
「帽子探してるんですけどー」とインフォメーションに問うと、
「あ、millineryですね。2Fのインターナショナル・デザイナーの奥ですよ。」との案内。

Millinery=帽子売り場

そんな言葉があるんかいね、この国は。
恥ずかしながら初めて知った。
「Hat corner」とかではないのか(笑)。

帽子売り場に辿り着き、その種類の多さに一度びっくり、物によっては目玉の飛び出るようなお値段に二度びっくり。

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結局サマー・セールの最終日でおまけに閉店間際であったため、破格の安さで素敵な帽子を無事に入手することが出来たのだが、イギリスとはつくづく奥の深い国だと思う。
ときに、セールで買った帽子は、1950-60年代のアメリカ映画に出てくるような、あの笑ってしまいそうな巨大な帽子箱が付いて来ない。
あの帽子箱にベッドルームに鎮座されても困り者だが、入れ物がないのはそれはそれで不便。
気の毒なことに私の帽子は、以来洋服ダンスのジュエリーボックスの上でじっと埃に耐えている。


話はまたしても泥棒に戻ってしまうが、君は私の指輪と腕時計の盗難の一部始終をそのポジションから見ていたんだろう・・・帽子が言葉を話せれば証人になるのになあ、などとあらぬ方向に思いが及んだところでアスコット小噺はこれにて。
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by canary-london | 2006-10-02 06:31 | current
そもそもは、9・11とブッシュとアメリカについて書き始めたのであった。
過去3週間程度のイギリスの政治舞台における混沌は急展開で進んだ。
9月6日に、15人の若手労働党員(下院議員)がブレア首相に即刻退陣を求める書簡を提出したのに続き、うち8人が役職から辞任。
ほどなくしてブレア首相は「一年以内の退陣」表明を余儀なくされ、本日9月26日には、労働党党首として最後のスピーチがマンチェスターにて行われたところである。

ブレア首相の権威失墜の理由については、ブッシュ政権への完全なる迎合と映った中東政策における失敗、直接の引き金を引いたとされる7月のイスラエルによるレバノン侵攻時に(他の欧州首脳と違って)即時停戦要求を行わなかったことなど外交政策における失敗から、社会保障改革など国内政策に関する不満まで、あらゆる原因が取り沙汰されている。
この辺りの分析は専門家および勝手な議論を展開するメディアに任せることとして。

ブッシュに対する米国世論の支持が2001年9月11日直後に歴史的な高水準に達した後、その後のイラク侵攻を初めとする一連の出来事を受け、足下で急激な落ち込みをみせていることは前回概観した通りである。

一方のブレア首相に対する支持率の推移をみると、大体以下のような傾向を見て取ることが出来る。
1997年5月の首相就任(同時に18年ぶりに英国労働党が地滑り的勝利によって政権に返り咲いたタイミングでもある)から5ヶ月経過した同年10月の世論調査では、英国民のブレア氏に対する支持率は75%近くに達した。
この数字、サッチャー女史が1982年に記録した同政権としての最高記録である59%、および1991年のメージャー首相の最高記録61%と比較しても、異常に高い数字といえる。
一方、直近9月11日の調査によれば、ブレア政権に「満足している」と回答した人の比率は26%と往時の3分の1を下回る水準に凋落。

過去9年間の推移を定期的にフォローするには同条件で比較を行ったデータが不足するものの、ブレア首相に対する支持率の低下は、政治的事象に絡んで大幅に振れることは少ないことが特徴的であるように見受けられる。
支持率低下が加速したのは過去一年程度。
特に過去数ヶ月間においては、上記同様「ブレア政権に満足」と回答した比率が今年1月の36%→4月29%→9月26%と一貫して落ち込みをみせている。

そんな中で、目を引くのは2005年7月24日の調査結果(調査期間は7月14-18日)。
言うまでもなく、7月7日のロンドンにおける同時多発テロ発生直後のデータである。
ここでは、「満足」と回答した人の比率が44%に上るなど「不満」の47%に肉迫。

では、テロという極限の状況下では、国民は無条件に国旗の下で一致団結するのか。
自分の答えは、否、である。
それが、米国と英国の違いを理解する一つの鍵であるように思えてならない。

2005年7月7日。
私は今回の勤務に先立つ6ヶ月程度の長期出張で、やはりロンドンオフィスに勤務していた。

あの日のこと、およびあの日の直後のロンドン市民について思いを馳せると、「resilience」
(辞書を覗くと「立ち直る力」などと訳されているが、もう少し気の利いた邦訳はないものだろうか?)という言葉がまず頭に浮かぶ。
テロの当日や翌日、TVカメラとマイクを向けられるロンドン市民が決まって口にした文句。
‘…but we have to get on (with life)’
この言葉を聞くにつけ、ロンドン市民の冷静沈着、悪くいえばドライな面に脱帽した。
さらに悪くいえば、この人達は伊達にIRAとの血みどろの歴史を生きてきている訳ではなく、表現は変だけれど「テロ慣れ」しているのだ、ということも痛感。

イギリス国民でもない私が言うのは変だが、あのとき、グレンイーグルズで開催されていたG8首脳会議から大急ぎでロンドンに戻ってきて国民に誠意のこもったスピーチを行ったブレア首相の背中は、とても広く頼り甲斐があるように見えた。
もしやこの国もまた、テロという極限状況の中で、ブレアというリーダーの下で一致団結するのでは?という印象を抱きすらした。

結論としては、(米国と違って)英国においてはこのような思考はやはり存在し得なかったのではないかと思う。
現在のブレア首相の斜陽ぶりの真の理由については、これから明らかになる部分も多いことと思うのだが(個人的には、9年間にわたる政権安泰に胡坐をかいた結果として恥部を晒け出した労働党の内紛が一般世論の支持率低下という悪循環に繋がったような気はする)、間違いなくいえることは、米国におけるブッシュ人気暴落とは性質が異なるということである。

ふと欧州大陸を見やると、スペインのアスナール前首相、そしてイタリアのベルルスコーニ前首相という、ブレア首相に加えて欧州におけるイラク戦争推進派にあたった2首脳が今年退陣。
ブレア首相の退陣で、欧州の中東政策は新しい時代を迎えるのか。
そのとき、米国は、日本は、世界は・・・?

*一連の世論調査出所: Ipsos MORI
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by canary-london | 2006-09-27 08:37 | current
というわけで、一時的なクラシック音楽オタクブログから、従来の「言いたいこと何でも言うぞ」ブログに軌道修正開始です。
コンサート報告もまだ書くつもりではあるのですが・・・(今週木曜日はゲルギエフ/ウィーン・フィルだし)。

だいぶ前のことだが、東京でタクシーに乗った際に運転手さんが
「政治と宗教と野球の話はご法度だよ。お客と喧嘩になるからね。」
と言うのを聞いて、なるほどと思った。
野球はともかくとして、政治と宗教の話はこのブログでもあえてあまり書かないようにしている。
言いたいことはたくさんあるけれど、夜道を歩いていて後ろから刺されるような恨みを買ってはかなわない。
そんないわれのない恨みの最大の理由になるのが、政治でありまた宗教である。

特に英国に暮らす身としては、2005年7月7日以降というもの、
「イスラム教の神を信奉し一日5回メッカに向かって祈るだけでテロリストの烙印を押されるのか?」
という設問を中心に展開される議論から逃れられる日はなく、政治と宗教を切り離すことは事実上不可能となっている。

本日、日付は2006年9月11日。
様々な意味で世界が劇的に変わった日から、5周年にあたる。
メディアは当然このニュースで埋め尽くされているが、その主な論調は、泥沼化し先の見えないイラクにおけるブッシュの失敗 (併せてこれに同調したブレアの権威失墜―これについては、昨年7月7日に感じたことと併せてまた別項にて書こうと思う) を批判するものである。
2001年9月12日には、悲嘆に暮れるアメリカ全国民の多大なるサポートを受けたかにみえた世界最大のsuperpowerのリーダーの基盤は、5年後の今日、今にも崩れそうに弱く映る。
「5年前に比べてアメリカは安全だ」というブッシュの言葉は空虚に響く。

2001年9月11日直後のGeorge Bushの支持率は90%を超えるなど、歴代の米国大統領として最高記録に跳ね上がったとのこと。
崩れたビルの瓦礫の下で、星条旗の下での団結は確かにあった。
米国民は、この惨劇を引き起こした「敵」が誰であろうと、それはすなわち「アメリカの敵」に他ならず、「敵」に対して一丸となって闘うことを誓った。

5年後の今日。
「敵」が誰であるかは、はっきりしている。
「敵」が、何のために闘っているのかも。
しかし、「敵」を駆逐するのに、5年前に比べて少しでも近づいていると無邪気に考えている米国民はおそらくいないだろう。
より深刻な問題は、「自分達はそもそも何のために闘っているのか」ということが、時が経つにつれてどんどん不明瞭になっていったことではないだろうか。
そんな中、戦争は泥沼化。
米国民が最も忌み嫌う戦争の思い出であるベトナムを彷彿とさせる。
米国民のブッシュに対する信頼感の凋落は、こんなアイデンティティー・クライシスにその大部分が起因するように思う。

ところで、ニューヨークという街には、幼少の頃家族と共に4年半程度暮らした。
今年の前半(3月初旬)、実は週末だけという強行日程でNYを訪れた。
いつか自分のなかで整理できる日がくるまで、と思って家族・友人の殆ど誰にも伝えずに突然思い立って金曜日の夜のフライトに飛び乗った。
別にその「整理」を9・11の5周年にするつもりはなかったので、これは言ってみれば偶然なのだけれど。
ロンドンからニューヨークへの飛行時間は、ほぼ7.5時間。
復路は更に短く、6.5時間程度でロンドン・ヒースローに到着する(多くのフライトが夜行便でロンドンの朝に到着するため、睡眠不足で仕事に臨むサラリーマンを揶揄して’Red-eye flight’の異名を取る。
そんな気紛れな旅が許されるほど、こと「テロとの闘い」という観点からは注目を浴びる二つの国の距離は近い。

最後に訪れたのは、ボストンに留学中だった友人を訪れた1999年。
あれから7年。
要は、私は2001年9月11日より後のニューヨークを見ていないのであった。
子供時代に暮らした街の変わり果てた姿を見たいという気持ちがある一方で、機会を失っていたこと、そして何よりも現実を直視するのが恐くて行けなかった。

9・11以降のManhattanを初めて見るのは、実に不思議な感覚だった。
私はNYには子供の頃暮らしただけなので、マンハッタンは本当の意味では知らないため、彼の地で日々仕事をされていた方々の感想とは全く違うのだろうと思う。
グラウンド・ゼロは一大観光地化されていることに加え、既得権益の衝突で跡地に建てられる予定であるFreedom Tower建設が遅々として進まないサイトを妙に冷めた目で眺めたものの、自分も気づかないうちに涙が流れていた。

今日から5年後の世界は、今よりも平和な場所になっているのだろうか。
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by canary-london | 2006-09-12 08:08 | current
正直、予想していた訳ではなかった。
メディアは色々な憶測について報道したけれど、それは主に対ブラジル戦が終わってフィールドの中央で放心するヒデの姿を多くのカメラが映し出した後のこと。
結果的には、6月22日に自分が見たドルトムントでの試合が中田英寿の現役最後の試合となった。

サッカーは好きだけれど、常にメディアへの露出度も高く、非常なる努力家ながら時に偏屈なまでの意志の強さを覗かせる独特のキャラクターを持ち、ビジネスマンとしても一目置かれるなど、日本が世界に誇る一つの「ブランド」とすら言えたNAKATAに関しては、人間的にもプレーヤーとしても「凄い」と思う以外の特別な思い入れは、これまでなかった。
(個人的には中村俊輔が好きなのだが、絶不調の今大会では今一つファンタジスタになり切れない部分を露呈してしまったか・・・。)

自分が生で見た日本代表の最初で最後の試合が、中田英寿の引退試合になるとは。
何か偶然以上のものを感じてしまい、中田のHPでの現役引退について綴ったメッセージ「人生とは旅であり、旅とは人生である」を読んで感じたことを少しだけ書いてみる。
きっとこれから多数のメディアが「若過ぎた引退」とか何とか言って書き立てるのが目に浮かぶけれど、雑音がうるさくなるその前に。
ささやかなオマージュに代えて。

中田のメッセージを読むと、試合後フィールドの真ん中で天を仰ぎ、立ち上がることの出来なかった彼の心中が今になってやっと分かった気がした。
口下手に違いない彼が伝えたかったこと。

全文は中田自身のHPにて公開されているが、
(アクセス数過多のためトラブル続発のようなので、難しい場合はコチラから)



f0023268_9332516.jpg




メッセージを順に追っていく中で感じたこと、徒然なるままに。

1. (QUOTE)
プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。
(UNQUOTE)

読んでいてふと気づく。
これって。オトナになるにつれて、誰しも子供時代の「好きなこと」「やりたいこと」「なりたいもの」について気づかされずにはいられない、「現実」の部分。
「瑞々しい感情」=「夢」と読み替えたら、それは自分が子供の頃に抱いていたたくさんの「将来の夢」に繋がっていく。
あんな感情を取り戻せたら。
「“新たな自分”探しの旅」に出るという中田が求めているのは、そんな感情を今一度手に入れることなのかもしれない。

2. (QUOTE)
俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。
(UNQUOTE)

孤立していたともいわれる中田が代表の面々に伝えたかった思いは、最後まで双方のベクトルが噛み合わずに終わってしまったのかもしれない。
(次のワールドカップまでの)四年間というのは、自分一個人の今の状況を考えると途方もなく長い時間のように思えるけれど、次の夢に向かってひた走るスポーツ選手にとっては非常に短い時間に違いない。
2010年、南アフリカに向けて。
日本代表にエール。

3. (QUOTE)
最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。
ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。

けれどみんなからのmailをすべて読んで俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は間違っていなかったと自信を持って言える。
(UNQUOTE)

中田にしては珍しい弱気な発言の後に、彼を支えた無数の人々のメールでの声援についてのコメント。
E-MAILという媒体の罪過を強調することはたやすいけれど、メールにはこんな風に人と人との大事な繋がりを築けるという強みがある。
もちろん、一昔前であれば直筆で認めた(したためた)手紙であるべきところだけれど、見ず知らずの人間同士のコミュニケーションを飛躍的に促進するという意味ではメールに軍配が上がる。

4. (QUOTE)
これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”
(UNQUOTE)

大事なメッセージを、この一言で締めくくってくれてありがとう。
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by canary-london | 2006-07-04 09:34 | current
長期出張で昨夜遅くまでずっと留守にしておりすっかり更新が遅れてしまいました。
長期出張の大部分は東京だったのですが、東京にいた際に、同じブロガーであり、ブログという媒体を通じて私なんぞより余程真面目に一つのテーマを掘り下げておられるTack氏と「更新をサボる」ということについて議論する機会があったので、少しだけご紹介。

Tack氏が最近出席されたとある食事会でのこと。
知人の方による「一時期に比べて更新がややスローペースになったのでは」とのコメントと共に、「もう少し気楽に書けばいいのに、真面目な内容ばっかりではなくて・・・」との指摘に、「遅れずに更新を行うために’気楽に’書くなんて本末転倒」とやや熱くなって反論してしまったという氏の姿勢には共感する部分が多々ありながら、宥めた部分もあり。

感じたこと、二点。

まず、「遅れずに・・・本末転倒」については、本当に同感。
そもそも「ブログ」という言葉の一般的な定義が、「日記風に書かれた簡易型ホームページ」というのが、既に若干現状にそぐわなくなってきているのでは。
以前に当ブログでもご紹介したtechnorati.comで再度アップデートしたデータを取ってみると、ものの3ヶ月前に2820万件とあった同社の認識する世界のブログの数は、2006年5月1日現在3730万件。
平均して毎秒に一つ、新しいブログが立ち上げられている。
で、この「Blogosphere」なる世界は、6ヶ月で倍増というペース。
(もうこうなってくると、どうにでもしてって感じである。)

飛行機での移動時間が長かったことを利用して、遅れ馳せながらやっと梅田望夫氏の「ウェブ進化論」を読み終えた(お薦め頂いた方々の評価に反することなく、本当に面白かったです。感想はまた後日!?)。
梅田氏のメッセージは実は、本来は表現する手段と場を持たなかっただけであって、面白い情報を発信しうる例えば「10人に一人」(仮に日本の総人口の中では1000万人程度とする)程度の人々が、今後ブログに代表される新しい表現手段を持つという「総表現社会」の到来により、「玉」の絶対数も確実に増えているという部分にある。
この考え方は自分にとっては正に「目から鱗」ではあったのだが、「石」の絶対数も母集団の拡大と共に増えていくことも残念ながらまた確か。
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日本語のブログに限ってコメントすると、個人的には最も許せないのが、誤った日本語の氾濫に一役買うような「間違いだらけの日本語」ブログ。ケイタイとケイタイメールの普及の悪しき副産物かもしれないけれど、文語と口語の境界線は一体何処へいっちゃったの!?的な文章は苦手である(自分のことは棚の一番上に上げましたがご容赦頂きたく。)。

二番目には、「許せない」訳ではないけれどあまり興味が持てないのが、「日記風」というブログの定義を乱用して(?)、自らの私生活を赤裸々に綴る内容のもの。書き手としては「見られる」快感とやらがあるのかもしれないけれど、こんなもん、別にウェブ上に公開することもないだろーが。
ちなみに、この二点目については、日本人のブログでは例えばアメリカ等に比べて匿名のものが圧倒的に多いという点に関連するように思う。

二点目は、上記の点と密接に関連するけれど、私がTack氏を宥めた部分。
平たく言えば、「類は友を呼ぶ」といったところ。
結局ブログという媒体に何を求めるかは、多分に個人的なものであって。
私生活を暴露する感覚でブログを書いている人は、例えば社会起業家論にも日英文化比較論にも興味は示さないのだろう、と思う。
つまり、自分の書きたいことを貫いていれば、更新を怠ろうとも読者は着いて来るものだろうから、自分のペースを保てばいいんじゃないでしょうか、というところ。

そんなわけで、10日ぶりにロンドンに戻って最初のエントリは、自分のサボリを正当化するブログ論と相なりました・・・最後まで読んで頂いた方有難うございます!
真面目に、書きたいことがたくさんたくさん溜まってしまったので、ぼちぼちアップしていきたいと思っております。
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by canary-london | 2006-06-05 06:59 | current
最初に断っておくと私は全くフェミニストではないが(勿論定義にもよるが、女性の「フェミニスト」なる方々は、殊更に権利ばかり主張し果たすべき義務とのバランス感覚に欠ける人が多いような気がして個人的には苦手である。)、今般の記事には少なからず考えさせられた。

まずは、幾つかの数字と事実の概観。
1. 経済成長の牽引役
経済学の教科書にもあるとおり、経済成長の三大要因は①資本の成長(設備投資)、②労働供給の成長(労働力の増加)、そして③技術進歩、の三つである。
女性の社会進出を象徴する一つの数字を取ると、1970年以来平均して男性一人に対して女性二人が雇用されている。
このことからざっと計算すると、先進国における女性の社会進出が経済成長に寄与した度合いは、技術進歩、はたまた成長の牽引役の代名詞となった中国やインドなどの一国の寄与度を遥かに上回ることになる。
2. 勉強する女性達
現状米国では、大学の学位取得率は女性が男性を上回り、その比率は約1.4倍。スウェーデンなど女性の社会進出が更に進んでいる国では、この数字は1.5倍程度に達する。
一方、医師や弁護士などの職業に目を向けると、残念ながら女性で現在この分野の第一線で活躍する人の数は多くはないものの、例えば英国では医師・弁護士になるべく勉強中の人数では、女性が男性を上回る。
3. 労働力に占める女性比率
米国では、労働力全体に占める女性比率が、1920年の統計開始時の2対8から徐々に増加し足下では5割に限りなく近づいている。
この数字を別の切り口でみると、15-64歳の女性全体に占める「働く女性」の割合ということになるが、デンマークやスウェーデンの70%超、米国の65%に対し、日本57%、イタリア45%などとなっている。
4. 企業と女性
世界全体でみると、会社役員に占める女性比率は約7%。米国では15%に達する一方、日本では1%に満たない。
一方、米コンサルティング会社Catalystによると、米国の企業では、女性をシニア・マネジメントに多く起用している会社の方がROE(自己資本利益率)が高い傾向がみられる。
5. 消費者と女性パワー
著名なストラテジストであるGoldman Sachsのキャシー松井氏が考案した「女性の社会進出が進むにつれて成長率が高まる115銘柄」の株式を組み合わせたファンドは、過去10年間で市場全体の伸び率13%程度を遥かに凌駕する96%の伸び。ちなみに銘柄の内容は、美容やファッションに留まらず、オンライン・ショッピング、「中食」関連のビジネス、そして金融サービスなどと幅広い。
6. 少子化と女性の社会進出
「女性の社会進出は少子化を招き、長期的には国の経済成長の阻害要因となる。」
結構よく聞かれる議論である。
ただ、数字をみるとそれは必ずしも正しいわけでもないらしく。
先の例でも引用された通り、「女性の社会進出が進んでいない先進国」の典型例として引き合いに出されるのが日本とイタリア。日本の出生率が1.29と発表され更に急速に進む少子化に警鐘が鳴らされたことは記憶に新しいが、イタリアの出生率も実は1.2そこそこ。
一方で、先に引用した通り逆に「女性の社会進出が最も進んでいる先進国」の代名詞といえるスウェーデンでは出生率は1.6を上回り、また米国の出生率は2.1という驚愕の数字である。

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*注: 写真は本文とは関係ありません(笑)。


簡単な考察
* まずは、得てしてこの手の記事にみられることだが、必ずしも数字を全て鵜呑みにできるわけではないと思う。それはメディアのバイアス云々の話を置いても、「客観的なデータを集める」ことは非常に難しいと思われるから。
「例えば、15-64歳の女性が働く比率」の項目では、週一回パートタイムで働き税金面でも扶養家族の扱いを受ける女性と専業主婦の実質的な違いは大きいとは思えず、前者を「労働力」に含めることにどれだけの意味があるのだろう?という気はする。

* とはいうものの、全てが意味のない分析では決してないと思う。
日本という劇的な少子化が進む社会に暮らす身としては、やはり女性を原動力にして少子化による経済成長の低下を食い止める、という考え方には、期待を込めてエールを送りたい。
女性の労働を経済化することには限界があるとの批判を受けるかもしれないけれど、一つの例として、欧米では一般的な「NANNY」という職業がある。日本だとベビーシッターのようなイメージが強いが、実際には働くママの代わりに日中留守宅の管理をしながら子供の面倒をみるという仕事なので、責任はそれなりに重く当然ながらそれに伴って給与水準もかなり高い(労働時間などにもよると思うが例えば年間500万円とか)。
要は、「NANNY」の仕事というのは、女性が皆専業主婦だとすると経済価値の創出に繋がらないが、女性が一人社会に出ることによって創出される仕事であるという観点からは、ダブルの雇用創出なのである。

* 社会のサポート・culturalなサポートは不可欠。
米国や英国では、「働くママ」をサポートする社会基盤が整っている。
税制や社会保障面での柔軟性ももちろん必要であるし、保育園の充実などという基本的な部分も重要である。
社会基盤の充実とメンタリティーは相互に影響するものであろうが、私の周囲で働く米国人や英国人の女性は、かなりフツウに出産後仕事に復帰するパターンが多い。「そのまま辞めちゃおうとか思わなかった?」などと聞くと、逆に「何で?」などと聞き返される始末。
ただ先にみたとおり、日本やイタリアでは、そもそもが仕事をしていない女性でも子供を生む人の数が減少傾向にあるのは憂うべき事態だろう。アメリカやスウェーデンの例を日本にそのまま適用できるかどうかは分からないが、仕事を持つ女性が子供を育てやすいような環境を整えることが出生率アップへの近道ではないかと思う。
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by canary-london | 2006-04-23 11:10 | current