ロンドン生活開始から4年強経過。あこがれの田舎暮らしも敢行!このまま骨を埋める展開か??インベストメントバンカー日々迷走中。


by canary-london
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Surreyの新居とOliveのこと

かなり久し振りのエントリになってしまったが、今日はOliveのことを書く。

今年の1月末、Surrey州の田舎に引っ越した。
英国ではよくあることだけれど、昔貴族の邸宅・いわゆるマナーハウスであった18世紀後半の建物の管理が不可能となったため、30年ほど前に居住用に分譲したもの。
ちなみに、19世紀にここに住んだどこぞのお妾は、移り住むなり「狭すぎる」と三行半を突き付けたとのことで、その同じ御屋敷を24分割して住んでいる我々の立場はどうなるのだろうか。。。

ちなみに英国で昔貴族の邸宅であった建物は、現在では我が家のように分譲して居住用と割り切るもの、学校・病院・美術館など公共の建物として利用されるもののほか、豪華なホテルに姿を変えたものも多い。

夫も私も子供時分は東京の都会育ち、直近はロンドン暮らしが長く、二人してれっきとした「英国の田舎」暮らしに長く憧れた結果として今の家を住処として選んだ。

ともあれ、Olive。
少し前に、「10月はお互い独身だね!」などと私の夫の日本出張を気遣って彼女が言ってくれたことをきっかけに、マナーハウス中心に位置する彼女の家へアフタヌーン・ティーに招いてもらった。

83歳とは思えないほど背中がしゃんとしており、手伝おうとする私の手を制して美味しいアール・グレイを淹れてくれた。
5年前に亡くしたご主人のことや、初めて聞かされる30年前に交通事故で亡くした一人娘のこと。
Oliveは一人っ子でご主人も一人っ子であったこと、そして孫を授かる前に一人娘を亡くしてしまったために、彼女には親戚というものがない。
娘のことを話すとき、感情的になっても不思議でないと思うのに、彼女は涙など浮かべることなく、聞いているこちらの方が涙が出そうになって困ってしまった。

「Olive」=オリーブの木は、平和・英知の象徴。
豊穣も意味する。
聖書にも30回以上登場するOliveを、聖なる植物として崇める向きも多い。
彼女のキャラクターは、正にそんなオリーブの木のように清らか。
余計なお世話かもしれないけれど、日本を離れて久しく、数年前に両方の祖母を亡くして以来、「おばあちゃま」不在だった自分にとっての新しい「おばあちゃま」として、Oliveを大切に大切にしようと思った午後のひとときだった。
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# by canary-london | 2010-11-01 07:27 | diary
ビッグ・イシューのことを書いていたら、かなり以前に買った英国版ビッグ・イシューについて書こうと思いながら書きそびれていたことについてふと思い出した。

前回書いた「地域のコミュニティー誌」的な部分なのかもしれないが、巻末の宣伝部分に掲載される諸々の広告にも国による違いが表れていて興味深い。

英国版ビッグ・イシューの巻末部分に非常に多いのが、「XXを探しています」という尋ね人の広告。
ためしに日本版を注意深く繰ってみたが、こんなセクションは見当たらない。

先日、その‘尋ね人’のセクションにこんなものがあった:
Vulnerable missing person (Jane Smith (注: ここでは仮名を使用))
She is 75 yrs old and has been missing since 28th June.
[Jane] is approx. 5 foot 5 and was wearing....., she suffers from dementia and may easily look confused or talk to herself.

得意の意訳をするとこんな感じだろうか。
「尋ね人(彼女は助けを必要としています):ジェーン・スミス(仮名)
今年75歳となる彼女は、6月28日以来行方不明となっています。
ジェーンは身長164-165センチ程度、行方が分からなくなった時点ではXX色のXXを身につけており・・・・、彼女は認知症を患っており、独り言が多い。」

・・・意訳しながら、思わず笑ってしまった。
などと言うと不謹慎きわまりないのだが、もちろんその笑いはここで描写されている老女やその家族に向けたものではなく、ただ単純に、描写だけを見た場合、あまりにもぴったり自分に当てはまるからだ(余談ながら、私は身長も約163センチなので、5ft5に大体合致する)。

ーティーネージャーの頃からか、やけに独り言が多い。
大学時分、何かのきっかけで一人暮らしの友人とそんな話題になり、「自分は気付くと常に独り言をいっている」と話したところ、いたく変人扱いされた。
このような性癖は簡単に治るものではないらしく、今も私はとにかく独り言が多い。
職業柄、相場が思うように動かないときに悪態をつくのは私の周囲の面々も含めて決して珍しいことではない。とはいえ私の場合、相場から離れたときでも気づくと何気ない一言を口に出していたりするので、予想外の場所で同僚に出くわしたりすると、えらくきまりの悪い思いをする羽目になる。
日本語で何かつぶやいていれば相手は胡散臭そうな視線をこちらに送るだけだが、英語でくだらないことをぶつぶつ言っているときには意味まで気取られるので、恥ずかしいことこのうえない。

これがあと30-40年もたって、自分の外見にも明らかに衰えが生じたとしよう。
もしかしたら、「ああ、貴女はあのビッグ・イシューの・・・」などといわれて、保護される羽目に陥るかもしれない。
気をつけねば。
といっても、「気をつける」=「独り言を言う癖を治す」なんだか何なのだかわからないというのが正直なところなのだが(笑)。
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# by canary-london | 2010-03-24 10:05 | culture
昨夏以降、様々な用事で日本に一時帰国する機会が多かった。
英国暮らしも足かけ5年近くになり、普段日本に暮らす日本人からみると何でもないことにも新鮮な驚きがある一方で、こちらに引っ越してきた当初はいちいち「へえー、日本(東京)ってすごい!」と英国(ロンドン)との対比で感動していたことについては目が慣れてきたのも事実。
いつ戻っても、街のどこかに「出来たてです!」という湯気でも出そうな新しい高層ビルが建っていることにも慣れたし、レストランにしても速いスピードで動く東京という街の最新情報を把握するのはアウトサイダーには不可能なので、食事の際のお店選びは例外なく東京在住の友人に頼るなど、最近すっかり怠け者になってしまった。

東京という街を表すに相応しい形容詞は・・・と考えると、改めて「小ぎれい」という言葉がマッチするな、とこの数回の帰国で感じた。
若い女性の身なりもそうだけれど、若い男性の外見はさらに違う。
まず、皆一様に細い。
英国人の男性(ロンドン在住の人ということなので必ずしも英国人ではないが)だって長身・スリムでスタイルの良い人は多いと思うが、日本人の男性のそれは、何となく外から押し付けられたような、申し訳なさそうな感じが漂うと思うのは私だけだろうか。
言ってみれば、自分の目指すクールな芸能人の体型とファッションに自分を当てはめようとしているかのような。
細身のジーンズに洒落たバッグ。
アーティスト然とした帽子。
綺麗に剃り整えられた眉。

出発前に成田空港で航空会社のラウンジに入ると、数々のおつまみと一緒に2cm四方ぐらいにカットされた美しいサンドイッチが並ぶ。正方形にカットされたサンドイッチ自体、ロンドンでは洗練されたホテルのアフタヌーンティーで供される以外にはまずお目にかかれない。(スーパーに陳列された三角サンドは、一様に‘食パンを切ったままの姿で何か文句ある?‘とでも言いたげだ。)

・・・すべてのものが、「小ぎれい」。

渋谷の公園通りを歩いていたら、日本版ビッグイシューを売っていた。
あいにく三枚しか持っていなかった百円玉とあらんかぎりの小銭を出して買い求めたのだが(高飛車なつもりはないのだが、私はビッグイシューを買うときは常に定価よりもう少しだけお金を払って買うのだ)、ビッグイシューの販売員までもが何だか清潔感に溢れていて驚いた。
渋谷という場所柄もあるのかもしれないけれど、「貴方達って、ホームレスではないんだっけ??」と口にできない疑問が湧いてしまった。

久し振りにこの話題になったので、脱線するがビッグイシューについて。
1991年に英国で生まれたビッグイシューの日本版創刊は、2003年9月。
私が渋谷の公園通りでオシャレなお兄さんから購入したのはミッフィーの表紙が印象的な126号だったのだが、今年83歳を迎えるオランダ人作家・Dick Brunaの愛くるしい「うさこちゃん」は日本で絶大な人気を誇るために表紙のイラストとインタビューを依頼した、とあった。
社会的に大きな影響力を持つ人にマーケティングしてもらう効果は果てしないのだろうということは容易に想像がつく。
発祥の地ということもあって日本よりも根強いサポーターの多い英国では、この雑誌は日本の隔週に対して毎週販売されるが、若者の支持も得るための努力なのだろうけれど、ポップ・ロックシーンの若い歌手などの登場頻度が非常に多い。ちなみに英国版ではミッフィーちゃんは登場していない。

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ビッグイシューの中身をみると、日本版にせよ英国版にせよ、地域のコミュニティー誌的な色彩も強いため、その土地に合わせて表紙や中身を変えて当然なのだろうと思う。
件の日本版126号の読者投稿欄には、「石田衣良がいつも買っていることを知って勇気を出して買いました!」という初々しいティーネージャーのコメントが掲載されていたけれど、若者に社会に対する意識を芽生えさせるきっかけとなれば何でも良いのだろうと思う。

最近の幾つかの号では、ポップグループのChemistry、俳優の松田龍平やタレントの笑福亭鶴瓶、ミュージシャンの坂本龍一など、多様な分野で活躍する日本人がビッグイシューという雑誌の宣伝に一役買っている。海外の俳優や歌手のインタビュー記事を目玉としている号も多いが(ちなみに最新版は映画監督のウディ・アレン)、やはりより身近に感じられる日本人の影響ははかり知れないのだろうと思う。
毎週発行で日本より12年先輩にあたる英国は今週発売で887号となった一方、日本版は138号。
日本版にも是非ともモメンタムを継続してほしい。
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# by canary-london | 2010-03-06 21:30 | culture

イギリスと傘

このところ春の兆しが見え始めてきたけれど、この冬は欧州全土記録的な寒さに見舞われた。山が少なく普段雪が降ることは稀な英国も例外ではなく、昨年12月以降というもの、雪で国全体が機能不全に陥る状況が頻発。積雪量としては、雪国の住人の失笑を買う程度のものなのだが(もっとも降ったときでもロンドン中心部では5-10cm程度だろうか)、とにかく雪という現象に対する備えがないので電車は止まるし、道路凍結防止用塩の不足により高速道路は封鎖、多くの学校が学級閉鎖を余儀なくされ、解放感にあふれた子供達のみならず、ロンドン中心部ではいい大人までもが雪合戦に興じる姿もちらほら見かけた。
いきおい日常生活は非常に不便になるのだが、地球温暖化への警鐘ばかりが鳴らされる時代に「冬が冬らしく寒い」のはどこか安心する。

同じ濡れるのに不思議といえば不思議だが、雪のときにはよほどひどい降りにならなければ傘をさす必要をさして感じない一方、突然の雨には手をやく。
「雨が降っていれば傘を置いて出かけ、晴れていれば傘を持って出かけるように」などといわれるほど変わり易い英国の天候は今も健在。
英国人が傘をささないのはつとに有名な話だが、こちらは英国暮らしがいくら長くなっても、そぼ降る雨の中を傘なしで歩くことには一向に慣れない。(慣れというよりも、合理的か否かの問題のような気もするのだが・・・。)
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傘をさすこと自体が少ないだけに、傘に対するこだわりがない。
先月のある日オフィスを出ようとすると、タイミング悪く激しい雨が降っている。
前述の気まぐれの天候のなか、折りたたみ傘は必須アイテム。デスクの引き出しに常備しているのだが、どうやらその日は家に置いてきてしまったらしい。
時間帯が割合遅かったため、オフィスには人影もまばら。
ふとフロアーを見回すと、よく話す同僚の隣のデスク(おそらくは彼のアシスタントのもの)の上に黒い小さな折りたたみ傘が。
持ち主は帰宅してしまっているのか休暇で会社自体に来ていないのか、明らかに今日戻ってくる気配はない。
他人の物を無断で持っていくのは気が引けるが、きっとアシスタントなら朝の出社だって7時半出社の私より遅いに違いないし、明朝返せばいいか。
・・・ちょっと拝借。

正直、「ラッキー」と思いながら会社を出たのだが、家の最寄り駅で地下鉄を降り、借り物の傘を開いてみてびっくり。
折りたたみ傘の生命線といえる、先端部分に傘の布地部分を引っ掛ける金具が2-3ケ所致命的に壊れており、傘としての体をなさない。
家まではせいぜい徒歩7-8分程度だが、終始傘の端を手で押さえながら歩く羽目になり、実に閉口した。
体半分ずぶ濡れになってやっと家に入ったときには、よほど捨ててやろうかといまいましさ一杯に使い物にならない傘を睨みつけたが、そこは他人のモノ。
水気を取って再びきちんと折りたたみ、翌朝彼女のデスクの上にそっと戻したのだが、彼女は果たして次回の大雨のときにもその傘を使うのだろうか。
・・・傘にこだわりのない英国人にしてやられた一幕だった。
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# by canary-london | 2010-02-27 21:22 | culture

復活宣言

・・・なんと。
プライベートがハンパなく忙しかったことは紛れもない事実なのだが、前回エントリから実に半年経ってしまった。

自分の身辺では実に色々なことが変化したので(願わくばよい方向に)、ここらでそろそろ復活宣言。
というわけで、デザインも一新してみました。

長らくご心配をお掛けしましたが、ゆるりとしたペースで溜まった思いを書いていきたいと思います。
今後とも宜しくお願い致します。
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# by canary-london | 2010-02-26 08:01 | diary
前回もスペイン旅行記を書こうと思いながらスタートしたのに、またしても結局「いかにイギリス人が食に無頓着か」について熱く語って終わってしまった。
・・・それにしても、「イギリス人と食」について書き始めると、ノンストップになってしまう。

「どこででもものを食べるイギリス人」は昨今のカナリーウォーフでも、オリジナルの記事を書いた2年前と変わらない勢いで生息している。
夏至の時期に比べるとかなり日が短くなったとはいえ、日中太陽の覗く日は気温も適度に上がり湿度も低いために実に快適な7-8月のロンドン(ちなみに昨年久し振りに8月初めに東京に数日間だけ一時帰国したのだが、「この暑さでは人格が歪むのも無理はない」と真剣に感じた)。
そんなお天気の良い日は、お昼時ともなると、会社の目の前にある広場中心に据えられた噴水の周りは、テイク・アウェイのランチを抱えて、食事と日光浴を兼ねる若者が圧倒的に増える。
この心理には実に共感。
自分もデスクべったりの仕事でなければ、近所で買ったサンドイッチやサラダを噴水の傍らで広げたい、と思う。・・・が、余程静かな金曜日でもない限り、そんな彼らを羨望の眼差しで見ながらいそいそとデスクに戻り、相場を見てディールをこなし、メールを書きながら無機質な一日二食目を終えるのが現実。

一方で理解に苦しむのは、こんな良い時期であるにも拘らず、ショッピングモールの地下通路にところどころ設置されたベンチで、同じようなテイク・アウェイをもそもそと頬張る輩。
行き交う人のごった返す雰囲気と話し声、自分の食事をいちいち覗き込まれる不快感、そして舞い上がる埃を考えると、悪いけれど狭いながらも「自分の空間」であるデスクで食べている自分の方がまだいいのでは、などと思ったりする。

ときに、私は雑誌では英エコノミスト誌と米タイム誌を愛読している。
「統計学」というものがいかに胡散臭くいい加減なものかというのはそれだけで二度でも三度でもトピックになってしまうようなお題だけれど、エコノミストやタイムが向学のためにもまた庶民の野次馬精神からしても面白いと思う部分の一つは、時事ネタと絡めた都合の良い統計学を引き合いに出して、それなりに読み応えのある記事にしてしまうところ。

「食にこだわらない英国人」の対極として、むしろ食にこだわり過ぎて笑い草とされるステレオタイプの国民はヨーロッパでは間違いなくフランス人なのだろうが、何気なくクレジット・クランチ全盛の今年2月のエコノミスト誌の記事を引っ張り出して読んでいたら、思わず笑みがこぼれてしまった。

・・・曰く、未曾有の不景気(2008年はレストラン・カフェの倒産が前年対比26%増加したとのこと)、そして公共の場における喫煙に対する取締強化を受け、従来型の「昼食は意地でもデスクで食べるのではなく外へ出掛ける」フランス人が劇的に減っているとのこと。オフィスから出て、近くのカフェやブラッセリーで’Plat du Jour’(「日替わり定食」が適訳だろうか?)を頼む人は、20代から30代前半の若い世代では減少が著しく、代わりに台頭してきているのが「サンドイッチ」文化。2008年のフランスにおけるサンドイッチ消費量は13億個と2007年を5,000万個上回ったなんてデータ、一見説得力があるようだが数値として信頼できるのだろうか??
記事から6か月が経過し、目先的にしても景気回復を示す兆候が世界のそこかしこで見られるなか、フランス人は再びブラッセリーで「本日の一皿」を優雅に楽しむようになっているのだろうか。是非とも継続的なデータをとってもらいたいものだ。
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フランス人を揶揄したデータついでにもうひとつ引用すると、今年5月18日号のタイム誌
OECDの実施した国別の生活・健康に関するデータによれば、先進国の中で一日・24時間の中でもっとも食べることに時間を割くのはフランス人で、平均して一日の2時間半程度を食事に充てる。これは、米国人やメキシコ人の倍以上に当たるが、より食べることに時間を使わない、且つワークアウト・フリークでもある米国人の肥満度の高さは前回書いたとおり。食へのこだわりと肥満は反比例の関係にあるのだ。
OECDのこの研究、食に留まらず多岐にわたる項目についてのリサーチが行われていて感心するが、フランス人は、1日の平均睡眠時間においても先進国の中で栄えあるトップを獲得。1日平均8.8時間の睡眠時間は、7.8-7.9時間程度と先進国最下位の韓国や日本を大きく上回る。週35時間の上限を課された労働時間といい、仕事では手を抜き(失礼!)、食を愛し恋に生きるフランス人は何と幸せなんだろう・・・と羨ましさを覚えずにいられない結果の数々なのだ。

とはいえ、統計学には限界がある。
私自身親しいフランス人は多数いるが、日々昼食はデスクでサンドイッチを齧り、睡眠は平均して5-6時間程度と平均的フランス人に比べてアンハッピー極まりない人も多数。
・・・これは国民云々以前に、投資銀行という業界の持つ特質なのだろうか。
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# by canary-london | 2009-08-11 09:13 | gourmet
三点目は、Oviedoに住むスペイン人の友人と夜通し語る中で感じたごくランダムな雑感なので、「スペイン旅行記」とは程遠い。

自分のブログを振り返ると、大体「良く書くトピック」に一つのパターン性があるように思う。アウトサイダーとして英国に暮らす者として、イギリス人を揶揄するようなトピックは多く、中でもイギリス人が如何に「食」に無頓着か、というのは以前も一度ならず書いたことがある。

現地の友人と話したOviedo三点目の感想=スペインの魅力も、食にまつわるものだった。
ご存知の人も多いと思うけれど、スペインという国はとにかく食事の時間帯が遅い。
スペインが植民地としていた中南米の国もその習慣を受け継ぎ、今でも食事の時間が全体的に後ずれしている国は多いようだが、我々の感覚からすると、とにかく食のサイクルが違うのだ。

平日のサラリーマンの生活は少し違うのだろうが、スペイン人の体内時計に合わせた過ごし方となる休日ともなれば、こんな感じだろうか。
起き出すのは9時か10時。
朝食なるものは、たっぷりのコーヒーと、ビスケットや菓子パンのようなものをつまむだけ。
お昼は、決して「正午に食べる食事」ではなく、2時か3時から4時か5時頃までゆっくりと時間を掛けて、タパスなど多様な料理をしっかりと、楽しく飲みながら食べる。

夕食は、地方にもよるが9時スタートは割合早い方で、レストランには10時や11時になっても続々と人が入ってくる。
前回書いた「同じ国とは思えないほどの多様性」は、料理についても言えること。
スペインというと、イベリコ豚やパエリアやトルティーヤなど、特定のものをイメージする人も多いと思うけれど、それぞれが地の利を生かし、海に近く新鮮な魚介類が手に入るところはシーフードも強烈に美味しいし、ハム=豚のイメージが強いかもしれないが、羊も牛も食べる。
といっても、スペイン人が牛を活発に飼育し食べ始めたのは1960年代からとのことで、今でもユーロ圏内では一人当たりの牛肉消費量が最も低い国、というので驚く。アステューリアスは、そんな中でも比較的牛肉を食べる地方といえ、高速道路を走っていても、ランドマークのようなTORO=雄牛の巨像が突然現れたり、牧場で乳牛や肉牛を見かけることも多い。

牛肉はともかく、スペイン人の食生活について。
そんなことで、一日三食、朝食を除いては力いっぱいの情熱を食べることに注ぐ。
といったところで、朝食だって、ヘルス・フリークのアメリカ人が見たら腰を抜かすような高カロリーのメニューだし、おまけにスペイン人は間食も楽しむ。
ディズニーランドでお馴染みの「チュロス」は、街中の移動式キオスクの定番。
ドーナツをチョコレートにディップして食べるなんて、考えただけで太りそう・・・。

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なのに、スペイン人には意外と太った人が少ないというのが事実。
アステューリアスでは随一のビーチ、Gijonへも行ったのだが、友人Lの言うとおり、なるほど水着姿を見ても肥満体の人は非常に少数。

あれだけ遅い時間にしっかりした食事を取って、何で太らないワケ???

・・・という私の疑問に対するLの回答は、「それは食べることに興味があるからでしょ」という逆説的なもの。
肥満国家というと真っ先に思い浮かぶ米国(あれだけワークアウトに傾倒する国民なのに、データ上は国民全体の実に3割が’obese’=肥満)や、近年肥満児の増加が社会的問題になってる当地英国。

確かに、いずれの国の国民も誤解を恐れずにいえば、非常に食に無頓着である。
一言でいえば、味オンチ。
もちろん、ニューヨークやロンドンで働く一部の羽振りの良いインベストメントバンカー(‘羽振りの良い’バンカーなんて既に絶滅種ではあるが・笑)の中にはグルメを自称する人もいるが、国民全体としては、アメリカのレストランだってニューヨークなど一部の大都市を除いて出される料理は「質より量」を地でいっているし、英国の外食レベルはここ20年ほどで高くなったとはいえ言わずもがな。
飲み会の後の夜食(=日本人、というか東京在住サラリーマンで言うところのラーメン)がマクドナルドのファストフードというのが、食に対する興味のなさを物語っている。
私も昔のエントリで「公共交通機関の中で飲み食いする不思議なイギリス人」を取り上げたことがあるのだが、つまり一食一食の食事に対して重きをおかないということ。

食を愛するスペイン人・Lに言わせると、ファーストフードの多さといい、「食べることに執着がない」こと自体が肥満の大きな原因なのでは。
確かに、数年前にヒットした本「フランス女性は太らない」も、読んではいないが書評で見る限りは、「フランス女性は美味しいものだけ少量食べるので太らないんです!」という論調だったような気がする。
・・・本自体読んでいないのに僭越を承知で、当初はこんな本でベストセラーになるのなら、自分だって印税で食べていけるかも?などと苦々しく思ったのだが(笑)。
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# by canary-london | 2009-08-03 04:04 | travel
・・・「復活宣言」をしたのは良いけれど、一体何から書いたら良いものかさっぱり分からない。

こう見えてもメモ魔なので、香港にいた時に雑感をなぐり書きした紙があちこちに散乱して収拾もつかない状況なのだが、はっきりいって今香港の事を書く気にはまったくなれない。

5月22日時点では身も心もすっかり香港で、何なら「蒸し暑いけど所得税率も低いし日本にも近いし、香港移住計画も捨てがたいかも!」などと思っていたのだけれど、そんな感覚は6月から7月にかけてヨーロッパを駆け回った上、最近ではあるプロジェクトのためにロンドン郊外にも足を伸ばしているうちに記憶の彼方に綺麗に消え失せ、すっかりヨーロッパ人に戻ってしまった(笑)。

今日のところは、ヨーロッパでもっとも最近訪れたスペイン北部について少し書くことにする。4泊4日でやや強行軍だったのだが、以前から訪れたかったフランスとの国境Basque(バスク)地方、そして友人の住むAsturias(アステューリアス)地方の両方へ。

Basqueでは、奇を衒った外観で有名なグッゲンハイム美術館のあるBilbao(ビルバオ)を拠点として、北部のスペイン人および裕福な近隣の外国人が最高のビーチとして崇めるSan Sebastien (サン・セバスチャン)へ。
ここでは、ビーチを楽しむことに加え、バール・ホッピングと呼ばれるタパス・バーのハシゴに興じる。
正直なところ、ビーチはやはりスペインの南の方が圧倒的に質が高い。
海の色も、砂浜の白さも広さも、見渡す限り地平線という人類を大きく超越するような規模も。

最近スペインに「はまっている」と言ってもいいぐらい様々な場所を訪れているのだが、常にこの国に驚かされるのは、その多様性。
「同じ国??」と思うほど、気候も地元の人々の気質も、風土も料理も、場所によっては言語すらも全く違う。
今回スペインの北部に初めて行って最初に抱いた印象は、「緑が多い」というもの。
この時期から8月にかけては耐え難いほどの灼熱地獄となる南部アンダルシアの乾いた赤土とは全然違う。

それもそのはず、同じ国とはいっても、年間降水量が圧倒的に異なるのだ。
特にアンダルシアは、4月から9月にかけての夏場の降水量が極端に少ない
その一方、北部はこの時期でも高速道路から見える植物もとにかく瑞々しい。

サン・セバスチャンは滞在時間があまり取れず、定石どおりのバール・ホッピングに終始してしまったが(とはいえ、隠れた名店にも多数足を運ぶことが出来た。持つべきものは地元出身のスペイン人の同僚!感謝!!)、Asturias地方の主たる都市の一つであるOviedo(オビエド)がこれまた恋してしまうほど可愛い街。

ウディ・アレンの近年では珠玉の名作といえる小気味よい’Vicky Christina Barcelona’(邦題は「それでも恋するバルセロナ」)の舞台になったことで、最近知った人も多いのでは。

今日は、Oviedoで感じたことを三点ばかり。

一つは、「ある特定の場所=街に恋をする」ということ。
ウディ・アレンが、正にそうなのだ。
実は上記の映画は、Oviedoを舞台にしてOviedoで撮影も行われた彼の作品としては三作目。
街への恋や思い入れは、大概一方向のベクトルではなく、相思相愛になる。
街としては、その街の存在と良さを世界中に宣伝してくれる宣伝塔は当然直接的な観光収入増に繋がる有難い存在に違いない。
一方、ひとたび国や街に愛着を覚えると、歴史や文化をはじめとして、カフェで飲む一杯のコーヒーもひときわ美味しく思えたり、道行くお婆さんの表情も穏やかで魅力的に思えてくるので不思議。
ウディ・アレンのOviedoとの「相思相愛」度は、街の中心部の石畳に据えられた銅像に物語られている。
アレンのようなアーティストは特に、「特定の街に恋をする」ということが自分の人生と作品に重要な意味を持つのだろうと思う。
ふと自分に照らし合わせて、自分も何処かの街に「恋をしたい」と思った。
それはスペインかもしれないし、どこか別の国かもしれない。
そんな妄想が楽しい。

二つ目。
Oviedoの街というのは、とにかく清潔で感心する。
「ヨーロッパでもっとも清潔な街」というカテゴリで無数の賞を受賞している。
ただこれも行政に大きく左右されるもので、任期13年目を迎える現在の市長が旗振り役となって実現したことらしい。
夜中0時が近づくと、市中を清掃車が巡回し始める。
ゴミ収集は、なるべく人々の普段の生活を妨害しないという目的で、0時から4時の間と定められている。
路上に落とされたゴミ一つ見つけることすら難しいこの空間は、清掃員のたゆまない努力の上に成り立っているのだろう。

愛らしい街の雰囲気といい、「何処かに似ているな」と思って、瞬間的に分かった。
・・・それは、ディズニーランド。
ディズニーは、世界中場所を問わず、「おとぎの国」であるディズニーランドが汚くなることを許さない。理由は、現存しないおとぎの国に皆が抱く夢を壊さないため。
ウディ・アレンが惚れ込んだのも無理もない、とため息。
Oviedoは、言ってみれば現実世界を超越した空間なのだ。

長くなってきたのと、三点目は若干視点が異なるのでまた次節(狼少年度が増してきましたが、次回はすぐに書きます!)。
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# by canary-london | 2009-07-29 03:47 | travel

完全復活宣言!

大変長らくお休みしてしまいました!
前回エントリ5月末以降、香港から東京経由で6月初めにロンドンに戻ってから、6月および7月初めまでの週末は殆ど全くロンドンにいなかったため、プライベートでとにかく諸々のキャッチアップが忙しく、文章を書く暇がまったくありませんでした。
お待たせした皆様(別に待ってる人はいないと思いますが・笑)、ご心配をお掛けしました。今までどおりゆっくりしたペースではありますが、ぼちぼちアップしていきたいと思っていますのでご笑覧頂けましたら幸いです。
Canary-london 拝
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# by canary-london | 2009-07-28 07:17 | current
5月は、いつにも増して執筆ペースが鈍ってしまった。
というのも、最近globe-trotterぶりが加速していることに依るところが大きいかもしれない。アウシュビッツの旅行記なんぞを書いていたのはいつぞやの話、今は香港のホテルで缶ビールを開けながら久々に自分のブログを眺めた次第。
突如香港に来ることになったのは、ビジネスマンとしてはそんなに珍しい理由ではない。香港で私と同じような仕事をする同僚が前触れもなく長期休暇に入ってしまったため、先週はNYから同じチームの若い女性が彼の代打として急遽出張したのに続き、今週は私にお鉢がまわってきたというわけ。

・・・そんなわけで香港。
最後に出張で訪れたのは10年ほど前だろうか。
何しろ久し振りでもあるし、とりあえずは雑感。

*気候と天気
飛行機のタラップを降り立った途端に、ムッとくる熱気。
今の時期、気温自体は摂氏28-30度と狂ったほど暑いことはないのだが、蒸し暑いアジアの夏から3シーズンも離れた緊張感のない身体を、皮膚への衝撃(涼しく湿気の少ないところに長くいると気泡が閉じてしまうらしい)と何とも言えない不快感の両方が同時に襲ってくる。
不運なことに、天気も悪い。
空気中の水分が教科書通りに雨粒となって降ってくるだけでなく、横風も容赦なく吹きつけるので、傘を持つ意味すらない。

私が到着した水曜日のほんの一日、二日前までは晴天続きだったらしいのだが、マーフィーの法則とはこんなものだろうか。
香港随一の屋外プールがあるホテルを選び、ロンドンでは不足しがちな日光浴でもしようと勇んで水着も持参したのに、水着もサングラスもすっかり箪笥のこやしと化している。

*Skyscrapers(高層ビル)と街としての憩い
雑然と立ち並ぶ無数の高層ビルと、それらを灯すネオンに彩られて24時間眠らない街。
香港は東京と比べると余程規模が小さいものの、「夜の眠らなさ」でいえば似た部分があり、さしずめ東京の銀座か新宿だけを切り抜いてクローズアップしたようなイメージだろうか。
ロンドンにもヨーロッパの各都市にももちろん夜の繁華街というのはあって、街の「眠らない」部分はあるのに、こうも印象が違うのは、建物の新旧ひとつで趣が全然異なることの表れなのだろう。

いきおい、街としての「憩い」や「癒し」は少ない。
出退社時に乗り慣れつつある高速エレベーターは、臨時のアートギャラリーがしつらえられた3階から、弊社オフィスのある45階まで瞬時にして音もなく連れていってくれるのだが、新しいビルの新しい設備の中にばかりいると、何だか落ち着かない。これも、ロンドンっ子の「古いものは良いものだ」的感覚が沁みついてきたからなのだろうか。
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*コンパクトさと効率性
香港にいると、全てが近い。
狭い半径の中にたくさんの人が押し込まれ、建物はニョキニョキと上へばかり伸びるため、地上の移動は徒歩でも車でもらーくらく、なのだ。
Mid-levels Escalatorなんて、誰が考えたのかしらないけど偉大な発明。
高台にある居住地と、港に近い低地のオフィス街を結ぶ屋外の(屋根は付いている)エスカレーター、というか徒歩で進むコンベイヤーベルトなのだが、800メートルという長さは世界でもほかに例を見ないらしい。朝10:20までは出勤する人のために下りの一方通行、以降は上りへと変わって一日動き続ける。
地下鉄も便利だが、香港の地元民はタクシーを気軽に使う。それだけ移動が早く、また他の都市に比べて安価。通勤はタクシーという人も意外に多い。

血筋的に東洋人の顔をしているものの、生まれも育ちもロンドンという同僚で6年前にロンドンから香港へ転勤してきたCに言わせると、この便利さと効率性をひとたび味わうと、ロンドンになんかとても戻れないのだそうだ。
なるほど納得。

*人と言語
上述のCなども、顔は東洋人なのに北京語も広東語も一言も解さないため、それはそれで違和感がある。が、普段ロンドンで生活し、自分と全く違う姿かたちをした道行く人達が自分の言葉である日本語を理解しないのに慣れている自分としては、目鼻立ちは互いにとても似ているのに互いの言語を全く理解できない状況に、新鮮な感覚とやるせなさを同時に感じる。大きな声では言えないが、大学時代は現代中国政治専攻だったのだけれど。何で外国語のひとつも真面目に勉強しなかったのだろう。

香港の公用語は広東語。周囲を歩く人のほぼ9割が広東語を話していると言っていい。
言語による特質の違いというのも、ヨーロッパの言語については分類が日常化してしまった感があるが、アジアに来ると感覚を新たにさせられる。広東語は、良くいえば元気・快活、悪くいえば攻撃的な印象で、普通の会話を傍で聞くと口論に聞こえることもある。

*とはいえ、やっぱり近いニッポン
・・・そうはいっても、何かにつけて強く感じたのは、香港が色々な意味でいかに日本に近いかということ。こういう事は、得てして非常にくだらない場面で感じるのだが、今回の私の場合も例外ではない。これについては次節。
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# by canary-london | 2009-05-26 01:28 | travel