ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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祖母について。家族について。

10月中旬頃から何やらすっかり執筆がおろそかになってしまった。
自分の身辺が何かと慌しかったというのが言い訳でもなく本当の理由なのだが、ブログというものは大して読者数もいないクセに更新を滞ると日々訪問してくれる「読者」に申し訳ないなどと思うのだから面白いものである。
身辺の揺れる事象の当面の完結編ということでもなかろうが、先般の東京出張から戻って10日と経たない17日金曜日、再び東京行きの飛行機に飛び乗る羽目になった。

ごく個人的な、且つ家族にとって大切な内容を敢えてブログという半パブリック・半プライベートの生煮えのようなフォーラムで書くことを近しい親戚(兼大切な読者)にはご容赦頂きたく。
ウェブ2.0社会においては、ブログは他人と共有し得る「社会的な日記」の性格をもつのだから。
(「他人との共有」や「社会性」を無視したブログはさながら電車の中で化粧する女子高生のように見るに耐えない代物となることは言うまでもない。)

前置きが長くなってしまった(悪い癖だけれど)。

11月18日土曜日午前4時。
私の人生の丁度ほぼ半分を同じ屋根の下で暮らした母方の祖母が永眠した。
96歳だった。
大往生である。
自分にとっては、永遠の「おばあちゃま」。

1. 死するときの人間の表情と人間性
「危篤」との知らせを受けて当日の便に飛び乗ったところで、ロンドン→東京の距離はこんなとき果てしなく遠い。
私が都内の実家に辿り着いたのは夜の8時をまわっており、午前4時の臨終には掠りもしなかった。が、灰となる前の祖母にひと目会うことが出来ただけでも、気管支炎を伴う風邪によるひどい咳を押して11時間のフライトに乗って駆け付けた価値は十分過ぎるほどにあった。
棺に納められた小さな祖母の顔は、びっくりするぐらいに、本当に本当に綺麗だった。

エンバーミングなど進むテクノロジーによるところもあるかと思う。
また、祖母が最後にお世話になった青梅のK病院が最後に何らの人工的な延命措置(酸素マスクや点滴など)を行わないで欲しいとの本人の意思を尊重して下さったことも、苦しみが短時間で済む結果となり安らかな表情で最期を迎えることが出来たのは間違いない。

しかし何より、やはりあの穏やかな祖母の表情は、彼女の生前の人格、そして何よりもその「生き方」の表れなのだと感じた。
「いかにして生きるか」ではなく、「いかにして死ぬか」が、現代においてはより重要――そんなことを痛感させられた。


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2. Ode to my family and relatives
お通夜も告別式も、祖母の意向により祖母の(既に他界して長い年月の経つ祖父との間に設けた)子供、及びその子供、そして各々の家族のみというごく内輪の集まりであった。
小さな子供を合わせても20人強のグループ。
集まったメンバーは、大体がして自分と同じく、情に脆くお調子者(失礼!)。
祖母の棺を囲んだお通夜では、走り回る子供達をはじめ談笑(ときに爆笑も・・・?)が絶えない一方(正に生前の祖母が望んだ通りであった)、一人一人が祖母の思い出を語った告別式では涙を拭う姿もちらほら。
家族や親戚という枠組みを越えた「仲間」達。
来年も、再来年も、そのあくる年も。
祖母を囲んで、集まろう。

3. 外資系企業と家族について
会社による差はあるかもしれないが、一般的なイメージとは異なり、インベストメントバンク=冷血なエコノミック・アニマルではない。
周囲で働くのが欧米人ばかりという環境に身を置いていると、こと「家族」というトピックに触れるにつけ、そのように感じる。
木曜日の夜中に受けた「祖母危篤」の知らせを抱えて悶々としていた金曜日の朝。
「仕事なんていいから早く帰りなよ。帰らないときっと後悔することになるから。」
と背中を押してくれた同僚達。
週末の出張予定を初め後ろ髪を引かれる事項も色々あったのだが、とりあえず荷物をまとめて飛行機に飛び乗った。

私は所謂日本の企業に勤めた経験がないので、「日本の会社で働くということ」についてはコメントできない。
然しながら。
日本の組織では出来なかったかもしれない贅沢。

支えてくれた皆に、心から有難うと言いたい。
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by canary-london | 2006-11-22 11:16 | diary