言語に関する軽い考察その1
2008年 03月 08日
日本語と英語に関する考察はこのブログでも良く取り上げるトピックのひとつだけれど、最近気になる英語のフレーズが幾つかある。
そのうちの一つは、
‘Do you know what I mean?’
このフレーズ、使う人はかなり高い頻度で使う。
初めは米国人特有の性質かと思ったが、少し注意して耳を傾け始めると、そうではないことに気づく。
イギリス人でも、多用する人は実に良くこの言葉を発する。
当然といえば当然なのかもしれないが、英語を母国語としない人になると使用頻度が大きく下がる。
また、これは偏見か或いはたまたまサンプルが偏っているのかもしれないが、男性よりも女性の方に良く使われるように思う。
‘Do you know what I mean?’
・・・直訳すれば、
「・・・(私の言っていることの)意味、分かる?」ということになるが、典型的なRhetorical Question(修辞疑問)であり、別に相手にYES/NOの回答が期待されているわけではない。
むしろ、何か自分が強く思うことについてひとしきり意見を述べた後にそれを強調する象徴的な意味合いで使うことが多い。
(その観点からは、仮に訳も分からず「NO」とでも答えようものなら、興奮している相手を余計に刺激し非常に寒い会話となることは間違いない。)
あくまで個人的な感想だが、私はこのフレーズはあまり好きではない。
正直品がないと思うし、あまり教養を感じさせないし、文字通りの意味は少ないとはいえ、会話をしている相手に対する思いやりや気遣いも欠けるような印象を与えがちだ。
自分への運用は、英語と日本語の両方ある。
英語に関しては、当たり前ながら「自分では使わない」ようにすること。
実はこれ、英語でこのフレーズを口癖としている人が周囲に大勢いる場合、意外に強靭な意志が必要。
良く会話をする相手の口癖というのは伝染るものであり、概ね迎合的で周囲の影響を受けやすい私は、特に他人の口癖が自分でもクセになってしまう傾向が強い。
勿論、良いものや新しいものはどんどん受け入れたいと思うが、合わないと思うものはきっぱりと否定しなければ。
他人様の、それも良い大人の口癖に難癖を付けるつもりも筋合いも毛頭ないけれど、少なくとも自分では使わないこと。
どうしても使いたい局面では、Rhetorical Question形式ではなく、コメントの後に”…if you know what I mean”と付けた方が印象が大幅に和らぐため、自分で稀に使うケースでは、このように文章の末尾に持ってくるようにしている(といっても、ニュアンス自体は同じではなくなる)。
一方で、実は日本語にも影響があったりする。
海外に長く暮らす日本人なら誰しも経験することだと思うけれど、英語のフレーズをそのまま日本語に直訳して話している自分に気づくことが時折ある。
「・・・(私の言っていることの)意味、分かる?」
日本語で言うと、英語よりもさらに強い言い回しとなってしまう。
先日一度つい自分で使ってしまい、幾ら相手が親しい友人だったとはいえ、言った瞬間に自分の方が驚いてしまった。以後自分では絶対に使わないよう心がけている。
言語とは不思議なもので、あることを言うのに適した言語とそうでない言語があるように思える。
厳密に言うと、「あることを言うのに適した言語と更に適した言語」ということだろうか。
私がロンドンで過ごした高校時代のクラスメートにブラジルで育ったイタリア人の女性がいたが、環境が環境だけに、彼女および彼女のお姉さんは、ブラジルの公用語であるポルトガル語・イタリア語・英語のトライリンガル。クラスメートとは普通に英語で会話をし、姉妹で話すときにはポルトガル語、しかし喧嘩となるとイタリア語が飛び交う不思議な二人であった。それを見るたび、やはりイタリア語は言語として勢いがあり、言ってみれば「ケンカ向き」なのだろうな、と感じたことを思い出す。
各言語の特徴を掴み生かしつつ、常に印象の良い話し方をするというのは永遠のテーマになるのだろうと思う。
自分は二つの言語しか出来ないが、世の中のトライリンガルやそれ以上の言語を操る人々の頭の中は一体どうなっているのだろうか?一度覗いてみたいと本気で思う。
そのうちの一つは、
‘Do you know what I mean?’
このフレーズ、使う人はかなり高い頻度で使う。
初めは米国人特有の性質かと思ったが、少し注意して耳を傾け始めると、そうではないことに気づく。
イギリス人でも、多用する人は実に良くこの言葉を発する。
当然といえば当然なのかもしれないが、英語を母国語としない人になると使用頻度が大きく下がる。
また、これは偏見か或いはたまたまサンプルが偏っているのかもしれないが、男性よりも女性の方に良く使われるように思う。
‘Do you know what I mean?’
・・・直訳すれば、
「・・・(私の言っていることの)意味、分かる?」ということになるが、典型的なRhetorical Question(修辞疑問)であり、別に相手にYES/NOの回答が期待されているわけではない。
むしろ、何か自分が強く思うことについてひとしきり意見を述べた後にそれを強調する象徴的な意味合いで使うことが多い。
(その観点からは、仮に訳も分からず「NO」とでも答えようものなら、興奮している相手を余計に刺激し非常に寒い会話となることは間違いない。)
あくまで個人的な感想だが、私はこのフレーズはあまり好きではない。
正直品がないと思うし、あまり教養を感じさせないし、文字通りの意味は少ないとはいえ、会話をしている相手に対する思いやりや気遣いも欠けるような印象を与えがちだ。
自分への運用は、英語と日本語の両方ある。
英語に関しては、当たり前ながら「自分では使わない」ようにすること。
実はこれ、英語でこのフレーズを口癖としている人が周囲に大勢いる場合、意外に強靭な意志が必要。
良く会話をする相手の口癖というのは伝染るものであり、概ね迎合的で周囲の影響を受けやすい私は、特に他人の口癖が自分でもクセになってしまう傾向が強い。
勿論、良いものや新しいものはどんどん受け入れたいと思うが、合わないと思うものはきっぱりと否定しなければ。
他人様の、それも良い大人の口癖に難癖を付けるつもりも筋合いも毛頭ないけれど、少なくとも自分では使わないこと。
どうしても使いたい局面では、Rhetorical Question形式ではなく、コメントの後に”…if you know what I mean”と付けた方が印象が大幅に和らぐため、自分で稀に使うケースでは、このように文章の末尾に持ってくるようにしている(といっても、ニュアンス自体は同じではなくなる)。
一方で、実は日本語にも影響があったりする。
海外に長く暮らす日本人なら誰しも経験することだと思うけれど、英語のフレーズをそのまま日本語に直訳して話している自分に気づくことが時折ある。
「・・・(私の言っていることの)意味、分かる?」
日本語で言うと、英語よりもさらに強い言い回しとなってしまう。
先日一度つい自分で使ってしまい、幾ら相手が親しい友人だったとはいえ、言った瞬間に自分の方が驚いてしまった。以後自分では絶対に使わないよう心がけている。
言語とは不思議なもので、あることを言うのに適した言語とそうでない言語があるように思える。
厳密に言うと、「あることを言うのに適した言語と更に適した言語」ということだろうか。
私がロンドンで過ごした高校時代のクラスメートにブラジルで育ったイタリア人の女性がいたが、環境が環境だけに、彼女および彼女のお姉さんは、ブラジルの公用語であるポルトガル語・イタリア語・英語のトライリンガル。クラスメートとは普通に英語で会話をし、姉妹で話すときにはポルトガル語、しかし喧嘩となるとイタリア語が飛び交う不思議な二人であった。それを見るたび、やはりイタリア語は言語として勢いがあり、言ってみれば「ケンカ向き」なのだろうな、と感じたことを思い出す。
各言語の特徴を掴み生かしつつ、常に印象の良い話し方をするというのは永遠のテーマになるのだろうと思う。
自分は二つの言語しか出来ないが、世の中のトライリンガルやそれ以上の言語を操る人々の頭の中は一体どうなっているのだろうか?一度覗いてみたいと本気で思う。
by canary-london
| 2008-03-08 03:19
| culture