ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

カテゴリ:culture( 34 )

名前と日本人

「日本人と名前」ということについて考えさせられる瞬間が、毎日のようにある。
私募債をアレンジする仕事をしている私は、目に付く案件をクローズすると、社内マーケティングの意味を込め、社内の比較的広範なメーリングリストに向けてメールを流すことを心がけている。
メールには、ごく簡単な案件の概要と共に担当者の名前を記す。
この案件のセールスABC、トレーダーはXYZ・・・という風に。

その度に思い知らされるのが、「日本人の名前は難しい」という現実。

担当者が中国人や韓国人の場合は、至って簡単。
何故なら、抜け目のない現実主義者の彼らは、母国語での本名などお構いなしに、”Mike”やら“Andy”やらといった、短く分かりやすい西洋的な名前を自ら付けているから。

一方の日本人はというと、実に損をしているのだ。
日本人の名前は本当に美しく、奥が深い。
漢字の組み合わせが無数にあり、音(おん)が同一の名前の人に遭遇しても、漢字までが全く同じというケースは珍しい。
わび・さびを解さないガイジンには、このこと自体既に理解の範疇を超えている(失礼!)。

また、漢字で書くことが前提の日本人の名前は、仮名にすると、例えば女性で7文字・男性で8文字程度の長さはザラである。
これ、アルファベットで表記すると、かなり長い。

いってみれば、西洋人にとっての日本人の名前というのは、「名前」に要求される二つの基本的な要素を欠いているのだ。

この要素の一つは、「呼びやすさ」。
母音と子音の構成といった細かいことと並んで重要なのが、単純に「短い」ということだったりする。

男性のファーストネームで多いパターンの「仮名4文字」の名前は、勢い短縮することになる。
歴史を遡ると、やはり親密なる「ロン・ヤス」関係になるためには、「ヤスヒロ」では語呂が悪いのだ(Ronald→Ronは既にルールのようなものが確立されているので、殊更に「短縮している」という意識はない)。
もっとも、長く発音の難しいファーストネームをもつ小泉前首相は、”Jun”などといった愛称に甘んじることなく、海外でも広く認知されていたが・・・。

f0023268_2353489.jpg
言語の成り立ちが違うので、イントネーションも異なる。
私も(男性ではないが)、自分のファーストネームを短縮して通称としているクチ。
私の場合は特に名前が長いわけではないが、西洋人(特に英米人)には、仮名3文字の名前を平坦な発音で発声することが難しいため、「XX子」の最後の「子」を外さないと、自分ではない他人の名前のように聞こえてしまうのだ。

二つ目の要素は、「予測可能」かどうか。
英米人の名前の場合は、前述のような名前短縮のルール(例えば、AndrewならAndyといったような)がしっかり確立されていることに加え、音を聞くとかなり高い確度で綴りを予測することが出来る。
日本人の名前を彼らに説明する場合には勿論こうはいかず、一文字ずつ根気良く「SugarのS・・・」とやっていく羽目になる。
Eメール全盛のご時世では、実はこれもかなり重要。

挙げた要素の二つともが、要は「覚えやすい名前かどうか?」ということになるのだろう。


話は飛ぶようだが、最近霞ヶ関などで流行っている論調に以下のようなものがある。
つまり、「東京がアジアにおける金融センターになり得ないのは、他のアジア諸国ほどに英語が第一外国語として根付いていないからだ」といった議論(ちょっと古いですが・・・添付ご参照。ちなみにこれも先日「金融と憂鬱」のトピックで引用させて頂いたE氏に教えて頂いた記事である)。
お役所の方々の真剣な議論と自分が酒の肴に思いついたアイディアを一緒にしては怒られてしまいそうだが、「日本は果たして世界に通用するのだろうか?」という宇宙的命題は、実は名前にも関係するような気がしてならない。

しかしこの問題提起には、またしても解がない。
日本的な、美しく情緒溢れる名前は、何としてでも失いたくはない。
・・・とやや憂鬱になったところでデスクを見渡すと、チームの男性陣は、ものの見事にJohn, Andy, Chris, Neil, Edと「典型的な西洋の分かりやすい名前」が勢揃いしているので、げんなりしてしまった。

何か良い解決策、ないもんでしょうかね??
[PR]
by canary-london | 2007-09-01 02:36 | culture
二週間ほど前の或る日、私のEメールのInboxにこんな一通のメールが舞い込んできた。
送り主は、北欧のとある政府機関に勤める男性。
私の職種では、このような「発行体」とよばれる資金調達主体からのEメールの数は非常に多い。
その大半は、資金調達の意欲や水準等について各投資銀行に意思表示を行うための、不特定多数に向けたメールである。
しかし、通常の無味乾燥な資金調達のメールとは少し様子が違う。

開いてみると、こんな文面の手紙だった(注: 内容は多分に短縮・意訳してあります)。

「・・・X年間の勤務を経て、このたびXXX社を去ることにしました。
二人の娘と、仕事に戻りたくてうずうずしている妻に囲まれた環境の中、今度は自分が家族に貢献する番が回ってきたと感じています。
この状況が永遠に続くとは考えていないものの、自分の現在の仕事環境、および外の世界での選択肢について考える良い機会だと思っています。
なので、おそらくはXXX社に戻ることはないと思っています。
・・・とこんなことを書きながら、数年後には同じ資金調達の仕事に戻ってまたお会いすることになるかもしれませんが(笑)。」

書いている本人はというと、資金調達を行うチームを統括する男性。
年の頃は、30代半ばから後半といったところか、「好青年」という言葉の似合う爽やかな人物で、当然ながらまだばりばりの働き盛り。
そんな彼が、実にさらっとした調子で、「今度はしばらく妻がキャリア追求を楽しむ番。僕は子育てに専念します。」と言えるメンタリティー(そしてそんなメンタリティーを形成する社会・文化)って、実に素敵ではないかと思う。

「子育ては女性の役目」とか、「子育てと仕事は両立しない」とか、ひいては「終身雇用」とか。
・・・そんな諸々のフレーズとは縁のない世界。

一方で日本に目を向けると、子供をもつ女性のうち外で働く人の比率が約52%と他の先進国を大きく下回り、且つこの比率を上げる方策を取ったときに今度は出生率の著しい低下が予想されるというジレンマに直面している(2007年5月31日付のFT記事より)。

このトピックは本ブログで以前も取り上げたことがある。
それでも東京とロンドンの両方で働いた経験(しかも、外資系投資銀行という所謂「男女差別が少ない」と一般的に理解されている業界で)からは、やはり東京の労働環境・ワークカルチャー(労働文化とでもいうのだろうか?あまり適切な訳語がないこと自体問題かとも思うのだが・・・)については、残念ながら物申したいことが非常に多い。

・・・そもそもは心温まるメールについて紹介しようと思ってペンを取ったのだが、何だか女性の権利を振りかざすフェミニストの論調になってしまった(断っておくが私はフェミニストではない)。

日本も色々な意味で「グローバル・スタンダード」に近づけるよう、一歩ずつでも進んでほしい。
(今度はロンドンではなく)、頑張れ、ニッポン。
[PR]
by canary-london | 2007-08-22 02:32 | culture
2-3週間ほど前の話になるが、風邪を引いてしまった。
何だかこのブログには風邪の話ばかり書いているような気がして、本人を知らない人からみると病弱な人間という誤った印象を与えているかもしれないが、実のところ驚くほど丈夫である。
おそらくは、風邪を引くと珍しいのでついついブログに書いてしまう傾向があるのだろうと思う。

風邪といったところで、私の場合は寝込むことは少なく、風邪を引くと大抵咳と喉の痛み・鼻水が主な症状となる。
子供の頃喘息もちだったためか、気管支が比較的弱いのである。

5月半ばのある火曜日、そんなしつこい咳を抱え、夜はBarbican Hallでのコンサートを控えて不安な気持ちで日中仕事を進めていた。
おまけに、よりにもよって楽章の合間を縫って咳をする時に欠かせないハンカチを忘れたらしく、ハンドバッグを探っても見当たらない。
同じチームで机を並べて働くアメリカ人女性上司も同じ時期風邪を患っており、彼女が
「そこの薬局まで行くけど何か買ってこようか?」
というので、とっさに
「’Boots’(チェーンの薬局)」にハンカチなんて置いているかな?}
と言うと、彼女は怪訝な顔。
「ハンカチって・・・handkerchiefだよね?(確かに、この言葉自体自分も英語で口にしたのは久し振り。こちらでは殆ど耳にしない。)売っているとしたら、Bootsではなく’Hackett’(比較的若者向けのスマートカジュアルな紳士服店)あたりじゃないの?」
と彼女。

そうか。
ハンカチとポケットティッシュを身だしなみとして携帯するのは大和撫子のみ。
イギリスでもアメリカでも、確かに「ハンカチ=男性の持つもの」というイメージが先行するのだ。
もっとまずいことに、ここ英国では遥か昔から、山高帽にステッキ姿の由緒正しきジェントルマンはポケットからハンカチを取り出して、おもむろに鼻をかむものと相場は決まっている。
勿論私は、出掛けの彼女に対して即座に
「あの、鼻をかむためではなくて・・・」
と訂正したわけだが。

ややあって戻ってきた彼女は、小脇に‘Hackett’の包みを抱えている。
「何しろ紳士物だから・・・これでもなるべく女性っぽいものを選んだんだけどね。好きな方を選んで。」
の言葉と共に、何ともご丁寧に一枚一枚リボンをかけられて個別に包装された‘handkerchief’二枚が顔を覗かせる。

彼女の優しさが身にしみて・・・という展開であれば、美しい感動物語の一つや二つ生まれるのかもしれないが、あくまで現実主義者の私の目は値札へと注がれる。
当地の物価の高さについては日頃から文句を言っている通りだが、このハンカチが9ポンド(現約240円換算で約2,140円)なんて・・・。
日本では、1500円出したらこの10倍ぐらいお洒落なハンカチが買えるっつーの。

話の顛末はというと、この上司の愛情たっぷりのハンカチの効果も空しく、コンサート会場で自分の咳が止む気配はない。押し殺して咳をするので、益々苦しくなる悪循環だ。
そんなわけで、この日は泣く泣く途中のインターバルで会場を後にした。

ちょっとした後日談。
何と、この当地で耳にすることの少ない‘handkerchief’という言葉を次に聞いたのは、私が途中退場してしまった日の指揮者・Sir Simon Rattle氏の口から、一週間後のとあるオペラ公演でのことだった。
インターバルに入ろうという時、
「今日は風邪の方が多いようですね。恐れ入りますが、周囲のことを考えて咳をするときにはhandkerchiefで口を押さえて下さるようお願いします。」
とRattle氏。
Rattle氏は、ノッてくると唸り声のような声を出す癖があるので、オケピットに近い聴衆からは「観客の咳よりも唸り声の方が大きいのでは?」なんて皮肉交じりのブーイングも聞かれたが、それにしても「ハンカチ事件」から一週間後に同じ指揮者からこの言葉を聞かされた私はびっくりしてしまった。
幸いにもこのときには咳はほぼ完治しており、おそらくRattle氏の注意の矛先は私ではない観客に向けられていたことと思いたいが・・・。
[PR]
by canary-london | 2007-06-05 02:20 | culture
公私に渡って何かと忙しく、すっかり更新が滞ってしまった。
気の向くままゆるりと書いている先月の「旅のメモ」から少し逸脱して、今日は今週一泊の出張でスイスのバーゼルを訪問したことについて。

バーゼルという街に降り立ったのは生まれて初めてのことだったのだが、機体を降りて預入荷物を引き取り、出口に向かおうとするところではたと戸惑う。
右に行けば、バーゼルのある国・スイスへの出口。
一方で左に行けば、ドイツもしくはフランスとの標識。
スイスはEUに属していないので、どちらへ行くかによって入国審査も異なるのだ。

欧州に暮らすと折に触れて感じることだけれど、地図上にテキトウに線を引くだけでも出来そうな国民国家というものの国境線とは一体何なのだろうか、と考えさせられる瞬間。
実際にスイスという国は、オランダ等と並んで所謂「マルチ・リンガル」が全国民の基本となっている国である。
ドイツ語圏・フランス語圏のスイスのほか、南へ行けばイタリア語圏のスイスが位置し、大体において各「地方」で使われる言葉については流暢に喋るまでいかないまでも、相手の言うことは解することの出来る人が殆どとなる。

そんなスイスという国のインターナショナルな色彩に思いを馳せるのも良いが、今回スイスで会ったのはスイスと縁もゆかりもない、北欧の発行体(資金調達主体)4社。
業界の事情通には分かるかもしれないけれど、政府機関として果たす役割も近いため、それこそ国境を越えて投資家IR等の活動を合同して行うことに力を入れている4つの機関である。

自分だけかもしれないのだが、北欧の国々というのはどうも旅行の計画を練る度に「いつか行こう」と思いつつも、気付くと再びリストの下の方に追いやっていることの多い地域である。
過去数え切れないほどの欧州旅行をしているにもかかわらず、スカンジナビアも、デンマークも、はたまたアイスランドも訪れたことが一度もない。

無知ゆえ、「北欧の国々」というのはどうも十把ひとからげにしがちである。

今回4ヶ国の人々と同時に会ってワイングラスを傾けながらゆっくりと話す機会など初めて。
上で述べたことと若干矛盾するのだけれど、やっぱり「国家」によって随分と言語・人間性・文化が違うものなのだと改めて感心。

自分にとって新鮮だったエピソードを三つほど紹介すると・・・。
1. 国民性・カルチャー
英国に暮らしていると、イタリア人の国民性やフランス人の国民性はある程度分かった気になるものだが、北欧諸国。寒い冬だし夜は長いし、日本の雪国のように寡黙な人が多いのかしらんと漠然と地域全体についてのイメージを抱いていたのだが、これは大きな間違いであることが発覚。
いわく、ノルウェー・スウェーデン・フィンランドのスカンジナビア三国にデンマークを加えた今回の面々の中で、スウェーデンがやや異色の国民性らしい。
スウェーデン人は他の三国出身者と異なり、とにかく堅物・真面目。
ジョークなど飛ばすのだけれど、何となく笑いがぎこちない。
これは北欧では常識的な「地方ネタ」らしく、そんな真面目なスウェーデン人を皮肉って描いたコマーシャルなどもあるらしい。

2. 言語について
言語についても興味深い豆知識。
ここでは「仲間外れ」となるのはフィンランド人。
スウェーデン人とノルウェー人とデンマーク人が会話した場合、ゆっくり話せば相手の言っていることはほぼ全て分かるらしい。
ま、方言程度の違いなのか。
一方でフィンランド語というのはハンガリー語にルーツがあるらしく、他の3言語と全く成り立ちもグラマーも異なるとのこと。
私は仕事でアイスランド人と話すことが時々あるのだが、文字までアルファベットに存在しない象形文字(!)的なもののあるアイスランド語はどういう位置づけになるのだろうか。

3. 挨拶のキス
周知の通り、欧米では挨拶時のキスは当たり前である。
明確なルールがあるわけではないが、ここ英国では、プライベートの場では初対面同士もキスを交わし、ビジネスの場合は初対面は握手で二度目以降キスに変わるケースがスタンダードとなっているように感じる。
(但し男性同士の場合はやらないのでご注意を。女性対男性または女性対女性の場合のみキスが交わされるのが普通。)

f0023268_8405926.jpg
大陸に何度か足を運ぶうちに、キスの慣習も国によって結構違うものだということには気付いていた。例えば、英国では大体左右の両頬に一度ずつの計二回がお決まりのパターンだが、オランダなどへ行くとスタンダードは三回に増えるなど親密度がアップ。
今回の北欧4ヶ国の中では、デンマーク人に挨拶のキスという習慣がないと教えられて驚いた。非常に人なつこい国民性の人々ながら、挨拶時の基本はキスではなくハグ。
まあ見方によってはハグの方が親密なのか?

余談ながら、挨拶のキスをする際にルールがなくて最も困ってしまうのが、左と右のどちらに最初にキスするか、というくだらない点だったりする。
相手と同じ側に突進して衝突しそうになどなったら、友人ならご愛嬌で済むけれど、ビジネスの場ではたまらない。
そんなわけで、勢い相手の出方を伺ってからキスに移ることになるのである。

ちなみに、私は「左から」派である。
貴方はどっちですか??
[PR]
by canary-london | 2007-03-10 08:45 | culture

ところ変われば・・・

昨年の丁度同じ時期に、「インベストメントバンクと大陸のmulti-nationalism」というタイトルで自分なりに真面目なヨーロッパの多様性に関する考察を書いたが、今回は同様のテーマでおちゃらけるところまでおちゃらけてみることにする。

これはヨーロッパということに限った話ではなく、言語の異なる地へ行けば誰しも体験する話。
個人のアイデンティティを示す一つの指標となる氏名というものは、「ところ変われば・・・」の典型例である。

いきなり話は逸れるが、「ところ変われば・・・」といえば、学生時分にテレビ朝日系列で放送されていた「週間地球TV」という深夜番組の「奇妙な果実」というコーナーを楽しみに観ていた時期があった。日本にいて、例えば商品名の英訳などをみてあまりの的外れな訳に苦笑された経験のある方は多いことと思うが、「奇妙な果実」はいってみればその逆で、ガイジンによって描写された日本人のイメージということに的を絞り、我々日本人からみてその荒唐無稽さに思わず笑ってしまうというものを集めたシリーズであった。
ああいう毒のない笑い、最近のお笑いではお見かけすることが減ったなあ。

ところで、名前の話であった。
一緒に仕事をすることの多いデリバティブ・マーケティングチームに最近新メンバーが加わったのだが、中国人の彼、大学を出て年数が浅くやる気満々、お肌のツヤも良く、何か細かい仕事を依頼するたびに一所懸命な姿勢で返答してくれるのが実に清々しい。
そんな彼のファーストネームは「Yumin」(ユーミン)なので、彼に仕事を依頼するたびに「ひこうき雲」*のフレーズが頭を流れたりして。
*念のために断っておくが、私は荒井由美時代のユーミンをリアルタイムで聴いていたほどの年齢ではないので、たまたま家にあったカセット(懐かしい!)で良く聴いた曲が印象に残っているだけである。

一方、同じ若手でデリバティブのストラクチャリングチームに数ヶ月前にjoinしたイタリア人の男の子は、何と苗字が「Unti」(ウンチ)君である。
本人は決して悪くないのだが、彼から質問メールなどが舞い込んでくる朝は多く、こちらも悪気はないのだがメールが来るたびに思わず笑ってしまう。

たかが名前、されど名前。
相手に与える印象に少なからず影響を与えてしまうことを考えれば、各国語で自分の名前の意味を知らないと空恐ろしい気持ちにもなってくる。

ところで、ロンドンで高校に通っていた当時、ブルガリアからフランス人形のような可愛らしい風貌の女の子が転入してきたのだが、彼女の名前は何と「Baka」(バカ)ちゃんであった。

・・・たかが名前、されど名前。
皆さんも機会があれば、各国語で自分の名前の意味を調べてみては?
[PR]
by canary-london | 2007-01-22 10:03 | culture
ほんの数日間の出張だったが、数ヶ月ぶりに日本に帰国した。

以前は気付かなかったが、11月初旬という時期のロンドンと東京の気候の差は思いのほか激しい。ロンドンは10月末以降めっきり冷え込み、朝など気温は0度まで下がり霜の降りる日が増えた。一方の東京は、滞在中はときに日中の気温が20℃を大きく超えるなどぽかぽか陽気。東京は例年に比べても暖かく、皆口々に地球温暖化に対する懸念を表していたが、ロンドンを見ると異常な温暖化の進む地域ばかりではない模様。
ただ、グローバルな規模で気候変動が激しくなっていることは疑いないだろう。

今回はたまたま自分の誕生日が滞在中に重なったことも手伝い、家族の集いなど仕事以外の面でも充実した。
しかし。
半年程度のギャップを経て帰国すると、毎度感じることながら、東京という街のちょっとオカシイところが目に付く。欧米に暮らしながら現地礼賛と同時に日本批判を繰り広げる典型的な「欧米かぶれの嫌な日本人」の仲間入りをするつもりは毛頭ないのだが、日本の、というよりも世界有数のメトロポリスである東京の風変わりな面は、少し離れて外から見ると際立つ。以前にも似た内容について書いたように思うが、重ねて書きたいほど印象が強いということで大目に見て頂くことにして。

とにかく。人・人・人。
自宅から最寄の新宿駅構内を歩く人の数と歩く速度には閉口する。皆が我先にと狭いホームや通路・階段を移動するので、冗談でなく他人にぶつかることなく歩くことが出来ないのである。
ぶつかった場合、なかなか耳にしない「ごめんなさい」「失礼」「すみません」。
自分が謝ってばかりいてしばらくすると、何だか「謝り損」のような気がしてきてしまうのがこれまた恐ろしい。
人とぶつかって謝らないことをはじめとして、日本人はとにかく「目に見える他人への親切/気遣い」が本当に下手である、というかその概念がほぼ存在しない。後ろの人のためにドアを開けたり、他人に道を譲るという当たり前のことが出来る人は驚くほど少ない。
これも今回の帰国中のこと。とある地下鉄の駅で重い荷物を抱えて階段で立ち往生している老齢の女性を見かけたので、階段の上まで荷物を運んだのだが、周囲の男性は知らぬ振り。
あのー。
貴方達の方が私より力持ちなんじゃない??

ちなみに、旦那が以前欧州で一緒に休暇を過した後東京に戻った際には、
「東京はミニスカートの若い女性が異様に多い」ことに最もびっくりしていた。
いわれてみると、確かに。
若い女性の肌の露出が多い。
ファッションに関してはとかく画一的である。
今回に関していえば、ホットパンツより少々長めからハーフパンツ程度の丈のパンツにブーツを合わせるスタイルの若い女性がやたらと目に付いた。
悪意は微塵もないけれど、全体的に小柄で脚の長くない日本人がこのような格好をすると、正直あまり美しくない(勿論最近ではスタイルの良い例外的若者も増加傾向にある)。
皆もう少し、流行や隣人のファッションではなく
「自分を美しく見せるのはどんなファッションか?」
ということを考えれば良いのに、と思う。

短期の東京滞在からロンドンに戻ると、日本の悪い点についてばかり書いてしまう気がするけれど、自分にとっては間違いなく’home sweet home’である東京。
勿論悪い部分だけである筈はなく。

1)  安全: 何しろロンドンでは、外でも旅先でも、はては自宅においても盗難の被害に遭っているため、日本に戻ると安全面においてはとにかく一息つける。勿論東京に泥棒が居ない訳ではないので、気を抜いてはいけないのだけれど。
2)  便利: 交通機関のパンクチュアルな面や小売店・飲食店におけるサービスの質等どんな細かい点をとっても、日本のサービス大国ぶりは突出している。これは極端な例かもしれないけれど、あるブランドの腕時計のベルトを換えてもらうのにロンドンではあまりに手間が掛かるため、結局東京に持ち帰って自宅に程近いデパート内の同じお店に持ち込んだところ10分で交換が完了したり。
3)  食文化: やはり。これに尽きますね・・・。新宿のとある焼き鳥屋さんでのレバ刺しと串焼き・・・。うー。至福。
f0023268_9584590.jpg











f0023268_959930.jpg











次回休暇で帰国の際には、温泉へ行かねば・・・。
[PR]
by canary-london | 2006-11-10 10:00 | culture

トイレ文化論・後日談

先日本欄でご紹介したロンドンで最初の商業施設におけるウォシュレットについて、先週の「Guardian」および「Daily Mail」に記事が掲載されたとのことなので転載(お暇な方のみどうぞ)。

二つの記事は同じ「自称トイレ愛好家」の女性が「幸」での体験をもとにまとめたもの。
体験談自体はさほど面白くもないが、Guardian記事下部の「イギリスのベスト・トイレ5選」(同氏独断により選ばれたベスト5とのこと)はなかなか笑えた。
Daily Mailはウォシュレットの拡大写真のインパクトがスゴイ。
こういう人、どこの国にもいるんですね。

我が同胞英国人もウォシュレットを快感と感じることが分かってちょっと安心。
2012年のロンドン五輪に向けて快適なトイレ環境を作るべく、投資を惜しまないで欲しい。
でもやっぱりこっちのウォシュレットには音姫のニーズはないらしい・・・。
[PR]
by canary-london | 2006-08-22 07:26 | culture
くだらないことながら、自分の直近のエントリをぼーっと読み返しながらふとおかしな点に気づいた。
該当箇所は、先般の「コンサート報告その7・・・序でながらにトイレ文化論」の文中の
「(英国は)日本とは逆に紙が安価で水が高いため、ウォシュレット自体の経済的な存在意義が低い・・・」
という部分。
これは何気なくウォシュレットに関する他の方の考えを引用させて頂いたものだったのだが。

よく考えてみたら、そんなわけないよな。
英国ではティッシュペーパーやトイレットペーパーなどの紙類が異常に高い。
日本のように繁華街の駅前を歩くと途端に3-4個の消費者金融広告入りポケットティッシュを握らされている自分に気づくなどということはあり得ず、ティッシュは必要であれば自分で買うもの(会社の備品も、日本では棚に山のように箱ティッシュが入っている一方、こちらでは必要な人は個人で購入している)。
ちなみにポケットティッシュは日本のように薄くコンパクトなものは存在せず、こちらの薬局等で販売しているものはいずれも紙ナプキンの化け物を6枚ばかり折り畳んで袋詰めにしたものである。
鼻をかむ場合はポケットからハンカチを出してチンとやり、涼しい顔をしてそのハンカチを再びポケットに戻す英国人紳士の習慣が根強く残るのかもしれないが、はっきりいって鼻をかむにはこの分厚い紙ナプキンは使いづらいことこの上ない。

値段は・・・・。
高い。。。。。。。。。
例えば、この化け物紙ナプキン6枚セットの6個パックは、ある薬局ではGBP1.69の値段表示がなされている(現状の為替レート約215円で換算すると約363円である。日本人には俄かに信じられないだろうが、ポケットティッシュ6個のお値段デス。)。

世界の購買力平価についてポケットティッシュ6個という詳細な品目までまとめた調査は見かけたことがないが、近時の日本ではポケットティッシュを「買う」という感覚があまり存在しないのが日常であるため、使いにくいポケットティッシュ一つにつき60円以上も払っている英国在住の我々にとっての生活実感としての紙の高さは計り知れない。

というわけで、前項の自分の記述についてはここで訂正致します。
紙の値段は、どうあっても英国でウォシュレットが普及しない理由の一つではありません。


f0023268_764038.jpg




ところで、この自分の記述についておや?と思うきっかけになったのが、直近のとある日本の消費者金融会社の決算発表に関する記事。
「xxxxに加え、テレビCMや街頭ポケットティッシュ配布自粛等の宣伝減少による新規顧客数の伸び悩み・・・」のような記述があったように記憶しているのだけれど、あのポケットティッシュが一体どこまで消費者金融会社の営業利益に直接的なインパクトを持つのかは甚だ疑問・・・。
[PR]
by canary-london | 2006-08-02 07:07 | culture
英国の「グッドサービス」については、以前地下鉄を題材に皮肉を込めて書いた
今回の財布・携帯・鍵をはじめとする貴重品が全て盗難に遭うという極端な状況の中では、自分が暮らす国の「サービス」というもののクオリティーについて改めて感じる部分も少なくない。

引き続き財布盗難の後始末に奔走した昨日・今日で体験した小エピソードを二つ。

1. 銀行口座を保有する某H銀行支店にて
キャッシュカードを盗られたため、カードは当然直ちにキャンセル。
現金を下ろす手段がないので、カードキャンセル時に指示された通り、口座番号および今となっては残された唯一の身分証明書であるパスポートを携えて窓口へ。
窓口対応が如何にも不慣れそうな若い行員であったことも一員だろうけれど、当面の軍資金として自分の口座から引き出しを依頼した数百ポンドの紙幣が出てきたのは窓口到達の約40分後。
後ろには長蛇の列だし、そもそも忙しい平日の仕事中にオフィスを抜け出して来ているのだから、この非効率性は何とかならないもんだろーか。

もっとも、ロンドンに暮らしていた15年前は、スーパーなどでレジ打ちのおばちゃまが、客が待っているのに構う風もなく二列離れたレジ打ちの別のおばちゃまとのんびり会話している光景を良く見かけたもの。
これが解消されただけでも、昔に比べれば改善の跡がみられるというべきか。

2. クレジットカード開始手続きについて
クレジットカードも大半を失ったため、運良くたまたま手元に届いたばかりでまだ財布に入れていなかった新規のクレジットカードを早急に開始するため、日曜日夜に指定された番号にいそいそと電話を掛けた。
いや、確かに電話での受付時間は22:00までというところをぎりぎりの数分前に掛けた自分も悪い。しかしながら、22:00になると同時に、あろうことか開設手続き中途の担当者との会話が前触れもなくぶちっと切られてしまった。
掛け直してみても、「営業時間内にお掛け直し下さい」と非情な音声ガイダンス・・・。

これは確かにイギリスに限らず、ヨーロッパでは概ね感じられるドライさではあるといえる。
「商売優先」なんて考え方はここでは通用せず、一例として、都市を問わず美術館およびショップでは閉館10分前ともなるとあからさまに客を追い出しにかかる。
パリのロダン美術館では、「買いたい物は決まってるから、2分で終わるからお願いだから入れて下さい、マダーム」と食い下がって何とか画集を手に入れたりもした。


とはいえ、やはりイギリス人は概してサービス業には不向きなのではないのだろうか・・・などと感じてしまうのは日本人たる所以か。
日本人の「お客様は神様」度はまた一方の極端であり。うろ覚えだが、確か日本マクドナルドが「人間が列に並んで苛々し始める標準時間」について緻密な調査を行った結果を店員教育に生かしている、といった記事を学生時代に見かけたような覚えがある(ちなみにこの平均時間は、これまたうろ覚えながら18秒とか驚くほど短かったように記憶している)。
ここで追求される「サービス」の概念と欧米の概念との間には、やはり少なからぬギャップが存在する。
f0023268_9284678.jpg

好例は、航空会社のスチュワーデスという職業ではないだろうか。
私は個人的には、ロンドン⇔東京間などの長時間のフライトについては特に、日本の航空会社を好んで使用する。
これにはもしかしたら上記の要因だけではなく、日本人特有の「西洋人コンプレックス」も一役買っているのかもしれないが、イギリス人のスチュワーデスに何か頼むときって、こちらが客だというのに何となく「あのー、大変恐れ入りますがあれ持ってきてもらえませんでしょうか」みたいな感じでへりくだってしまって疲れるのである。
日本の航空会社については、最近経営不振に端を発する様々な問題があり、サービスの質に不満がないとは言えないものの、そもそもの国民性として、無理することなく細やかな心配りのできる日本人は生来的にスチュワーデスのような職業に向いているのでは、と感じる次第。


と日本のサービス業を持ち上げたところで、先般帰国した際に遭遇した「おかしな国・日本」を象徴する画面に遭遇したので、この場を借りて落胆&驚愕のコメントを一言・・・。
成田空港ではゲート到着前に検問を行うのが常。
私が乗っていたリムジンバスも例に漏れず、空港到着直前にバスが止められ、女性検察官二人が乗り込んでくる。
この際外見は関係ないといえばないのだが、風貌といい服装といい、どう見ても1970年代のテレビドラマからでも飛び出したかのような女性が二人。
不自然なほど白い手袋に包まれた手を差し出しながら、ぎこちない笑顔で各乗客にパスポートの提示を要求する。

別に、私は外国人と話すにあたって日本人はすべからく英語を話すべし、などと言うつもりは毛頭ない。
けれど、成田に向かうリムジンバスの乗客は7割方ガイジンである。
「パスポートを拝見します」ぐらい、英語で話しかけるルティーンにしても良いのではないだろうか。

更にびっくりしたのが、年配の方の女性検察官、何と検察作業の一環としてバス後方のトイレのドアをノックすることもなくいきなり全開に。
オランダ人あたりだろうか、用足しを済ませて出て来ようとしている長身の男性と丁度鉢合わせするような形となり、驚いた男性と、これまた笑顔で「失礼致しました」と謝る検察官とのちぐはぐさがあまりに際立っていた。

「日本はやっぱり訳のワカラナイFar Eastの国」と言われないよう。
身の回りの小さな行動の一つ一つ、気をつけなきゃ、との思いを新たにした一幕・・・でした。
[PR]
by canary-london | 2006-06-14 09:33 | culture
*もう少し真面目な欧州のmulti-nationalism論についてはコチラ

東京出張の後は、何とアムステルダム経由で帰国するという強行軍。
自分の仕事においては一番のお客様である「発行体」(資金調達を行う主体)のうち、オランダを拠点とするA社が毎年恒例で行うイベントと私の出張の最後の日程が丁度時期的に重なったため、気がつくと当然のように「アナタ東京の帰りに寄って来たらいいじゃない!」なんて恐ろしい展開になっていた。
嗚呼、時差ボケしない体でヨカッタ・・・。
今回はこの「発行体イベント」の片鱗をご紹介。

1. オランダのモノづくり
毎年趣向を凝らしたイベントを企画し、我々ディーラー群を驚かせまた喜ばせることに余念のないA社。
一堂に会するのは、日頃A社の資金調達のお手伝いをする所謂投資銀行といわれる先が20社ほどで、言ってみれば周囲は全てcompetitor(競争相手)。
ただ、この日の目的は発行体が「普段はありがとう」とディーラーを労うことにあるため、ディーラー同士も束の間仕事を忘れて和やかな雰囲気が広がる。

ゴーカートや四輪駆動車を駆使してのオリエンテーリングなど、毎年何故か「クルマ」にまつわることを十八番とするA社(別に自動車メーカーではないのだが)。
この日も、事前のメールでの案内に「(持っている人は)自動車免許、軽装にて耐水性の靴を持参のこと」との指示に、我々はバスに乗り込む前から一体何をやらされるのだか期待半分・不安半分。

バスに揺られること約30分、着いたところはアムステルダムの北東約50kmに位置するDonkervoort社の工場。
私はさっぱり疎いのだけれど、Donkervoortはオランダを代表するスポーツカーのメーカー二社のうちの一社。
1978年の創業以降「クルマを全て手作り」するcraftsmanship精神を貫き、現在も製造台数は年間50台という超レア物。
この「手作り感」と並ぶ同社のセールスポイントは、一台僅か630kgという軽い車体。
さすがに年間製造台数50台では自前でエンジンを作っている場合ではないので、エンジンはAudi社のものを使用しているとの説明だった(1999年にFordから鞍替えした模様。繰り返しになるが私は自動車のことはよくワカラナイが、Ford社の財務状況を見る限りは乗り換え正解?)。

軽量化のために総重量を54kgに抑えたシャシーなど、ガイドさんに案内されての工場内の見学はさながら小学校の社会科見学。
クルマにさほど興味のない私だが、同グループのオランダ人女性と共に「こんなのBoys’ toy(男性の玩具)だよねー。トランクに何も入らないじゃん(笑)」といいながらも、間近で見る手作りスポーツカーにやや興奮してしまった。

工場には所狭しと、製造途中の色とりどりのクルマが並ぶ。
ちなみに、塗装についても注文者が「あのフェラーリのあの赤」とか指定することが出来るそうで、この注文者による「参加型」の製造過程も人気の理由の一つの模様。

気になるお値段は、税金を含まず最低約90,000ユーロ(1300万円弱)。
現在のウェイティングリストは約一年だとか。



f0023268_10173883.jpg



2. 金太郎飴ご容赦: アウトバーンの国ドイツと人とクルマ
このDonkervoort社の工場から程近いところに、Donkervoortの試乗(自分は助手席に乗せてもらってサーキットを時速最高200kmで快走するという体験)、およびBMW車を駆使して様々なドライビングスキルに挑戦することの出来る場所がある。

我々30名強のグループがこの日チャレンジしたのは、3つの技術:
① スラローム: 文字通り、狭い間隔で並べられた三角コーンの間を縫って進みタイムを競う。
② スピン: ふんだんに水の撒かれた地面で、円を描きながらアクセル全開。タイヤがスリップして回り始めたら、ステアリングを逆に切って回転を続ける。
③ バックからの半回転: 急スピードでのバックから、これもスピンとステアリングを利用して車体を180度回転させる。

高校生時分にここロンドンで免許を取得して以来、マニュアル車に触れたこともなかった私の成績はご想像にお任せするが(A社の最大限のユーモアで私は栄えある「World’s Best Driver」賞を付与された)、やはり。
参加者の中で複数名のドイツ人は、皆感心するほどそつなく一つ一つの技術をこなしていく。
「国民性」なんて単純化するつもりはないけれど、、さすがAutobahnを快走することにヨロコビを感じるドイツ人。
私と同チームのフランス人・O君も十分なテクニックの持ち主だったのだけれど、ドイツ人M君のパフォーマンスにすっかり意気消沈してしまっていた。

それぞれの国民にはやっぱり得手不得手・特性があるのだと思う。
至極単純な金太郎飴的イメージながら、ドイツ人はやっぱり自動車の運転が上手い。何よりも、好きなのだと思う。好きこそものの上手なれ、とは良く言ったもので。

3. おまけ: 真面目の国日本とありえないファニー・ジャパニーズ・ガール
一方の日本人の金太郎飴的イメージ(同じ敗戦国でもありドイツ人と日本人は似ていると良く言われるが)は、やはり「真面目」というのが一番目に上るらしく。
一連の運転イベントを終えたディナーを経て、二次会のバーで会話していたベルギー人G氏は、「君はFunny Japanese girlだ」と一言。
彼の中では、’funny’・’Japanese’・’girl’(いや、そろそろgirlって年齢でもないんですけど・・・)の三つの単語は共存しえないものだったらしく、おちゃらけ満開の私のキャラクターが新鮮に映った模様である。
多分この評価に最も貢献したのは、私がディナーの席上で、日本のウォシュレットが如何に素晴らしいかについて熱く熱く語ったことだと思うのだけれど。

日本人のお堅いイメージを打開すべく、canary-londonは今日も驀進します。
[PR]
by canary-london | 2006-06-07 10:19 | culture