「ほっ」と。キャンペーン

ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28

カテゴリ:travel( 35 )

三点目は、Oviedoに住むスペイン人の友人と夜通し語る中で感じたごくランダムな雑感なので、「スペイン旅行記」とは程遠い。

自分のブログを振り返ると、大体「良く書くトピック」に一つのパターン性があるように思う。アウトサイダーとして英国に暮らす者として、イギリス人を揶揄するようなトピックは多く、中でもイギリス人が如何に「食」に無頓着か、というのは以前も一度ならず書いたことがある。

現地の友人と話したOviedo三点目の感想=スペインの魅力も、食にまつわるものだった。
ご存知の人も多いと思うけれど、スペインという国はとにかく食事の時間帯が遅い。
スペインが植民地としていた中南米の国もその習慣を受け継ぎ、今でも食事の時間が全体的に後ずれしている国は多いようだが、我々の感覚からすると、とにかく食のサイクルが違うのだ。

平日のサラリーマンの生活は少し違うのだろうが、スペイン人の体内時計に合わせた過ごし方となる休日ともなれば、こんな感じだろうか。
起き出すのは9時か10時。
朝食なるものは、たっぷりのコーヒーと、ビスケットや菓子パンのようなものをつまむだけ。
お昼は、決して「正午に食べる食事」ではなく、2時か3時から4時か5時頃までゆっくりと時間を掛けて、タパスなど多様な料理をしっかりと、楽しく飲みながら食べる。

夕食は、地方にもよるが9時スタートは割合早い方で、レストランには10時や11時になっても続々と人が入ってくる。
前回書いた「同じ国とは思えないほどの多様性」は、料理についても言えること。
スペインというと、イベリコ豚やパエリアやトルティーヤなど、特定のものをイメージする人も多いと思うけれど、それぞれが地の利を生かし、海に近く新鮮な魚介類が手に入るところはシーフードも強烈に美味しいし、ハム=豚のイメージが強いかもしれないが、羊も牛も食べる。
といっても、スペイン人が牛を活発に飼育し食べ始めたのは1960年代からとのことで、今でもユーロ圏内では一人当たりの牛肉消費量が最も低い国、というので驚く。アステューリアスは、そんな中でも比較的牛肉を食べる地方といえ、高速道路を走っていても、ランドマークのようなTORO=雄牛の巨像が突然現れたり、牧場で乳牛や肉牛を見かけることも多い。

牛肉はともかく、スペイン人の食生活について。
そんなことで、一日三食、朝食を除いては力いっぱいの情熱を食べることに注ぐ。
といったところで、朝食だって、ヘルス・フリークのアメリカ人が見たら腰を抜かすような高カロリーのメニューだし、おまけにスペイン人は間食も楽しむ。
ディズニーランドでお馴染みの「チュロス」は、街中の移動式キオスクの定番。
ドーナツをチョコレートにディップして食べるなんて、考えただけで太りそう・・・。

f0023268_435363.jpg

なのに、スペイン人には意外と太った人が少ないというのが事実。
アステューリアスでは随一のビーチ、Gijonへも行ったのだが、友人Lの言うとおり、なるほど水着姿を見ても肥満体の人は非常に少数。

あれだけ遅い時間にしっかりした食事を取って、何で太らないワケ???

・・・という私の疑問に対するLの回答は、「それは食べることに興味があるからでしょ」という逆説的なもの。
肥満国家というと真っ先に思い浮かぶ米国(あれだけワークアウトに傾倒する国民なのに、データ上は国民全体の実に3割が’obese’=肥満)や、近年肥満児の増加が社会的問題になってる当地英国。

確かに、いずれの国の国民も誤解を恐れずにいえば、非常に食に無頓着である。
一言でいえば、味オンチ。
もちろん、ニューヨークやロンドンで働く一部の羽振りの良いインベストメントバンカー(‘羽振りの良い’バンカーなんて既に絶滅種ではあるが・笑)の中にはグルメを自称する人もいるが、国民全体としては、アメリカのレストランだってニューヨークなど一部の大都市を除いて出される料理は「質より量」を地でいっているし、英国の外食レベルはここ20年ほどで高くなったとはいえ言わずもがな。
飲み会の後の夜食(=日本人、というか東京在住サラリーマンで言うところのラーメン)がマクドナルドのファストフードというのが、食に対する興味のなさを物語っている。
私も昔のエントリで「公共交通機関の中で飲み食いする不思議なイギリス人」を取り上げたことがあるのだが、つまり一食一食の食事に対して重きをおかないということ。

食を愛するスペイン人・Lに言わせると、ファーストフードの多さといい、「食べることに執着がない」こと自体が肥満の大きな原因なのでは。
確かに、数年前にヒットした本「フランス女性は太らない」も、読んではいないが書評で見る限りは、「フランス女性は美味しいものだけ少量食べるので太らないんです!」という論調だったような気がする。
・・・本自体読んでいないのに僭越を承知で、当初はこんな本でベストセラーになるのなら、自分だって印税で食べていけるかも?などと苦々しく思ったのだが(笑)。
[PR]
by canary-london | 2009-08-03 04:04 | travel
・・・「復活宣言」をしたのは良いけれど、一体何から書いたら良いものかさっぱり分からない。

こう見えてもメモ魔なので、香港にいた時に雑感をなぐり書きした紙があちこちに散乱して収拾もつかない状況なのだが、はっきりいって今香港の事を書く気にはまったくなれない。

5月22日時点では身も心もすっかり香港で、何なら「蒸し暑いけど所得税率も低いし日本にも近いし、香港移住計画も捨てがたいかも!」などと思っていたのだけれど、そんな感覚は6月から7月にかけてヨーロッパを駆け回った上、最近ではあるプロジェクトのためにロンドン郊外にも足を伸ばしているうちに記憶の彼方に綺麗に消え失せ、すっかりヨーロッパ人に戻ってしまった(笑)。

今日のところは、ヨーロッパでもっとも最近訪れたスペイン北部について少し書くことにする。4泊4日でやや強行軍だったのだが、以前から訪れたかったフランスとの国境Basque(バスク)地方、そして友人の住むAsturias(アステューリアス)地方の両方へ。

Basqueでは、奇を衒った外観で有名なグッゲンハイム美術館のあるBilbao(ビルバオ)を拠点として、北部のスペイン人および裕福な近隣の外国人が最高のビーチとして崇めるSan Sebastien (サン・セバスチャン)へ。
ここでは、ビーチを楽しむことに加え、バール・ホッピングと呼ばれるタパス・バーのハシゴに興じる。
正直なところ、ビーチはやはりスペインの南の方が圧倒的に質が高い。
海の色も、砂浜の白さも広さも、見渡す限り地平線という人類を大きく超越するような規模も。

最近スペインに「はまっている」と言ってもいいぐらい様々な場所を訪れているのだが、常にこの国に驚かされるのは、その多様性。
「同じ国??」と思うほど、気候も地元の人々の気質も、風土も料理も、場所によっては言語すらも全く違う。
今回スペインの北部に初めて行って最初に抱いた印象は、「緑が多い」というもの。
この時期から8月にかけては耐え難いほどの灼熱地獄となる南部アンダルシアの乾いた赤土とは全然違う。

それもそのはず、同じ国とはいっても、年間降水量が圧倒的に異なるのだ。
特にアンダルシアは、4月から9月にかけての夏場の降水量が極端に少ない
その一方、北部はこの時期でも高速道路から見える植物もとにかく瑞々しい。

サン・セバスチャンは滞在時間があまり取れず、定石どおりのバール・ホッピングに終始してしまったが(とはいえ、隠れた名店にも多数足を運ぶことが出来た。持つべきものは地元出身のスペイン人の同僚!感謝!!)、Asturias地方の主たる都市の一つであるOviedo(オビエド)がこれまた恋してしまうほど可愛い街。

ウディ・アレンの近年では珠玉の名作といえる小気味よい’Vicky Christina Barcelona’(邦題は「それでも恋するバルセロナ」)の舞台になったことで、最近知った人も多いのでは。

今日は、Oviedoで感じたことを三点ばかり。

一つは、「ある特定の場所=街に恋をする」ということ。
ウディ・アレンが、正にそうなのだ。
実は上記の映画は、Oviedoを舞台にしてOviedoで撮影も行われた彼の作品としては三作目。
街への恋や思い入れは、大概一方向のベクトルではなく、相思相愛になる。
街としては、その街の存在と良さを世界中に宣伝してくれる宣伝塔は当然直接的な観光収入増に繋がる有難い存在に違いない。
一方、ひとたび国や街に愛着を覚えると、歴史や文化をはじめとして、カフェで飲む一杯のコーヒーもひときわ美味しく思えたり、道行くお婆さんの表情も穏やかで魅力的に思えてくるので不思議。
ウディ・アレンのOviedoとの「相思相愛」度は、街の中心部の石畳に据えられた銅像に物語られている。
アレンのようなアーティストは特に、「特定の街に恋をする」ということが自分の人生と作品に重要な意味を持つのだろうと思う。
ふと自分に照らし合わせて、自分も何処かの街に「恋をしたい」と思った。
それはスペインかもしれないし、どこか別の国かもしれない。
そんな妄想が楽しい。

二つ目。
Oviedoの街というのは、とにかく清潔で感心する。
「ヨーロッパでもっとも清潔な街」というカテゴリで無数の賞を受賞している。
ただこれも行政に大きく左右されるもので、任期13年目を迎える現在の市長が旗振り役となって実現したことらしい。
夜中0時が近づくと、市中を清掃車が巡回し始める。
ゴミ収集は、なるべく人々の普段の生活を妨害しないという目的で、0時から4時の間と定められている。
路上に落とされたゴミ一つ見つけることすら難しいこの空間は、清掃員のたゆまない努力の上に成り立っているのだろう。

愛らしい街の雰囲気といい、「何処かに似ているな」と思って、瞬間的に分かった。
・・・それは、ディズニーランド。
ディズニーは、世界中場所を問わず、「おとぎの国」であるディズニーランドが汚くなることを許さない。理由は、現存しないおとぎの国に皆が抱く夢を壊さないため。
ウディ・アレンが惚れ込んだのも無理もない、とため息。
Oviedoは、言ってみれば現実世界を超越した空間なのだ。

長くなってきたのと、三点目は若干視点が異なるのでまた次節(狼少年度が増してきましたが、次回はすぐに書きます!)。
[PR]
by canary-london | 2009-07-29 03:47 | travel
5月は、いつにも増して執筆ペースが鈍ってしまった。
というのも、最近globe-trotterぶりが加速していることに依るところが大きいかもしれない。アウシュビッツの旅行記なんぞを書いていたのはいつぞやの話、今は香港のホテルで缶ビールを開けながら久々に自分のブログを眺めた次第。
突如香港に来ることになったのは、ビジネスマンとしてはそんなに珍しい理由ではない。香港で私と同じような仕事をする同僚が前触れもなく長期休暇に入ってしまったため、先週はNYから同じチームの若い女性が彼の代打として急遽出張したのに続き、今週は私にお鉢がまわってきたというわけ。

・・・そんなわけで香港。
最後に出張で訪れたのは10年ほど前だろうか。
何しろ久し振りでもあるし、とりあえずは雑感。

*気候と天気
飛行機のタラップを降り立った途端に、ムッとくる熱気。
今の時期、気温自体は摂氏28-30度と狂ったほど暑いことはないのだが、蒸し暑いアジアの夏から3シーズンも離れた緊張感のない身体を、皮膚への衝撃(涼しく湿気の少ないところに長くいると気泡が閉じてしまうらしい)と何とも言えない不快感の両方が同時に襲ってくる。
不運なことに、天気も悪い。
空気中の水分が教科書通りに雨粒となって降ってくるだけでなく、横風も容赦なく吹きつけるので、傘を持つ意味すらない。

私が到着した水曜日のほんの一日、二日前までは晴天続きだったらしいのだが、マーフィーの法則とはこんなものだろうか。
香港随一の屋外プールがあるホテルを選び、ロンドンでは不足しがちな日光浴でもしようと勇んで水着も持参したのに、水着もサングラスもすっかり箪笥のこやしと化している。

*Skyscrapers(高層ビル)と街としての憩い
雑然と立ち並ぶ無数の高層ビルと、それらを灯すネオンに彩られて24時間眠らない街。
香港は東京と比べると余程規模が小さいものの、「夜の眠らなさ」でいえば似た部分があり、さしずめ東京の銀座か新宿だけを切り抜いてクローズアップしたようなイメージだろうか。
ロンドンにもヨーロッパの各都市にももちろん夜の繁華街というのはあって、街の「眠らない」部分はあるのに、こうも印象が違うのは、建物の新旧ひとつで趣が全然異なることの表れなのだろう。

いきおい、街としての「憩い」や「癒し」は少ない。
出退社時に乗り慣れつつある高速エレベーターは、臨時のアートギャラリーがしつらえられた3階から、弊社オフィスのある45階まで瞬時にして音もなく連れていってくれるのだが、新しいビルの新しい設備の中にばかりいると、何だか落ち着かない。これも、ロンドンっ子の「古いものは良いものだ」的感覚が沁みついてきたからなのだろうか。
f0023268_1255361.jpg












f0023268_126788.jpg


*コンパクトさと効率性
香港にいると、全てが近い。
狭い半径の中にたくさんの人が押し込まれ、建物はニョキニョキと上へばかり伸びるため、地上の移動は徒歩でも車でもらーくらく、なのだ。
Mid-levels Escalatorなんて、誰が考えたのかしらないけど偉大な発明。
高台にある居住地と、港に近い低地のオフィス街を結ぶ屋外の(屋根は付いている)エスカレーター、というか徒歩で進むコンベイヤーベルトなのだが、800メートルという長さは世界でもほかに例を見ないらしい。朝10:20までは出勤する人のために下りの一方通行、以降は上りへと変わって一日動き続ける。
地下鉄も便利だが、香港の地元民はタクシーを気軽に使う。それだけ移動が早く、また他の都市に比べて安価。通勤はタクシーという人も意外に多い。

血筋的に東洋人の顔をしているものの、生まれも育ちもロンドンという同僚で6年前にロンドンから香港へ転勤してきたCに言わせると、この便利さと効率性をひとたび味わうと、ロンドンになんかとても戻れないのだそうだ。
なるほど納得。

*人と言語
上述のCなども、顔は東洋人なのに北京語も広東語も一言も解さないため、それはそれで違和感がある。が、普段ロンドンで生活し、自分と全く違う姿かたちをした道行く人達が自分の言葉である日本語を理解しないのに慣れている自分としては、目鼻立ちは互いにとても似ているのに互いの言語を全く理解できない状況に、新鮮な感覚とやるせなさを同時に感じる。大きな声では言えないが、大学時代は現代中国政治専攻だったのだけれど。何で外国語のひとつも真面目に勉強しなかったのだろう。

香港の公用語は広東語。周囲を歩く人のほぼ9割が広東語を話していると言っていい。
言語による特質の違いというのも、ヨーロッパの言語については分類が日常化してしまった感があるが、アジアに来ると感覚を新たにさせられる。広東語は、良くいえば元気・快活、悪くいえば攻撃的な印象で、普通の会話を傍で聞くと口論に聞こえることもある。

*とはいえ、やっぱり近いニッポン
・・・そうはいっても、何かにつけて強く感じたのは、香港が色々な意味でいかに日本に近いかということ。こういう事は、得てして非常にくだらない場面で感じるのだが、今回の私の場合も例外ではない。これについては次節。
[PR]
by canary-london | 2009-05-26 01:28 | travel
英国は国民の祝日が少ない。
日本に比べると少ないのは周知の事実だが(銀行も休業となるBank Holidayのベースで比較した場合、2009年は英国8日に対して日本は16日)、他の欧米諸国に比べても少ないため(同じベースでの比較で、2009年は米国10日、フランス11日)、ロンドンで仕事をする外国人が不平を言うときの一つの大きな材料となる。

私もロンドンに働く外国人の例に洩れず、「もう少し祝日を増やしてほしい」と常に思ってはいるのだが、それでも英国の祝日を決めた人は素晴らしいと思うことが一つあって、それはその数少ない祝日のうちの二日間を5月としたこと。(もっとも、フランスは5-6月の二カ月に四日も国民の祝日があるのでイギリスだってまだまだ改善の余地はあるのだが。)

5月は新緑が美しく、ヨーロッパの少し南に旅をしても暑すぎることが少なく(6月初めともなると乾燥したアンダルシア地方などは非常に暑い)、天候も概ね良い。
つまり、ヨーロッパ近郊への旅行に最適の時期。
ロンドン自体も4-7月が一年で最も素敵な時期なので、この時期にロンドンを離れるのが勿体ないと思う部分もあるのだが、必ず月曜日の祝日を含めて三連休とする「ハッピー・マンデー」(そんな名称は当地ではないが)政策も手伝って、5月の連休は旅行に出るというのが定石どおりの過ごし方となる。

5月/2/3/4日の三連休は前もって計画を立てていたわけではなく、ちょうど別の友人との予定がキャンセルになってしまった旅行好きの友人に誘われ、二週間ほどの間で行先を決めて、格安航空券とホテルを抑える。こういったカジュアルな、つまり行き当たりばったりの旅人が簡単に旅行の計画を立てて出掛けやすいのもヨーロッパの魅力の一つだろう。

今回の行先にはポーランドを選んだ。
東欧へも色々足を伸ばそうと思いながらも、リラックスできる休暇で訪れる先としては、どうしてもイタリア・スペイン・フランスが群を抜いて多くなってしまう。
クラコフは、昔一緒に働いたスイス人の同僚も「絶対に行くべき」と強く薦めてくれたこともあって、以前から東欧で是非行ってみたいと思っていた都市の一つであった。

ロジスティックスの達人である友人の提言で、二泊の拠点をクラコフに置いて近郊にも出掛けることにした。

クラコフの街自体は、風光明媚ではあるものの、失礼ながらこれといった特色があるところではない。ヨハネ・パウロ二世(前ローマ法皇)が生涯で二度居住し現在は博物館となっているArchdiocesan Museumには行ってみたかったのだが、欧州で「MUSEUM」という名前のつくところは、月曜日というのは軒並み閉まっているのが常識。ヨハネ・パウロ二世ファンの自分としてはとても残念なことに、今回は見ることがかなわなかった。

クラコフの街でもっとも私の興味を引いたのは、中世から残る広場として欧州最大級である中央広場・・・自体ではなく、その広場の片隅に設置された仮設のコンサートホール。
プレハブのような簡素な造りの舞台で、観客席はといえば無造作に並べられたパイプ椅子。観客席の方には屋根もないので、雨が降ってきたらおもむろに店じまいするのだろうか(我々の滞在中は幸いにして終始好天に恵まれた)。
ここで、一日中何らかの音楽が演奏されている。
舞台の制約上室内楽が多いようだったが、通りがかりに耳にしただけでも、モーツァルトやブラームスなどの音楽が弦楽器でしっとりと奏でられていた。

ポーランドといえば、ショパンの音楽だけが神格化されているのではないかといった漠然としたイメージを抱いていただけに(かく言う自分もショパンの音楽を神格化しているクチだけれど)、これはちょっと意外。
・・・と感じると同時に、街角の広場で(確認できなかったが、おそらくチケットは無料またはとても安価なのだろうと思う)毎日ごく気軽に優美且つなかなかどうして質の高いクラシック音楽を誰もが聴けるなんて、何て素晴らしい環境なのかと羨ましく思った。
日頃から良い音楽を聴いているからこそ、彼らの耳は実に研ぎ澄まされているのだ。

旅の大きな目的の一つは、やはりアウシュビッツを訪れることにあった。
オシフィエンチムという、ヒトラーがいなければ世界にその名を知られることはなかったであろう小さな田舎町は、クラコフから南西へ約60km、ローカルの列車で1時間半ほどの場所に位置する。

有名な、「働けば自由になれる」の看板が高々と掲げられたアウシュビッツIは、とにかく凄惨の一言に尽きる。
アウシュビッツIからIIIの合計で命を落としたユダヤ人をはじめとする被収容者の総数は150万人ともいわれるが、その多くが射殺され血を流した「死の壁」。
死を待つ間の短い時間を過ごすために使われた小部屋の壁には、祈りの言葉やキリストの画が彫られていた。
f0023268_9411212.jpg

死体から切り取られ、商品として流通した毛髪の山・山・山。
靴。
眼鏡。
小さな子供服。
皿や鍋などの日用品。
―目を背けたくなる。





f0023268_9414860.jpg


もうひとつ驚いたことは、収容された(そしておそらくは処刑された)人の顔写真が実名入りでずらりと展示されていること。
全員はとてもカバーできないだろうが、それにしても相当な数だ。
遺族は、訪れるたびに一体どんな気持ちでこの写真を眺めるのだろうか。

アウシュビッツIから3kmほど離れたところに、アウシュビッツII・通称「ビルケナウ」がある。こちらは、被収容者の増加でアウシュビッツIがパンク状態となったことを受けてより後年に造られたもの。
収容者の私物略奪など日常的に行われたナチスSSの犯罪行為の証拠隠滅のために殆どの建物が焼失しているため、現存するのは、ただひたすら広大な野原に建物の土台部分が散在するという奇妙な光景。
こちらのビルケナウの方は、アウシュビッツIと違って、直接的・視覚的な悲惨さは少ないのだが、何も残されていないだけに、ここでほんの65-70年程度前に行われた残酷きわまりない行為にむくむくと想像が膨らんでしまい、逆に背筋が寒くなった。

浮かぶ思いはただひたすら、’How can a man do this to a fellow man?(どうしたら人は同じ人間に対してかくも酷い仕打ちが出来るのだろうか?)’ということだった。

今回のアウシュビッツへの旅に、映画のようなとてつもなく不気味な現実感のなさを与えたのは、新緑の季節と素晴らしい天候だった。
大量殺戮が行われた現場に立っているというのに、建物の外を見やると実にのどかで殺人などとは無縁な緑の芝生や木々と青い空が広がり、太陽が燦然と輝く。
このギャップが、何よりも空恐ろしく感じられた。

オシフィエンチムの駅からアウシュビッツIまでは、バスもないので20分程度の道のりをただひたすら歩いた。道すがら、何ともいえない違和感を感じたのは、広い庭を備えた実に立派なたたずまいの数件の戸建。
近隣の住民で、被収容者を援助するため尽力した人が多いことはもちろん知っているのだが、この人達は、救いの手を差し伸べたのだろうか。もしくは、二次大戦後に居を構えた人々なのだろうか(でも、誰が好きこのんで大量殺戮現場から数百メートルしか離れていない場所に土地を買って住まうのだろうか?)。
不吉なほど晴れわたった空の下、私はそんなことをただぼんやりと考えながら歩いていた。
[PR]
by canary-london | 2009-05-13 09:46 | travel
ニューヨークにおけるもうひとつの‘Met’は、もちろんMetropolitan Museum of Art

美術館というのは、自分の中での「適正なサイズ」というものがあって、あまりに規模の大きいものは、いかにコレクションが素晴らしくても何だか身構えてしまって行く頻度が遠のく。

パリが良い例で、ルーブルのコレクションはもちろん秀逸なのだけれど、まず大き過ぎて、数時間はおろか早朝から夜まで一日たっぷりかけたとしても、自分の見たいものを全て見ることができない。
それゆえ、限られた滞在時間でルーブルよりも頻繁に足を運ぶのは、自分の身の丈に合ったサイズの大好きなオルセー美術館や、規模はさらに小さいものの全館を通じて見たとき感動を与えてくれるピカソ美術館やマルモッタン美術館、オランジュリー美術館などなど。

ニューヨークのMetは、前回訪米時の2006年には残念ながら訪れる時間がなかったため、最後に行ったのは1999年ということになる。
今回のニューヨーク行きには自分としては幾つか動機があり、間もなく日本に帰国してしまうロンドンの親友と共通のニューヨーク在住の友人を訪れるという名目での最後ないし最後に近い二人での旅行に行くこと、前回書いた世界のMetでオペラを観ること、そして、米国に多く貯蔵されるオランダの画家・フェルメールの在ニューヨークの作品を観ることが主だったもの。

そのフェルメールは、今回ニューヨークで9枚観ることができた。
世界に32-37枚(鑑定家によりフェルメール作品として認められているものの数が異なる)しか現存しない寡作のオランダ人画家の作品の四分の一が、ニューヨークという一つの都市に所蔵されているのだ。Frick Collection(フリック・コレクション)に3枚、そしてこのMetに6枚。

以前から訪れたくてたまらなくて今回やっと機会が訪れたフリックは、美術館全体がひとつの芸術作品のよう。三枚のフェルメールも大事に展示されており、池の周りに花が咲き乱れる小さな中庭を囲んで館内を歩くのは正しく至福。時間が過ぎるのも忘れてしまう。

一方のMet。
誰もが認める傑作である「窓辺で水差しを持つ女」をはじめとする4枚が一部屋に、そして隣接する部屋に「眠る女」など2枚が、なんというかとても贅沢に展示されている。
・・・これだけの数のフェルメールを、こんなに所狭しと並べてしまっていいんだったっけ、と観る側としては何となく当惑を覚えるのだ。
f0023268_840542.jpg

Metの19世紀絵画コレクションは実に素晴らしく、19世紀に限っても所蔵作品は約2,200点を数えるとのこと。定められた入場料というものがなく(といってもロンドンの多くの美術館の常設展示のように自由に出入りできる放任主義ではなく、10-15ドル程度は払うような倫理工作が巧みに行われてはいるが・笑)、これら作品が展示スペースに並べられる限りにおいては思う存分楽しむことの出来る一人の観光客としては文句をいう筋合いではないのだけれど、美術の教科書で眺めた名作の洪水に押し潰されそうになる。
・・・フェルメールの二室から奥へ進むと、モネだけを集めた部屋、セザンヌの部屋、ドガの部屋、ゴッホの部屋・・・。
規模が大きいことはもちろん分かってはいたのだけれど、今回行ってみて改めてその規模に敬服すると同時に、正直軽い吐き気を覚えた。

美術品は、歴史をたどれば戦勝国が戦利品として得たものも多く、過去は決して綺麗なものばかりではないし、基本的には国の富と権力の象徴である部分は否めないのだろうと思う。200年ほど遡れば、ナポレオン。ヒトラーの後継者に指名されながらも死刑を宣告され、執行前に自ら命を絶ったヘルマン・ゲーリングの蒐集癖も、正気の沙汰ではない。もっともこれは戦勝国云々というより、ひとえに個人の乱心といえるかもしれないけれど。

このことは頭では理解しているつもりであるし、もちろん折角の豊かなコレクションがお蔵に眠ったまま日の目を見ない状態は美術品にとっても不憫なので(10年近く前に訪れた台湾の故宮博物館はその典型例で、常時所蔵品の3分の1程度しか展示していなかったように記憶している)、所蔵するものについては惜しみなく誰の目にも触れることを貫く姿勢には脱帽する。

ただ。
たとえは幼稚だけれど、誕生日とクリスマスとバレンタインを全部一度にお祝いされてしまったような。
もしくは、ひとつずつ苺ののったショートケーキを、12ピース全部同時に食べてしまうような(これはメタボ的には別の種類の問題があるが・笑)。

刹那的なのに、楽しいものや豊かなものや美味しいものは可能な限りゆっくり味わいたいと思う人間のわがままゆえのジレンマなのだろうか。大好きな19世紀絵画のセクションを半分ばかり眺め終わったところで、ふと、「Metさん、有難う!でも今日は自分のキャパシティ以上の美術品を堪能したのでまた出直します!」と五番街を歩いている自分に気づいた。

―また、ニューヨークに戻らなければならない理由が増えてしまったな。
[PR]
by canary-london | 2009-04-01 08:44 | travel
成田空港での事故を受けすっかり脱線してしまったが、ニューヨークについての記述が尻切れトンボとなってしまっていた。
今回のNY滞在は正味三日半程度と慌ただしいものだったが、その中で、二つの‘Met’にはそれぞれ二度足を運んだ。

・・・一つは、昨年創立125周年を迎えたMetropolitan Opera。
普段、きっと世界の中では「田舎劇場」の部類に入るであろうロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスに通い慣れている私にとって、生まれて初めて足を踏み入れるMetの規模と煌びやかな風情に圧倒された。
ホールの大きさと天井の高さが手伝って音響は秀逸。
入口から左右に拝むことのできる二つの壁画はChagallの手になるもの。赤を基調にしたものと、青・緑のものとが対称的に並べられ、目に美しい。パリ・オペラ座の天井画といい、なぜオペラハウスにはシャガールの画が多いのだろうか。

今回観た演目は、Bellini作曲の「夢遊病の女」(Natalie Dessay / Juan Diego Florez主演)と、Puccini作曲の「マダム・バタフライ」(Patricia Racette/Marcello Giordani主演)。前者は奇をてらった現代的な演出が個人的にはまったく好きになれなかったものの、Dessayはいつ聴いても感動する。昨年一月のBarbicanでのコンサートや、4月にMetライブ中継で聴いた「連隊の娘」に比べて声のハリ・伸びが少ないように感じた部分もあったのだが、この人は容姿・演技力等すべてを総合して実に素晴らしい。Florezの甘過ぎる声は私自身好みではないが、現在活躍するテノールの中でこんな声の人はいない。
「連隊の娘」でも観た夢のペアには、とにかく脱帽の一言だった。
一方の「マダム・バタフライ」は、演出が素晴らしかった。‘Cho-cho-san’を歌ったPatricia Racetteは、日本人的にはもう少し華奢であってほしいと思う部分もあったが(たおやかなヒロイン設定の多いオペラにおいてはそう感じる局面が多いけれど)、歌唱は透明感のある質の高いものだった。
f0023268_2156759.jpg

そんなMetに行ってみて、気になった点はといえば・・・。

一つは服装について。
海外のオペラ劇場やコンサートホールに行くたび、服装やマナーに関するその土地のプロトコルに気を配ることになる。
私はヨーロッパでもそれほど多くの都市に行っているわけではないけれど(これまで、ミラノ、ウィーン、ザルツブルグ、パリ程度)、自分の経験しているなかでは、断トツでザルツブルグがフォーマルである。ウィーンに比べても、さらにうんとフォーマル。
自分の訪れる機会がたまたまイースター・フェスティバルや夏のザルツブルグ・フェスティバルなど由緒あるイベントが多いせいかもしれないが、自分の両脇が共にベア・ショルダーのイブニング・ドレスで焦った体験をしたのは、後にも先にも(?)ザルツブルグだけだ・・・と思う(笑)。

・・・などというと不平のように聞こえるかもしれないが、女性の立場から言うとあながちそんなこともない。むしろ、日常生活の中ではドレスアップする機会が少ないため(そんな機会の多い生活をしている人もいるかもしれないが、少なくとも自分には無縁である)、気の迷いで買ったドレスが日の目を見るイベントは大歓迎である。
が、ウィーンの国立歌劇場、ミラノのスカラ座、そして今回のニューヨークのMetと色々足を運んでみて、正直少しがっかりする。
特別なイベントのために、少し背伸びして着飾る女性の姿を見るのは、それはそれで自分の背筋も伸びるもの。二年ほど前にウィーンを訪れたときには、ジーンズにスニーカーという出で立ちの輩がいて驚いたが、今回のニューヨークでも、比較的カジュアルなワンピースにショールという姿の自分が全体の中ではおそらくドレッシーな50%に入る状況にやや寂しさを感じた。折からの不景気も影響しているのだろうか。
f0023268_21584261.jpg

二つ目は客層。
何とも素敵なMetのオペラハウスなのだが、客層が実に雑多であるという印象も強めた。買物目当てでニューヨークを訪れているアジアからの観光客も多いのだろう、私も自らのことを棚に上げてエラソウに「マナー」などと講釈を垂れるつもりは毛頭ないけれど、マナーがあまり良くない。何が一番気になったかというと、終演後キャストが再登場してお辞儀し拍手で迎えられるのを待たずに席を立って帰ってしまう人がいかに多いかということ。映画のエンドロールでも最後まで席を立たないこだわりを持つ私としては、三時間熱演を聴かせてもらった後のこの非礼は俄かに信じがたい。

ところで、今回のニューヨーク考として書きたかったのは、実はこの「Met」に関してではなく、もう一つの「Met」についてだったのだ。
ということで、第二のMetとニューヨークについてはまた次回(ここまで引っ張ったし明日書きます・笑)!
[PR]
by canary-london | 2009-03-28 22:00 | travel

ニューヨーク考

週末に休日を二日ほど付けてニューヨークに行った。ロンドンからNYは、行き7時間強・帰り6時間強かかるとはいえ、やはり東京からいずれかに行くことを考えると近い。
前回訪れたのは2006年の初夏なので、三年弱ぶり。
私は5歳から9歳をニューヨークで過ごしたので、第二の故郷ともいえる街だろうか。
f0023268_9202318.jpg

そんな久し振りのニューヨークについて、今回は雑感諸々を思いつくままに述べることにする。
1. ここで言うまでもないことだけれど、ロンドンに比べて「街のペース」が速い。
東京の新宿駅地下通路と違って他人にぶつからずに歩けないということはないけれど、人が多い。

何しろ、クラクションがうるさい。
ただクラクションに関して言えば、イタリアはある程度の都市となると何処に行っても大概うるさいので、必ずしも「街のペース」や人の多さとは関係なく、単純に国民性と忍耐力の問題なのかもしれない(笑)。

それから、後ろの人のためにドアをホールドしない。
レディファーストとかいうことに拘らず、ロンドンに暮らすと後続の人が来るまでドアを手で開けて待つことに慣れてしまうものだ。
ニューヨーカーは基本的にこれをやらないので、ドアを開けて待つ度に異常なほど恐縮されてしまった。

2. アメリカ英語というもの。
アメリカ英語というのは、耳慣れないとただの耳障りだったりする(笑・失礼!)。
5歳の頃は、訳もわからず毎朝左胸に手を当て、星条旗に忠誠を誓ったりしていた。
‘I pledge allegiance....to the flag....of the United States of America’
暫く経つと、毎朝呪文のようにそのフレーズを呟くことに疑問すら感じなくなる。

JFKに降り立つと、入国審査のところでCNNが流れている。
CNNはもちろんヨーロッパにいても見る機会が多いとはいえ、アメリカ本土で聞くとまたひときわ「アメリカ的」だ。
非常に「アメリカ的」な美人キャスターが「アメリカ的」な記事を(そのときは、バービー人形がティーネージャーに容姿のみを重視するという悪いメンタリティを植え付けるという見解を表すものだった)、極端な「アメリカ的」英語で読みあげていく。
・・・ニューヨークの同僚とやりとりする機会は多いものの、日常的には忘れているこの感覚が蘇る。

3. 交通機関について。
まずはタクシー。
マンハッタン島に滞在すると、道行く車の過半数は名物の黄色いタクシーといっても過言ではないほどタクシーが多い。
しかし、いざ捕まえようとすると驚くほど空車が少ない。
そして、行先により(自分の風貌の問題ではないと思いたいが・笑)乗車拒否が甚だしい。
・・・この国、本当に1929年以来の不景気なんだろうか。
そんな疑問と不満をNYに在住する友人にぶつけたところ、マンハッタン島はタクシー代が著しくリーズナブルだから需要が供給を上回るとの弁。
確かに、そうかも。

一方の公共交通機関。
これまたNYの名物といっていい地下鉄について思ったこと、二つ。
一つ目は、NYの交通機関も意外に消費者にとって最悪であるということ。
到着日翌日、友人とのディナーの待ち合わせにたまには早めに行こうと思ってホテル最寄の駅から地下鉄に乗ったはいいが、まず電車が来ない。
10分近く経ってやっとホームに電車が滑り込んでくる。
混雑する電車に乗ったと思ったら、次の駅までの間におもむろに電車が停止してしまう。
何の車内アナウンスもなく、10分が過ぎる。
乗客は苛々する風もあるものの、基本的には辛抱強く待っている。
そのうちに、音もなく電車は動き出したが、先の方の駅で人身事故が遭ったためにこの先も遅れが予想されるとのアナウンスがその後に入ったため、とにかく電車を降りてタクシーを捕まえようとすると、上記のような状況。

ロンドンに暮らしていると、公共交通機関があまりに酷いために比較的寛容になるのだが、NYの地下鉄も意外に最悪だったりする。変な話だけれど、ロンドン住人としては何ともなしに少しほっとしたりもする。

二つ目。
2006年初夏にNYに行った際、Giuliani前市長の貢献でここまでNYは安全になったのかと感動した。比較的遅い時間に女性が一人で地下鉄に乗っても恐いという気持ちを抱くことが殆どない。
不景気の際の常だけれど、治安が少し悪くなったと色々な人が言うのを耳にする。
今回NYで会った友人数人にそれとなく聞くと、「多少はそういう部分もあるだろうけど」といった趣旨の現実的な答えが返ってきた。
現在の不景気で世相がこれ以上悪くなることがなければ良いのに、と切に願う。

4. ホテルでの新鮮な体験x2
滞在の短い今回は、とにかく場所が便利であることを優先し、ミッドタウンはWest 57th Stのとあるホテルに滞在した。
驚いたこと一点目は、フロントにいるホテルマン。
ロンドンから行くリゾート地は押しなべて若く綺麗な女性が多い印象なのだが、体格が良く所謂イカツイ男性が多いのにびっくり。
やはり街の治安とホテルフロントの「キレイドコロ」度は反比例するのだろうか。

二点目は、驚いたというよりも心が和んだことだが、エレベーターで終始流れる映像が、例外なく犬猿の仲である猫とネズミの一幕を描いた’トム&ジェリー’であることだった。
この街はストレスに苛まれる人が多く、それも見越して少しでも癒し効果のあるアニメを採用しているということなのだろうか。

5. レストランでのカロリー表示
メニューのそれぞれに「これは350kcalで体にいいです」とか、「これは900kcalなので一日の残りは軽食にしましょう」と書いてあるようなビジュアルに、我々は慣れていない。
いつからだったか覚えていないが、NY州は外食産業におけるカロリー表示が近く義務化されるとの話を初めて聞いた際に背筋が寒くなった覚えがある。
今回の訪問で、三年前に比べてカロリー表示が明らかに増えている現実に直面した。

・・・とはいえ、より憂うべき事態は、いかにカロリー表示を徹底しようがセントラルパークをジョギングする男女が多かろうが、アメリカは概ね肥満国家であるという紛れもない現実である。

*****

今回の旅を経てもっとも強く感じたことには今回触れるチャンスがなかったのだが、これについてはまた次回。
[PR]
by canary-london | 2009-03-13 09:22 | travel

旅のメモ・カタロニア

先月下旬に休暇をとってスペインのカタロニア地方を訪れた。

バルセロナは三年ほど前に行ったことがあったのだが、郊外へ行くのは今回が初めて。レンタカーでピレネー山脈を越えてフランス側まで足を伸ばすなど、なるべく行動範囲を広げてエネルギッシュに動いたこともあり、独特のエキゾチックな色彩はあるものの所詮は大都市であるバルセロナとは異なるカタロニアの一面が垣間見えた気がした。

自治政府を敷き、独立運動が盛んなことからも、スペインへの帰属意識が希薄、というか殆どないに等しい印象。
カタロニア語の存在は知っていたが、知らないまま何となく抱いていたイメージは悉く打ち破られる。つまり、スペイン語とカタロニア語は言語として似通ったものだと漠然
と思っていたら、一方を話せてももう一方は全く解せないほど違いが大きいらしい。
また学校での授業は、カタロニア語で行われる。
子供たちは、数学も理科も社会も、スペイン語ではなくカタロニア語で学ぶ。
「スペイン語」という授業は、国語の授業というような位置づけで行われるのみ。
映画などの娯楽も、全てがスペイン語ではなくカタロニア語。
スペイン語が母国語である、という意識は、彼らには全くない。

バルセロナと、バルセロナから百キロ弱北東にある海岸沿いの街S’Agaroとほぼ半分ずつ滞在した。
S’Agaroは、夏の盛りともなるとヨーロッパの人々がこぞってリゾートに押し掛けるCosta Bravaのビーチ群のひとつ。8月の写真を見ると芋洗い状態だけれど、初秋の雰囲気が漂い始めた海沿いは人もまばらになり、早朝など海岸を独り占めできる何とも贅沢な環境を満喫した。
f0023268_14111542.jpg
f0023268_14113825.jpg


下の写真はバルセロナより西に位置するSant Salvadore。
とにかくスケールが大きい。
水平線に沈んでいく太陽を眺めていると、自分の小さな悩みなんて吹き飛んでしまう。
f0023268_14121145.jpg
f0023268_14122720.jpg


振り返ってみると、スペインという国は何だかんだ言って毎年どこかの街・地方を訪れていることに気付いた。
2005年はバルセロナ、2006年はマドリッド、2007年はアンダルシア地方、そして今年はバルセロナに加えてカタロニア地方へ。
そんななか、今回は建設途中で放置されている様相のリゾート物件など、不況の影響も随所にみられたように思う。

現在のような世界同時大不況に突入する前は、スペインの景気はヨーロッパの中でも最も波の激しい国の一つだったといえる。毎年数百万人規模で流入する移民パワーを武器に、2001/2002年程度から続いた好況は不動産バブルに発展し、2007年初めにあえなく崩壊。
バルセロナは活気に溢れる街との印象は変わらないが、一時期に比べると失速した感は否めなかった。

今回は、車での国境越えの体験も楽しめた。
スペインからフランスへと続く有料道路の料金所では、国境を越えた途端にスペイン語での
‘Hola! Gracias’
から、フランス語の
‘Bonjour! Merci’
へと挨拶が変化する。

そもそもカタロニアの人々はスペイン語と二カ国語を操るわけであるし、国境と国民国家、そして言語の意味についてまたも考えさせられる一幕だった。

とりとめもない旅のメモの締めくくりは、旅行の重要なるハイライトのひとつである食事。
特にSant Salvadoreでの食事は美味且つリーズナブルで感動的だった。
ウナギの稚魚をペペロンチーノ風に調理したGulas al Ajilloは大好きなメニューなのだが、こうして写真にすると正直ちょっと気味が悪い(笑)。
f0023268_1414415.jpg

[PR]
by canary-london | 2008-10-16 14:15 | travel

旅のメモ・ブルゴーニュ

更新をさぼっており、すっかり写真のアップが遅れてしまった。
5月末の三連休を利用して、友人と三人で以前から訪れたかったワインの銘醸地・ブルゴーニュへ。
ご多分に漏れず、ワインという観点からは一帯の中で中心地となるボーヌ(Beaune)に滞在した。

ホテルには何故か、白髪のシルバー世代が多い。
皆我々と同じくワインを飲んだくれる目的で当地を訪れているのかどうかは分からないが、とすると年齢を重ねても健啖家ぶりの衰えないフランスという国民性には改めて脱帽する。

ボーヌ村内では、Marche aux Vinsで15種類に上るワインの試飲は目玉の一つ。
街のシンボルともいえるゴシック屋根の建物、元々は慈善病院で現在はワインのオークションが行われることでも有名なHotel Dieu (Hospices de Beaune)も観光客で賑わう。
f0023268_1033850.jpg


友人二人より一足先にボーヌ入りした私は、活気の溢れる土曜日の朝市を覗くことができた。
フレッシュな肉・野菜などの食材やチーズ・サラミなどが所狭しと並べられる。
ロンドンでも最近このような産地直送のファーマーズ・マーケットは多いけれど、地元の人が大きなバスケットを手にして野菜や果物を選んでいる姿などを見ると、改めてここは世界的に有名とはいえ、ブドウ農家を主体とする小さな農業の村なのだな、との思いを新たにする。
f0023268_104167.jpg

f0023268_1051362.jpg

f0023268_1052994.jpg


「小さな村」といえば、降り立ったボーヌの駅も、人影もまばらなら、タクシーの一台すら見つからず、重い荷物を抱えてとぼとぼホテルまで歩く羽目になって閉口した。
・・・しかし良く考えれば、当然か。
パリから200km程度南東に位置する珠玉のワイン地帯。
少し車を走らせれば、周りはブドウ畑だらけなのだから。

「田舎」であることと並んで改めて感じたのは、ブルゴーニュと一口にいってもいかに多様であるかということ。
ブルゴーニュのワインは、葡萄の品種で言うと、赤が一部例外を除いてほぼすべてピノ・ノワール、白が同シャルドネと、「多様」ではない。
が、例えば世界的に有名な白ワインを生産するムルソー(Mersault)村の中でも、畑の階級も様々なら作り手も様々。
素人の我々はついつい村名やヴィンテージ(作成年)だけに注意を向けがちだが、Puligny-MontrachetやMersaultなどの有名ブランドと化した村では、ブランド力で儲けようと劣悪なワインを作るタチの悪い生産者もいるとか。

白ワインばかりを挙げてしまったけれど、赤ワインも名実共に王者級。
ワイン三昧の贅沢な一日となった月曜日は、コート・ド・ニュイ(Cote de Nuits)は北から南下するコースを採ったので、コート・ド・ニュイの中でも最大となる9つの特級畑ジュヴレ・シャンベルタン(Gevrey-Chambertin)の作り手と畑を朝一番で訪れる。
この村で訪問したPhilippe Leclere氏は、試飲を行う入口付近のスペースに昔ながらのボトル運搬用滑車などがあり、風情が漂う。
f0023268_106054.jpg


毎年ワイン生産にまわるブドウの栽培面積が1ヘクタール強しかないため、6000本弱のワイン全てが異常なまでのプレミアムで売買されるロマネ・コンティ(Romanee-Conti)の畑。
良い畑は、土壌、日光、水はけなど全ての条件が整っていることが必要となる。
f0023268_1062420.jpg


ワイン素人の自分が言うのは僭越だけれど、今回色々訪ね歩いてみて、やはり「作り手」を知ることというのは重要だと感じた。
今回は、「芽掻き」というブドウの不要な目を摘む作業を行う忙しい時期。
そんな忙しい中でも、一見の観光客への説明に時間を割いてくれる生産者の方には本当に頭の下がる思いだった。

初日に訪れたムルソー村の名物おじいちゃん、Bernard Michelot氏は何と82歳!
さすがに今では畑に出ることはないとのことだったけれど、2時間近く掛けて丁寧に説明して頂いた。
若さの秘訣は、こうして色々な人と触れ合い、刺激を受けることなのかも。
こんな素敵な笑顔のおじいちゃん↓の作るワイン、買いたくなりませんか?

f0023268_563594.jpg

[PR]
by canary-london | 2008-06-16 10:09 | travel

サルディニアという楽園

写真のアップがすっかり遅くなってしまったけれど、今回は先々週行ったサルディニアについて。
イタリア人が自国の中でもっともその海の美しさを賛美する島でありながら、1960年代前半にサルディニアとは何の関連もないイスラム界の帝王、アガ・カーン四世が本格的な開発に着手するまで、世界有数の高級リゾート地として外国人に知られるようになるなど考えられなかったことと思う。

今回は、高級リゾート地としてのサルディニアの代名詞ともいえる北部コスタ・スメラルダ(Costa Smeralda)のポルト・チェルヴォ(Porto Cervo)、そして全く趣きの異なる中部にある山あいの村と二箇所に滞在し、所謂「セレブの集まるサルディニア」と、もっと素朴な自然美の素晴らしいサルディニアと両方の表情を垣間見ることが出来た。

写真の腕にはあまり(というかまったく)自信がないので、写真の綺麗な友人のブログはいつも羨ましいと思いながら眺めるだけなのだが、今回は同行した友人に撮ってもらってばかりいた写真を幾つかご紹介(有難う!)。

「セレブの集まるサルディニア」の中心広場は、こんなところである。
f0023268_8321490.jpg

ボンド・ストリートもびっくりのブランドショップが軒を連ねており、ついつい財布の紐が緩む。
サルディニアのような場所で買い物をするとき最も困ることは、ついつい美しい太陽の下で映える色の洋服やバッグを買ってしまい、どんよりと曇ったロンドンに戻ってくると決まって
「あれ、こんな色だったっけ?」
とがっかりしたり、ひどい場合にはロンドンでは明るい色が浮いてしまってすっかり登場回数が減ってしまったり。

ポルト・チェルヴォに程近いビーチでも、人気の少ないビーチもある。
5月初めで少し寒かったが、気にする風でもなく泳いでいる元気な人々の姿もちらほら。
f0023268_8493336.jpg

こちらはもっと観光化されて賑やかな、Baia Sardinia。
賑やかとはいえ、海の水はとびきり綺麗。
f0023268_8333918.jpg

f0023268_835147.jpg

f0023268_8352056.jpg

ここの浜辺にあるフレッシュなシーフードを出すレストランがすっかり気に入り、二日連続で通ってしまった。
サルディニアといえば、ウニのスパゲッティ(Spaghetti Ai Ricci di Mare)とカラスミのスパゲッティ (Spaghetti Alla Bottarga)。
滞在中、とにかくひたすらウニとカラスミのパスタを食べたような気がする。

ポルト・チェルヴォで頻繁に見かけるもう一つの「金持ちアイテム」は、やはりクルーザーか。滞在先のホテルに近い港(Porto)にのんびりと停泊する船多数。
f0023268_835468.jpg


別荘やホテルなどが殆どと思うが、明るい色彩の建物が青い空に映える。
ただ不景気を映してか、建設が中断されたように見受けられる建物も時折見かけた。
f0023268_8361361.jpg


こちらは、山あいの村の方。
Supramonte という山脈を形成する山々にはトレッキング感覚で登ることが出来る。
といっても割合本格的な格好で挑んでいる人が多く、ジーンズにいいかげんなスニーカーとハンドバッグで山を登っていた我々の方が異色だった模様。
f0023268_8364587.jpg

f0023268_8371128.jpg


・・・下山中、何よりびっくりしたのは豚の大群に出くわしたこと。
野生というわけでもなく、どこかの「家畜」ではあると思うのだが、ブロイラー的な家畜と違ってどこか健康的。
親子でも、黒や肌色、ブチなど様々なところも面白く、すっかり豚に見とれてしまった。
f0023268_8482296.jpg


そして最後は、ヌラーギ(Nuraghe)。
紀元前1800年から紀元前500年にかけて作られたものが殆どという謎の遺跡は、サルディニア島内に実に7,000もある。
訪れたNuraghe Mannuは決して規模の大きいところではないものの、Supramonteの山中に位置し海を背にした立地とあって、眺めが最高だった。
f0023268_8381047.jpg

[PR]
by canary-london | 2008-05-22 08:55 | travel