ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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カテゴリ:diary( 69 )

前々回、「鉛筆で紙に文章を書く」ということについて思うところをひとくだり述べたけれど、直筆の文章というのは、タイプされた無機質な文章とは趣と思い入れが異なる。

話はいきなり脱線するが、「鉛筆」といっても、実は私が紙に書く際に使用するのは黒(ないときは青)のボールペンである(更に脱線すると、ペンの握り方が少し変わっているので、いくらカッコイイと思えど、気取って万年筆で書いたところでインクが出ないことが多かったりする。よって選ぶのは消去法でボールペンとなる。)。

自分の習慣は英国での高校教育の名残といえるのだが、こちらでは日本と違って鉛筆やシャープペンシルでものを書いている人を見かけることはまずないといって良い。
きっとこれには深い哲学的な意味はなく、単純に昔からの慣習とか鉛の価格とか、非常に分かりやすいものに影響されて、「日本=鉛筆」「欧米=鉛筆以外」という至って単純な構図が出来上がったのだろうと思う。

しかしながら、「ペン(インク)で書く」ことにより、結果的にはちょっとした心地の良い緊張感を抱くことになる。もちろん修正液なるものは幾らもあるのだが、ペンで書いて修正液で修正したものは明らかに「上塗り」であり、綺麗さっぱり消しゴムで鉛筆の跡を消したのとは少しわけが違う。
いきおい、インクでしたためる文章には、鉛筆で書いたものに比べて、もう少し幅広く深い思考プロセスがあるように思う。
更に、優れたワープロ・ソフトに漢字変換を頼り切りになりがちな伸び切った左脳にとっても、程よい頭の体操が出来たりして。

何はともあれ、鉛筆乃至ペンでマニュアルに文章を書くということについてであった。
ごく最近のことだが、人に書くものを可能な限り直筆で、と思うようになってきた。
達筆ではないのが残念だが、それでも直筆であれば少しでも自分の思いが伝わるような気がする。

例えば、バースデーカード。
「この年齢になっておめでたくもない」という人もいるけれど、誕生日は幾つになってもお祭り。
おめでたいものと割り切れば良いのだ。

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直筆でバースデーカードをしたためるという行為は、数年前から母が実践しており、いつそんな暇があるのやら・・・と不思議な気持ちで眺めていたけれど、万人に送るクリスマスカードや年賀状と違って、バースデーカードはパーソナルなもの。
Eメールのバースデーカードは便利なことこの上ないけれど、少し味気ない。

思えば、バースデーカードを書くなどということが出来るようになったのも、ひとえに東京とロンドンでは「時間の流れ方」が違うからなのだろう。
このテーマには過去幾度も触れているので繰り返さないけれど、少しでも時間を大切に出来れば。限られた時間を、かけがえのない人々とのコミュニケーションに使っていければ、と思う。
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by canary-london | 2007-07-17 10:55 | diary
おお、またしても知らず更新が著しく滞ってしまった。気づけば7月ではないか。
今年に入ってからというもの怠慢さの際立つ本ブログだが、これでもヨーロッパへの小旅行の後のタイミングというのは比較的更新頻度が上がる。

理由は至って単純。
私は飛行機の中でものを書くという行為が、最近実に快適且つ自然発生的に出来るようになっているのである。
東京⇔ロンドン間の11-12時間のフライトだと如何せん長過ぎる上に飲食を強いられ、映画に読書と欲張って焦点が散漫になった挙句、ビールとカクテルとワインをちゃんぽんで飲んだほろ酔い気分で眠りに落ちてしまうのが関の山だったりする。

その点、ロンドン⇔大陸ヨーロッパのフライトは、時間的に執筆に丁度良いのである。
東や南へ大きく移動するのでなければ、フライト時間は大体2時間前後。
寝不足の早朝便でもなければ睡眠の必要はないし、この距離では映画の上映もなく、本を一冊読破するのには時間が足りない。
そんなとき、「書く」という行為は恰好の暇つぶしなのである。
そもそもブログというのは持論の勝手気ままな展開系だし、与えられた時間の中でネタを何本書くといった制約も皆無である。
この点、〆切に追われる作家の諸先生というのはさぞ大変な稼業だろうといつも敬服する。

飛行機の中で書くということのもう一つの利点は、紙と鉛筆(ペン)という昔ながらの媒体で思う存分自分の世界に浸れることである。
もちろん、肌身離さず持ち歩いているパソコンを取り出してキーボードを叩くという選択肢もあるが、平日12時間パソコン画面とにらめっこしているだけに、私は飛行機の機内でパソコンに向かう感覚にどうも馴染むことができない。

もっというと、自分の文章を書くとき、私はキーボードではなく自らの手で書くことを選ぶ。
ビジネス上の用件は全てメールで全く構わないが、ひとたび自分が何かを「創る」担い手となるとき、紙と鉛筆という原始的・マニュアルな手段があると、不思議なことに心が落ち着き頭がすっきりと整理される。
物書きを生業とする私の叔父が、今も執筆にはキーボードを使わず400字詰め原稿用紙に鉛筆で書くと以前話していたことを思い出し、勿論叔父の書く高尚な文章と自分の文章を比較するのもおこがましいが、「紙と鉛筆」に愛しみを感じる気持ちは実に良く分かる。

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こんな風に、今でこそ「書きたいけど時間がないっ!!!!!」と常に髪を振り乱している自分だが、実のところ小学生時分まで文章を書くという行為が大の苦手であった。
ニューヨークで過ごした小学生時代、土曜日に通う日本語補修校の夏休みの宿題でもっとも恐れていたのが「読書感想文」。
白い原稿用紙を前にしても、困ったことに一文字も浮かんでこない。
そんな私のゴーストライターを嫌な顔ひとつせずに常に引き受けてくれたのが、二歳年上の姉であった。
元々本の虫で文才に長けていた彼女は、今も翻訳という文章に携わる仕事を続けている。

執筆という行為に関して書き始めたら、結局前々々回と同じく、時効成立による家族への懺悔文となってしまった。
・・・おねーさま、20数年前はお世話になりました。
今でこそブログという都合の良い媒体を通じて日々エラソウなことを書いているが、こと文章を書くという点で自分が姉に追いつき追い越す日は決してこないのだろう、と思っている。
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by canary-london | 2007-07-04 09:05 | diary
大変長らくご無沙汰になってしまったが故にアップの滞っていた幾つかのエントリについても、ゆっくり書いていこうと思う。
少し話が季節外れになってしまうのは予めご勘弁頂くことにして・・・。

二つ前の記事にある「3月半ばのとある週末」は、’socializing’に徹した週末でもあった。
恩師との再会の前日にあたった金曜日の夜は、親しい友人数名を狭い我が家に招き、ささやかなるホームパーティーを開催。
ブログを通じて出会い、ロンドンにいらっしゃった短い期間実に親しくお付き合い頂いたももんが先生が昨年12月の第一回開催時に詳細なレポートを書いておられるが、会の発足目的は、「シャンパンのマグナムボトルは通常ボトルより美味であるとの仮説を検証する会」。
要は、比較的高尚な香りのする体(てい)の良い口実を与えられた単なる飲み会である(笑)。

金曜日の仕事が引けた後、三々五々我が家に集まったのは、20-30代の男女。
たまたまなのか、類は友を・・・的要素があり同業者に酒好きが多いのか、何となく、金融業界を中心に人が集まる。
そんな砕けた場なので当然堅い話はなく、皆肩の力を抜いての会話だが、ふとした瞬間に誰かの専門分野に水が向けられると、一転して真面目な議論が熱っぽく繰り広げられるところもまた面白い。

f0023268_921229.jpg折に触れ感じることだが、海外で出会う日本の企業に勤める30歳-30代半ば程度の若者は、実に優秀な人が多い(注: 自分は非日系企業で言ってみれば勝手に海外赴任をしているようなものなのでこの限りではない)。
企業派遣、あるいは自発的に海外の大学に留学している人も同様である。

「海外転勤=特別なこと」などという時代はとっくに過ぎているものの、日本の企業も近年の経営統合等で会社の数自体が減り、海外赴任は結果的に非常に狭き門となっている。

30代前半といえば、日本企業でいうと所謂「屋台骨」にあたり、会社を支える大きな原動力となる軍団である。
一方で、非日系企業(この文脈ではとりわけ金融業界)の東京における現状に目を向けると、この年齢層の人間は、おそらく人数的に一番少ない。(これには幾多の理由があるが、ここでは割愛する。)
仕事面でも他人を主導して物事を中心的に進めていく立場であることに加え、我々の世代は第二次ベビーブームのジェネレーション。
数が多くて当然なのに、逆に少ないのである。

自分の友人・知人を含めて実に優秀な人が多いのもこの世代の特徴だが、こんな環境だと当然の帰結として一人一人に掛かる負荷が大きくなる。
日本の「サラリーマン社会」というものに対して物申したい部分は数限りなくあるが、つい先日まで自分も属していた世界で日々頑張る若者達が磨耗しないことを願うばかりである。

そんなことに思いを馳せながら(私の思考は良く脱線してあらぬ方向に向かっている)、楽しい金曜日の夜はあっという間に過ぎていった。
後に残されたのは、このイベントのために全員の協力で集められた18脚のシャンパンフルート。
未来を担っていく同世代人の面々が集うこの楽しい会合が次回も催せるよう、シャンパングラスも引き継がねば。
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by canary-london | 2007-05-08 09:22 | diary
3月半ばのある土曜日は、日本から遠く離れたこの地ロンドンで大切な人に久し振りに再会した。
はるばる東京から訪れてきたのは、大学時代の恩師
まるで先生の訪問をロンドン中が歓迎するかのような、4月末並のぽかぽか陽気と温かい陽射しの中で、東京のせわしない日々では味わうことのできない、ゆったりとした時間を一緒に過ごさせて頂いた。
現在も大学で現役の学生達と活発に議論を交わす先生との会話からは、実に学ぶものが多い。
特に印象に残ったのは以下の二点だろうか。

1. 日本のmarginalityの進行と「ソフト・パワー」の重要性
中国を中心とする東アジア研究は先生の専門分野であり幾多の論文を書いておられるため、私ごときが踏み込んだ言及をすることは不可能だが、今回の学会のお話、そして先生の「肌感覚」での世界におけるバランス・オブ・パワーを垣間見ることができた。
今回先生が来英された理由は、のんびりとしたロンドン観光である筈もなく、ロンドン郊外で開かれた大規模な学会への出席。聞くとこの学会というのがスゴイ代物で、世界中から学界・政界関係者を60人程度そろえ、「中国」をテーマに計5日間議論を繰り広げる。
参加国は、当の中国は勿論のこと、米欧亜、はてはアフリカも含めて実に幅広い。

会場となったイングランド南部のWilton Houseという場所は、多くが数日間に及ぶこの手の会合を週に一度乃至それ以上のペースで開催している由。
運営自体は財団のような主体によって行われている模様であるが、多分に英国政府のバックアップを受けている。

我が恩師をはじめとして各国から錚々たる顔ぶれが集まり、高度に専門的な会話が繰り広げられていることは疑いない。
「こういうのが英国の‘ソフト・パワー’に繋がるんだよね。日本もこういう点を見習わないと・・・」と先生。

確かに、この会合によって英国にとって直接・即時の経済的メリットがあるとは到底思えないが、とにかく情報の量と質が計り知れない。
この旗振り役となることで様々な専門分野における情報を入手し、物言わぬ影響力=自国の「ソフト・パワー」に繋げる英国政府の戦略には舌を巻く。
決して悪い意味ではなく、大英帝国時代の植民地支配の考え方が根付いているのだろう。

寂しいのは日本の実情である。
米国などがアジア専任の政府高官を並べるなか、日本代表は先生一人で日本からの政界関係者はゼロ。
「全体的に日本の立場はmarginal(=周辺的)になっていると感じた」との先生のコメントは今回の学会だけでなく、国際情勢全般を見据えたものだった。
ロンドン生活を通じて日本を益々第三者的視点から眺めざるをえない私はというと、残念ながら日増しに同じ印象を強めている。

2. 若者との交流の重要性
私が先生の下で学んでから10年程度が経つが(年齢がバレてしまうが・・・)、今回改めて驚愕したのは、先生の「若さ」である。
比較的童顔で小柄な先生は最近お洒落なジーンズを颯爽と履きこなし、外見からして私の方が10年前にタイムスリップしたかのよう。
しかし何にも増して先生の若さを感じるのは、内面的な部分が大きい。
とにかく、考え方が柔軟なのである。
先生の人柄の成せる業でもあるが、どんな突飛な意見でも頭ごなしに否定することはせず、聞く耳を傾ける。

「現役の大学生と毎日やり合うのはパワーがいるよ」と先生。
「‘最近の若者は・・・’とは言わないようにしているんだ。これが若さの秘訣かな」と笑う。

翻って自分を見ると、「最近の若者は・・・」というフレーズを口にすることが最近増えていないだろうか。
好奇心とパワーに満ち溢ればりばりと仕事をされる先生を眺めながら、自分も頑張ろうとの思いを新たにした。
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by canary-london | 2007-04-16 08:17 | diary
今週は再び旅に出ていたので、更新が滞ってしまいました。

5日間という恐ろしい駆け足日程でミラノ・コートダジュール・パリを巡った後、さらにイギリス国内旅行へも出掛けた顛末についてはまた改めて。
・・・といいながら、昨年は様々なところを訪れた後にブログにも旅行記を書こう書こうと思いつつ、アップしていない旅行記が溜まり過ぎていることに気付いた。
印象が薄れないうちにと、訪れた土地土地や帰りの飛行機の機内などで殴り書き程度のメモは取るのだけれど、文章に落とし込む時間を見つけられないまま時間ばかりが流れてしまう。

そんな怠慢にも、2007年は終止符を打とう。

Fantasticmomongaさんも以前同様のコメントをされていたが、訪れた見知らぬ土地の印象というのはやはりナマモノであり、日に日に印象は薄れていくものである。
人間は残念ながら忘却の生き物なので、記憶が薄れることに対する微力なる抵抗としては、文章に書いて残すことをはじめとして幾つかしか方法はない。

年頭所感にはかなり遅れてしまったけれど、今年はもう少しマメに(願わくば昨年の溜まった分も含めて・・・)旅行記を書くぞ、と意思表明してみたり。

もっと言うなれば、そもそも「旅行記」とか肩肘を張るからいけない。
どのみちくだらない考察なのだから、「旅のメモ」とでも名づけることにして。
今年はもう少し肩の力を抜いて、気の向くまま、心の向くまま書ければ・・・と思っている。
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by canary-london | 2007-02-11 11:05 | diary
このブログも昨年12月19日でめでたく一周年を迎えました。
10月中旬以降執筆ペースが異様に落ちてしまい、12月に至っては記事数2件の体たらく。
執筆意欲が落ちている訳では全くないのですが、時間の使い方が下手なんだろうなあ・・・。

というわけで、2007年は時間の使い方を上手に。
たくさんたくさん溜まっている書きたいことも、徐々にアップしていきます。
取り急ぎ、年頭所感に代えて。

Canary-londonは一週間の日本での休暇を終え、本日元旦のフライトでロンドンへ戻ります。(欧米は1月2日からばっちり仕事です。)

皆様本年も宜しくお願い致します。
幸多き一年となりますよう。
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by canary-london | 2007-01-01 05:49 | diary

クリスマスの風物詩

Festive seasonたけなわである。
クリスマスのイルミネーションが街中を彩ると、昨年丁度この時期に渡英して当初の住まいであったSloane Squareの幻想的な光景に見とれたことを思い出す。
そういえば、このブログも今月で一周年の誕生日を迎えることになる。

先般、ドイツの発行体から何やら大きく平らな小包が届いた。
何かと思って開けると、中から可愛い絵柄のadvent calendarが出てきた。
由来は良く知らないが、欧米では昔からクリスマスの風物詩。
12月1日から一日ずつカレンダーの小窓を開いていくのが子供心にわくわくしたものだ。
クリスマスツリーの下にプレゼントが一つまた一つと増えていくことと合わせて、クリスマスに至るまでの12月の日々は何とも心楽しい。

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クリスマスの風物詩を挙げていくときりがないが、子供のとき決まって歌ったのが
The Twelve Days of Christmas」。


今でもつい口ずさんでしまう。
昔は意味も分からず歌っていたのだが、実はそれぞれにこんな意味があることを初めて知った。
宗教とは象徴の世界なり。

Religious symbolism of The Twelve Days of Christmas (The 12 Days of Christmas)
1 True Love refers to God
2 Turtle Doves refers to the Old and New Testaments
3 French Hens refers to Faith, Hope and Charity, the Theological Virtues
4 Calling Birds refers to the Four Gospels and/or the Four Evangelists
5 Golden Rings refers to the first Five Books of the Old Testament, the "Pentateuch", which gives the history of man's fall from grace.
6 Geese A-laying refers to the six days of creation
7 Swans A-swimming refers to the seven gifts of the Holy Spirit, the seven sacraments
8 Maids A-milking refers to the eight beatitudes
9 Ladies Dancing refers to the nine Fruits of the Holy Spirit
10 Lords A-leaping refers to the ten commandments
11 Pipers Piping refers to the eleven faithful apostles
12 Drummers Drumming refers to the twelve points of doctrine in the Apostle's Creed

Advent calendarの「中身」は色々あるが、客から届いたカレンダーの小窓の中には、一つずつ小さなチョコレートが隠されている。
童心に戻れるのは良いけれど、このカレンダー、当然毎日一つずつ小窓を開けていくことが前提となっている。つまりビジネスマンだと、勢い土日の分もまとめて月曜日に食べる羽目に陥るのである。
早くも忘年会続きの暴飲暴食で弱った胃とたるんだウエストラインにはあまり有り難くない贈り物だなあ・・・などと客を逆恨みしてみたりして。
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by canary-london | 2006-12-06 11:38 | diary
10月中旬頃から何やらすっかり執筆がおろそかになってしまった。
自分の身辺が何かと慌しかったというのが言い訳でもなく本当の理由なのだが、ブログというものは大して読者数もいないクセに更新を滞ると日々訪問してくれる「読者」に申し訳ないなどと思うのだから面白いものである。
身辺の揺れる事象の当面の完結編ということでもなかろうが、先般の東京出張から戻って10日と経たない17日金曜日、再び東京行きの飛行機に飛び乗る羽目になった。

ごく個人的な、且つ家族にとって大切な内容を敢えてブログという半パブリック・半プライベートの生煮えのようなフォーラムで書くことを近しい親戚(兼大切な読者)にはご容赦頂きたく。
ウェブ2.0社会においては、ブログは他人と共有し得る「社会的な日記」の性格をもつのだから。
(「他人との共有」や「社会性」を無視したブログはさながら電車の中で化粧する女子高生のように見るに耐えない代物となることは言うまでもない。)

前置きが長くなってしまった(悪い癖だけれど)。

11月18日土曜日午前4時。
私の人生の丁度ほぼ半分を同じ屋根の下で暮らした母方の祖母が永眠した。
96歳だった。
大往生である。
自分にとっては、永遠の「おばあちゃま」。

1. 死するときの人間の表情と人間性
「危篤」との知らせを受けて当日の便に飛び乗ったところで、ロンドン→東京の距離はこんなとき果てしなく遠い。
私が都内の実家に辿り着いたのは夜の8時をまわっており、午前4時の臨終には掠りもしなかった。が、灰となる前の祖母にひと目会うことが出来ただけでも、気管支炎を伴う風邪によるひどい咳を押して11時間のフライトに乗って駆け付けた価値は十分過ぎるほどにあった。
棺に納められた小さな祖母の顔は、びっくりするぐらいに、本当に本当に綺麗だった。

エンバーミングなど進むテクノロジーによるところもあるかと思う。
また、祖母が最後にお世話になった青梅のK病院が最後に何らの人工的な延命措置(酸素マスクや点滴など)を行わないで欲しいとの本人の意思を尊重して下さったことも、苦しみが短時間で済む結果となり安らかな表情で最期を迎えることが出来たのは間違いない。

しかし何より、やはりあの穏やかな祖母の表情は、彼女の生前の人格、そして何よりもその「生き方」の表れなのだと感じた。
「いかにして生きるか」ではなく、「いかにして死ぬか」が、現代においてはより重要――そんなことを痛感させられた。


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2. Ode to my family and relatives
お通夜も告別式も、祖母の意向により祖母の(既に他界して長い年月の経つ祖父との間に設けた)子供、及びその子供、そして各々の家族のみというごく内輪の集まりであった。
小さな子供を合わせても20人強のグループ。
集まったメンバーは、大体がして自分と同じく、情に脆くお調子者(失礼!)。
祖母の棺を囲んだお通夜では、走り回る子供達をはじめ談笑(ときに爆笑も・・・?)が絶えない一方(正に生前の祖母が望んだ通りであった)、一人一人が祖母の思い出を語った告別式では涙を拭う姿もちらほら。
家族や親戚という枠組みを越えた「仲間」達。
来年も、再来年も、そのあくる年も。
祖母を囲んで、集まろう。

3. 外資系企業と家族について
会社による差はあるかもしれないが、一般的なイメージとは異なり、インベストメントバンク=冷血なエコノミック・アニマルではない。
周囲で働くのが欧米人ばかりという環境に身を置いていると、こと「家族」というトピックに触れるにつけ、そのように感じる。
木曜日の夜中に受けた「祖母危篤」の知らせを抱えて悶々としていた金曜日の朝。
「仕事なんていいから早く帰りなよ。帰らないときっと後悔することになるから。」
と背中を押してくれた同僚達。
週末の出張予定を初め後ろ髪を引かれる事項も色々あったのだが、とりあえず荷物をまとめて飛行機に飛び乗った。

私は所謂日本の企業に勤めた経験がないので、「日本の会社で働くということ」についてはコメントできない。
然しながら。
日本の組織では出来なかったかもしれない贅沢。

支えてくれた皆に、心から有難うと言いたい。
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by canary-london | 2006-11-22 11:16 | diary

Halloween photos

週末から日本に短期の出張で帰国することもあってか何やら慌しく、すっかり更新が滞ってしまった。

日本でもcommercialismの台頭でクリスマスやバレンタインに次ぐ市民権を得つつある感のあるHalloween。

10月31日の昨日は'Trick or treat!' とコスチュームに身を包む子供や若者もちらほら見掛けたものの(それでも米国に比べると英国でのHalloweenはほぼnon-eventである)、週末に訪れたとあるカフェでのHalloween気分を盛り上げる写真を何枚かご紹介して今回はご勘弁頂くことに。。。

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by canary-london | 2006-11-02 11:13 | diary
金曜日は、女性3人で連れ立って人気のミュージカル「Mamma Mia!」を鑑賞。
1970年代を中心に活躍したスウェーデンのポップバンド・ABBAの音楽をフィーチャーしたミュージカル。
私は実は昨年のロンドン滞在中にも一度観に行ったのだが、そのときにはふと思い立って一人でぶらっと行き、楽しかったものの一緒に踊る(!)仲間がいなくてやや寂しい思いをしたので、今回誘われ二つ返事でOKした。

ストーリーの構成は至って単純で捻りがないといえばないのだけれど、ミュージカルというものの原点に戻ったとき、リスペクトすべき点が幾つかある。

一つは、兎に角音楽と踊りを純粋に楽しむEntertainmentに徹しているということ。
人生で初めて観たミュージカルは、高校生時代にロンドンに暮らしたときに母と観た「CATS」だった。「CATS」も話の筋などあまりないけれど、素晴らしい音楽と踊りを楽しめ、作り手が「観客はミュージカルというものに何を求めるのか?」ということを考えて作ったものなのだな、と感じた。

二つ目。一点目とも関連するけれど、ミュージカルたるもの、やはり「分かり易さ」は重要だと思う。オペラのように、必ずしも原作で荒筋の予習をしたり、また難しい時代背景を分からない歌詞から読み取ろうと努力するという真剣な姿勢は観客には少なく、単純にenjoyしよう!との気持ちで出掛けるのがミュージカル。
もちろん様々な意見があると思うけれど、その意味では同じく高校生時分に観た「レ・ミセラブル」などはミュージカルとしてはやや難解過ぎたように感じた(高校生だったので、という部分はあるかもしれない。今観たらもっと楽しめるかも・・・)。

三つ目。ストーリーの構成は単純、と書いたが、実はディテールは結構良く考えられている。
飽くまでもスポットライトはABBAの音楽に当てられているので、音楽にそして歌詞に沿うような場面設定がなかなかニクイ。
勿論、ぴかぴかの白いパンタロン・スーツにサングラスといったABBAスタイルのファッションも楽しみの一つ。

f0023268_2115181.jpg最初から最後までこれでもかっというABBA尽くしのミュージックに、観客も最後は総立ちとなって役者達と一体となって踊りまくるというのがMamma Mia!のお決まりのパターン。
今回も例に漏れず最後は我々日本人女性3人、サークルの席から転げ落ちそうな勢いで踊っていたのには、周囲のイギリス人もびっくりしていた。

ところで、改めて素晴らしいなと思った歌詞。
Thank you for the music
最近の自分の気持ちを実に良く表していて、それこそ有難う!と言いたくなった。

Thank you for the music, the songs I'm singing
Thanks for all the joy they're bringing
Who can live without it, I ask in all honesty
What would life be?
Without a song or a dance what are we?
So I say thank you for the music
For giving it to me

ミュージカルに出掛けると、もう一つ決まって抱く思いは、夢見心地な子供時代の回顧。
例えばCATSを観たとき。
自由気ままに舞台を駆け巡る三毛猫やらシャム猫やら個性の強いキャラクターを眺めながら、「ミュージカルに出たい!!!」なんて思いながら帰途についたことを思い出す。
歌も踊りも人並み以下にしか出来る訳がないのだが、わりと真面目にそんなことを考えているのだから今思えば笑ってしまう。
16-17歳ぐらいまでだろうか。
自分が何に長けているのか、ということを直視することなく、自分には無限大の可能性が残されている、と錯覚していた時期。
その後、大学へと進み、会社に入り、自分が選ぶことの出来る道は消去法によりどんどん狭められていく現実に否が応でも気づかざるを得ない。

歌や踊りで、純粋に他人の目や耳を楽しませること。
音楽や絵画・映画などのアートで、直接ハートに訴えかけること。
小説や詩などの文章で人の心に響くこと。
美味なるお料理で舌を心地良くさせてくれる料理人。

他人に与えられる、手触りの幸福感。
自分には一体、他人にどんな手触りの幸福を与えることが出来るのだろうか。
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by canary-london | 2006-10-15 21:14 | diary