ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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旅のメモ: クラコフとアウシュビッツ

英国は国民の祝日が少ない。
日本に比べると少ないのは周知の事実だが(銀行も休業となるBank Holidayのベースで比較した場合、2009年は英国8日に対して日本は16日)、他の欧米諸国に比べても少ないため(同じベースでの比較で、2009年は米国10日、フランス11日)、ロンドンで仕事をする外国人が不平を言うときの一つの大きな材料となる。

私もロンドンに働く外国人の例に洩れず、「もう少し祝日を増やしてほしい」と常に思ってはいるのだが、それでも英国の祝日を決めた人は素晴らしいと思うことが一つあって、それはその数少ない祝日のうちの二日間を5月としたこと。(もっとも、フランスは5-6月の二カ月に四日も国民の祝日があるのでイギリスだってまだまだ改善の余地はあるのだが。)

5月は新緑が美しく、ヨーロッパの少し南に旅をしても暑すぎることが少なく(6月初めともなると乾燥したアンダルシア地方などは非常に暑い)、天候も概ね良い。
つまり、ヨーロッパ近郊への旅行に最適の時期。
ロンドン自体も4-7月が一年で最も素敵な時期なので、この時期にロンドンを離れるのが勿体ないと思う部分もあるのだが、必ず月曜日の祝日を含めて三連休とする「ハッピー・マンデー」(そんな名称は当地ではないが)政策も手伝って、5月の連休は旅行に出るというのが定石どおりの過ごし方となる。

5月/2/3/4日の三連休は前もって計画を立てていたわけではなく、ちょうど別の友人との予定がキャンセルになってしまった旅行好きの友人に誘われ、二週間ほどの間で行先を決めて、格安航空券とホテルを抑える。こういったカジュアルな、つまり行き当たりばったりの旅人が簡単に旅行の計画を立てて出掛けやすいのもヨーロッパの魅力の一つだろう。

今回の行先にはポーランドを選んだ。
東欧へも色々足を伸ばそうと思いながらも、リラックスできる休暇で訪れる先としては、どうしてもイタリア・スペイン・フランスが群を抜いて多くなってしまう。
クラコフは、昔一緒に働いたスイス人の同僚も「絶対に行くべき」と強く薦めてくれたこともあって、以前から東欧で是非行ってみたいと思っていた都市の一つであった。

ロジスティックスの達人である友人の提言で、二泊の拠点をクラコフに置いて近郊にも出掛けることにした。

クラコフの街自体は、風光明媚ではあるものの、失礼ながらこれといった特色があるところではない。ヨハネ・パウロ二世(前ローマ法皇)が生涯で二度居住し現在は博物館となっているArchdiocesan Museumには行ってみたかったのだが、欧州で「MUSEUM」という名前のつくところは、月曜日というのは軒並み閉まっているのが常識。ヨハネ・パウロ二世ファンの自分としてはとても残念なことに、今回は見ることがかなわなかった。

クラコフの街でもっとも私の興味を引いたのは、中世から残る広場として欧州最大級である中央広場・・・自体ではなく、その広場の片隅に設置された仮設のコンサートホール。
プレハブのような簡素な造りの舞台で、観客席はといえば無造作に並べられたパイプ椅子。観客席の方には屋根もないので、雨が降ってきたらおもむろに店じまいするのだろうか(我々の滞在中は幸いにして終始好天に恵まれた)。
ここで、一日中何らかの音楽が演奏されている。
舞台の制約上室内楽が多いようだったが、通りがかりに耳にしただけでも、モーツァルトやブラームスなどの音楽が弦楽器でしっとりと奏でられていた。

ポーランドといえば、ショパンの音楽だけが神格化されているのではないかといった漠然としたイメージを抱いていただけに(かく言う自分もショパンの音楽を神格化しているクチだけれど)、これはちょっと意外。
・・・と感じると同時に、街角の広場で(確認できなかったが、おそらくチケットは無料またはとても安価なのだろうと思う)毎日ごく気軽に優美且つなかなかどうして質の高いクラシック音楽を誰もが聴けるなんて、何て素晴らしい環境なのかと羨ましく思った。
日頃から良い音楽を聴いているからこそ、彼らの耳は実に研ぎ澄まされているのだ。

旅の大きな目的の一つは、やはりアウシュビッツを訪れることにあった。
オシフィエンチムという、ヒトラーがいなければ世界にその名を知られることはなかったであろう小さな田舎町は、クラコフから南西へ約60km、ローカルの列車で1時間半ほどの場所に位置する。

有名な、「働けば自由になれる」の看板が高々と掲げられたアウシュビッツIは、とにかく凄惨の一言に尽きる。
アウシュビッツIからIIIの合計で命を落としたユダヤ人をはじめとする被収容者の総数は150万人ともいわれるが、その多くが射殺され血を流した「死の壁」。
死を待つ間の短い時間を過ごすために使われた小部屋の壁には、祈りの言葉やキリストの画が彫られていた。
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死体から切り取られ、商品として流通した毛髪の山・山・山。
靴。
眼鏡。
小さな子供服。
皿や鍋などの日用品。
―目を背けたくなる。





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もうひとつ驚いたことは、収容された(そしておそらくは処刑された)人の顔写真が実名入りでずらりと展示されていること。
全員はとてもカバーできないだろうが、それにしても相当な数だ。
遺族は、訪れるたびに一体どんな気持ちでこの写真を眺めるのだろうか。

アウシュビッツIから3kmほど離れたところに、アウシュビッツII・通称「ビルケナウ」がある。こちらは、被収容者の増加でアウシュビッツIがパンク状態となったことを受けてより後年に造られたもの。
収容者の私物略奪など日常的に行われたナチスSSの犯罪行為の証拠隠滅のために殆どの建物が焼失しているため、現存するのは、ただひたすら広大な野原に建物の土台部分が散在するという奇妙な光景。
こちらのビルケナウの方は、アウシュビッツIと違って、直接的・視覚的な悲惨さは少ないのだが、何も残されていないだけに、ここでほんの65-70年程度前に行われた残酷きわまりない行為にむくむくと想像が膨らんでしまい、逆に背筋が寒くなった。

浮かぶ思いはただひたすら、’How can a man do this to a fellow man?(どうしたら人は同じ人間に対してかくも酷い仕打ちが出来るのだろうか?)’ということだった。

今回のアウシュビッツへの旅に、映画のようなとてつもなく不気味な現実感のなさを与えたのは、新緑の季節と素晴らしい天候だった。
大量殺戮が行われた現場に立っているというのに、建物の外を見やると実にのどかで殺人などとは無縁な緑の芝生や木々と青い空が広がり、太陽が燦然と輝く。
このギャップが、何よりも空恐ろしく感じられた。

オシフィエンチムの駅からアウシュビッツIまでは、バスもないので20分程度の道のりをただひたすら歩いた。道すがら、何ともいえない違和感を感じたのは、広い庭を備えた実に立派なたたずまいの数件の戸建。
近隣の住民で、被収容者を援助するため尽力した人が多いことはもちろん知っているのだが、この人達は、救いの手を差し伸べたのだろうか。もしくは、二次大戦後に居を構えた人々なのだろうか(でも、誰が好きこのんで大量殺戮現場から数百メートルしか離れていない場所に土地を買って住まうのだろうか?)。
不吉なほど晴れわたった空の下、私はそんなことをただぼんやりと考えながら歩いていた。
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by canary-london | 2009-05-13 09:46 | travel