ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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続・ニューヨーク考―Metその2

ニューヨークにおけるもうひとつの‘Met’は、もちろんMetropolitan Museum of Art

美術館というのは、自分の中での「適正なサイズ」というものがあって、あまりに規模の大きいものは、いかにコレクションが素晴らしくても何だか身構えてしまって行く頻度が遠のく。

パリが良い例で、ルーブルのコレクションはもちろん秀逸なのだけれど、まず大き過ぎて、数時間はおろか早朝から夜まで一日たっぷりかけたとしても、自分の見たいものを全て見ることができない。
それゆえ、限られた滞在時間でルーブルよりも頻繁に足を運ぶのは、自分の身の丈に合ったサイズの大好きなオルセー美術館や、規模はさらに小さいものの全館を通じて見たとき感動を与えてくれるピカソ美術館やマルモッタン美術館、オランジュリー美術館などなど。

ニューヨークのMetは、前回訪米時の2006年には残念ながら訪れる時間がなかったため、最後に行ったのは1999年ということになる。
今回のニューヨーク行きには自分としては幾つか動機があり、間もなく日本に帰国してしまうロンドンの親友と共通のニューヨーク在住の友人を訪れるという名目での最後ないし最後に近い二人での旅行に行くこと、前回書いた世界のMetでオペラを観ること、そして、米国に多く貯蔵されるオランダの画家・フェルメールの在ニューヨークの作品を観ることが主だったもの。

そのフェルメールは、今回ニューヨークで9枚観ることができた。
世界に32-37枚(鑑定家によりフェルメール作品として認められているものの数が異なる)しか現存しない寡作のオランダ人画家の作品の四分の一が、ニューヨークという一つの都市に所蔵されているのだ。Frick Collection(フリック・コレクション)に3枚、そしてこのMetに6枚。

以前から訪れたくてたまらなくて今回やっと機会が訪れたフリックは、美術館全体がひとつの芸術作品のよう。三枚のフェルメールも大事に展示されており、池の周りに花が咲き乱れる小さな中庭を囲んで館内を歩くのは正しく至福。時間が過ぎるのも忘れてしまう。

一方のMet。
誰もが認める傑作である「窓辺で水差しを持つ女」をはじめとする4枚が一部屋に、そして隣接する部屋に「眠る女」など2枚が、なんというかとても贅沢に展示されている。
・・・これだけの数のフェルメールを、こんなに所狭しと並べてしまっていいんだったっけ、と観る側としては何となく当惑を覚えるのだ。
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Metの19世紀絵画コレクションは実に素晴らしく、19世紀に限っても所蔵作品は約2,200点を数えるとのこと。定められた入場料というものがなく(といってもロンドンの多くの美術館の常設展示のように自由に出入りできる放任主義ではなく、10-15ドル程度は払うような倫理工作が巧みに行われてはいるが・笑)、これら作品が展示スペースに並べられる限りにおいては思う存分楽しむことの出来る一人の観光客としては文句をいう筋合いではないのだけれど、美術の教科書で眺めた名作の洪水に押し潰されそうになる。
・・・フェルメールの二室から奥へ進むと、モネだけを集めた部屋、セザンヌの部屋、ドガの部屋、ゴッホの部屋・・・。
規模が大きいことはもちろん分かってはいたのだけれど、今回行ってみて改めてその規模に敬服すると同時に、正直軽い吐き気を覚えた。

美術品は、歴史をたどれば戦勝国が戦利品として得たものも多く、過去は決して綺麗なものばかりではないし、基本的には国の富と権力の象徴である部分は否めないのだろうと思う。200年ほど遡れば、ナポレオン。ヒトラーの後継者に指名されながらも死刑を宣告され、執行前に自ら命を絶ったヘルマン・ゲーリングの蒐集癖も、正気の沙汰ではない。もっともこれは戦勝国云々というより、ひとえに個人の乱心といえるかもしれないけれど。

このことは頭では理解しているつもりであるし、もちろん折角の豊かなコレクションがお蔵に眠ったまま日の目を見ない状態は美術品にとっても不憫なので(10年近く前に訪れた台湾の故宮博物館はその典型例で、常時所蔵品の3分の1程度しか展示していなかったように記憶している)、所蔵するものについては惜しみなく誰の目にも触れることを貫く姿勢には脱帽する。

ただ。
たとえは幼稚だけれど、誕生日とクリスマスとバレンタインを全部一度にお祝いされてしまったような。
もしくは、ひとつずつ苺ののったショートケーキを、12ピース全部同時に食べてしまうような(これはメタボ的には別の種類の問題があるが・笑)。

刹那的なのに、楽しいものや豊かなものや美味しいものは可能な限りゆっくり味わいたいと思う人間のわがままゆえのジレンマなのだろうか。大好きな19世紀絵画のセクションを半分ばかり眺め終わったところで、ふと、「Metさん、有難う!でも今日は自分のキャパシティ以上の美術品を堪能したのでまた出直します!」と五番街を歩いている自分に気づいた。

―また、ニューヨークに戻らなければならない理由が増えてしまったな。
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by canary-london | 2009-04-01 08:44 | travel