ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリ:diary( 69 )

「賞味期限切れ」エントリついでに調子に乗ることにした。
これまた8月に書こう書こうと思いつつ、時間が取れずに諦めてしまったトピックの一つは、北京オリンピックに関する考察。
オリンピックは四年に一度なのだもの、一ヶ月の執筆の遅れなんてその四分の一にしか過ぎないのだから、大目に見てもらおう。

私が現在暮らす2012年の夏季オリンピック開催国でもある英国も、金19個・総数47個と100年ぶりのメダル数を獲得し、珍しくナショナリスト的なムードに沸いた二週間だったけれど、色々な意味で今回の主役は明らかに開催国中国であったわけで、結果的にはその中国について様々なことを考えさせられることになった。(私は実は大学では現代中国政治専攻だったのだが、その割に言葉も全く出来なければ知識も少ないので、あまり宣伝しないようにしている。)

賛否両論の反応を承知でランダムに書いてみることにする。

一点目は、メダルー特に金メダルを取るということの意味。
刻々と更新される国別のメダル獲得数一覧を見て唖然としたのは、最終的に100個となった中国のメダルの数だけではない。
まず、三種のメダルの中で飛びぬけて金が多いということ(米国は金36・銀38・銅36の合計110個。一方、中国は金51・銀21・銅28の合計100個)。
重圧の中で、見事に世界の最頂点である金メダルを取るのは実に素晴らしい。
一方こちらはデータが見つからなかったので数字のバックアップがないけれど、中国と西側のメダル大国を比べた場合、おそらく中国は明らかに一人が一種目でのみ金メダルを獲得した例が多い。「西側のメダル大国」の代表である米国に目を向けると、Michael Phelpsのように一人で八個というのは例外としても、米国のメダリストは分かり易く言えば、「natural born athlete(=天性のアスリート)」のような人が多い。
彼等が努力していないなどという気は毛頭ないが、元々驚異的な身体能力に恵まれており、「やったら出来ちゃった」的な雰囲気が若干ある。
一方の中国の主として若きメダリスト達は、推測するに、物心のつくうんと前から、親や教師に象徴される「国家」そのものに「金メダルを取る=人生で唯一最大の目標」と刷り込まれ、おそらく殆どの場合は国の経済的援助を受けながら、ただひたすら練習に人生を賭けてきた若者達なのではないか。
・・・話は少し逸れるけれど、8月31日にRoyal Albert Hallで中国のLang Langが登場させた弱冠9歳の天才ピアニスト、Marc Yuの演奏を見た・聴いたときに、私は知らず彼の姿を、厚いメイクに包まれた小さな中国人体操選手達と重ね合わせ、何だか空恐ろしくなってしまった。

それに深く関連する二点目は、アスリートと政治の関係という、特段新しくもない題目。
頭の中でぼんやり考えていたことがそれなりに形になったのは、週二回ジムで鍛えてくれるパーソナル・トレーナーのDと中国のアスリートについて話をしていた時だった。
Dはイギリス人で、ムエタイ(タイ式ボクシング)で英国の頂点まで登りつめた本物のアスリートだ。
Dに、
「やっぱり社会主義国のアスリートの方が恵まれてると思う?」
と聞いたところ、間髪入れずに
「当り前だよ」
と熱っぽい答えが返ってきた。曰く、
「だって俺達(=資本主義国のプロスポーツ選手)の場合、自分以外誰も自分の面倒見てくれないんだから。ファイトマネーを稼ぐのは勿論のこと、メシも食わなきゃいけないし、洗濯だってするわけ。」
もちろん資本主義国のアスリートでも、私的な後ろ盾があるケースも多いだろうし、何せ中国の場合はまず約13億人という膨大な人口も鍵となるのだから、一般論化するのは乱暴に過ぎるかもしれないが、何しろプロのアスリートの言うことなので説得力がある。
・・・そういえば、ヒトラーもスポーツ&オリンピック至上主義だったっけ。

f0023268_785486.jpg
Dとのオリンピックについての雑談は実に興味深かった(といっても私の方はその間クロストレーナーで走ったり腹筋したりしているのだからあまり思うようには話せないのだが)。
もう一つ印象に残った会話は、飛込競技に参加したイギリス人女性チームのインタビューについて。彼女達は残念ながら予選敗退したのだが、敗退直後のインタビューで全員がTVカメラに向かって笑顔で、
「北京まで来られて良かった。良い経験だった。2012年に向けて頑張りたい。」
といった綺麗事コメントをしたらしい(D談)。
普段あまり感情を表に出さないDだが、このインタビューについては憤懣やる方ないといった様子で、
「あんなのあり得ない。アスリートだったら、負けたら悔しいと思うのが当然だろう。俺なんか、試合に負けた後のインタビューなんか受けたくもねーよ」
と吐き捨てるように言ったのが印象的だった。
勢いその日のトレーニングセッションにはいつも以上に熱が入ったのか、翌日は何だか筋肉痛がひどかったように感じたのは気のせいではないと思う(笑)。
[PR]
by canary-london | 2008-09-28 07:10 | diary
「パーフェクトな日曜日」ってどんな日だろう。
自分にとってのパーフェクトな日曜日は、先日のこんな日かもしれない。
・・・といっても別段大した日ではないので、私の「パーフェクト」がいかに低レベルのものかが分かるだろうと思う(笑)。
というよりも、自分は実にささやかなことで幸せな気分になれるおめでたい性格なので、かなり得をしているなと我ながら感じる。

7時頃にはベッドから這い出る。
「早起きは三文の得」とは良く言ったもので、前の晩夜遊びなどして昼まで寝てしまった日曜日はロクなことがない。
美味しいコーヒーをたっぷり淹れて、週末版のFTを広げる。
普段は味気のないFTも、週末はアートや生活、旅行などに関する記事が充実して楽しく、紙面も多くて読み応えがある。
最近健忘症が著しいので、すっかり「メモ魔」となりながらゆっくりと新聞や溜まった雑誌を読む。

BGMには、グレン・グールドのバッハ。
天気の良い日の朝にモーツァルトを聴くのも至福ながら、朝バッハを聴くと、特にグールドのピアノを聴くと背筋が伸びて一日頑張らなきゃ、という気分になる。

家事も同時並行で進めながら贅沢な午前中が過ぎ、昼時になって空腹になると、手間いらずで美味しいものを作ろうと冷蔵庫をがさごそ。
うんと薄くスライスしたパンに、オニオンスライスを加えたツナマヨネーズを挟む。
サンドイッチの味の決め手は、ブルゴーニュで買ったタラゴンというハーブをベースにしたマスタードで、これが非常にいける。
ロンドンはすっかり秋の様相だけれど、きりっと冷えた白ワインを開ける。

お手製サンドイッチを自画自賛しながらさらに読書に耽る。
階上に用事があり、階段を上った踊り場から庭を見やると、相変わらずワラのように繁って手入れされるのを心待ちにしている芝生の中に、見なれない色。
・・・あ。
キツネ。

先日初登場のときに本ブログにも登場しているキツネ君だが、長く伸びた芝生の感触が気に入ったのか、どうやら我が家も定期的な訪問先に加えてもらったらしい。
それにしても、今日は先日と違ったポーズで、丸くなって眠っている。
ガラス越しに暫く眺めていたら、キツネ氏はふと目を覚まし、目と目が合った。
逃げるかな、と思いきや、再び昼寝に戻ってしまった。(仲間だと思われたのだろうか??)
こちらも調子に乗り、紙皿にクラッカーとミルクなど載せて庭に出たら、さすがのキツネ氏も驚くほどの逃げ足の速さで駆け出し、その日はそのまま戻ってこなかった。

・・・私は性格的に外ばかりを飛び歩いていると思われがちなのだが、実は家で過ごすこんな時間が大好きである。
この日は夜出掛けることにしており、キツネの寝顔に触発されたのか幸せな気持ちでワインを飲み過ぎたのかのいずれかは定かではないけれど、出掛ける前に昼寝までしてしまったのは「パーフェクトな日曜日」の計算外ではあったが、思わず笑顔のこぼれてしまう自宅での一幕だった。

これからロンドンは日増しに日が短くなって気持ちも沈む時期だけれど、今年はそんな暗い秋冬にキツネが彩を添えてくれるかもしれない、と秘かに期待している。
[PR]
by canary-london | 2008-09-15 09:02 | diary
フラットから一軒家に引っ越してから、そろそろ一年が過ぎようとしている。
古い一軒家に住むということは、大体において、それだけで実に色々なハプニングに遭遇するということを意味する。
理想を言えば、日本人の転勤者でも家族を持つ人の多くがそうしているように、少し郊外にあるアメリカンサイズの庭付き一戸建てに住みたいと思う。・・・のだけれど、通勤、および夜ロンドン中心部で遊んだ帰り道のことを考えると、どうも踏み切れずにいる。

それはともかくとして、我が家の話。
引っ越してからというもの、ナメクジやアリなど、あまり快くない様々な生き物に戦いを挑んできていることは、このブログでも紹介済み(笑)。
今回の「事件」は、もっと心温まるもの。

今週の月曜日だったか、この時期のロンドンに典型的な、実に天気が良く「ラブリー」という形容詞の似合う一日。
市場も静かなため、こんな日はさっさと帰って、日没までの日差しを庭で楽しむに限る。
そんな思いで家路を急ぐ。
夏至の時期のロンドンは、サマータイムのお陰もあって日没は22時を過ぎる。
最近では少し日が短くなってきたとはいえ、21時半頃まで外が明るく、仕事を終えてからの夜の時間を何らかの活動に充てることが出来るという意味では、実に素晴らしい時期であり、またここにはそれを奨励するカルチャーもある。

帰宅して、階段の踊り場から、何気なく小さな裏庭を眺める。
・・・と、芝生ゾーンの真ん中に、何やら見慣れない茶色い物体。
ん???
狭い庭には、大家さん所有の妙な置物など様々なものが並べられているので、籐製のアヒルの置物でも倒れてきたのだろうかと一瞬思ったけれど、何か様子がおかしい。

階下に下りて、窓から良く見ると、何と。
・・・キツネ。
しかも、寝てる・・・。

初めは死んでいるかと思って相当びっくりしたのだが(私の庭に勝手に入ってきて死んだのだとしたら偉く迷惑な話だ)、良く観察すると、息をするたびに腹部が動く。
ペットということはないだろうから野生のキツネに違いないのに、何とまあ無防備なものである。
ロンドンのど真ん中にいるとは俄かに信じられない光景を眺めながら、こちらはそれこそキツネにつままれた気分。

・・・などと他人に話しても絶対に信じてもらえないだろうと思って、キツネを起こさないよう、家の中からそっとシャッターを切った。
窓越しなので、画像の悪さについてはご勘弁を。
f0023268_13442946.jpg
f0023268_13444571.jpg


退場シーンには立ち会えなかったけれど、このキツネ氏、2時間もすると忽然と姿を消していた。
晴れた気持ちの良い夕方、庭で読書でも・・・と思ったらキツネに先を越されたのは誤算だったけれど、先客が先客なので、この日はキツネ氏に庭を独占してもらうことに。
ロンドンは、やはり東京と比べるとそれでもまだ自然が多少残っているのかな、と嬉しい気持ちになって、キツネのいなくなった庭でビールを開けた。
[PR]
by canary-london | 2008-07-17 13:46 | diary
タクシーの運転手は選べない。
手を挙げて車が滑り込んできた後に、運ちゃんの人相を見て
「うーん、これは失敗かも」
と思うことはあるが、時既に遅し。
乗客からの「逆乗車拒否」をするのも何なので、そのまま乗り込む。

これが結果的に、人相通り非常にうっとうしい運転手だったり、はたまた意外に楽しい運転手だったりするのでやめられない。
何ともスリリングである。
別に私は、日々新たなタクシー運転手との出会いを求めてタクシーに乗るわけではなく(だとしたら新手のストーカーだ)、基本的には早く目的地に着きたいから乗るのだけれど、運転手の良し悪しでその日一日の気分が左右されたりもする。
*念のため断わっておくが、私は狂乱物価のロンドンで毎日タクシーに乗るようなブルジョワ階級ではない。仕事で使う時を除けば時々やむを得ず乗るだけである。

自分のことをふと考えてみると、このようなメンタリティーになったのは最近のことかもしれない。正確に言うと渡英してから。
東京で「24時間働けますか」サラリーマンを地でいっていた頃は、タクシーに乗っても束の間の休憩時間とあって知らず瞼を閉じてしまう。
運転手の人柄なんか構っちゃいられない。
・・・もっとも、2001年12月には、仕事帰りにタクシーの中でうとうとしていたら、表参道の交差点を過ぎた辺りで私を乗せたタクシーが転回してきた別のタクシーに突っ込み、5週間松葉杖生活に陥ったので、乗客の安全という観点からは、寝る=必ずしも良いことではないのかもしれないが。

近年は、自分にもタクシー運転手の人間観察をしたり、会話を楽しんだり、相手の話を聞いたりといった余裕が出てきたということなのかもしれない。

先日事情により極端に急いでおり、会社帰りにCanary WharfのオフィスからIslingtonの自宅までタクシーに飛び乗った。
このときの運転手が、「当たり」。
肩肘張っておらず、会話も押し付けがましいのではなく、こちらの反応を見ながら話題を作っていく。髪の毛の心もとないオジサンで、お世辞にも器量が良いとはいえないが、なかなか良い笑顔で笑う。
ロンドンの名物、ブラックキャブのドライバーには、概して自分の仕事に誇りを持っている人が多いように感じる。
f0023268_8163536.jpg
私の場合、自分の英語の発音が独特なので(9割方アメリカ英語だが、残りの1割がアジア人とイギリス人の妙なブレンドといったところか)、大抵の場合、まず「オマエはどこ出身だ?」から話が始まる。
別に私の話を一方的に聞くのではなく、運転手自身の家族のことや住宅価格のことなど、とりとめのない話が進んでいく。

その彼の話の中で、こんなことが印象に残った。
曰く、乗客の中で、打ち明け話や身の上話をする人が非常に多いとのこと。
聞けば、恋愛や結婚の相談、金銭や家族にまつわる悩み事まで、タクシー運転手というのはありとあらゆる個人の悩み相談室らしい。
「相談」というよりも、一方的に思いのたけを話して降りていく乗客が多いようではあるけれど。

ふーむ、なるほど。
その後この運転手とも話したのだけれど、乗客としては、縁もしがらみもなく、且つ二度遭遇するリスクの低いタクシー運転手というのは、そういったプライベートな話をするのにうってつけなのかもしれない。
話をする側のメンタリティーは、きっと「旅の恥は掻き捨て」か「一期一会」のどちらかなのだろう(笑)。

しかし街中で再度遭遇することが万が一あったとしたら、どう考えても圧倒的に運転手の方が有利な筈。なぜなら、我々は結局運転手の後頭部とバックミラーに映るサングラスに覆われた顔しか見ていないのだから。
・・・なんて思うと、小心者の私は、タクシー運転手にうかうか身の上話なんて出来ないのである。
[PR]
by canary-london | 2008-07-01 08:18 | diary

アリとハンディマン

不幸自慢では決してないのだけれど、それにしても英国の古い一軒家というのはトラブルが絶えない(築ほぼ120年。イギリスでは格別古いわけでもないが・・・)。
昨年の秋口に引っ越した新居はしばらく動きたくないほど気に入っているのだけれど、狭いながらに庭があるせいか、昆虫などごく小規模の生物に関する悩みは枚挙に暇がない。

この週末に遭遇したハプニングは、蟻である。
アリ。
我が家は細長い小さな家なので、日本で言うところの一階と二階、さらに地階の3レベルに分かれている。
土曜日の夕方だったか、地階のボイラー室に入って洗濯機を回す。
何とはなしに殺気を感じて洗濯機の脇にあるのっぽのボイラーの上を見やると、無数の黒いものがうごめいている。
・・・アリだ。
蟻の群がっている原因は、ボイラーの上に散乱した、いってみればライスクリスピーのような形状の粒々。
何かの卵なのだろうけれど、何の卵なのかは知る由もない(後から処理に来てくれたハンディマンによれば蟻自体の卵とのことだったけれど)。
とりあえずあらん限りの殺虫剤を掛ける。
あとは翌日救援隊が来るのを待つのみ(私は虫が得意ではないので、殺虫剤を掛ける以上の策を自分で積極的に取ることは少ない)。

週末ではあったものの、翌日仲良しのハンディマンを呼びだしてボイラーのパイプと外壁の間を隙間なく埋めてもらって一件落着。
昨年引っ越したばかりのときに発生したナメクジ同様、結論からいうとどうも外に通じる壁のどこかがきちんと塞がれていないらしい。

こんなときに感じることは幾つかあるけれど、まず思うのは「ハンディマン」という素晴らしい職業の人達のこと。
日本ではあまり相当する職業がないのだが、正に「便利屋」さん。
ハンディ=便利、マン=男性または人間、とは言い得て妙。

主として不動産屋と契約を結んでおり、家に何かしらの問題があったとき、それが大掛かりな修理を必要とするのでない限り、今回のような壁を塞ぐ作業から家具のちょっとした不具合の修理まで、何でもこなす器用な人種である。
今回お世話になったPaulは昨秋我が家にナメクジが大量発生(正確に言うと「大量」とまではいかないが、一匹ではなかった・・・)したときに助けてもらったことから私も頼りにしており、幸いにして彼の携帯電話の番号も持っていたため、日曜日にもかかわらず駆けつけてくれ、事なきを得た。
f0023268_954201.jpg
会社や人によって差はあれど、得てしてこちらの不動産屋、特に賃貸契約に出されている住居の管理を行う不動産屋は怠慢で誠実さに欠け、前項で書いたテロか殺人でなければ動かない英国警察の例ではないが、「蟻が出た」と訴えたところですぐに修理の人間を手配してくれないケースもある。
そんなとき、「ハンディマン」に直接連絡する手段を持っているのは、絶大の威力。
ツカエナイ不動産屋には申し訳ないが、Paulが現役で活躍しているうちは、不動産屋の頭越しで彼に仕事をひそかに依頼しようと決めている。

大量の蟻の死骸を見ながら感じたもう一つのことは、都会のマンションがいかに人工的な環境かという点。
私の望むと望まざるとにかかわらず、この家には実に様々なキャラクターが登場する。
家の中に蜘蛛やダンゴムシが定住しているのには慣れた。
さすがに家の中には入ってこないが、雨降りの日には玄関と庭がカタツムリで覆われる。

幼少時「田舎」がなく東京で育った私は、このような生物に囲まれた環境にはそもそも縁が薄いものの、9歳までの4年強を過ごしたニューヨークは家が郊外であったため、自然と触れ合う機会が多かったように思う。
ある日庭のブランコで遊んでいてふとブランコを裏返したところびっしりと毛虫が張りついていて、毛虫の苦手な姉が卒倒しそうになったこともあった。

カタツムリもナメクジも蟻も、いて当然。
勝手に家を建てて侵入してきているのは、こちらなのだから。
・・・と頭で分かってはいるものの、一定量を超える虫がいたような場合、やはり私はハンディマンにSOSコールを入れるのだ。
[PR]
by canary-london | 2008-06-04 09:55 | diary

盗難に思うこと

厄年でもあった2006年、冗談でなく実に三カ月毎に強烈な盗難に遭って以来(詳しくは2006年のエントリ参照・笑)、幸いなことに盗難にはあまり縁がなかった。
・・・はずなのだが。

久し振りに盗難に遭った。
先週の日曜日夕方、買い物から帰宅していつものように車*を家の前に駐車する。
*車自体は、いかにもカネモチとは無縁そうなTOYOTAカローラ。
この辺りは所謂on-street-parkingで、住民専用のパーキングパーミット(駐車許可証)をウィンドウに貼り付けてさえいれば、該当する駐車スペースならどこにでも置いておけるのが便利。
今にして思えば、もしかしたらこのときに車のキーのリモコンが弱っているゆえ、施錠したつもりが実は掛かっていなかったのかもしれない。
・・・などと言ってみたところで後の祭り。

翌々日にあたる火曜日の朝、これまたルティーン通り小走りで朝7時前に家を出ると、どうも車の様子がおかしい。
というのは、後部座席の背もたれを前に倒すことによってトランクとのスペースが貫通するようになっているのだが、その背もたれが倒されてトランクの中身が覗いている。
あれれ?と思うものの、一分一秒無駄に出来ない朝のひととき、車を調べる間もなくオフィスへと急ぐ。
その日、オフィスからの帰り道に再び車に近づくと、これは明らかにおかしい。
助手席が半ドアになっているのだ。

「あー、これはやられたな」と思って荷物を家に放り込み、改めて鍵の開けられた車を調べると、倉庫代わりに使っているトランクからクラブのごっそり入ったゴルフバッグが忽然と姿を消している。
その他、道路地図といった意外に重要なものや、駐車場用として運転席脇の抽斗に無造作に突っ込んであった小銭もなくなっている。
「犯人」は意外と冷静らしく、サイズが合わないと判断したらしいゴルフシューズやスキーウェア、スキーブーツなどは置いてきぼり。

・・・ため息。

今回、もし仮に鍵を掛けたつもりで掛かっていなかったのだとすれば自分の責任以外の何ものでもないが、実質36時間以内の犯行だと思われる。

英国でこのような被害に遭う度に感じるのは、こちらの泥棒がいかに「petty crime」(=つまらない犯行)を大胆に働いて、且つ平然と日常生活を過ごしているかということ。
殺人かテロのいずれかでなければ英国警察は本気で捜査などしないというのも2006年に痛感したことではあるが、ちょっとした泥棒程度の小さな罪で検挙されるリスクは当地においては著しく低いため、いきおいこの様な犯行が増える。
捕まらないため、味をしめた犯人は、きっと同様の罪を繰り返す悪循環だ。

そんなことで、私は英国に来てから純粋なる不運または自分の不注意のいずれかの理由(または両方)により物を盗まれたのは今回で四回目を数える。とはいえ、運や自分のミスを呪いつつも、我が身の危険を感じるような目に一度も遭っていないというのは実は感謝すべきことなのかもしれない。

こんなことが起きると、何かしら隠れた意味があるのかもしれないと思うのも人間の性だろうか。私の場合、ゴルフバッグを盗まれたのは、一向に上達する気配のないゴルフなど早く諦めろとの神のお告げなのかもしれない、などと自嘲まじりに思ったりしてしまうのである(笑)。
[PR]
by canary-london | 2008-05-28 10:24 | diary
数回前のエントリで書いた「シンジケート・クイズ」の例を持ち出すまでもなく、私が日々一緒に仕事をしているデット・シンジケートの面々がいかにバイタリティーやユーモアそしてウィットに溢れる魅力的な人達かというのは本ブログにも再三書いているとおり。

彼らときたら、本当に「restless」(=活動的で休むところを知らない)という言葉が似合う。
元来車が大好きでオフィスにも大体自慢の単車で通ってくるAは、趣味のカートレースへ一緒に行けばプロ級の腕前。
一方のNは週末になるとボクシングのトレーニングに勤しんでおり、5月には我々デスクのメンバーもNの公式試合に招かれている。

「restless」の意味合いは、実のところ働きバチの日本人とは少し違う。
以前にも何度か別項でも書いているとおり、欧米の人は国民性などによる違いはあるにせよ、大体において、いかにして最低限の仕事量をこなしながらうまく立ち回っていくかということを常に考えている。私を除いてイギリス人とアメリカ人しかいない弊デスクでは、この傾向は顕著。仕事に最大限のエネルギーを振り向けないからこそ、カートやボクシングを楽しむ余裕も出てくるのだろうが。
・・・というとやけに聞こえが悪いが、良く言えば業務範囲が明確に規定されており、自分の仕事ではないことは、頑としてやらない。
日本人の場合は、責任の所在のはっきりしない玉虫色エリアに区分される仕事をついつい「しょうがないから(自分が)やってやるか」が積もり積もってくる。
であるがゆえに、いきおい労働時間が長くなる。
経済として見た場合の効率性が悪い。
こんな至れり尽くせりのサービスを受ける側である消費者にとっては天国、サービスを提供する側の人間にとっては地獄である。

いつものことながら冒頭から脱線したが、私が一緒に働くシンジケートのチームの話に戻ろう。
サブプライムに端を発した不況はとどまることを知らず、金融業界全般にわたって明るい話題は相変わらず少ない。
特に我々の部署は、主として新たな資金調達を必要としている「発行体」と呼ばれる先(国・政府機関・金融機関・事業会社など全て包含する)が多数あり、また引き受けた債券が売れる状況にないと、商売あがったりとなる。
どの数字を取るかにもよるけれど、大不況を受けて債券新規発行のビジネスは概ね低迷しており、昨年同時期に比べて市場全体における公募債の発行量は4割から5割程度落ち込んでいる。ちなみにこれは、私が一緒に働く面々の担当するセクターで取り扱う一部のdebtに限定した話であり、サブプライムの影響をもろに受けている資産担保証券に至っては、この数字が8割から9割減とおぞましい数字となる。

そんな状況下、公募債シンジケートの面々、年明けからの4カ月というもの、例年忙しいこの時期に比べて時間の余裕がありありと感じられる。(ちなみに私は私募債担当なので、やはり新規ビジネスは落ち込んではいるものの、彼らのように仕事量が著しく減るわけではない・・・残念ながら。)

そんなとき、俄かに注目を浴びるのが「フィットネス」である。
つまり彼らは値付けしなければならないトレードが減っているがために、日中時間の余裕が出来る。
そうなると、昼時ともなると「一時間走ってくる」といってオフィスの一階にあるジムへと消えてしまうのである。大手投資銀行では、世界の拠点を問わずビル内にジムを有するところが大多数のように思うが(もちろんメンバーシップは有料)、まったくもって良く出来たものだと感心する。要は、仕事がスローで脳がフル回転する必要のないときには、せいぜい身体を使えってわけ。

f0023268_2012018.jpgスローダウンがより顕著となった一月以降、折に触れ皆で「おそらく債券新規発行量とシンジケート・デスクのフィットネス・レベルは逆比例の関係にあるだろう。統計を取ってみたいものだ。」なんて冗談まじりで話している。
そのうちの一人なんて、ジム通いと食事制限の組み合わせで、年明けからの数週間で7.5kgほど絞り込んだらしい。とはいえ、スタート時点での体重が112.5kgなので誤差の範囲内かもしれないが(笑)。

余談ながら、公募債のデット・シンジケートは全員男性。
女性は、私募債担当の私ともう一人だけ(秘書を除く)だけである。
私も最近では、デスクのフィットネス・レベルに負けまいと、何とか時間を作ってジムに通う時間を増やすよう心がけているのだが、髪を乾かす必要もなくシャワーから飛び出してデスクに戻ってくる男性陣と、気持ちだけでも化粧してからデスクに戻ろうかという心理の働く女性陣とでは、ジムに行くというミッションに要する時間が異なってくる。
それってフェアじゃないよな、と思っているうち、最近では「気持ちだけ」の化粧すら覚束ないまま髪を振り乱してデスクに戻ってくるようになってしまった。
・・・ビジネスの低迷とは別に、憂うべき事態である。
[PR]
by canary-london | 2008-04-13 20:13 | diary
通勤途中に読むFT(Financial Times)の中で、経済・市場欄は勿論のことだが実は毎朝チェックするのは世界各地の天気である。

ロンドンの天候をみて「あー、やっぱり今降ってなくてもこれから雨なわけね」と溜息をついた後、東京に目を移し、それからニューヨークを眺める。暇だとさらにリオデジャネイロやドバイを見て最高気温30度以上の表記にひとしきり驚き、気持ちだけリゾート地に瞬間移動したりもするのだが。
ロンドンの冬というのは、一般に日本人が想像するのと違ってそんなに厳しいものではない。平地ゆえ雪も降らないし、気温だって氷点下になることはさほど多くない。
ロンドンは北緯51度と樺太とほぼ同位置にあるものの、北大西洋海流という暖流のおかげで、緯度からは想像できない温暖な気候に恵まれるのだ。
最高気温は一つの尺度かと思うが、1月と2月を通じて大半の日はニューヨークの方がロンドンより寒く、ときには東京の方が寒い日もあるぐらい。この時期のロンドンの最高気温は摂氏7度から10度程度の日が多く、5度を下回る日は今年は多くなかった(今年は比較的暖かい冬である)。

話は本題からそれるけれど、ニューヨークというのはあれほどの繁栄をみている大都市としては考え難いぐらい気候の厳しい街だと思う。今は地球温暖化で少し変化しているのかもしれないが、私が暮らした80年代前半など、腰の高さ以上の積雪の中をスキーウェアとスノーブーツに身を包んで小学校まで通ったりしたものだ。

3月後半というのは、少し微妙な時期。以前にも書いたとおり、4月から7月末ないし8月上旬ぐらいまでのロンドンの気候というのは、冬の暗澹とした天候を全て許せてしまうほど美しい4ヶ月間なのだが、この時期も気温はあまり上がらない。
要は、真夏は夏らしい暑さに見舞われるニューヨークや東京に比べて四季に応じた気候の変化が緩やかで、過渡期にあたる3月下旬はまだ十分「冬」と呼ぶにふさわしいコンディションなのだ。

前置きがすっかり長くなってしまったが、実は今日ふと書こうと思ったのは「ニットの帽子」について。
この時期のロンドン、街中で少し注意を傾けると、男性でニット帽を被っている人がやけに多いことに気付く。ゆったりしたジーンズなど全身カジュアルな格好をしている人なら何となく分かるけれど、スーツにかっちりとしたウールのコートを着てブリーフケースを小脇に抱えた人でも、結構な数の人がぴったりしたニット帽に包まれている。

f0023268_2249224.jpg
・・・うーん、何でだろうか?
と考え始めたところで、まずは「寒いからだろうか?」と思ったのだが、上記の通り客観的にみてロンドンは他の大都市に比べてそんなに寒いわけではない。
また、スキンヘッドにするとはじめは慣れずに頭から風邪を引くものだといった話は良く耳にするが、別段ロンドンには格別頭を剃っている男性が多いとも思えない。

というわけでニット帽の氾濫について本当のところの理由は実は良く分からないのだが、確実に一つ言えることがある。
それは、皆体に対する頭の比率が小さいので、5頭身のアジア人が被ると何とはなしにコミカルな感のあるニット帽でも、おしなべて皆サマになるのだ。

もちろんNew Yorkerの体型だってLondonerと似たり寄ったりだろうが、ロンドンはこれに加えて、身長2メートル級(且つ頭のサイズはあまり比例的に大きくなっていないような気がする。これは決して脳味噌が小さいとか言おうとしているわけではない。)のオランダ人や北欧人が大量に流入してきていることもあり、10頭身の体型の人が更に多いように思う。普段オフィスにいても、「いやー、アンタの体系ちょっとフェアじゃないよね」と感じることが多い。
もしかしたらニューヨークでもニット帽姿の人は意外に多いのかもしれないけれど。

となると、やはりニット帽はアジア人には無理だけれど、8-10頭身の人が多いアングロ・サクソンやゲルマンは抵抗なく被れてしまうのではないだろうか、というのが唯一の結論。
最近ファッションについての記述が滞っていると思ったら、久々の話題はこんなくだらない記事になってしまった(笑)。
[PR]
by canary-london | 2008-03-21 22:50 | diary
前回掲載のエントリですが、一点事実に誤りがありましたので、お詫びと共に訂正させて頂きます。
ロンドンに現存するフェルメール作品は三点ではなく、バッキンガム宮殿に併設されるQueen’s Gallery(英国王室が所有)に四点目が所蔵されています。

ご指摘頂いたdognorah様、有難うございました!
音楽のみならず美術にも精通された氏のエントリはコチラご参照
[PR]
by canary-london | 2008-02-27 09:43 | diary
雪模様の続く東京とは裏腹に、ロンドンはこのところこの時期らしからぬ好天が続いている。
先週末もからりとした晴天に恵まれたため、ロンドン北部に位置するハムステッド・ヒースへと足を向けた。
ハムステッド・ヒースは、ロンドンの中心部に程近いとは思えないほど、広大な「荒野」という言葉の似合うひとかたまりの土地だ。
「公園」と呼ぶことすら、何かここには似つかわしくない気がする。

雨のない時期でも足元のぬかるむそんなヒースをのんびりと散歩したいという気持ちもあったのだが、真の目的はヒース内に位置する美術館「ケンウッド・ハウス」。
現在はEnglish Heritage Foundationが管理する白亜の建物は18世紀末のもので、中に保管される美術品は、ギネス・ビール創設者の曾孫にあたるアイヴィ伯爵という貴族が20世紀前半に蒐集したものである。
今日のお目当ては、このコレクションの一部であるフェルメールの作品。
ロンドン滞在も長くなってきたというのに最近住人の心持ちなのかすっかりフットワークが重くなり、実のところこの美術館も初めて訪れる。

現存するフェルメール作品の数については諸説あるものの、37点というのが一般的か。
これまでもフェルメール作品はパリやアムステルダムで散発的に見る機会はあったものの、なかなか体系立てて鑑賞する機会がない。
ロンドンには、ナショナル・ギャラリーに二点(「ヴァージナルの前に立つ女」と「ヴァージナルの前に座る女」。ちなみに私はおそらく「・・・立つ女」しか見たことがないように記憶している。)あるほかには、このケンウッド・ハウスの一点のみ。
エジンバラのナショナル・ギャラリーに所蔵されるものを加え、英国全体でもフェルメールはたった四点しかない。

そういった意味では貴重な一点なのだが、ここに展示される「ギターを弾く女」は、見ると正直なところ若干拍子抜けする。
フェルメールにしては珍しく、絵の右側に光源がある。
ギターをかき鳴らす少女の肌の色はグレーのような暗い色で、生身の人間の肌の色からは程遠い感。保存状態の悪さ*のためかとも思うが、一方で少女の頬の色は不自然なほど紅潮し鮮やかな桃色。
他のディテールの不味さについて指摘する専門家も多いが、色調と共に、ギターという楽器の描き方の稚拙さもやや気になった。
*この美術館の保存状態の悪さについてはついぞ有名。ごく最近までは珠玉の作品を多数そろえているにも拘らず警備手薄で、1974年にはフェルメールの同作品が盗難の憂き目にあったのは有名な話である。

同じ部屋に所狭しと展示された数々の絵画の中では、レンブラントの晩年の自画像の方が余程インパクトが強い。
もっとも、個人的には父の敬愛するGeorge Romneyの描いたレディ・ハミルトン(ネルソン提督の愛妾)の画二枚も非常に気になったのだが。

何しろ興味深いコレクション。
フェルメールとレンブラントが所蔵されると同じ部屋に、現存する世界最古のピアノ・メーカーとされるBroadwoodの1791年製のピアノ↓が置かれている。これと並んで、パイプ・オルガンの姿も。
古く美しい楽器の姿かたちには、思わず息を呑む。

f0023268_9465874.jpg前述のとおり、ここのフェルメールは正直なところ期待外れだったが、この美術館にはそれに代えられない価値があると思う。

第一に、とにかく静寂の中で世界有数の美術作品を見ることが出来ること。
今回のフェルメールの例をとると、途中から人が入ってきたとはいえ、地球上にある37点のうちの一つを、私はしばし一人で眺めていた。
同じロンドンでもナショナル・ギャラリーではもちろんこんなことは不可能だし、日本に時折誘致される特別展でのフェルメール作品においては黒山の人だかりとなる。
一瞬であったとしても、静寂と孤独の中で素晴らしい芸術作品と触れ合える機会というのは、残念なことに昨今非常に稀である。

第二に、ハムステッド・ヒースという荒野の中に美術館があるというセッティングには、やはり何とも言えない興奮が伴う。
ハムステッド・ヒースは、子供連れおよびペットを飼う人々にとってのオアシスであり、現に歩き回って遭遇するのは十中八九犬を連れた夫婦か家族連れである。
そんな中で、芸術作品を鑑賞するというある意味でのミスマッチが実に心地良い。

ハムステッド・ヒースおよびケンウッド・ハウスには、また是非足を運びたいと思う。
他のフェルメール作品についても言いたいことは山のようにあるが、また次節。
[PR]
by canary-london | 2008-02-20 09:48 | diary