ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリ:culture( 34 )

ビッグ・イシューのことを書いていたら、かなり以前に買った英国版ビッグ・イシューについて書こうと思いながら書きそびれていたことについてふと思い出した。

前回書いた「地域のコミュニティー誌」的な部分なのかもしれないが、巻末の宣伝部分に掲載される諸々の広告にも国による違いが表れていて興味深い。

英国版ビッグ・イシューの巻末部分に非常に多いのが、「XXを探しています」という尋ね人の広告。
ためしに日本版を注意深く繰ってみたが、こんなセクションは見当たらない。

先日、その‘尋ね人’のセクションにこんなものがあった:
Vulnerable missing person (Jane Smith (注: ここでは仮名を使用))
She is 75 yrs old and has been missing since 28th June.
[Jane] is approx. 5 foot 5 and was wearing....., she suffers from dementia and may easily look confused or talk to herself.

得意の意訳をするとこんな感じだろうか。
「尋ね人(彼女は助けを必要としています):ジェーン・スミス(仮名)
今年75歳となる彼女は、6月28日以来行方不明となっています。
ジェーンは身長164-165センチ程度、行方が分からなくなった時点ではXX色のXXを身につけており・・・・、彼女は認知症を患っており、独り言が多い。」

・・・意訳しながら、思わず笑ってしまった。
などと言うと不謹慎きわまりないのだが、もちろんその笑いはここで描写されている老女やその家族に向けたものではなく、ただ単純に、描写だけを見た場合、あまりにもぴったり自分に当てはまるからだ(余談ながら、私は身長も約163センチなので、5ft5に大体合致する)。

ーティーネージャーの頃からか、やけに独り言が多い。
大学時分、何かのきっかけで一人暮らしの友人とそんな話題になり、「自分は気付くと常に独り言をいっている」と話したところ、いたく変人扱いされた。
このような性癖は簡単に治るものではないらしく、今も私はとにかく独り言が多い。
職業柄、相場が思うように動かないときに悪態をつくのは私の周囲の面々も含めて決して珍しいことではない。とはいえ私の場合、相場から離れたときでも気づくと何気ない一言を口に出していたりするので、予想外の場所で同僚に出くわしたりすると、えらくきまりの悪い思いをする羽目になる。
日本語で何かつぶやいていれば相手は胡散臭そうな視線をこちらに送るだけだが、英語でくだらないことをぶつぶつ言っているときには意味まで気取られるので、恥ずかしいことこのうえない。

これがあと30-40年もたって、自分の外見にも明らかに衰えが生じたとしよう。
もしかしたら、「ああ、貴女はあのビッグ・イシューの・・・」などといわれて、保護される羽目に陥るかもしれない。
気をつけねば。
といっても、「気をつける」=「独り言を言う癖を治す」なんだか何なのだかわからないというのが正直なところなのだが(笑)。
[PR]
by canary-london | 2010-03-24 10:05 | culture
昨夏以降、様々な用事で日本に一時帰国する機会が多かった。
英国暮らしも足かけ5年近くになり、普段日本に暮らす日本人からみると何でもないことにも新鮮な驚きがある一方で、こちらに引っ越してきた当初はいちいち「へえー、日本(東京)ってすごい!」と英国(ロンドン)との対比で感動していたことについては目が慣れてきたのも事実。
いつ戻っても、街のどこかに「出来たてです!」という湯気でも出そうな新しい高層ビルが建っていることにも慣れたし、レストランにしても速いスピードで動く東京という街の最新情報を把握するのはアウトサイダーには不可能なので、食事の際のお店選びは例外なく東京在住の友人に頼るなど、最近すっかり怠け者になってしまった。

東京という街を表すに相応しい形容詞は・・・と考えると、改めて「小ぎれい」という言葉がマッチするな、とこの数回の帰国で感じた。
若い女性の身なりもそうだけれど、若い男性の外見はさらに違う。
まず、皆一様に細い。
英国人の男性(ロンドン在住の人ということなので必ずしも英国人ではないが)だって長身・スリムでスタイルの良い人は多いと思うが、日本人の男性のそれは、何となく外から押し付けられたような、申し訳なさそうな感じが漂うと思うのは私だけだろうか。
言ってみれば、自分の目指すクールな芸能人の体型とファッションに自分を当てはめようとしているかのような。
細身のジーンズに洒落たバッグ。
アーティスト然とした帽子。
綺麗に剃り整えられた眉。

出発前に成田空港で航空会社のラウンジに入ると、数々のおつまみと一緒に2cm四方ぐらいにカットされた美しいサンドイッチが並ぶ。正方形にカットされたサンドイッチ自体、ロンドンでは洗練されたホテルのアフタヌーンティーで供される以外にはまずお目にかかれない。(スーパーに陳列された三角サンドは、一様に‘食パンを切ったままの姿で何か文句ある?‘とでも言いたげだ。)

・・・すべてのものが、「小ぎれい」。

渋谷の公園通りを歩いていたら、日本版ビッグイシューを売っていた。
あいにく三枚しか持っていなかった百円玉とあらんかぎりの小銭を出して買い求めたのだが(高飛車なつもりはないのだが、私はビッグイシューを買うときは常に定価よりもう少しだけお金を払って買うのだ)、ビッグイシューの販売員までもが何だか清潔感に溢れていて驚いた。
渋谷という場所柄もあるのかもしれないけれど、「貴方達って、ホームレスではないんだっけ??」と口にできない疑問が湧いてしまった。

久し振りにこの話題になったので、脱線するがビッグイシューについて。
1991年に英国で生まれたビッグイシューの日本版創刊は、2003年9月。
私が渋谷の公園通りでオシャレなお兄さんから購入したのはミッフィーの表紙が印象的な126号だったのだが、今年83歳を迎えるオランダ人作家・Dick Brunaの愛くるしい「うさこちゃん」は日本で絶大な人気を誇るために表紙のイラストとインタビューを依頼した、とあった。
社会的に大きな影響力を持つ人にマーケティングしてもらう効果は果てしないのだろうということは容易に想像がつく。
発祥の地ということもあって日本よりも根強いサポーターの多い英国では、この雑誌は日本の隔週に対して毎週販売されるが、若者の支持も得るための努力なのだろうけれど、ポップ・ロックシーンの若い歌手などの登場頻度が非常に多い。ちなみに英国版ではミッフィーちゃんは登場していない。

f0023268_21275424.jpg
ビッグイシューの中身をみると、日本版にせよ英国版にせよ、地域のコミュニティー誌的な色彩も強いため、その土地に合わせて表紙や中身を変えて当然なのだろうと思う。
件の日本版126号の読者投稿欄には、「石田衣良がいつも買っていることを知って勇気を出して買いました!」という初々しいティーネージャーのコメントが掲載されていたけれど、若者に社会に対する意識を芽生えさせるきっかけとなれば何でも良いのだろうと思う。

最近の幾つかの号では、ポップグループのChemistry、俳優の松田龍平やタレントの笑福亭鶴瓶、ミュージシャンの坂本龍一など、多様な分野で活躍する日本人がビッグイシューという雑誌の宣伝に一役買っている。海外の俳優や歌手のインタビュー記事を目玉としている号も多いが(ちなみに最新版は映画監督のウディ・アレン)、やはりより身近に感じられる日本人の影響ははかり知れないのだろうと思う。
毎週発行で日本より12年先輩にあたる英国は今週発売で887号となった一方、日本版は138号。
日本版にも是非ともモメンタムを継続してほしい。
[PR]
by canary-london | 2010-03-06 21:30 | culture

イギリスと傘

このところ春の兆しが見え始めてきたけれど、この冬は欧州全土記録的な寒さに見舞われた。山が少なく普段雪が降ることは稀な英国も例外ではなく、昨年12月以降というもの、雪で国全体が機能不全に陥る状況が頻発。積雪量としては、雪国の住人の失笑を買う程度のものなのだが(もっとも降ったときでもロンドン中心部では5-10cm程度だろうか)、とにかく雪という現象に対する備えがないので電車は止まるし、道路凍結防止用塩の不足により高速道路は封鎖、多くの学校が学級閉鎖を余儀なくされ、解放感にあふれた子供達のみならず、ロンドン中心部ではいい大人までもが雪合戦に興じる姿もちらほら見かけた。
いきおい日常生活は非常に不便になるのだが、地球温暖化への警鐘ばかりが鳴らされる時代に「冬が冬らしく寒い」のはどこか安心する。

同じ濡れるのに不思議といえば不思議だが、雪のときにはよほどひどい降りにならなければ傘をさす必要をさして感じない一方、突然の雨には手をやく。
「雨が降っていれば傘を置いて出かけ、晴れていれば傘を持って出かけるように」などといわれるほど変わり易い英国の天候は今も健在。
英国人が傘をささないのはつとに有名な話だが、こちらは英国暮らしがいくら長くなっても、そぼ降る雨の中を傘なしで歩くことには一向に慣れない。(慣れというよりも、合理的か否かの問題のような気もするのだが・・・。)
f0023268_2122654.jpg

傘をさすこと自体が少ないだけに、傘に対するこだわりがない。
先月のある日オフィスを出ようとすると、タイミング悪く激しい雨が降っている。
前述の気まぐれの天候のなか、折りたたみ傘は必須アイテム。デスクの引き出しに常備しているのだが、どうやらその日は家に置いてきてしまったらしい。
時間帯が割合遅かったため、オフィスには人影もまばら。
ふとフロアーを見回すと、よく話す同僚の隣のデスク(おそらくは彼のアシスタントのもの)の上に黒い小さな折りたたみ傘が。
持ち主は帰宅してしまっているのか休暇で会社自体に来ていないのか、明らかに今日戻ってくる気配はない。
他人の物を無断で持っていくのは気が引けるが、きっとアシスタントなら朝の出社だって7時半出社の私より遅いに違いないし、明朝返せばいいか。
・・・ちょっと拝借。

正直、「ラッキー」と思いながら会社を出たのだが、家の最寄り駅で地下鉄を降り、借り物の傘を開いてみてびっくり。
折りたたみ傘の生命線といえる、先端部分に傘の布地部分を引っ掛ける金具が2-3ケ所致命的に壊れており、傘としての体をなさない。
家まではせいぜい徒歩7-8分程度だが、終始傘の端を手で押さえながら歩く羽目になり、実に閉口した。
体半分ずぶ濡れになってやっと家に入ったときには、よほど捨ててやろうかといまいましさ一杯に使い物にならない傘を睨みつけたが、そこは他人のモノ。
水気を取って再びきちんと折りたたみ、翌朝彼女のデスクの上にそっと戻したのだが、彼女は果たして次回の大雨のときにもその傘を使うのだろうか。
・・・傘にこだわりのない英国人にしてやられた一幕だった。
[PR]
by canary-london | 2010-02-27 21:22 | culture
前回デスクにおけるジェンダー論に少し触れたので、このトピックについてもう少し。

我々のデスクには、女性を中心に饒舌・毒舌な人が多いせいかもしれないが(「強い女性」でないと、基本的にはマッチョな男性社会である投資銀行でのサバイバルは無理・・・というのは一般化し過ぎだろうけれど、自分の意見をしっかり持ってそれを表現する女性が多いことは確かだ。)、ジェンダーについて一般化する傾向は意外に強い。
もちろん、セクハラやパワハラについては著しく敏感な社会なので、センシティブなトピックの核心は上手に避けながら会話がされるし、そもそも「全て笑いに昇華してしまえばOK」という考え方が根底にあるのだろう。大体のことは冗談交じりのコメントとして発せられ、「え、それってちょっとヒドイんじゃない?」と思うようなことも笑い飛ばされて終わるので、後腐れがない。

前回書いた「電話を取る」ということに関して言えば、女性陣曰く、「男性はマルチ・タスクできない」というのが最大の冗談交じりの批判。電話中の人間に掛かってきた別の人からの電話を取る我々は、その度に「N、○×から電話だけどどうする?今出る?それとも折り返し?」「A、マスコミのX社から今日のディールについて問い合わせだけど、本件のマスコミ対応は?B社?」といったやりとりをすることになる。

ボディ・ランゲージも必須。
手のひらで「制止」のポーズを取れば、外から入ってきた電話の方が大事な電話で、今の通話を終わらせてその電話を取るのだろうとこちらも分かる。指をくるくる回す仕草をすれば、折り返し。
私自身、大事なカンファレンスコールに耳をそばだてている時などはなかなかこれが出来ないので自戒の念も込めているのだが、現在の通話に没頭してしまって、自分の直通ラインを同僚が取ってくれたことにすら気づかない傾向は、確かに男性の方が強いかもしれない。
デスク女性の中でもとりわけご意見番であるJとA(最近いやに登場回数が多いが・笑)は、いずれも子育てしながらプロフェッショナルな仕事をこなすスーパーウーマンなので、そんな意識もあるのかもしれない。

この、「電話が掛かってきたときに最もマルチタスクできない」という烙印を押されてしまっているのが、私の隣に座っている若手・Rなのだが、イタリア系スイス人である彼は、ドイツ語・イタリア語・英語を自在に使いこなすtrilingual。
三つの言語の間で瞬間的に頭の切り替えが出来るのに、自分が通話中のときに同僚が自分に向って話しかけてきている事実にも気付かないというのは、日本語と英語だけでも閉口している自分としては理解に苦しむのだが、後者はいってみれば同時通訳的な才能で、幾つもの言語を操るということとは必ずしも相容れないものなのかもしれない。
英語主導の我々のデスクにおいては、三言語の間で行き来するRと、日本語でも英語でも早口でボリュームの大きい私が常に異端児扱いなのだ(これはあくまで弊デスクの話であって、会社の平均をとればmulti-lingualの人の方が多いものと思う)。

Rと話していて最も驚いたのが、「母国語」ということについての考え方だった。
スイスの中で、幼少時にイタリア語を話す地域からドイツ語を話す地域に引っ越した彼は、小学生時代から家庭ではイタリア語を話し、学校ではドイツ語を話す生活が身に着いていた(英語はその後に学んだのだから、三カ国の言語の中ではもっとも不得手なのだろう。)。
「じゃあ、貴方にとっての‘母国語’は何なの?」と聞くと、間髪入れずに
「ドイツ語」という答えが返ってきた。
彼にとっては、学校で友人と話す言語が「母国語」であり、家庭で両親と話す言語の方が
「外国語」なのだ。これは衝撃だった。

そんなことで、「ドイツ語が僕の母国語」を自負する彼なのだが、血は争えないというべきなのか。悪いけれど「イタリア的美男子」の素養はあまりないRだが、デスクの飲み会の罰ゲーム的余興で「女の子一人口説いておいでよ」と言うと、ダンスフロアにばっちり可愛い女性を連れて出てきたりする。
私の勤めるCanary Wharfにはイタリア人の経営するカフェが幾つもあるのだが、お昼にサンドイッチやサラダを買いに出るだけでも、Rがいてイタリア語で女性店員と二言三言交わすだけで、パルマハムの盛りが全然違ったりするのだから、やっぱりRは本人が思う以上の「イタリア的要素」を持っているのだろうと思う。
[PR]
by canary-london | 2009-03-02 00:31 | culture

車の故障に思うこと

少し前のことになるが、愛車のトヨタカローラが動かなくなってしまった。
「仮にもインベストメントバンカーなんだから、もうちょっとマトモな車に乗りなよ」と同業界の友人や同僚には何度言われたことか分からないが、私にとっては車は贅沢品ではなくアシなので、2年半ほど前に日本に本帰国される駐在員の方から「帰国売り」で安く譲って頂いた5年落ちのカローラに十分満足している。
一昨年から住んでいる今の家は地下駐車場のあるフラット(マンション)ではなく、許可されたエリアの中で適当に空いたスペースを見つけて路上駐車するシステムなので、高級車でないというのは盗難面においてもメリットがある(それでも目ざとい輩はいるもので、昨年は車から物を盗まれたけれど)。

そもそも、車というものに興味がない。f0023268_555164.jpg
学生時代にとある先生から、こんな小噺を聞いたことがある。
街中を快走する旧型のフォルクスワーゲン・ビートル。
運転席には若い女性。
ビートルは、信号待ちでエンストしてしまう。
女性はおもむろに運転席から出て、ボンネットを開ける。
すると、エンジンがない。
「大変!私、どこかにエンジンを落としてきちゃったみたい。」
もちろん、旧型のビートルは、エンジンは車の後に搭載しているので、ボンネットを開けてもエンジンがないのは当たり前なのだ。
この心温まる逸話のメッセージは、現代社会においては車がここまで大衆に普及し、エンジンのことなど何も分からないドライバーでも何不自由なく運転することが出来るようになったというもの。

翻ってみると、自分もこのドライバーの女性と何ら変わらない。
車のことは何も分からないし、分かろうという気持ちもない。
故障せず効率的に走るという任務さえ遂行してくれれば、何の文句もない。
この「故障せず」という部分が非常に重要なので(面倒臭がりなので、修理工をよんだりするのがとても億劫なのだ)、迷うことなく故障する確率が低く燃費の良い日本車を選んだ。

「故障しないハズ」の日本車なのに、運転席に乗り込みイグニッション・キーを差し込んでも何の反応もない。
・・・あれ??
寒さ続きでエンジンがイカれてしまったのなら、しばらく放置すれば治るかも・・・などと淡い期待を抱くが、そんな雰囲気もない。
これも、振り返ると自分のせいなのだろうと思う。そういえば、半ドアのサインがここしばらく点いていたような気がする。
車のことは分からないけれど、外傷もないしほかに目立った観測可能な障害がないことを考えると、おそらくはバッテリーが上がってしまったのだろう。

車が動かないという事実を目の当たりにすると、今度は修理の手配をしなければならない。元来の面倒臭がりの性格に加えて、イギリスのサービスの質、そして自分自身が月―金の朝早くから夜遅くまで仕事をしているサイクルを考えると、一体いつ修理に来てもらえるものやら・・・と思うだけで気が滅入ってしまう。
困ってこちらで親しくして頂いている車好きの日本人の某S氏に相談したところ、主として日本人を対象に英国で自動車の販売・修理・メンテナンス等を行っている会社を紹介してもらった。
日系ながら独自のウェブサイトも持たず、日系のフリーペーパーにも宣伝も出さないような硬派の営業スタイルに好感が持てる。
S氏が先に紹介の電話を入れて下さったこともあって、初めて連絡したにも拘らず全てが非常にスムーズ。ロンドンでも異例の寒波が襲った一月のある土曜日、寒空の下でバッテリー交換の作業に来てくれただけでなく、平日留守中に車の送迎付という至れり尽くせりのサービスのついたMOT(車検)も驚くほどの安価で請け負ってくれた。

S氏とその話をしていたところ、S氏からは以下のような反応。
「確かにこんなサービス、ロンドンどころか世界でも日本人にしかできないと思います。‘儲けよりも信頼’‘総合的な取引’‘お客様は神様です’・・・」
「これこそ、日本が世界に誇るべきサービス魂なんでしょうね。でも儲かりませんが。。。」
・・・まったくもって同感。

自分と同じ金融業界という、サービス業の最たる業界に身を置くS氏の言葉が身に沁みた。
日本人でサービス業に従事する人のこんな自己犠牲的なメンタリティーは、世界でも類を見ない。と思う。
こんなちっぽけなことでも、サービスを享受する側にとっては最悪の国・イギリスと、サービスを提供する側としては最悪だけれど享受する立場としては文句なしの日本というお国柄の違いが垣間見えた。
別に今回は殊更に英国のサービスの悪さを批判しようとしているのではなく、国民性によって皆が「得意なこと」に特化して効率性をアップさせる社会が出来ればいいのに、などと現実的には不可能な理想を抱いてしまった。
[PR]
by canary-london | 2009-02-23 05:56 | culture

英国的バレンタイン

今年はたまたま2月14日が土曜日となったことも手伝って、世の中はバレンタインデー一色。もともとはキリスト教に由来をもつイベントであるものの、クリスマス同様、今では非キリスト教圏も含めて世界中の多くの人が「愛する人に思いを伝える日」として何らかの形で祝っている。
Wikipediaによれば、世界中でバレンタインデーに交換されるカードの数は約10億枚と、実にクリスマスに次ぐ「カード交換行事」となっているとのこと。

f0023268_7383135.gif
日本では、2月14日はいつからか「女性が男性に対してチョコレートを渡す日」との決まりが出来てしまい、夥しい数の義理チョコ(それでもバブル期に比べればかなり数は減っているようだ。先日某男性とバレンタインの話をしていたら、彼は入社二年目にしてオツボネ様の多い部署に配属されたがために、何とその年は一日で72個という驚異的な数のチョコレートを集めたらしいが、より驚いたのは同部署の彼の同期が74個とハナの差で彼の記録を上回ったとの逸話だった。)と「本命チョコ」とが入り乱れ、チョコレート店からすると、この日の売上が一年の業績を大きく左右するような運命的な日。

・・・ところ変わって英国。
バレンタイン・デーにチョコレートを贈るという風習を世界で初めて1868年に取り入れたのは英国だったと知り驚いたが、昨今では圧倒的に男性から女性にプレゼントを贈る事例の方が多い。英国にせよ米国にせよ、バレンタインデーという日は、性別を問わず大切な相手にカードや愛情を表現するプレゼントを贈る習慣だけれど、現実的に周囲を見渡すと、ベクトルはほぼ例外なく男性→女性の方向となっている。
日本のようにチョコレートも良く使われるが、カードと花束のコンビネーションの方が一般的だろうか。愛情表現=赤やピンクのイメージが強いのだろうか、赤いバラの花束やロゼ・シャンパンを選ぶ男性も多い。日の浅いカップルだと(笑)ランジェリーを贈る例や、経済力にモノを言わせてジュエリーをプレゼントする男性もちらほら。

現状、狭義の我がデスクはなかなか面白い構成となっている。
秘書を除く10人の男女比率は6:4。
女性陣の中でのご意見番は、私の上司にもあたる米国人の女性Jと、「ロードショー」と呼ばれる発行体と投資家を繋ぐ鍵となる仕事をする英国人の女性A。
「口から先に生まれてきた」にかけては私も周囲に引けを取らないつもりなのだが、この二人にかかるとデスクの男性陣も、特に「女性の扱い」にまつわるトピックに関してはJとAに一目も二目も置かざるを得ないのが現状。
昨年結婚したばかりの若手、Dが
「えー、面倒くさいから花束は明日起きてから買いに行くよ」
などと言おうものなら、
「何言ってんのアンタ、女性は2月14日の朝起きたときにプレゼントがないとダメなのよ!!!」
と瞬時にして針のムシロになったのは言うまでもない。
クリスマスやパートナーの誕生日のたび、「女性のハートを掴むためには男性はこう振る舞うべき」といったことを口うるさく言われてやや閉口している感の強い我がチームの男性陣だが、JとAのおかげで大きな「ヘマ」を犯すことなくカップル・夫婦円満が保たれているともいえるのだから、やはり皆オネエサン二人に感謝すべきなのだろう。
[PR]
by canary-london | 2009-02-16 07:39 | culture
世の中にクリスマスツリーや門松のような季節の風物詩があるのと同様、会社の中でも
「お、今年もそんな時期か!」
と思わせる事象が幾つかある。

一つは言うまでもなく、ボーナス。
投資銀行業界というのは日本の一般的な「サラリーマン」と違って、年に二回6月と12月に安定したボーナスが出るということはなく(そういえば「サザエさん」のような古き良き時代の漫画では、ボーナス日は家族ですき焼きを囲むといった分かりやすい温かい光景がみられたなあ)、ボーナスは年一回。
自分個人としての会社への貢献度は勿論のこと、部署の業績、および会社全体の業績に数字が大きく左右される。業界全体が青息吐息というか、投資銀行業界自体が存続の危機に立たされている現在のような状況だと、ボーナスの数字が良い筈はないので、会社にもよるが例年この時期に発表・支払いの行われるボーナスについて話題にする同僚や同業者は今年は実に少ない。

もうひとつは、昇進。
待遇も責任も大きく変化することを意味するマネージング・ディレクター(MD)をはじめ、次なるステップへと進んだ人々の名前が、肩書きごとに社内掲示板のような形でメールで回覧される。
自分のチームや近いチームの人間は内示の段階で大体分かっているのでサプライズはないが、他部署の人事については掲示板を見て
「えー、、アイツがMD!!!???」
と驚愕することも。
とにかくそんなことで、インサイダー情報を知り得た相手を除いては、この社内掲示板の出るときが大体の人の昇進を知るタイミングなので、このメールが会社全体にまわった後で、「昇進おめでとう」メールを送ることになる。
自分が世話になった人をはじめ、心から「おめでとう!」という気持ちを持つ相手に対しては、このメールを欠かさない。

この「昇進おめでとうメール」に対する反応が結構面白い。
この手のメールは、「出すことに意義がある」の典型なので、申し訳ないが多数あるので出す文章はほぼ定型。
個人的な内容をあまり書かず、大方のものが
「おめでとうございます!今年も一緒にディールやりましょうね。宜しくお願いします!」みたいな無難な文章におさまる。

相手からの返信は、もちろん個人差はあるのだけれど、驚いたのは、アジア人が判を押したように「周りの皆さんのおかげです」とか、「canary-londonさんがいなかったら実現していないと思います(イヤ、そんなことはないと思うよ、と言ってあげたい・笑)」といった反応をしてくること。
あれ、これは日本人と日本語という言語の特質かな?と思うとそんなこともなく、香港ベースの中国人は英語で全く同じ反応をしてくるので興味深い。

西洋人からは、この種の反応は皆無。
勿論お国柄というのはあるので十把ひとからげにするのは乱暴に過ぎるけれど、例えば私の上述のような文章に対しては、西洋人からは「今年も営業成績が上がるよう宜しくお願いします!」といった愛嬌のある答えが返ってくるケースの方が多い。
謙遜を美徳とするアジアカルチャーの為せる業なのだろうか。
細やかな気遣いに脱帽する部分もある半面、もっと西洋人的図々しさをもって「自分」を前面に押し出せばいいのに・・・と思う部分もあり、欧米カルチャーが圧倒的優勢の中で孤独に闘う日本人のような気持ちになることもある自分としては何だか複雑な思いを抱いたりしてしまうのだ。
[PR]
by canary-london | 2009-02-12 08:32 | culture

雪とイギリス人

f0023268_12342713.jpg先週日曜日から月曜日にかけての雪で、ロンドンのほぼ全てが立ち往生したことは前回簡単に書いた。
金曜日からは再び雪との予報を受けて皆不安におののいていたのだが、今回は気温がそんなに下がらなかったせいか、幸いにして湿り気の多いみぞれ混じりのものが空からたくさん落ちて、道や芝生に積もった数日前の雪を溶かして終わった。

先日の雪の後日談の中にも、「英国らしさ」を表すものは実に多かった。
私自身は、実は前々からの予定で月曜日一日だけ休暇を取って週末から大陸へ旅行に行っていたため、たまたま出勤の予定がなかった。(運の良いことに私のフライトは遅れたものの欠航とはならず、月曜日中に何とかロンドンに帰りつくことが出来た。)

私を除くLondonerにとっては、ごく当たり前の月曜日朝。
しかしながら、地下鉄・鉄道は殆ど壊滅状態。
郊外からロンドンに入る主要道路の多くが封鎖されたため、自動車通勤組も多いロンドンでは、車で通う人の多くがその日は通勤を諦めて自宅で仕事を余儀なくされた。中にはロンドン南西のKensingtonからCanary Wharfまで2時間掛けて徒歩で通勤したというツワモノもいたが、地下鉄組も大体が道中あまりの待ち時間の長さになす術なく踵を返してやはり自宅から仕事をすることを選んだ人が多かった。
後から聞けば、現在11人いる狭義のチームの中で、結局オフィスに来られたのは4人だけだったとのこと。


自国インフラのあまりの情けなさに、英国の各種メディアも「雪に弱い英国」「鉄道や道路の整備を急ごう」などの論調が目立ったものの、18年ぶりの大雪ということは、つまり「次は18年後?」ということになる。
銀行救済策の数々でお財布の逼迫している政府は、落雷に打たれるほどの発生確率の天候不順に備えた出費などしたくないのが正直なところ。仮に三年後に同じような天候になったとして、ロンドンという街の機能不全の度合いは全く変わらないのだろうと容易に予想できる。

インフラが改善されない元凶は、政府のlaissez-faire的なアプローチにあるとはいえ、その背後にあるのは間違いなく英国人のイイカゲン気質だ。
月曜日を取ってみても、上述のKensingtonから歩いた同僚のような少数派もいたが(ちなみに彼は北部出身のれっきとした英国人である)、個々人のイイカゲンが増幅されてカオスを引き起こしている部分は否めない。
道路は、(もちろん政府主導である必要があるが)システマティックに雪掻きや滑り止めの塩を撒く作業をすれば、封鎖されずに済む。道路が閉鎖されさえしなければ、バスなんてチェーンを巻くなりタイヤを履き換えるなどして走行すれば良いのだ。この辺りが整ってくると、鉄道や地下鉄も運転手や駅員が出勤できるため、駅の閉鎖や電車の遅れが少なくなる。公共交通機関がスムーズに流れれば、その他諸々の業界で働く人々が出勤できる。
こうして考えると、皆連鎖しているのだ。

実際、月曜日は「店員が出勤できない」という理由で多くの店が閉まっていたほか、同じく「雪で社員が帰れなくなるといけないので」ということで午後は休みとなった店や企業も多数あった模様。
後からもうひとつ聞いたこぼれ話としては、エリアもよるが、月曜日に営業していた数少ない地元のパブは空前の売上を記録したとのこと。
このあたりも実に英国人らしい。
パブ客の一部は、雪が降ろうが振るまいが5時に仕事が終われば6時からビールを傾けている輩であり、彼らが6時からではなくお昼から来たことで売上が伸びた部分もあるのだろうけれど、常連客でない人々は、「雪で会社から追い出されて、いきなり午後暇になっちゃった」「家にいても、雪のためにスーパーやピザのホームデリバリーも来ないし・・・」など、「雪で仕方なく」近所のパブに足を向けた人達もいたようだ。
真面目な日本人やドイツ人ならば、「天候不良のために」と会社から早く追い返されたとしたら、おそらく外で飲むことはせずに、何となく罪悪感を感じつつとにかく家に帰るんだろうにな、などと思って可笑しくなってしまった。
[PR]
by canary-london | 2009-02-08 12:36 | culture
・・・というわけで、「12月中下旬に山ほどあった書きたいこと」、どんどん書いていくことにします。
今日は、前回12月上旬に書いたクリスマスプレゼント商戦のちょっとした続編。

家族・友人へのクリスマスプレゼントを殆どインターネットで済ませてしまったのは前述のとおり。
インターネットで商品を注文するのはこの上なく便利なのだが、ひとつ問題がある。
それは、デリバリー。

宅配便が届けられるような時間に在宅していれば良いが、一人暮らしのサラリーマンたるもの、そんなこともあろう筈がない。配送先をオフィスにすれば良いのだろうけれど、得てして商品は重かったりかさばったりすることに加えて、何となく見栄を張ってしまうのかオフィスに配送させることは稀で、商品はほぼ例外なく自宅に届けられる。

幾らイイカゲンな英国のお国柄とて、さすがにこの手のものの宅配方法は「書留」もしくはそれに準ずるもの。
すなわち、受領者が在宅してサインをしなければ、原則として荷物は配送されない。
・・・あくまで「原則として」。
ここからが、この国のイイカゲンさ本領発揮だ。

この「書留」の配達通知が、帰宅すると玄関の郵便受けに挟まれている。
不在配達通知かと思って良く見ると、茶目っ気のある(というかいい加減な)文字で、「不在だったので、玄関脇のXXXに置いておきました」なんて書いてある。
一応盗まれないようにと配慮するらしく、宅配物の上に、ある時はゴミバケツ、別の時は靴磨き用のマットなど、様々なものが被せられている。
・・・「書留」が聞いて呆れるし、実際この方法で郵便物がなくなったことは何度かあるので、ゴミバケツの下に「書留」を見つけるたびに「やれやれ、またか」と思うのだが、一方で再配達をアレンジしたり、あるいは近くの指定郵便局にブツを取りに行く手間と時間を考えれば、ある意味効率性を重視したイイカゲンさなので文句ばかりも言っていられない。

もう少し真面目な配達人になると、「受取人が確実に荷物を受け取ること」を若干重視したメソッドになるらしく。ここで、日本でも良くみられる「ご近所に預ける」という策が登場する。
私もこのクリスマスの時期は、幾度となく周囲に住む方々に大変お世話になった。
見ず知らずの他人の荷物を預かってくれるという行為に感謝だけでなく尊敬の念を覚えたことに加え、今年はあまりに何度も不在配達記録片手にご近所を駆け回った結果、見知らぬ訪問者に対するご近所の方々のガードがあまりに低いことに感動した。

私自身に関していえば、ロンドンに来てから何度も盗難の憂き目に遭っているために疑心暗鬼になっている部分は否めないのだが、玄関のベルを鳴らす人に対して、「どなたですか?」と聞き、安心・納得できる答えが返ってこなければ、ドアを開けることは決してしない。
自分の住む周りは比較的閑静な住宅街で怖い思いはしたことがないけれど(家の目の前に停めてあった車から物を盗まれたことはあるが・・・)、Islingtonという場所は、必ずしも治安の良い場所ばかりではない。だからこそ、ご近所を三軒ほど訪問し、ほぼ例外なく小さな子供や赤ちゃんを連れたお母さんにほぼ無防備にドアを開けられた時には逆にこちらが面喰ってしまった。
「Fortnum&Masonからのデリバリーだから、てっきり誰かが私に素敵なクリスマスプレゼントを届けてくれたのかと思ったわ!!」などと無邪気に語るご近所のお母さんに丁重に御礼を言い、荷物を抱えて家まで帰る道すがら、「心が荒んでいるのは自分の方なのだろうか?」とクリスマスを前に自問自答してしまうのだった。
[PR]
by canary-london | 2009-01-03 23:39 | culture

のり巻と包丁と日本人

前回、「会社の中での多文化交流」について書いているときに、そういえば7月末のエントリ「続・ロンドンとチャリティー」で書いた’sushi-making class’について報告していなかったことを思い出した。
あのとき「二週間後に本番の迫った・・・」などと書いたが、この手の企画にありがちな諸々の理由での遅延が重なり、結局9月に私が旗振り役となって二度開催。そのほかシンガポール人の同僚にコーディネートを頼んだ回もあったため、現在までに三回行っている。

何のことはない、弊社のビル内にある社員食堂(社員食堂の御多分に漏れず、更にイギリスという要素も加わり正直あまり美味しいとは言い難いため、私自身は朝食のコーヒーとフルーツ以外を買うことは稀なのだが・・・)に勤める寿司職人に講師を頼み、希望する社員15人程度を集めて、のり巻と簡単な握り寿司を作る教室を開催するという企画。
この「寿司職人」、社員食堂なので給与の高い日本人ではなく、タイ人だろうか、とにかく東南アジア系と思しき小柄な男性で、なかなか茶目っ気がある。
同僚の社員食堂のシェフ達からは、’SUSHI’と呼ばれている(うーん、なんて安直なニックネームなんだ)。
集まる社員は圧倒的に欧米人が多いため、大半は、’SUSHI’は日本人だと思い込んでいたりする。・・・まあその方が説得力があって良いのかもしれないけど(笑)。

一回目はスペースに余裕があったので、私もコーディネーターの役割だけでなく「生徒」として参加。
正直「所詮は社員食堂」とあまり期待していなかったのだが、人数分の巻き簾が用意され、鉄火巻きやインサイドアウト・ロール(海苔を内側に巻き込むカリフォルニア出身の巻き方)、海老の握り寿司など、丁寧ながらもてきぱきと説明して実演していく。
生徒がそのたびに試行錯誤しながら作っていく「のり巻もどき」を何とかまともなのり巻にすべく、他のシェフと共に横から色々なアドバイスを与えてくれ、最後はプラスチックの寿司折に自分の作品を詰めてそれぞれ持ち帰れるというお土産もついており、不格好なのり巻を抱えつつも皆それなりに満足した面持ちで帰っていく。
(自分の作品の写真を撮るチャンスがなかったけれど、ただ一人の日本人の面目を一応保てる程度の見栄えのものは完成しひと安心したので、ご心配頂いた一部の友人にはここで報告しておく。)
f0023268_556945.jpg
二回目は何と定員オーバーで何名か送り返す羽目になるなど、この種のイベント企画の難しさ(幾ら言っても当日断りもなく来ない人がいるので、それも計算に入れて参加者を募るのだが、予想外に全員現れると定員オーバーになってしまうのだ)、および日本食人気を改めて感じた。先般書いた’Black History Month’に絡んで、同じ形態でカリビアン料理教室の開催を企画していた同僚は、当日3人しか現れず結局クラスをキャンセルにせざるを得なかったと嘆いていた。

安全性確保の観点から、「生徒」は包丁を握ることが許されず、使用する魚や野菜の切り身は全てシェフが用意し、それぞれに配られる。
そんな‘SUSHI’の同僚のシェフが見事な包丁さばきを見せながら、「皆さん、僕はよそ見して皆と会話しながら野菜を切っていても、指を切り落とすことがありません。それは何故かというと、左手の人差し指の関節で包丁をブロックしているからです。」と解説。
・・・オイオイ、それって料理の基本なんだけど。
「そして、必ず良く切れる包丁を使うこと。切れない包丁で無理に切ろうとすると余計な力が必要になり、事故が大惨事になります。」
・・・うん、それも小学生のとき母から聞いたから。

が、周りの「生徒」達からは、「おー」と感嘆の声が。
どうみても、私より主婦歴の長そうなオバチャンもいっぱいいるぞ。
よくよく考えると、通常のイギリス人のキッチンには、切れが悪く場所ばかり取るナイフの5本セットが置かれているだけで、そもそも「包丁」というものには馴染みが薄いのが現状。
「世界の中でも日本のホウチョウがベストです。高いものは200ポンド以上しますよ!」と畳みかけるように言うシェフ君の話に目を白黒させている同僚もいた。

海外にいると、日本人として幼少時に色々と基本的なことを教えられた経験は貴重だと思う局面が良くある。
包丁に関するこんな一幕も、「日本人でヨカッタ」と思う瞬間だった。
[PR]
by canary-london | 2008-11-18 06:06 | culture