ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


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気ままな映画論

先々週の週末は、ロンドンをはじめ多くのヨーロッパ諸国でキリストの復活を祝うイースター(復活祭)となり、当地ロンドンも四連休となった。これだけのlong-weekendともなると、貧乏性の自分としては旅行に出掛けるのが通常のイースターの過ごし方なのだが、今年は家で整理したいことも溜まっており、趣向を変えてロンドンで過ごすことにした。

普段読めない書物、気候が良くなってきたというのにあまり定期的に出掛けないジョギング、そして普段片づけられない家の雑務や狭い庭の手入れ。
ピアノを思う存分弾くこと。
忙しいときにはなかなか出来ない少し手の込んだお料理(イースターは手打ちパスタに挑戦してみた。結果は使用した粉のせいか予想以上に粉っぽくなってしまい、100点満点だと自分の評価では55点程度だろうか。)。
家のことを片づけていると、四日間なんて実はあっと言う間に過ぎてしまう。

そんな四日間の中で、先月日本に一時帰国した際に買い求めた映画を幾つか観た。
昨今DVDも安くなったもので、ふと通りがかった本屋に「ワンコインDVD」なるものが陳列してある。
ワンコイン=つまり一枚500円で買える。
映画館とは音響もセッティングもすべて異なる自宅での映画鑑賞に500円掛けることを「贅沢」と否定する人も少なからずいるのだろうとは思う。
私にとってみれば、好きな時に、好きな人と、好きな体勢で、好きな物を飲み食いしながら好きな映画を観られるなんてこの上ない幸せ。
映画館に行くよりも多く払っても良いぐらいだ。

ワンコインで買い求めた映画は、アメリカ・フランス・日本の物など雑多(ちなみに、一枚1000円と他より高い価格設定のものもある)。

「ローマの休日」。
これまでの人生で一体何度観たのだろうか。
今まで自宅になかったことが不思議なぐらい。
50年以上経った今も、少しも古いと感じないヘプバーンの高貴な魅力。
気づけばバスケットに入れていた。

「カサブランカ」。
これまた、ハリウッド映画の黄金時代の代表作で幾度となく観ている。
そのたびに涙してしまうのだから、我ながら単純にできているらしい。
いつの時代に観ても色褪せないハンフリー・ボガートとイングリット・バーグマンの美しさ。
言わずと知れた名セリフ、‘Here’s looking at you, kid’。
「君の瞳に乾杯」の訳をつけた高瀬鎮夫氏のセンスにはただただ脱帽する。

「天井桟敷の人々」。
「カサブランカ」とほぼ同年代の制作ながら、この当時からフランス映画は喜怒哀楽の単純明快な米国映画と対極にあるのだと感じたのは、早稲田大学に程近い場所にあるミニシアターで初めて観た19歳の頃だっただろうか。

そして、日本代表選手は小津安二郎監督の「晩春」と「お茶漬けの味」の二品。

一見ばらばらの5本なのだが、共通点があるとすれば制作年代だろうか。
この中ではもっとも古い「カサブランカ」(1942年)から、もっとも新しい「ローマの休日」(1953年)までの11年のスパンに5本のすべてが凝縮されている(「天井桟敷の人々」:1944年、「晩春」:1949年、「お茶漬けの味」:1952年)。

そうして改めて考えてみると、自分の好きな映画は邦画・洋画を問わず、1950年前後のものに集中しているように思う。
黒澤明監督の「七人の侍」も1954年の作品。

その理由について漠然と考えてみると、思い当たることは二つ。

一つは、月並みな表現だけれど「良い時代」だった、ということに尽きる。
希望に満ちた時代。
もちろん、第二次大戦下の「カサブランカ」と「天井桟敷の人々」について「希望に満ちた時代」ということには反対意見もあると思うが、今日よりも明日、今年よりも来年の方がきっと素晴らしいのだろうと思えた時代。
きっといつの時代に生きても人はないものねだりをするのだろうけれど。

もう一つは、両親の影響だろう。
よりリアルタイムで身近に感じられる1970年代以降の映画も、はたまた自分で魅力を発見したと自負している1930年前後のドイツ映画にも思い入れは強いが、三つ子の魂百までとはよく言ったもの。
子供の頃に両親と肩を並べてテレビで観た映画の印象の強さは、そうやすやすと他のもので上書きされるものではない。

・・・実は今回は、久し振りに観て魅力を再発見した小津映画について書こうと思っていたのだが、寄り道をするうち紙面が尽きてしまった。
ということで、小津映画についてはまた次回。
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by canary-london | 2009-04-30 08:00 | cravings
前回インベストメントバンカーのファッションについて少し書いたので、調子にのってこのトピックについて続けて書くことにする。

以前にも紹介したことのあるFTのコラムニスト、Lucy Kellaway氏のコラムは時流をうまく捉えていて本当に面白い。2-3ヶ月ほど前の彼女の記事の一つに、不況とホワイトカラーのファッションについて言及したものがあって興味深かった。
これ自体はそんなに目新しい話ではないが、つまり現在のような不況時においては、小ざっぱりとしたスーツ姿の人が増えるということ。
すなわち、求職人口とスーツ姿の人の数がある程度の比例関係にあるということなのだろうと思う。

前回のエントリで、「・・・普段スーツ姿を見慣れている同僚・・・」などと書いたけれど、実は私の職場はスーツの人ばかりではない。
インベストメントバンクと一口にいっても、会社、ロケーション、そして部署によって服装のプロトコルには実は大きな違いがある。

まず会社による違いということについて。
通勤時の服装に関するポリシーは会社によって異なる。
もっといえば、その時々のマネジメントの主義によって左右される。
私は当初ロンドンに転勤した際、ワイシャツでなくボタンダウンのシャツにチノパンというトレーダーの多さに「東京オフィスに比べて何てカジュアルなんだろう」と驚いた覚えがあるが、10年ほど時間を巻き戻すとロンドンでの服装に関する規律は今よりかなり厳しいものだったらしい。
こちらで同じフロアに座る債券畑の同僚は、来客などがないときにはスマートカジュアルという人が多い。

ロケーションによる差もあるように思う。
ロンドンのシティやカナリーウォーフとニューヨークのウォール街を比べた場合、ニューヨークのバンカー達の服装の方が概ねぱりっとしている。
映画「ウォール街」からはもう20年以上も経ってしまったが、街の雰囲気と国民性の両方が作用するのか、今も頭から爪先まで抜け目のない格好で「肩で風を切って歩く」バンカーの数はロンドンよりもニューヨークの方が多いように思う。
ロンドンは何というのか、ユルイのだ。
・・・とはいっても勿論、折からのクレジット・クランチで、肩で風を切って歩けるだけの自信も財力も、また職すらも失った人が圧倒的に多いなか、世界的にこんな人種自体が激減してはいるのだろうけれど。

部署による温度差もある。
上にも書いたとおり、私の働く債券部はカジュアルが主流。
何らかのニュースを受けてフロア全体が騒々しくなることもあるほか、実際問題としてトレーディングフロアというのはPCの端末が異様に多いせいか、割合温度が高く乾燥しているため、首までボタンをきっちり締めてネクタイなど、現実的に「やってられない」という面もあるのだろう。
一方で、企業買収などを手掛ける所謂「バンカー」と呼ばれる投資銀行部門では、普段から隙のないファッションに身を包む人が多い。
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あくまで個人的な感想だが、私はオフィスで一緒に時間を過ごす男性にはスーツを着てほしいと思うスーツ支持派。
普通のスマートカジュアルの場合は、先日さんざん批判したジーンズほど着こなしの差が出るわけではないのだが、やはり同じ空間で働く男性が綺麗にプレスされたシャツにぴかぴかの革靴を履いていると、背筋が伸びる。
・・・冒頭のKellway氏のコラムに戻ると、こと服装に関していえば「不況万歳」ということになるのだろうか(笑)。
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by canary-london | 2009-04-11 05:45 | cravings

サングラス考

ロンドンはここ10日間ほど、一年の中でもっともラブリーな気候全開となっている。

またしても冒頭から脇道に逸れるけれど、この「ラブリー(=lovely)」という言葉も、実に英国的な言葉。日本語のカタカナで「ラブリー」などというと、どうも青臭いイメージが湧きやや萎えるけれど、英国人は事あるごとに「ラブリー」を連発する。
形容詞としてだけでなく、物事が思い通りに進んだとき、副詞的に使うこともあるなど、本当に守備範囲の広い言葉だ。
女性に限らず、男性も多くの人が使う(使わない人は決して使わない)。
日本人でも「どうも恥ずかしい」と言って使わない人が多いが、私はかなり多用派。
郷に入れば・・・の世界であるし、何よりラブリーという言葉を発するたび、何となく小躍りしたいような気分になる。
英国人のおじいちゃん・おばあちゃん(特におじいちゃん)が言うと、実に可愛くてシビれてしまう。

・・・話を戻すと、そんなラブリーな気候と当地の太陽、そしてこの時期の必需アイテムについて。
必需アイテムとは、ほかでもないサングラスである。

欧米人は目のメラニン色素が薄く、日本人に比べてサングラスを多用するのはつとに有名な話。
澄み渡った青い空と太陽の眩しい、一年でもっともロンドンらしからぬこの時期になると、欧米人は皆どこからかサングラスを取り出して掛けて歩き始める。私の勤める金融街のカナリー・ウォーフでも、ランチを買いに出るたかだか10分程度の間、サングラスを掛ける人が少なくない。
この場面では、私も「郷に入れば・・・」には踏み切れず、サングラスは常にバッグに入れて持ち歩くものの、ランチを買いに出る際に掛ける気にはどうもなれない。

実を言うと、サングラスというのは苦手で数年前までほぼ掛けたことがなかった。
数回前のエントリでニット帽について書いたときにも若干触れたけれど、西洋の洋服および衣料小物というものは、当然ながら欧米人体型にフィットするべくデザインされている。
一般的に言って、欧米人より(1)圧倒的に鼻が低く、(2)顔の縦と横の比率で言うと圧倒的に横に長い日本人の顔には、サングラスは合わないのだ。
「似合わない」というだけならまだ当人が自信を持って闊歩すれば良い話だが、ものによって、暫く掛けていると鼻先までずり落ちてくるものまであり、目もあてられない(おそらく私は日本人の中でも鼻が高い方ではない)。

そんな私が最近は人目も気にせず胸を張ってサングラスを掛けて歩いていること自体、進歩というべきか、色素の薄い欧米人に感化されているだけだと考えるべきなのか。


f0023268_9292873.jpgひとつ言えることは、サングラス選びは重要ということ。
女性のサングラスでは、やはりシャネルが代名詞になると思う。
私はシャネルの洋服は買わないが(個人的見解だけれど、バッグもあと10歳ぐらい年を取ってからで良いかなと思っている。日本でティーンエイジャーがシャネルを持っているのは論外。)、サングラスは幾つか持っている。
シャネルのサングラスが不動の地位を占めているのには理由があり、私は密かに、「鼻の低い日本人でも似合うし、ずり落ちてこない」のが大きな理由だと思っている。
*ちなみに、奇抜なデザインが気に入り二年ほど前にロンドンのルイ・ヴィトンで購入したサングラスは、「ずり落ち」がネックとなり箪笥の肥やしとなっている。もらって下さる人がいればご連絡下さい(笑)。
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by canary-london | 2008-05-15 09:32 | cravings
数回前のエントリで言語のトピックに絡めてBloombergの「一日一言」について書いたけれど、この手のものは実に便利だと思う。
つまり、「一日一言」といった類のもの。

私は何しろものぐさな性質なので、読み物にせよ長時間の集中力を強いられるものはついつい後回しになってしまう「積ん読」派である。
一方、先日触れたBloombergのような短い一言であれば、日々フォローすることがさほど苦にならない。
美術品にも似た部分があり、美術鑑賞は非常に好きではあるが、美術館に行くとついあれもこれもと欲張ってしまい割合疲れる一日となって終わることが多いため、実は私はロンドンではあまり頻繁に美術館に足を運ぶ方ではない。(その一方コンサートやオペラには比較的良く行くのは、演奏の場合は「その時しかない」という心理が働く一方で、美術館は「いつでも行ける」と心のどこかで思うのだろう。人間の心理とは微妙なものだ。)

私が秘かに大切にしている「一日一言」は、'A Year in Art'という画集。
もとはといえば、昨年1月にNational Galleryで開催していたベラスケス展を観たいと思って同美術館へ赴いた際、偶然購入したもの。
「偶然」というのは、あろうことか最終日ギリギリになってやっと雨の中をトラファルガー広場の
National Galleryへ足を運んだはいいが、高い人気を集めたこのシリーズは前売りの段階で既に完売。噂には聞いていたものの、最終日の午後になってのこのこ出向いた私にチケットが残っている筈もなかった。因みにベラスケスは、2006年にマドリッドのプラド美術館で観て非常に感銘を受け、コレクションとしてロンドンに来るなら是非観たいと思ったもの(なら最終日になる前に行けよって感じではあるが・笑)。

仕方なくーというかミュージュアム・ショップは非常に好きな方なのでどちらにせよ覗くのだがーショップに入ったところ、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の表紙が印象的なハードカバーの重厚な本に惹かれた。
手に取ると、ずっしりと重い。
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‘A Year in Art – A Painting a Day’という題名が示す通り、この本は、要は一日に一枚ずつ絵画をあてがった日記形式の画集。
中世から近現代までバラエティに富んだ名画に彩りを添えるのは、絵の反対側のページに書かれたその日の「一言」。

この「一言」は、作者である画家のものであったり、直接関係の少ない文筆家のものであったり、Bloombergではないが政治家のものであったりと様々なのだが、毎朝出勤前の短い時間にこれをめくって出会う新たな発見が楽しい。
曜日の記載がないため特定の年にしか使えないということがなく、いってみれば永久保存版。
National Galleryから重いハードカバーを家まで担いで帰った甲斐がある、とこんな素敵な買い物をしたときには思わずにんまりしてしまう。

今回これを書くにあたってGoogleでこの本を検索したところ、姉妹作の‘A Year in Art –
A Treasure a Day
’なんてものも発見した。こちらはおそらく絵画に限定せず、美術品全般を同じ日記形式にしているのだと思われる。

こんな小さなことの一つ一つが、日々の生活を豊かにするのだから不思議。
今日も玄関のテーブルに置かれた画集を一枚めくって、早朝の出勤に備えよう。
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by canary-london | 2008-04-02 08:55 | cravings
年明け以降の買い物の中で最も使えるアイテムといえば、間違いなくコレだと思う。
洋服でもバッグでも靴でもなく、キッチンの抽斗にひっそりとしまわれているワインオープナー。
「マスタークラス」なんて威張ったネーミングが何とも言えない。

何のことはない、ただのワインオープナーといえばそれまでである。
・・・たかがワインオープナー、されどワインオープナー。

もとはといえば、2006年夏頃友人の家に招かれた際に初めて出会い、便利さに感動。
といいながらもブランドも良く分からないままとなってしまい、横着な性格ゆえあまり真剣に探すこともせずに、気づけば一年以上が過ぎていた。

何しろわたくし、不器用にかけては右に出る者なし。
毎度毎度ソムリエナイフで気取ってワインを開けようとするのはいいが、失敗してコルクが無残な姿になるのは日常茶飯事である。

そんな折、先月招いて頂いた別の友人宅のホームパーティーにて、再び遭遇。
・・・正直しばらく忘れていたのだが、「やっぱりあれ欲しい!!」熱が一挙に高まってしまった。
件の友人はといえばパリに住んだ期間が長く、聞いてみればパリで購入した由。
やはりワインの国・フランスならではかと美酒と美食に酔いしれつつややがっかりして帰途についた。
それから二週間ほどたった週末、地元Islingtonのハイストリートをそぞろ歩きながら、何の気なしにやや雑然とした雑貨店に入ってみたところ、店の片隅の棚に見慣れた器具が。
おーーー、これ、ずっと探していたものではないか。

実はお値段も結構張るのだが(あくまでワインオープナーとしてはということだが。確か40ポンド=8000円強程度)、即決で買って帰ってしまった。

・・・何しろ、余計な力がいらない。
私のような不器用な人間でも、失敗することが非常に稀である。
自宅で一人で飲むときにも、大人数のパーティーでも重宝しそう。
今から活躍が楽しみだ。

手順としては、こんな感じになる↓:

1. まず、金具でがっちりとワインボトルの首を掴みます。ペンチのような要領。
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2. 所謂「corkscrew」にあたる部分を、ワインのコルクに合わせます。
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3. ハンドルを、ワインボトルの口をはさんで
180度反転させます。この間に、やっている人間はまったく労せずして、corkscrew部分が回転しながらコルクに入り突き進んでいく仕組み。
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4. ハンドルを元の位置に戻すと、あら不思議・・・コルクもついてきました。
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「ワイン開けるの、いつも失敗しちゃうのよねー」という方、是非お試しあれ!
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by canary-london | 2008-02-29 08:10 | cravings

ニースとシャガール

これまた初めに「書こう」と思ってから随分と長い時間の経ってしまったエントリ。
「Better late than never」は座右の銘の一つとはいえ、本ブログに関しては完全に地で行ってしまっている。

がとにかく。
2月にニースで訪れたシャガール美術館について、ずっと文章に落としたいと思い続けていた。
ニースにある一人の画家に特化した美術館では、アンリ・マチス美術館の方が規模も大きく知名度も高い。
今回は残念ながらマチス美術館の方は改装により休館中だったのだが、個人的には特に学生時代に傾倒した画家、マルク・シャガールの美術館に行ければ良いと思っていた。

この美術館、実はロンドンで過した高校生時代に両親と共に訪れたことがある。
小高い丘の上に位置する建物は周囲の緑の中に良く映える白の外壁。
街の中心部から徒歩で上ると軽く息が上がる。

シャガールの絵はキリスト教を題材にしたものが多いが、全ての作品に共通するキーワードがあるとすれば、それは「幸福」だと私は思う。

9人兄弟の長男としてロシアに生まれたユダヤ人のシャガールは、1985年までの108年という実に長い生涯の中で二度の戦争を味わい、二人の妻を心から愛し、同世代を代表するアーティストとして高い名声を得ながらも、ユダヤ人ゆえの迫害やそれ以外の多くの苦難も味わうなど、正に波乱万丈の人生を歩んだ人である。

シャガールが晩年に語った言葉の中で、私の一番好きなのが以下である:
‘Is it not true that painting and color are inspired by love?
…In art, as in life, all is possible when conceived in love.’
(テキトウに意訳します:
絵画そして色というものは、愛にインスピレーションを得ているのではないだろうか?
芸術においても(それは人生と同じように)、全て愛をもって臨めば不可能なことなどない。」

彼自身本気でそのようなユートピア的思想を持っていたのだろうと思うし、だからこそ彼の絵にはそこはかとない幸福感~人類愛と言い換えても良い~が漂うのだろうと思う。
アダムとイブの楽園からの追放↓を描く画家の眼も、どこか優しい。

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ヨーロッパの美術館におけるプレゼンテーションの巧みさについては以前書いたが、ここも同様。
シャガールの大ぶりの絵がゆったりとしたスペースに掛けられる多角形(ジャバラ型の12角形ぐらいだろうか?)のエントランス・ホール。
中央にはベンチ。

シャガールの創り出す独特の幸福感にどっぷりと浸るには申し分のない環境なのである。
しばし、放心。

蛇足ながら、シャガールがもう少し若い頃の自分の「お気に入り」の画家であった理由の、自分なりの分析。
学生時代、今よりも大分トンガっていた頃の自分は、猫も杓子も・・・の感が否めず色彩も曖昧で掴みどころのない印象派というものを嫌悪していた時代があった。
今でこそ印象派は大好きだが、若い時分のこんな気持ちは心のどこかにあるようで、今でも東京に戻ると階段中途のシャガールの絵が観たくて広尾の「ひらまつ」に足を運んだり、はたまたパリのオペラ・ガルニエのシャガールの天井画を眺めては溜息をついていたりもする。

蛇足その二として、この文章を書こうと過去の本を探っているうち、実はこのニース美術館は1973年生まれと自分と同い年であるという小さな嬉しい発見があった。
創立は、シャガールの86回目の誕生日に合わせた7月7日という粋な計らいである。

…Ode to those artists that fill our world in immense love.
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by canary-london | 2007-05-20 23:07 | cravings
今日はお天気とファッションのちょっとしたお話。
どちらかというと、「ファッショニスタ」な方だと思う。
要は、三度のメシより着る物が好きなのである(三度のメシも相当好きだが)。

私の場合はやや偏っており、ファッション誌を貪り読む日本の若い女性群のように、容姿に係わるものが万遍なく好きというわけでもない。
その証拠に、化粧なんてまるで興味がないので、お肌の曲がり角の最終コーナーぐらいに差し掛かったこの年齢になっても、化粧というものをロクにしない。
というか、出来ない。
おそらくは、ヒカリモノ(この場合は青魚ではなくジュエリーの意)にも比較的無頓着だ(除・腕時計)。

何しろ身に纏う・身に着けるものが好き。
2月のイタリア旅行記で手袋を7つ買った話を書いた直後は、私の正体を知っている人に会うたびに火星人でも見るような不思議な目でみられたものだが、洋服や靴・小物で自分のテイストに合うものを見つけると小躍りしてしまうタイプである。

「人間の魅力は外見ではなく内面よ」というご批判、ごもっとも。
内面だって磨くべく、一応は(実りの少ない)努力してます。

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イギリス人はお洒落に気を遣わないというのが定説であり、ミラノやパリの洗練された目抜き通りを歩くたびにその感は新たにするが、イギリス人も意外にお洒落だな・・・と感じたのは、今週水曜日の夜ぶらりと出掛けたコンサートにて。

周知の通り、ロンドンの天候は気紛れの極致。
今年に関していえば、3月半ばから4月末頃まで実に美しいぽかぽか陽気が続いたが、ここ二週間ばかりは一転して冬に逆戻りといった印象。

件のコンサートの夜も、強風に霧雨といった冴えない空模様のなか、「5月にもなって冬物なんて・・・」という妙な意地のある私は薄手のワンピースにレザーのジャケットという軽い出で立ち。
・・・寒い。
スカートは風に煽られ、危うくマリリン・モンロー状態。

一方でこちらの女性に目をみやると、皆上手に「羽織りもの」を活用しているのが目に付いた。
色とりどりのパシュミナ、ショール、スカーフ、はてはウールのマフラーまで。

猫の目のようにくるくると変わるロンドンのお天気にも自在に対応できるよう、皆工夫しているのですな。
本当のお洒落は、当地の気候も勘案して初めて成り立つのだな、と感じた夜でした。日々勉強です・・・。
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by canary-london | 2007-05-12 18:24 | cravings
イメルダ(故・マルコス元フィリピン大統領夫人・靴の収集癖あり)ばりに靴を所有している*と、最も困るのは、保管場所もさることながら、その整理及び管理である。

1. 踵の修理: ロンドン・ストリートは非常に歩きにくいと感じるのは自分だけだろうか。例えばプラハのように街全体が石畳というのなら靴に優しくないのも頷けるのだが、ロンドンはアスファルトや階段の溝の微妙な間隔がどうにも頂けない。自分が人一倍そそっかしいことは(百歩譲って)認めるが、それにしても溝やマンホールに細いヒールが見事に挟まり、0時前のシンデレラ状態となることなど日常茶飯である。
もっとも、腰によろしくないと分かってはいながらもついつい細めの9センチヒールばかりを選んで履いてしまう自分にも責任の一端はあるのだけれど。

ともあれ、そんなウォーキングスタイルでは当然ながら靴の傷みが激しい。
具体的には、ヒール底部の磨耗(更に放置しておくと中の金具が突き出してきたりする)、およびヒールのボディに当たる部分の革が剥けてくるというトラブルが尽きない。
そんなとき便利なのが、待っている間に靴の修理を行ってくれる靴修理店。
東京に住んでいたときには、自宅から目と鼻の先にある新宿・小田急百貨店3Fの職人工房に大変にお世話になっていた。東京同様、ロンドンにも街中にこの手の靴修理店はたくさんあることはある。また預けた靴はその場で修理してくれるので有り難いことには違いないのだが、作業内容は日本に比べてかなり荒いのも確か。
昨年フィレンツェで購入したフェラガモのバックストラップ付のサンダルから針金が飛び出してしまい、針金が足首に触れてストラップが血に染まってしまったので困って持ち込んだ夏の初め。
職人のオジサン、おもむろにニッパーのような物を持ち出すので何をするのかと思いきや、突き出した針金の全体をバックストラップからずるずるずるずるっっと引きずり出してしまった。
出てきた針金は、ゴミ箱へ直行・・・。

「あのー、その針金って何らかのレゾンデートルがあってそこに入っているのだと思うのだけど」と私。
「いや、サンダルのバックストラップにこんな針金が入っているのは自分の靴職人人生において見たことがない」とオジサン。
以来針金に悩まされることはなくなった訳だが、何か根本的に靴の構造を変えてしまったような。いいのだろうか。

2. 靴磨き
靴の数が多いと、もう一つ悩まされるのは靴磨きという作業である。
村上春樹の小説の主人公がよく「混乱したときにアイロンがけをする」のと同様に、靴磨きという作業は何か無心に作業に没頭することが出来て何とも楽しい。
とはいえ、暇を持て余した学生時代でこそ一週間に一度靴をずらっと並べて黒と茶と無色に分類してぴかぴかに磨き上げたものの、忙しい社会人たるものはっきりいって週末にそんな優雅な時間は取れないのが現実。

街角の「靴磨きのおじさん」にはあまりお世話になったことがなかったのだが、本日は踵修理要のパンプス三足を持参して出勤すると、ディーリングルームの女性の御手洗いの入口付近に恰幅の良いお兄さんが陣取っている。
そういえば。
この人、良く男性物の革靴を磨いているなあ。
要は、我々のようなサラリーマンのオフィスを(おそらくは通行証のようなものを持っているのだろう)職場とするナガシの靴磨き職人。
タイミング良くパンプスを持っていたこともあり、ふと「一度頼んでみようかしら」という気になった。

スウェードのものは残念ながら「こいつは無理」と突き返されてしまったが、他の二足はなかなかどうして満足のいく仕上がり。
一足2ポンドという靴磨き代金は正直高いのか安いのか良く分からないが、全ての物価が驚異的に高騰しているロンドンゆえ、リーズナブルに感じられる。

このお兄さん、通りがかる我が同僚達の靴を依頼されるがままに磨きながら2ポンドx??をしっかり稼ぐ。
小脇にはIpod。
勤務時間は9時―15時といったところか。
何ともマイペースで場当たり的な、でもシアワセそうな生き方を見て知らず笑みがこぼれてしまった。

こんな光景をオフィスで目にすると、決まって思い出すのは私を採用してくれた米国人上司・A氏がいつかしてくれた話。
私は弊社に入社したのは2001年のことだったので残念ながら米国が好景気に沸いた1990年代後半の「良き時代」は過ぎてしまっていたのだが、A氏が入社した90年代前半から後半に業界全体が軒並みコスト削減に走るまでは、毎朝ディーリングルームにデニッシュやらフルーツやらコーヒーやらを満載したワゴンが周回していたらしく。
お昼になると、これがランチメニューに変わる。
当然コストは全て会社持ち(!!!!!)。

今では「接待費は一人当たりUSDxxxまで」などとがんじがらめにされる状況なので、そんな時代は夢のようとも思える。ただ、こんな時代に米国のコンサルティング会社に入社し3週間のシカゴ研修とやらですっかり肥えて戻ってきた後輩を見たときには、必ずしも健康には良くないかもと思ったものだが(笑)。

*イメルダ病について補足兼言い訳。
自分も割合に靴フェチだと思っていた方だが、先日とある知人の保有靴数が「100足」と聞き自分など至ってノーマルだと思うに至った。
しかし、100足。
一年は365日しかないので、100足を均等に履いたとして、二週間に一度も出番が回ってこない計算である。
それも靴としてはちょっと不憫に思ってしまうのだけれど。

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by canary-london | 2006-10-10 08:28 | cravings

X1サーチについて語る

「これって、超―――便利!!!」
「ひとたび手にしてしまうと、これなしの生活なんて考えられない!!!!」
と思うアイテムが、たまにある。

ロンドンに来てから3ヶ月程度経った頃だっただろうか、Debt Capital Marketsの頼れるアソシエイトRから教えてもらった「X1 Desktop search」がそれ。
今となってはX1なしでは仕事が出来ない。

正確なソフト名は、「X1 Client Enterprise」というらしい。
作成元の「X1 Technologies」社の全貌はというと、米国は西海岸のCalifornia / Pasedena市に本社を構えるソフトウェア会社である。

X1がやってくれることは、自分のPC内の抽斗の奥深くに仕舞い込んで開かずの間状態になっているファイルや、Emailのパーソナルフォルダで同じ憂き目に遭っているメール達を瞬時にして検索するという作業である。
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私は主としてメールの検索を使用している。
きっとデスクトップのファイル検索も便利なのだろうが、現在の仕事の性質上、何しろ緊急性が高いのはメールである。


自分が今やっている仕事は、大まかに説明すると投資家と発行体を結び付ける仕事であるため(大概これにデリバティブが絡んでくる)、情報のやり取りのクオリティーとスピード感(それには当然無数の仕事に素早くプライオリティーを付けることも要求される。判断を誤るとそれはダイレクトに会社としてのビジネス減少に繋がる。)が非常に重要な要素になるほか、ときに「言った/言わない」が問題になったり、あるいは過去の情報の履歴を辿ることが必要不可欠になってくる。

メールというのは恐ろしく便利なコミュニケーション・ツールであるが、欠点も無数にある。
「相手の顔が見えずにニュアンスが伝わりにくい」というような感覚的なものを除いても、例えば。
(1) Recipient(受け取り手)の状況如何に拘らず、情け容赦なくメールは入り続けてくる。
「Out-of-office auto reply(不在時の自動応答)」のように「私はアナタのメッセージ読んでませんからよろしくっっ!」と全ての差出人に対してディスクレーマーを発信するようなシステムもあるが、そんな自動応答でも戻ってこなければ、差出人はメールを出した時点で相手には必ず読んでもらえるものだとの自己満足に浸るのが常である。
(2) メールはデフォルトでは新しい順に表示される。
もちろん、並べ方を差出人別にしたりメールのタイトル別にしたりと自在に変更することは可能であるが、おそらく大体の人は最新のメッセージが最も上に表示されるようなソートの仕方を採用していると思われる。冷静に考えると、新しいメッセージが最も重要性が高いわけではないのだけれど。
(3) 自分が使用しているOutlook Expressに限った問題ではなくおそらくはほぼ全てのメールソフトに共通することだと思うけれど、Inbox(受信箱)やSent Items(送信済みアイテム)等の容量は非常に限定的である。
つまり、これらフォルダが一定の容量を超えると、必然的に別の場所(主としてメール内のパーソナルフォルダ)にアーカイブ(保管)せざるを獲ない。
効率的なビジネスマンはこんな悩みはないのかもしれないが、自分は残念ながらこの仲間入りは出来ないらしく、「あのメール何処のパーソナルフォルダに入れたっけーーー!!??」というパニック状態が頻発する。

そこで登場するのがX1サーチ。
おぼろげな記憶の糸を手繰り、幾つかのキーワード、場合によってはそれと組み合わせて差出人などの情報を入れ込むと、一瞬にして該当するメールを全て表示してくれる。
メールボックスの中のどこかに保存している限りにおいては、これで探し求める情報がすぐに目前に表示されるのである。

情報が氾濫する時代に対する批判は、これまた無数。
しかし情報氾濫の時代に対抗する手段も、ヒトは考え出すのである。

ちなみに本日7月13日のわたくしのメールボックスに舞い込んできたメールの総数は実に289通。
7月・8月はヨーロッパでは静かな時期で通常に比べるとメールがかなり少ない筈なのに、である。
当分はX1サーチが手放せそうにない。
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by canary-london | 2006-07-14 09:11 | cravings
突然の嬉しいお誘いで期せずして4月末に何とワーグナーでオペラ・デビューを果たしたことは以前に書いたが、6月27日火曜日はもっと初心者向きではあると思われるプッチーニの「TOSCA」を観にRoyal Opera Houseへ。
今回は事前準備の時間もあったので音楽に集中できるようストーリーラインはざっくりと頭に入れてから出掛ける。

オペラ鑑賞自体は初心者なのだが、敬愛する永遠のDIVAマリア・カラスのCDは複数枚保有しているため、第二幕の「歌に生き、恋に生き」などアリアには耳慣れたものが多い。

キャスティングに関する予備知識では、既に今シーズンのTOSCAへ二度足を運ばれているdognorah様のエントリに非常に助けられた (自分も一応真面目な勤め人生活をしながらコンサートだオペラだと良く行くなあと半ば感心・半ば呆れるけれど、dognorahさんはエントリを拝見しているだけで本当にスゴイと思います・・・)。

TOSCA (Opera in three acts)
Music: Giacomo Puccini (1899)
Libretto: Giuseppe Giacosa and Luigi Illica
(after the play by Victorien Sardou)

本日のキャスト:
Floria Tosca: Catherine Naglestad
Mario Cavaradossi: Nicola Rossi Giordano
Baron Scarpia: Samuel Ramey
Cesare Angelotti: Carlo Cigni
Sacristan: Graeme Danby
Spoletta: Gregory Bonfatti
Sciarrone: Robert Gleadow
Gaoler: John Morrissey

Conductor: Antonio Pappano
The Orchestra of the Royal Opera House
Director: Jonathan Kentf0023268_102517100.jpg



ダブルキャストの花形が揃い踏みした23日金曜日の公演とは、トスカ・カヴァラドッシ・スカルピアなど主要な面々の殆どが入替。
正直どうなることやら?と開演前はやや不安に思っていたが、トスカを歌ったCatherine Naglestadの歌唱力と存在感は素晴らしかった。
比べて、カヴァラドッシを歌ったNicola Rossi Giordanoは声量が足りなくトスカとの二重唱では霞んでいる感じが否めなかったほか、時折音程を外すのが気になった。
スカルピアを演じたSamuel Rameyは、歌はそつなくこなすけれど、観客に印象を刻み込むような何かが足りないような気がした。

などと偉そうなことを書き連ねてしまったが、話題の40年ぶりの新演出も奇を衒った部分はまるでなくスムーズに消化できて、全体としては非常に楽しく鑑賞出来た。

オーケストラは、Pappanoという力強い指揮棒の元でレベルの高い音楽を奏でていた。
昨年バレエに行ったときにも感じたのだが、The Orchestra of the Royal Opera Houseというのは本当に上手い。
オペラやバレエの音楽を演奏するということは、決して主役ではないにも拘らず、音楽の出来栄え一つでその夜の公演が最高にも最低にもなり得るという意味で非常に重要な位置を占める。
何というのか、その部分をわきまえた抑制されたプロフェッショナリズムというバランス感覚に優れたオケだと思う。

実はこのオケについては良く調べたことがなかったのだが、1946年創設時のKarl Ranklに続く音楽監督はラファエル・キューブリック(1955-1961)、これに続いてゲオルグ・ショルティ(1961-1971)、サー・コリン・デービス(1971-1986)、そしてPappano就任直前までは先日も当ブログにご登場頂いたベルナルト・ハイティンク氏。
言わずと知れた巨匠揃いでたまげてしまった。

それにしても「トスカ」は改めて凄まじいストーリーだと思うが(何とも舞台向きである)、気性の激しいトスカについては、一緒に観た友人と帰りがけに「イタリア人女性ってああいうコワイ女性実在しそうだよね!」と意見が合って思わず笑ってしまった。
日本人にはちょっと出来ないかも(笑)。
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by canary-london | 2006-06-30 10:33 | cravings