ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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ネットワークと「満ち溢れる言葉達」

やっと家でネットワークに接続が可能となり現世に復帰。
大げさかもしれませんが、イマドキの世の中ではネットワークから断絶されているとさながら原始時代。
もちろんオフィスではネットワークどころか情報が即刻商売に繋がる仕事であるため常に最新の情報を見ているのですが、先週一週間は夜自宅で気になることを調べたいときにネットに接続できないっっっと苛々が募る毎日でした。

改めてインターネットって凄い、と思う。
(1) 私は著しい健忘症なので、こんな雑文を書いていてもすぐに「あー、あの本のタイトルなんだっけ・・・」とか、「あの指揮者どこの国の出身だっけ・・・」とか、はては(自分の日本語に凄まじい勘違いがあったりして赤面する局面もたまにあり)国語辞典も最近では専らYAHOOを利用している始末。
「Google」が動詞になってしまうぐらい、クリック一つで何でも調べられる本当に便利な世の中なのだが、昔の人って一体どうしていたのかしら・・・と真剣に思う。
調べたくてもすぐに調べられない。本で調べるためには、ある程度文献や箇所をピンポイントする必要があるし。
インターネットのない時代であれば、私なんか間違いなく文章(いやたかがブログ、されどブログ)書けないなあ。恐ろしくて。昔の人って恐ろしく記憶力が良かったのだろうか。摩訶不思議。
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(2) インターネットの功罪についてもう一言。
名付けて「満ち溢れる言葉達」。
ブログやHPがこれだけ一般的に普及し、「文章を書く」ことがものすごく身近なことになった。
昔は「文章を書く」ということは、気障な文学青年の道楽のようなイメージがついて回ったものだが、今は誰もが自分の考えや日常について書きネットワークで公開している。
一見すると若者の活字離れを嘆く趨勢に反する動きかもしれないけれど、要は無差別になっているということだと思う。以前であれば、誰かの書く文章は主には雑誌なり本なりという媒体を通じて公開されるため、人の目に触れる前の段階で厳しくふるいに掛けられる。そのプロセスがないのだ。
自分もブログを始めてから他人のブログやHPなどを覗く機会が増えたが、中には「こんな私的な日記、自分以外の人間が読んで何が楽しいんだ!?」と思える内容且つ読むに耐えない稚拙な文章なんかも。
(誤解のないように言うと、もちろん日記であってもオーディエンスを意識した非常に引き込まれる内容のものもたくさんある。そういう人達は、(i) 人生自体がわりとオモシロイ、(ii) 文章が上手い、(iii) エンターテイナーである、という3つの要素を併せ持っているのだと思う。)
一方の読むに耐えない文章というのは、感覚的には、周囲を全く顧みず電車内で携帯電話で話したり化粧をする人達に似ているのではないだろうか。自分の空間とそれ以外に区別をつけることが出来ない、ということなのだと思う。

かくいう自分の文章も、独りよがりの私的な日記にならないよう気を付けなければ。
今日は全然違うテーマについて書こうと思ってPCに向かったのだけれど・・・これが気ままなブログのいいところ??
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by canary-london | 2006-01-19 09:14 | diary